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シンクロディピティ 〜synchrodipity〜

シンクロディピティ 〜synchrodipity〜
  著者 エゼ

意味のある偶然の一致


それは身近なところから


視野を広げれば宇宙の奇跡


地球が宇宙の今の位置に存在し、生命が誕生する確率は限りなく


『0』


科学では証明出来ない偶然の重複による存在


全ての出来事は無意味な偶然の重なりか


それとも理由があるのか




理解に苦しむ現象がおきたとき


知らない方が幸せな世界に


あなたは目覚めたのかも知れない


※完結作品

構想&制作〜完結
2011.1.20〜7.11より1年休載〜2014.9.6
 【世界への認識】


今感じている世界


今暮らしている世界


自分だけが認識する世界


それが全てであろうか


勿論この世界に対する認識は


現実である


仮に別の世界が存在しても


認識は変わらない


それが幸せだから


仮に別の世界が存在しても


気付かない


気付けるような


たやすいものでもないから





 【monstrous モンストラス】


monstrousと呼ばれる時代があった


100年前


人類の大半は死滅した


巨大なる戦争の結果


それでも人類は復興の道を進んだ


復興できたのも


長い戦争の最中に


個人を護る組織が生まれた事で


安心が生まれた


自害を選ぶ者がまだ多い世界


人間不信が残る世界でも


未来を見ない不安定な世界でも


仕事ができる環境まで復興した


失われなかった文明


そして地球は


戒めの時代を忘れないように


怪物のような


おそろしい


奇怪な時代を再度興さないためにも


いや、そんな時代があったことを象徴するように


その時代を


monstrous時代


地球を


モンストラス世界と呼ぶようになった





 【デジャヴュ】


〜既視感は目覚めの始まり〜


 8:59 

「ねえ、愛してる?」

「だから今こうしてるんだろ?」

 車の中、気持ちを確かめる女。
 肘から上の体と座席をまとめて太いテープで固定されている。

「俺達はこれで幸せになれるんだよ」

「そう……ね」

 男の足首はロープで縛り、その両手は女の空いた手により手首をロープで縛られ、指は左手の親指以外見えない程テープで巻かれている。

「じゃあ……行こうか」

 ボンネットに照り付けるほどの春の晴天。まわりに柵のない崖。二人の乗った車からの眺めは水平線と、微かな鳥の鳴き声。
 ウインドウを閉めた車内には、高さのある崖に衝突する波の音は聞こえなかった。

「うん」

 縛った両足でアクセルに触れる男。
 車から崖までは10メートル。走り出せばおそらく、止まる余裕のない距離。

「行く、ぞ」

 両足に力を入れる刹那。

「は!?」

「何!?」

 二人が乗った車のボンネットに、空から車が真っ直ぐ墜ちてきた。
 縦揺れに激しい衝撃と、静寂が似合わない鈍い音と共に。それは二人が乗る車と垂直に。横から見たならば90度の形に。
 二人は突然の出来事に硬直する。

「な、なんだよ、これ……有り得ないだろ? お、おい! 俺のテープ! はがしてくれ!」

「う、うん! え……キャー!」

 女はテープをはがす手を止め、辺りを見回す。

「どういうこと?」

 二人を中心に、更に何台も車が空から真っ直ぐ墜ちてきた。音にして四回。そして墜ちてきた車はバランスを崩し、倒れやすい方向に倒れる。
 女は急いで男の指に巻かれたテープをはがす。
 そして男も女の体に巻いたテープをはがし、自分の両足を縛ったロープを解き、車の外に出る。

「どこから……現れたの?」

「む、無理だろ……空には何もないぞ」

 困惑する二人は首を大きく振り、辺りを何度も見回す。
 そして男は真上を見る。

「ぅああ!」

 車のフロントが男の目の前に現れた。

 8:59

「ねえ、愛してる?」

 車の中で女は体と座席をテープで巻かれている。

「どうして黙ってるの?」

「あぁ、ごめん……考え事してた」

「今更? 笑わせないで! 怖じけづいたの?」

「いや、気にしないで……きっと……なっ!」

「え!?」

 二人の乗る車のボンネットに空から車が墜ちてきた。

「なに!? どういうこと!?」

「悪いけど……テープ、剥がしてもらっていいかな」
 
 女は男の指に巻かれたテープをはがし始める。その最中、男の目に映る物。それは再び何台も空から墜ちてくる車。明らかに古く、走行が難しい車体。二度見た者であれば冷静にわかるであろうほどに傷んだ車体。

「なに!? 何が起きてるの!?」

 女は困惑しながら急いでテープをはがす。

「これは……デジャヴュってやつか? いや、夢? だけどリアル過ぎるぞ!?」

「え?」

 女は男の意味不明な言葉と、動こうとしない様子を見て、自分に巻かれたテープを自分で破りはがし外へ出る。そして運転席側に回り込み、男を車から出そうとする。

「ちょっと! 早く出て! 変だよ絶対!」

 男は考察を止めてロープを解き外に出ようとする。
 女は車から後ずさり、腕を組みながら男が出るのを待つ。

「なあ……今日はもう止めておこ、お! おい! その場所から離れろ! そこは! 車が!!」

 男の目の前で、女は突然現れた車につぶされる。

 8:59

「ねえ、愛してる?」

「なんだこれは!」

「は??」

 男は親指でDの位置にあったギアの変換ボタンを押しながら前の方向に力を込め、切り替わると、一気にアクセルを踏み込む。

「え?? 何してるの?」

「がは!」

「ん!」

 二人の乗った車は後方にそびえた岩場にぶつかり停止する。

「ん……んん!」

「あ……ああぁ……大丈夫か?」

「大丈夫か? あなた何してるの!? 私達は! 今から! ここで! 墜ちて! 一緒になるって話だったでしょ!? 何怖じけづいてんのよ!」

「い、いや……多分出来ないんだ……一緒になる事が」

「は? 私とじゃ一緒に死ねないってこと!?」

「いや、そういう事じゃないんだ! 説明が出来ない」

「説明出来ないって!? え……この音……え??」

 それは車の時計が 9:00 に変わった瞬間。
 轟音と共に崖の下から現れる三機のヘリコプター。『LYS』とトレードマークのある機体は素早く車を囲む態勢でゆっくり降下する。

「ねえ! 解約してなかったの!?」

「すまない! 今解約しても変わらないと聞いたんだ! それに、こんなに早く見付かるとは思わなかった!」

 ヘリコプターから先駆けて降りてくる者がいる。
 照りつける乾いた土に映し出されるシックな影。
 黒いジャケットはボタンを締めるとウェストが細く引き締まって見えるシルエット。
 状況に応じて動きやすい縦横斜めに布が伸びる4WAYストレッチなノータックスラックスを着こんだ長い黒髪の女性。
 女性の平均身長より5センチ程度は高く、低くないヒールはどこまで続くかと思うほどの長い足が更にシルエットを綺麗に魅せる。
 美人が苦手な男なら、直視できない者もいるであろう整った顔立ち。
 二度目に感じるのは冷たい目線。
 堂々とした佇まいで真っ直ぐ男に向かう。

「『下村シモムラ』様! 奥様! 『LIFE YOUR SAFEライフユアセーフ』の規約により、あなたを管轄警察署まで連行致します! あなたは当社の『ALL TODAYオールトゥデイ』のプランにご契約頂いてる為、1時間消息不明により私どもは捜索を開始致しました。当社の判断で自害行為と判断した場合法律に基づき連行致します! これは逮捕ではありません」

 LIFE YOUR SAFEと社名を名乗る女性は決まった言葉を淡々と発し、数人の職員により二人を連行しようとする。

「ちょっ! ちょっと! 違うのよ! 私達はドライブに来てちょっとふざけただけなのよ!」

「私と下村様は疑わしい場合には、体の安全を優先に連行してもよいという契約を交わしております。後の判断は警察の判断となります。そして妨害行為がある場合には逮捕権を行使し相応の対応をさせていただきます」

 下村の妻は口を閉じ、下村と共に連行されようとする。

「あの」

 女性とすれ違う時、下村は口を開いた。

「なんでしょうか」

「この辺り一帯に……車が空から墜ちるという錯覚は……あなた達の仕業ですか?」

「私どもは下村様の車が万一墜ちても最悪の事態は免れる様に、水上ヘリにて近づき、崖の下に海用クッションを一帯に敷き詰めました。ただ下村様のおっしゃる事は、私どもには理解しかねる事です」

「そう……ですか」

 真っ直ぐ放つ言葉と動揺を感じない鋭い目線に、下村は落胆の混じった返事だけ発し、下村の妻は下村が語る理解不能な言葉に表情を凝視しながら、ヘリコプターに乗り込んだ。

「ふぅ」

「相変わらず言い方が厳しいねえ『桜(さくら)』チャン」

 目的を終え息ついた桜に、別のヘリコプターから降りてきた者がいる。
 ツーブロックが似合うしっかりした顔立ちに、遊ばせた前髪は風に揺れても髪に触れる必要がない程度の短髪な男。桜より頭の等身ひとつ高い長身でXLのサイズに余裕がないほど体格が良く、桜と同じ素材の生地で出来た更に動きにゆとりあるツータックスラックス。ノータイで光沢あるグレーのスーツをまとい、軽い笑みを浮かべた顔で近づきながら言葉を掛ける。

「『町田(まちだ)』所長……私は業務を遂行するまでです!」

「ハッハッハ。まぁ間違ってないからいいんだけどね! まぁ……しかし、さっきの彼も、おかしな事言ってたな」

「はい」

 町田は笑顔を沈め桜を真っ直ぐ見て尋ねる。

「今年の自殺防止は全支所で何件?」

「2683件です」

「じゃあ……自殺者の人数は?」

「『0』件です」

「おかしいと思わない?」

「それは! 私達が!」

「おっとと〜! それは勿論君ら職員の迅速な対応の結果だよ! けれど……さっきの彼がバックしなかったら、墜ちるのは防げなかったはずだな」

 町田は地面に残る硬化した土がえぐれたタイヤの跡を見ながら話す。その跡はくっきりと、そしてその場から急遽後ろに下がる必要を感じさせるように。

「何をおっしゃりたいんです?」

「自殺未遂者の調書……直前に何度も雷に撃たれた、それが晴れた日に。地割れが起きた、なぜかビルの屋上で。今度は崖で車が降ってきた? みんな普通に支障なく仕事して生活してる民間人だぞ?」

「私は体験主義者ですよ? そんな自殺志願者の心理などわかりません!」

「ああ、そして共通する事は……何・も・起・き・て・い・な・い事だ! 自殺者もな」

「結構な事じゃないですか! 130年前に比べて人口が七割も減ったこの世の中! 先人の過ちを教訓にして! 少ない人口でお互い護りあって!」

「オッケー! オッケー! その通りだな! じゃあ帰還して通常業務宜しく! 確か、三時か四時くらいに判断悩む契約希望者の約束あったからたまには接客してくれ!」

「はい……先に戻ります! 失礼致します!」

 桜はヘリコプターに乗り込み上昇を始める。
 町田は右手を目の上に挙げ、眩しそうに空を眺めている。

「空から車……ねぇ」





 【LIFE YOUR SAFE】


チーフ  
顧客を担当し、専任以下の部下に指示を与える

専任   
特定の人物の監視人

専任補佐 
専任に準ずる者であり、専任の補助を行う

職員   
情報収集、伝達、警護を行い、指示を受けて実行する者


 15:12

「はい。私どもは警察に変わり、委託され、事件が起こる前に未然にお客様の安全を護る為に創られた民間会社です。一人でも多く護るという理念により、お客様のご家族皆様を陰ながら見守る立場にあります。
 常にお客様を監視する形となるため、プライバシーなところを目撃する事は常々あります……ですが我々は民事不介入ですので、刑事事件と疑わしい場合以外は介入致しません」

「でも……全て見られるって……何だか落ち着かないと言うか」

 空間の広い建物の外壁は厚いガラス張り。玄関付近には人工樹木の桜の木。室内は白を基調に洗練されたロビーの待合で、チーフの桜と契約希望者は向かい合い、ソファーに座り会社の説明をする。
 続けて説明をする桜の言葉は落ち着いて無駄のない言葉に見える反面、感情がこもらず、淡々と、威圧感も含まれた空気の中、契約希望者の30代に見える男はパンフレットと桜の表情を目で往復する挙動の落ち着かない様子で指先が小刻みに震えている。
 桜は説明をしながら、希望者の情報を眺め、露骨でない程度に様子をうかがう。

「我々に守秘義務は勿論あります。距離のあるボディーガードと思って頂ければと思います。お客様を護るのは契約に立ち会った私が担当者として、私の指示の元に職員は行動致します。そしてお客様の生活に関わりの可能性が限りなく少ない者を厳選します。
 私どもは絶対護れるとは申しません……ただ私どもが見守る事により犯罪の抑止に繋がり、現在犯罪件数は人口の一番飽和した130年前より、対比的に10%も起きておりません。シェアは保険会社よりも多いです。安全の一部を手にいれらるのです。
 一番オススメなプランはこちらの『ALL TODAY』です。お客様は今年売出中の車のローンと同じ月の費用により賄えます。
 低予算の理由は、お客様の近所の皆様も既にご契約いただいておりますので同じ地域の固まった住宅地域であれば職員一人いれば堂々と眺め、順次連絡がありますので、途絶えれば応援がきます。
 ご契約者様の密集地域により職員の監視の人数が少なくてすみ、それによりご契約者様が同じ地域に増えるほど人件費が掛からず、毎年費用がお安くなります」

「まだ小さい娘の行動も監視出来る訳だし……なら決めようかな」

「但し、こちらにも審査があります。説明は形式的に申し上げましたが……申し訳ございません! 当所ではお断りさせて頂きます」

「え!? ど! どうしてですか! 僕のなにが!」

「審査の詳細を明かす訳にはいきません……あくまで当所の判断ですが、他の支所でも審査は出来ますので、そちらでお願い致します」

「納得いかないぞ! 説明をしろ! 見下しやがって!!」

「本日はご来所頂き有難うございました! こちらは粗品と自宅から想定される交通費となります」

「ふざけんなよ! あんた……何様な! く……くそ、この!」

 通りすがる職員は歩きながらも時折桜と希望者を眺める。
 その周りの様子に希望者は声を張り上げながらもへりくだった雰囲気で自分の感情を表情に現わしたり、なくしたり、手振りで自分の感情を表現するかと思えば手を引込め、心の葛藤が読み取れる程の挙動ぶりを見せる。
 怒鳴る希望者に対し、動揺しない物腰で桜は言葉を続ける。

「異議の申し立てはこちらに記載ある管轄裁判所での判断となります。時間の浪費よりも別の支所をオススメ致します……失礼致します」

「チッ! クソ、馬鹿にしやがって!」

 席を先に立った桜のすぐ後に男も立ち上がり、そのまま去るかと思うと振り返り、目の前にある各種パンフレットを拾い、握り締め支所を後にする。

「ふぅ……こっちの命も重いんだよ」

 ガラスの外から何度も桜を振り返りながら嫌悪を現わす希望者に室内で背を向ける桜は希望者から見えない口元でため息をつきながらつぶやく。
 その桜に近付いて来る足音。それは金属が固い床に接触するような音。
 明らかなその足音に桜は目線を向けようとはせず、話しかけられるのを待つ。

「あれぇ? 『水谷ミズタニ』チーフ! あのお客様はぁ駄目だったんですかぁ?」

「『刈谷カリヤ』……専任はいいのか?」

 水谷桜に話し掛ける刈谷。専任と言われる役職の者。
 特に役職のある男性は大抵体格がよく、見た目だけで威圧感があるが、その男は役職に見合わない細身の体に桜と同じ服装をまとっている。
 桜の目線の高さと同じくらいに目が合う身長であり、端正な顔立ちの髪型はモヒカン風に刈り上げ、長めのトップの髪はうなじに向かって綺麗に流していた。
 気怠そうな言葉の癖がある刈谷。桜に話し掛けるが聞き返される。

「はぃ、今の時間帯はぁ、お客様の一番安全な環境に在りますのでぇ、補佐に任せてます。今日はぁ、俺の調子狂う日みたいで、ちょっとプロテクトで汗をかいてきましたぁ。先ほどのお客様はぁ……支払い能力の問題ですかぁ?」

 支所に設置された各種プロテクトルームは、空手、柔道、合気道、剣道、射撃など、顧客を護るために職員を鍛える施設を支所に設けている。
 全てにおいて有段者の刈谷。
 射撃と合気道では刈谷の上をいく桜。
 靴のかかととつま先に埋め込まれた鉛の安全靴は刈谷の考える非常時における攻撃力を増すひとつの手段であった。
 刈谷の質問に桜は希望者情報を眺めながら息をついて話す。

「ふぅ……まあね。転職を繰り返したり、解雇されたり、自営での借金の金額と借入先が多い人は自殺希望者だったり支払不能による半年無償警護になることが比較的多いのよ。去年までのデータによればね……あとアルコール依存の可能性も見えるわね。私達はお客様を自分より優先して行動する! 護り甲斐のある仕事を部下には与えなければ……また二の舞よ」

「半年前のぉ……専任道連れの件ですね」

「そうよ! だから私はこだわるわ! きっと他の支所なら『WEEK ENDウィークエンド』プランはイケるわ! うちじゃなくてもいい」

 桜は眉間にしわを寄せ、興奮を隠す様に言い切る。

「またぁ所長にどやされそうですねぇ! 希望者帰らせたな! ってぇ」

 刈谷は少し苦い顔をして通例の様に言葉を返す。
 今までも、希望者に説明はしてきた桜。そして、最後まで説明したのちに判断。
 希望者からの質問を待つまでに、全ての必要な内容を説明して一方的に結論を出す少し強引な審査は時折町田からの警告の対象になっていた。

「ふぅ……いつもの事よ。刈谷! 休んだならしっかりお客様護りに戻りなさいよ!」

「はぃ〜! 了解致しましたぁ〜! 刈谷は現場に戻るであります!」

 桜は振り返るとキレのある歩き方で事務室の方向に向かう。

「専任道連れねぇ……俺・は・生・き・て・ま・す・よぉ」

 桜には珍しい感情論が含まれた説明と、刈谷のつぶやきから伝わる意味深は、刈谷にとって過去を思い出させる瞬間であった。
 癖が無意識にあるとすれば、桜の気配や様子に目を配ることだった。特に変わった雰囲気もなく過去における感情論を除けば理性と職務の遂行を感じられる上司。
 刈谷は桜の後ろ姿を見送ると、振り返り、玄関に向かう。

「あ! 刈谷さん! お疲れ様です!」

 受付係の女性が笑顔で挨拶をする。その笑顔に応えるように刈谷も顔いっぱいにしわを寄せる。

「お疲れ様ぁ! 今夜さぁ〜時間あるぅ? ん……何の音だ……伏せろ!!」

 その刹那。
 厚いガラス張りの壁が激しい轟音と共に散らばる。





 【ZONE】


〜スペックスローモーション〜


 15:38

「トラック!」

 刈谷はトラックが建物に衝突し、人工樹木を引きずりながら所内に侵入してきた事を確認しつつ、目の前の女性スタッフを飛散するガラスの雨から護ろうと思考する瞬間、刈谷は『現象』を目の当たりにする。

――なんだ!? これは!!

 それは刈谷にとって理解を超えた現象であったが、理解するのに十分な空間でもある。

――止まってるのか!? いや……ゆっくりだが動いてる! このガラスの破片……行き着く先の軌道! だ……だけど俺が早く動ける訳でもない! 意識だけがこの空間を理解している! 音までも!

 刈谷の回りにある無数の破片、耳鳴りのような音響の中、刈谷は破片を払いのける手が簡単に動かない。
 そして驚愕した表情で横に倒れようとする女性を抱き抱えようとする。
 あまりにも緩やかな空間。通常の何十倍にも感じる動くまでの時間。膨大に考えて行動できる思考時間。
 簡単に首も回せず、簡単に目も動かせないが、目に映る危険に対してだけを考えられ、散らばるガラスの様子から最悪な状況までにおちいるタイミングも感じられる。

――だ! 駄目だ! 彼女の頭の後ろに向かおうとする大きな破片! このまま抱き抱える前に彼女の頭に直撃する! そして、この現象はこの子には見えてないって顔だ! 俺を見ない! 何が起きているんだ? 俺だけか? 無駄に時間がある。もう一分近く経つか? この一瞬の事だけに!

 厚みのある硬化ガラスが、おそらく倒れずに女性にとって危険な位置でとどまる様子に見える。予想通りに先端を尖らせて女性の後ろにそびえる。
 刈谷の意識は先走るが、体は他の物体と変わらない為にもどかしい。そんなもどかしい表情を浮かべるのも時間が掛かるため、表情は端正に。しわ一つよせるであろう感情は頭の中で終わらせ、目の前の女性に集中する。

――駄目だ! 刺さる! 刺さる! どうする! 深く刺さらないために! 彼女を持ち上げるか! ガラスを蹴るか! 何かガラスに投げるか!

 すでにガラスに刺さるであろう女性の倒れる角度を考え、被害最小限にするために倒れる先を読み、体の向きを変える試みの最中、危険な角度に待ち受けていた大きなガラスが突然、一方からの力によりゆっくり破壊される。

――チーフ!

 破壊されたと思われる軌道の先には異常事態に即反応した桜が刈谷と受付の女性の緊急事態に反応できていた。その刈谷の行動を察し、拳銃により発砲していた。
 そして現象は終わる。

「がああ!」

「キャア!?」

 刈谷は素早く女性を抱えると体を反転させ女性の下敷きとなる。

「チーフ!!」

「刈谷!! トラックだ!」

「はい! 君はすぐにあっちに逃げろ!!」

「はぁぁぁ!」

 トラックが向かえないと思える先に刈谷の指で示す。
 女性スタッフは周りを見る余裕もなく走る。
 トラックは刈谷の真横を暴走しながらタイヤの向きが桜の方向に向き、付近の物を弾き飛ばしながら暴走する。

「この!」

 即走り出す刈谷はトラックの助手席側のサイドミラーに飛び付く。そして運転する男を確認する。
 そこには先ほど桜に契約を断られた男が柳刃包丁を助手席に置き、目に力を込め、歯に力が入っていると感じさせるほど固い顔をして桜を睨んでいた。

「この! ば……バカヤロウがぁ!」

 刈谷は両手で頑丈なサイドミラーをしっかり握り、左足をフロントガラスで踏ん張り、足のつま先を自分の頭の上に近づけ、爪先とかかとに鉛を仕込んだ靴で窓をかかとで蹴り割る。
 その無茶な身体能力に凶行を強いる男は桜を見る余裕がなくなり、刈谷を警戒する。

「く、来るなーー!」

 男は上着をめくり、山林開拓用かと思えるダイナマイトを見せる。そして一瞬ハンドルから手を離し、ライターを胸のポケットから取り出すと、短い導火線に火を付けた。

「バ! カ!!」

 その瞬間、また見える世界の動きが変わる。

――またか!?

 スローモーション現象とも言えるゾーンの世界に、刈谷は今最善と思える事を判断しトラックに乗り込む。

――間に合うか!?

 男は刈谷が車に入ったと同時に柳刃包丁を握り威嚇するが、ゾーン空間の中、意識のある刈谷は包丁の軌道を読み取り、簡単に奪い、体からダイナマイトを切り離す。導火線は既に指でつまめないほどの状態で消すことが出来ない。
 刈谷は被害を最小限にするため、柳刃包丁で滑らせるようにダイナマイトを切断しようとするが、おそらく一瞬だけ本音を表した微表情だったのだろうが、その男の顔はこの空間の中、はっきりと笑みに見えたため、切断を躊躇する。

――これは……お手製……この感触! まさか、原液のニトログリセリンか!? 外に! 無理か!?

 もしも原液であれば、明らかな接触や熱で簡単に爆発する代物。
 車の室内にいる刈谷にとって、この永い思考時間にあっても、間に合う手段が見つからない絶命覚悟の最中、運転席側の窓がゆっくり割れる。そこには拳銃で叩き割った黒い袖の手が見える。

――チーフ!

 刈谷は振動を与えるだけで今にも発火しそうな不安定なダイナマイトを、肘を曲げて投げる時間も短縮する様に、手の甲側で撥ねるように窓の外に向かって飛ばす。

――チーフ! 先端が発火! 無理だ!

――刈谷、正解よ!

 桜は既に爆発の秒読みも終えたダイナマイトを窓の外から右手を伸ばし、掴み、自分を中心に右に振り向き、遠心力で広い建物の高い位置に投げる。
 ダイナマイトはゆっくりと火の塊となり、ボール状のエネルギーが弾ける。
 桜はその衝撃に備えて低く構える。
 そして現象は終わる。

「わはははは! 死んだ! 死んだ! 死ん……え……ぎゃあ!!」

 目線で起きた一秒の出来事に思考が追いつかない凶行の男は叫ぶ余裕のある距離での爆発に混乱する。
 そして想像以上の爆発に回りのガラスは全て割れ、付近のインテリアは弾け飛ぶ。

「う! うわあああ! 何なんだあ! お前らは!?」

 刈谷はサイドブレーキを掛けると、余裕を取り戻し男に語る。

「はぃ〜……明らかなぁ、諸々のぉ、事件の現行犯としてぇ、逮捕権行使してぇ……あなたを逮捕しますねぇ〜」

 桜や刈谷にとっても現実味のない、余りの一瞬の出来事に、特に抵抗もしようとも、抵抗出来ないとも感じた男は言葉を失い、刈谷の取り出した手錠に素直に拘束される。

「水谷チーフ! か、刈谷さん! 大丈夫ですか!?」

「だ! 大丈夫だ! この男を連行してくれ!」

 激しい爆音に職員がすぐに集まる。
 既に手錠を掛けられている男は抵抗することもなく、職員により連行される。
 刈谷は苦い顔とはにかむ顔を交差させながら桜に近付く。

「ごほっ! ごほっ! 助かりましたぁ! 水谷チーフぅ! それでぇ……きっと……見えてましたよねぇ……さっきの現象」

 ちりやほこりの舞う所内。
 黒いジャケットや髪に降りかかったほこりを払い、頭を掻きながら上目遣いで桜を見る刈谷。その目の先には普段は見せない考え込む桜の表情がうかがえる。
 刈谷の言葉に即答しない桜の沈黙に刈谷は続けて話し出す。

「これってぇ……自殺者が出ない事に関係してないんすかねぇ……ていうか、前にも言いましたけどぉ、俺にとっては今朝も含めて毎日がぁ」

 刈谷の抽象的な疑念に、桜は非現実的な現象への思考を遮断する。

「刈谷! お前が感じた事は誰にも言うな!」

「言わないですよぉ……ていうか説明出来ないですよぉ……頭おかしいみたいでぇ」

「わかっているならいい……きっと緊急事態で頭が働いただけよ! スポーツ選手にはよくある話」

「野球のバッターが球が止まって見えるような……ですかぁ? まぁ、結果オーライですよぉ! 現場に戻りますねぇ」

「そうして! 無事で良かったわ……私は所長に報告する」

 桜は刈谷に背中を向け所長室に向かう。
 刈谷は桜の姿が見えなくなるのを見送ると、トラックの衝突により形が無くなった玄関に向かう。

「あ〜ぁ……これはぁ叱られるだけじゃ済まないだろうなぁ……チーフ」

 白に美しく彩られたはずだったエントランスの変わり果てた風景に、爆発により人工造花の桜が散らばった玄関に、刈谷は溜息を残し支所を後にする。
 その頃所長室に到着した桜は体にまとわりついたほこりを軽くはたき、落ち着いたテンポで二度ドアをノックする。

「失礼します!」

 桜は室内に踏み入れるが、室内は誰の気配も感じない。桜は所内騒動の現場なのかと思考する。
 その頃刈谷は専任先に向かうため、駐車場で車に乗り込もうとする。

「刈谷!」

「あ! 町田所長ー! お疲れ様です! あの……支所が」

 刈谷が車に乗り込む瞬間、所長の町田が止めるように声を掛ける。それは刈谷にとっては慣れたタイミングであり、違和感なく町田の声に反応する。

「あぁ……散々な状態だな。本部への申し開きを考えなきゃだな……あの連行された男は契約希望者なのか?」

「あ……はぃ……水谷チーフの判断で審査に通らなかったのでぇ……基本説明した後断った様です。ですがぁ……その憤怒にしては行き過ぎてるとぉ……俺は思いますがねぇ」

「そうか……それで、今日の桜の様子は?」

 桜の様子を確認する町田。それがいつもの報告と思える雰囲気で自然と刈谷に尋ねる。
 そんな刈谷も素直に報告する。

「俺の見た限りではぁ、適切以上の判断力があるように見えますねぇ……ただ」

「ただ?」

「やはりちょうど半年前の専任道連れ……いゃ……巻き込まれ事件が引っ掛かりぃ……審査を厳しくしてるとは感じますがぁ」

 半年前の話を持ち出す時、無意識か、町田は刈谷にゆっくり背中を向ける事が多い。おそらく桜の様子を報告するようになったきっかけ。大抵町田はその時の話を聞くと簡単な相づちを返す程度である。

「そうか」

「一種の……記憶障害ですか……ね」

「わからんが……とりあえず謹慎10日と減給ってとこかな」

「え、水谷チーフに責任あるんですかねぇ」

「今回の事を本部に報告しなきゃだろう? そうすると誰の責任か追求される前に、即処分出した方が桜の為じゃないか?」

「まぁ……そうですねぇ」

「しかし、その事件以降かな……死亡者が現れないのは」

 体を向き直して刈谷に再び振り向く町田。町田にとっては珍しく半年前の話を持ち出す内容。それは今朝のような自殺未遂者の増加のせいか。そして、その自殺者の体験した不可思議な現象のせいか。
 思い出したのは自殺希望者が目的を果たせなくなった頃の出来事。それは刈谷が普段、町田に簡単に伝えていた出来事。
 時折町田から深く聞こうとすると、刈谷は口を閉ざすか言葉をにごしていた。ただ今日の出来事を桜と体験したこともひっかかり、刈谷にとっても理解者を増やしたい心境もあった。

「はい……チーフの視点で俺・が・死・ん・だ・以降……ですかねぇ」





 【CHAOS】


〜視線は混沌の始まり〜


 16:08

「報告書以外で直接聞いた事ないが……聞いてもいいか?」

「え〜……いや」

 町田の言葉に刈谷は悩む。それは半年前におきた出来事。その頃に起きた桜の異変に刈谷は陰ながら桜を心配していた。
 桜には口止めされていた出来事。むやみに語れば誤解され、神経を疑われる出来事。
 刈谷にとって、それを内密にすることはできない事でもなかった。けれど、近くに理解者がいないと、桜に対して偏見を持たれる事も案じた刈谷は、桜の上司である町田にその頃から相談をしていた。業務に支障がないことを刈谷が監視することで、万一、他の職員からの好奇の目にさらされても、町田からの協力を得られるようにと。

「何か報告書以外の事があるんじゃないか? 大丈夫だ、何かがおかしい事は既に感じている」

「はぃ、チーフはこういう話は誰にも話すなって言いますけどねぇ……俺の頭を疑われるので」

 刈谷は今日の出来事を体験し、それ以外に自分自身への不安もあった。説明がつかないスローモーション現象を体験し、半年前からの自殺者の皆無。言葉の釘をさしてくる桜の様子。それ以外にも、毎日のように体験する刈谷が感じる出来事。違和感をすでに抱いている町田に語るには良いタイミングだと。
 刈谷は意を決し、町田に半年前の状況を詳しく語る。

     ◆◆◆

「水谷チーフぅ。こんな紅葉が素敵な場所で、なんだかやっぱこのお客様はぁ、立て篭もりぃ、明らかな自殺を図ろうとしてますねぇ」

「ふぅ……なんでこうも自殺したがるのよ!」

 桜は眉間にしわを寄せ、頻繁に起こる自殺者への憤りを愚痴る。

「120年以上前から始まった『monstrous』時代と呼ばれる、不条理な核爆発を起こすような戦争で人口が減ってぇ、今に至って復興の最中にもぉ、職が見付からない人間とぉ、核が存在する限りぃ、同じ事が起きる可能性への不安ですかねぇ」

「馬鹿馬鹿しい! もっともがいて生きろ!」

「いやぁ〜チーフみたく強い人ばかりじゃないですしぃ、強さに関係なく遺伝子レベルや、後天的な病気もありますからねぇ……今でもたまに幻覚を見たようなモンスターじみた存在を語る年配者もいますからねぇ。やっぱ放射能の原因とかあるんですかねぇ」

 刈谷は苦笑いを浮かべながら、世間の事情をフォローするかのように、叱咤する桜をなだめる。

「さぁ……どうしますぅ? この、下手に厳重な警備よりタチが悪い自殺館わぁ」

 紅色や黄色に変色する季節の山林の中に囲まれる三階建ての大きな木造の一軒家。
 その建物は全面にガソリンが撒かれている。恐らく室内にも振り撒いたと想像出来る程の臭いが辺りに立ち込めている。

「政府が縮小してぇ、公務員を賄う税金が徴収出来ない世の中……俺達の様な機関が必要になるわけですねぇ。一人でも多く救うって理念ですかぁ、よく立ち上げられたものですねぇ」

「ふぅ……そうね、立ち上げた創始者『鈴村和敏スズムラカズトシ』は当時、そんな志で人を救う手段を組織した。今はシステム化する組織だから収入や職業の審査があるけれど、当時なら、表面的な信用や腹黒い裏切りに怯えて、心休まる環境じゃなかったでしょうね」

 憤りが落ち着き、息をついた桜。
 封印された時代。多くを語らない先人の者たち。時折語る者がいても、それは今を生きている桜や刈谷にとって、何かの影響を受けた世迷言のように感じられていた。
 共食い。奇怪な生命体。導かれる運命があると。
 まるで何かの信奉信者であるかのような語りべの先人達は、好奇な目と悪い子供を怖がらせるために語る物語程度のように受け止められ、多くを語らなくなっていた。
 その物語の最中に出来上がったLIFE YOUR SAFEの組織。120年の歴史は何度か社名の変更などもあり、そんな当時の戦争の最中に登場した伝説的な影響力のある組織。奪い合う世界にこそ個人を護る組織は需要と安心感をもたらした。
 それが今の世代まで続き、その中で一度でも契約した顧客が解約する事は、解約することが自殺のサインでもあるかのように感じられ、慎重な対応が慣れた行いであった。その慣行の影響からか、解約されても半年間は保護の義務が課せられていた。

「この『元』お客様『monstrous』時代以前から生きてるんですよねぇ……世間の平均寿命が今や110歳ですよぉ? 何があったんすかねぇ」

「まだ解約成立してないわ。そして当時の話は誰もしたがらないわ。そして人を近付けない人も多い……爆発がモンスターなのか……まあ、違いないわね。このお客様は契約も書面で交わしたから誰も目の前で会ってないのよ。対面契約にしなきゃ駄目ね」

「128歳で焼身自殺ですかぁ……今更過去を悔やむ年齢じゃないですよねぇ。あと……誰がこれを振りまいたんですかぁ? いくらなんでもぉ、お客様には無理じゃないですかぁ?」

 桜は建物を改めて眺める。三階に鍵の掛かっていない窓。風により開閉している。
 窓にあるカーテンが違和感のある揺れ方をした瞬間を桜は目撃する。

「他にも誰かいるかもね」

「はぃ……でもどう接近しますぅ? 入った瞬間俺ら人質ですよぉ」

「その為の用意は……刈谷! 春日に電話して! 遅い!」

 刈谷が携帯電話で掛けようとした時、車の近付く音。それは『LYS』とロゴのある社用車である。
 車から降りてきた男は、慌てた物腰で桜に向かって来る。

「すいません! 遅れました!」

「おい! お前今日から専任の『春日カスガ』だな!! 仕事ナメるんじゃないわよ!!」

 少しふくよかなで大きな体型に同じ制服を着た男。焦りが混じった表情で現れる。
 社内の通例とすれば、解約成立後、半年間ある保護期間は専任になりたての者が、これから特定者を警護するにあたって研修の意味も込めて、責任が契約者より免除されやすい免責事項の多い期間を春日と呼ばれるこの男に任せる予定であったが、初日からの遅刻により、桜は現場に12:00に来る予定であった春日を叱咤する。
 回想を語る途中、刈谷は町田に強く提言する。

     ◆◆◆

「所長……俺はぁ、ちゃんと春日を見たんですよ! そこで」

「春日ねぇ」

 釘をさすように刈谷が念を押した春日の存在。
 この半年間、刈谷は職員への研修でも、危険な任務の可能性がある者にへも、その頃の春日の出来事を持ち出して、危険性や重要性を伝えたことがあった。
 入社したての職員には、肝に銘ずる教訓にもなったが、以前から在籍している職員には、違和感を覚える反応があった。町田からの反応も例外でなく、少し前までは必要以上に顔を直視されていた。
 深い理由を刈谷が尋ねても、職員からは『問題ないですよ』や『そうですね』といった無難な相づちを表情と違った印象で聞いていた。町田からは話をそらされる通例。
 そんな町田の思考の答えを待たずに刈谷は話を続ける。

     ◆◆◆

「す、すいません! チーフ!」

「12:18……春日ぁ 、お前持ってきたぁ?」

 桜に詫びる春日。
 春日の到着の遅れが時間に厳しい桜の機嫌が悪かった原因の一つでもあった。そんな二人の様子に区切りをつけるように、会社用の腕時計の時間を確認して話を変える刈谷は、普段からそのように叱咤する桜から職員をフォローする慣れもあった。

「はい! 防護ウェアですね! 防炎薄型に改良されたのでこの上からスーツも着れます!」

「そう、私は車で着替えるわ」

「じゃあ俺達はあっちの方で着替えますねぇ」

 桜は春日から奪うようにウェアを取り、春日が乗ってきた社用の四駆車に向かう。
 刈谷と春日は館の玄関付近にある鉄柵へ。
 館と鉄柵の間で上着を脱ぎ始める二人。
 刈谷は桜に叱られた春日をなだめるつもりで語りかける。
 その瞬間、事実は吹き飛ぶ。

「春日ぁ、まぁ深く考えすぎるなょ……ぐぁ!! ああああぁぁぁ!!」

「はがあぁ!!」

 突然、館が爆発する。その爆発の威力は、桜と刈谷が予想していた以上に。ガソリンをまかれていただけとは思えないほどの勢い。
 館に背を向けて立っていた刈谷と春日は、爆風で吹き飛ばされる。

「刈谷ー!! が! あ!!」

 爆発に反応した桜は振り向いた瞬間、爆風で飛んできた破片が頭に直撃して倒れる。その視界は桜が目を閉じたと同時に暗闇に。そして刈谷が町田に語るには、前もって『混沌』という言葉を使っていたほうが良かったほどに。

――ん!? 俺は今……どうしてる!?

 刈谷は四駆車で一人、山林に挟まれた道路を走行している。そしてゆっくり停止して状況を判断する。

――どういうことだ!? 俺は今……爆発が……今の時間は? 11:46……日付は……変わってない!! チーフに連絡……携帯は!? な、なんで俺は持ってない!?

 刈谷は困惑しながらも、爆発の起きる32分前である事を理解する。そして助手席に置いてある防護ウェアを確認する。

――これは……春日の状況じゃないのか? お、俺は……俺か?

 刈谷はバックミラーで自分の顔を確認する。つねったり、目を見開いたり、髪を上げたり。当たり前に自分の特長を確認する。

「はぁ〜……良かった……俺だぁ……ハハッ! 馬鹿馬鹿しい」

 刈谷は自分であることに安堵し、この理解不能な出来事を見極めるため、急いで現場に向かう。

――12:05! 間に合った!

 刈谷の記憶の中で春日が到着した時間より12分早く、爆発が起きた時間に余裕を少しでも持ちたいがために急いだ刈谷は、早く桜に説明をしたかった。そして予想通りの場所で桜を見つける。刈谷がいない状態の一人きりで。そして防護ウェアを握り桜に駆け寄る。

「チ、チーフ! 今ぁ……俺ぇ」

「おい! お前今日から専任の春日だな!! 仕事ナメるんじゃないわよ!!」

「はぁ? チーフ何言って……いゃ……とりあえずチーフ! あと10分で建物は爆発します! すぐこれ着て下さい!」

「ん? 根拠あるのか?」

「説明は難しいです! ただお客様を確認するためにも一刻を争います! 急ぎましょう!」

 刈谷にとって理解が出来ない桜の認識。不可解な現象の元は、爆発に原因の発端があると感じた刈谷は原因の元を探るべく館に入る事を優先した。
 桜は刈谷の必死な表情を見て、刈谷から見ても半信半疑な雰囲気で、それでも足早に、防護服に着替えために車へ向かう。
 刈谷は爆発を警戒し、少し館より距離を開けて鉄柵の外側で着替える。そんな時、爆発の前に見た三階の窓の違和感あるカーテンの揺らぎを見る刈谷は、その揺らぐ隙間から刈谷を眺める人の気配を感じる。

――誰だ? お客様か?

 目を凝らしてもっと鮮明に人相を確かめたかった刈谷だった。けれど、その観察は刈谷自身がせかせた桜の言葉によって確かめられなかった。

「春日! 行くぞ!」

「え……は、はぃ」――見えないな……それに春日はどこだ

「いいか! 今日は契約解除の連絡が顧客よりあったから、半年の義務期間の説明が目的だった! けれど事態は変わった! まずはお客様の安全確保だ! 二次災害を恐れない事が、今の時代の私達の仕事に意義がある! 顧客の自殺行為を防ぎ! 建物から遠ざける! 携帯している拳銃は許可しない!! 引火の恐れがある!! そのために私たちは鍛えている!! あと15分以内に支所に連絡しなければ自動的に応援が来る!! わかったな!」

「了解です!」――先ずは今の仕事を片付けることだな。

 桜は通例的に、今から行う行動目的と、危険な可能性がある仕事を、あらかじめ理解してここにいることを言い放つ。
 他人を護る事の難しさ。
 入社したての職員は、顧客だけでなく、自分自身が危険に巻き込まる二次災害に躊躇し、突入直前に逃げ出す者も少なくない。
 常に覚悟と迅速さが必要な現場。その覚悟を既に抱いている二人は、まがまがしい雰囲気が隠しきれない建物の玄関をゆっくり開ける。

「ふぅ……息苦しいわね……思ったより広そうよ」

「チーフ……よく見ると、爆発物が入口に固まっています。火薬まで乱雑にまかれて……簡単な引火で発火しますね。俺は先に三階行きます! 時間がないんです!」

「わかったわ……刺激しないようにね」

 緊張感のある現場では、刈谷の癖のある話し方はなくなり、相手に伝わりやすい言葉になる。緊張感は桜にも伝わり、危険な業務に集中する。
 古い年代の建物。玄関のドアを開けると目の前に横幅の広めな屈折階段。
 階を上がるたびに、U字に階段への方向を変えるための踊り場がある。
 刈谷は音を沈め、自然と猫足(膝を落とし爪先を内側にした状態)の動きで、突然の事に構えながらも迅速に三階を目指す。
 一階を一部屋ずつ確認を始める桜はドアの開くきしみを気にしながら慎重に見回す。
 二階を表面だけ見回す刈谷。部屋は二つあるが、中は確認せず、三階への階段に足を進める。
 先急ぐ刈谷の胸中の複雑さ。刈谷を見て春日と呼ぶ桜。姿のない春日。爆発を起こした者。爆発によって時間がさかのぼった出来事。爆発物を設置して、ガソリンをまいた者。
 刈谷にとってわからない事ばかりのなか、唯一の手がかりは、三階に気配を感じた誰か。同じ事が起きる前に。今を理解するために。





 【共感覚】


〜踊る色は次元を超えたクオリア〜


――なんだ……この妙な『感じ』は……この部屋も暫く使われた形跡はないな。時間がないなら……触れた形跡の薄い、ほこりが被ったドアノブは避けるか

 玄関より右手づたいに部屋を確認する桜。
 洗面所。浴槽。特に荒らされた形跡はなかったが、洗面所には油の光沢ではない水滴の付着から、数時間以内に使用した痕跡を確認できた。
 玄関まで一周した桜は、目の前の階段を少し足早に上がり始める。二階に向かう桜。そして桜は再度違和感を感じる。

――この空気感……目に何かが霞むような妙な『感覚』。ガソリンの影響か?

 感じる。それは知覚をもつ生き物が感じる主観感覚。『晴れた青々とした空のあの感じ』『美味しそうなりんごの赤い感じ』『赤を見て、青でも緑でもなく、赤と認識する感覚』。その感覚質『クオリア』に違和感、異常さを強く感じる。
 目に霞むものはなにか。足を踏み込むたびに感じるなにか。桜は二階に上がっても感じる。刈谷の気配にも目にさわるなにか。
 そして刈谷は三階のドアの前。気配のあった部屋に入ろうとする。

――中に誰かいる場合、手に発火物があった時、その瞬間、俺は止められるか? 入った途端、一息に抑えこまなければ

 ひと部屋しかない三階のドアの前。床や階段に撒かれたガソリン。そのドアの前には、ガソリンを踏んだ事によって床に付いた足跡。それは部屋に入った形跡のみで出ていない。
 外から感じた気配の人間がここにいると確信する刈谷。鍵が掛かっているのも確認しない勢いでドアを開く。木製の響きやすいドアが壁にあたる音と共に声を上げそうになった。なにかを掴みそうになった。
 刈谷はそこに見えた、掴みどころのないクオリアに唾を飲む。

「俺は……何を見てる!?」

 刈谷の目には『色』が見えている。その色は窓が風により閉まる瞬間、窓から現れ、漂い、細くなり、消える。まるで煙に色が付いたように。左側に感じて振り向けば、ドアが壁にあたった衝撃からも茶色い色が。景色が全ていつも見るものとは違った世界に感じる。そして自分の発した言葉の色にも。

――色? だと? 俺の言葉は……グレー……窓からは青? いや、水色か? あ! 後ろから流れる色……何度も小さな……「紫」

 刈谷は振り向く。そこにはまばたきをしない目を見開いた表情を浮かべる桜が立っていた。
 紫は、駆け上がった桜の足音。そして同じように色が見えている様子に、刈谷は自分だけではないと安堵感を感じた。

「チーフぅ……見えてますよねぇ」

「こ、これって」

 青の言葉を吐きながら、桜は刈谷の言葉を待つ。
 質問に似た桜の言葉に、刈谷は何かを思い出すしぐさのように指先で自分の頭を細かく何度もあてる。
 刈谷は本を読む習慣があった。
 保護の対象が年配者であることが多かった刈谷。軽い口調で余裕を見せたような、年配者をうやまわない態度も多いが、専任としての役職は、顧客の体調や持病などの症状を調べたり、知識を備えたりしていることが、仕事上、役に立つ事が多かった。
 その経験の中で、以前に専任顧客が、似たようなイメージを持っていたという記憶を呼びおこした。その顧客に近づくと、声を掛ける前に背中越しに名前を呼ばれ、車が多数行き交う道路沿いの家でも待ち受ける配達物が届く直前に代金とサインの用意が無駄なく出来る光景。時間を知っていたのかと尋ねると、『あの配達車は太いピンク色でわかりやすいんだ』と。
 その意味がこの現象かと思うと、ひとつの言葉が浮かんだ。

「共感覚(きょうかんかく)……っていうんですかねぇ。知ってますかぁ? 見る景色がほとんどの人と違う感覚……らしいですけど、何で突然」

「共……感覚。何故こんなものが見える」

 桜は自分の吐く色に手をかざし、つかめず、触れず、すぐに薄くなり消える認識に、視界を広げれば、窓から部屋に入ってきた風は、部屋全体にオーロラを見ているような光景。普段感じた事のないクオリアを視覚的に感じ取った。それが三階に近づくにしたがって強く感じた事にも。
 不思議な感覚を目の当たりにした桜に便乗して、刈谷は自分自身の不可思議な出来事を進言する。

「チーフぅ……俺にはぁ! 既におかしい出来事が起きてますよぉ!? 俺は春日じゃない! 刈谷です!」

 刈谷のグレーな言葉に桜は困惑も交じり、言葉が出ない。
 耳を貸してほしい気分の刈谷。柔軟に、半分でも可能性を感じてほしいと思う刈谷。
 返事をしない桜にふと、時間の限りを思い出した刈谷は腕時計を確認して、進まない会話を切り替える。

「マズイですねぇ。誰も見つからない。あと、2分です……あ!! チーフ! 後ろを見てください!」

 そこにはとても小さく、すぐに消えてしまう赤い色が二階の方から漂っている。おそらく絶え間なく漂っていた気配がするほどそれは小刻みに、一定感覚に感じる。三階に上がり、はっきり認識したことによって気づけた色。自然に目に映る色に比べて、それは明らかなリズムで漂っていた。

「ん! 下だ! か……春日! 行くぞ!」

「まだ春日って」――くそ! 春日はどこだ?

 駆け降りる度に二人の足音から弾ける紫色。
 理由と色を追い掛ける二人。それは桜が既に調べた一階まで戻る。
 階段の横をなでるように上がってくる赤。推測できる空間。
 その人物に悪意や自殺願望があれば、いつ爆発してもおかしくないほど自分たちの気配を消さない二人。時間がなければ外に避難するだけの切迫であった。

「あ! 階段……の裏!? チーフ! 地下です!」

「駄目だ! お前の言う通りなら、もう間に合わない!」

「チーフ! 外に出て下さい! 俺は一目確認します!」

「何言ってる! 見た瞬間終わりよ!!」

「チーフ、むしろ爆発を起こすには、玄関付近で何か発火されないと大きな爆発にはなりません。それなら怪しい人物が現れないか、外から監視してほしいです。俺はここに誰かいる確信があります。それに地上で爆発しても、ここが無事なら巻き込まれませんから大丈夫です! どうか外をお願いします!」

 階段裏の床をよく眺めると、床をスライドさせてあける、広い引き戸の手前に何度も往復したと思える足跡。違う大きさの足跡は、顧客以外の第三者を想像することができる。
 仮に爆発がおきても、爆発より低い位置にいれば被害最小限であることと、刈谷の自信を持ったような表情に、桜は後ずさる。

「わかったわ、外を警戒する!! そして応援を呼ぶわ!」

「はい、そうしてください! ……さて、何がでてくる」

 赤く浮き上がる地下室への引き戸は取っ手がついている。すでに誰かいるなら気づかれていると思い、刈谷は一気に引き戸を開く。

「こ、この音は」

 赤色に充満した床の下に続く階段。微かに見える明かりに深さを感じない空間。その赤い色は一定間隔のリズム。心電図を感じさせる機械音。その程度の周波数は、普段、人には感じられない。
 この空間は普段は聴こえない音を人にまで感じられるほど可聴域(音の聴こえる範囲)が広がり、視覚していた。何か電子的な力がここで大きく働いたかのように。
 そこまで不思議なことだとは、その場にいるものにはわからない。
 刈谷にとっては、すでに謎に包まれた数十分。一度死を体験したためか、実感のわかない今の自分。これが夢なら、危険なことで目覚めるなら、躊躇の必要もなかった。
 刈谷は薄暗い階段を踏みしめて降りる。
 ランプの場所を認識できたすぐわきに、人の姿を確認できた。そして近づき、刈谷は言葉を発する。

「俺は『刈谷恭介カリヤキョウスケ』。LIFE YOUR SAFEの者だ。あんた……うちのお客様、だよな……『加藤達哉カトウタツヤ』」

 なげやりな言葉で名指しする刈谷。
 爆発を起こす気配を感じさせない様子。
 この地下室は、体の不自由がない限り不便を感じない生活空間。エアコン、冷蔵庫、ベッド、換気ダクト。
 体に電極シールを付けながら、揺り動くロッキングチェアに座る老人は、顔をゆっくり動かし、刈谷を見る。





 【セレンディピティ】


〜偶然を察する能力は幸運への道標〜


「なあ……待ってたんだろぉ? 誰か来るの……まだ爆発が起きない。それは、きっと、俺たちが踏み込んだ事で躊躇したあんたの意思だからだ!」

 128歳の老人。加藤達哉。人類の飽和した時代には世界的にも例が少ない年齢。その飽和した時代から130年。monstrous時代を全て生きてきた人間。
 世界的に寿命が格段に伸びた理由。それを語るものは少ない。
 憤りも混じる刈谷の口調。下手な動きや行動をさせないように、目を光らせているという表現。
 老人は、ゆっくりと、そして体から振り絞るように語り出す。

「刈谷……くん か。やっと か……それはな……フ フェ ム の道が 変わったん だょ」

「フェム? なんの事だ!? ……やっと? あの……俺たちが来た理由わかるだろ? あんたは解約を希望した。けれど解約してから半年は管理する規約があるから来てみた。そしたらこの館の有様……どうして今更自殺するんだ? 酢いも甘いも知った世界だろ?」

「全 てぇ はフェ ムにぃ 包まれたん だょ……人 間の存在にぃ よって なぁ……我 々 の 生き残りは 自然にぃ 逆らった。 この星は 世界中の能力者に 囲まれて きっと 星全体の 生物 が進化したん だょ……フェムは 道 を 選んだ。 人が多過ぎると 判断した 結果が今の世界 だが 減ってはいけ ない数の 分岐点まで きた。 この星に とって 神々の 存在は 人間を減らさない事を 選ぶだろう……いや 選んだ」

 刈谷は町田に状況を細かく話す最中、町田は口を挟む。

     ◆◆◆

「人が減らない? そう言ったのか?」

「はい、そんな訳のわからない現象にぃ、俺は報告書に書きようがないんすよぉ! ずっと加藤はおかしなことばかり言ってました」

「聞かせてくれ……お前が感じたものをそのまま」

「はぃ」

     ◆◆◆

 刈谷は加藤達哉のその言葉の意味を理解しようと聴き入る。

「わしの フェムは 弱っている。 けれ ど まだ人 に染まる。 純粋に 染まる と また 130年 前の二の舞だ……わしら 能力者は それ を 理解して おる……わし に 人を近付けない 為に お前ら と 契約をした。 けれど 人が減らなくなる 今 わしら 先人 は 早く消えなければ なら ない」

「馬鹿らしい……考え過ぎだよあんた。人が死ねない世界!? は!! ならそのありえねえ能力、逆に振り撒いてしまえばいいだろ!?」

「monstr ous…また 起こす気かい? 人が 居なく なると 何が 起きる? 動物の世界。 2億年前の再来。 この能力は 能力を 殺さない為の 能力。 この 世の生 物に 意思は ない……能力 を帯びた 動物の 食欲は この 星にとって の 脅威だ……恐竜と なる。恐竜は 隕石が原 因で絶滅した んじゃ ない。 一部は 生き残 り 産毛が生え 生き残る 形と 進化 したが ある場 所から影 響を受けた 重 力 に 逆らえなく てな……ほと んど その時代で絶滅 したん だよ……その 時代より 脅威だ」

 加藤が語る時代背景。
 謎のフェムという能力。
 死を選ばされた人類。死を選べなくなった人類。
 人に染まり、動物に染まる能力。
 恐竜時代より脅威と呼ばれる時代の再来。
 何かの影響を受けた重力変化。
 全てがつかみどころのない物語のような語りべ。
 同じような話をする先人も刈谷が生きてきた中で耳にしていた。ほとんどが100歳以上の話。真に受けられなかった。
 刈谷にとっても、ここまで具体的に話す者もいなかった。未知に感じられる能力の存在。あまりに世迷言。そう判断された先人は、人間関係の疎遠を受けた。
 真実は、時代を生きた者にしかわからない。見ていない時代の世代は、想像の世界に聞こえる話を大抵、鼻で笑った。

「加藤さん……あんたさぁ、その能力やらが暴れないようにひっそり暮らしたらいいだろう! 死なない世界!? ハハ!! 好都合じゃないかぁ! 死なないんだからよ! 能力が染まろうが、染まらないが、死なないんだからさ! 能力自体おかしな話なんだよ! ハハハハ!!」

「わかって なぃ。 何も……君は 何度死んだ?」

「し、死んだ!?」

「わしは 君にここ で 会うのは 12 回目だろう か」

「は? なんだ……それ、どういう意味だ!」

「何度試みても 寿命という 自然の摂理で ないと 死ねないんだょ。 自分で 死ん だわけで はない がな。意識がある人間 ない人間がおる。 わしは今日 50回 くらい 体験 した かのう。 同じ話を 何度 も 何度も しとるんだよ。いや、自覚的には そんな気がする。 何も 起きては いない よう に 感じる からなぁ。 この地下に 来て から苦し みは感じ なく なった」

 反応に悩む刈谷。一度死を体験した刈谷にとって、完全に否定できない内容。それを聞きたい。
 加藤達哉はゆっくり立ち上がる。そして目に光が見えなかった眼差しに力が入る。体に付着させた電極シールをはがし、心電図の波が線となる。

「おいおい! 無理すんなよ?」

「わしの話を 聞いてなかったのか? 死ねないんだよ。 普通には……だがな やっと 見えた! 死ななくて いい 方法が!」

「方法?」

「君が 準備して くれたん だよ。 わしの この星の幸福への道 君との 偶然の出会い で 更なる 幸福へ それを『セレンディピティ』と いう。そして わしは……この世に 来た ばかり だ」

「セレン……ディピティ? この世にきたばかりぃ!?」

「わしら の 能力は きっかけに過ぎない! ハァ……どの道 人類の 生きるすべは……ハァ……永くは……ハァ……もたんかった ろう」

 口の動きが遅い加藤。それでも細やかに言葉を発せられるのは、加藤の言うように何度も同じ内容を話し慣れた言葉なのか。それとも刈谷の五倍以上生きてきた想像力の豊富な物語か。
 命を掛けて語る言葉を馬鹿にしきれない刈谷。自分の存在が桜に信用されないように、加藤も同じ思いをしたのかと、刈谷は加藤の話を止めることが出来なかった。
 そんな加藤も少しずつ会話が辛い様子が見えてくる。

「ど、どういうことだ!?」

「『レミング』なん だよ……人類 は」

「レミング? ネズミか? 集団自殺するっていう」

 生態系が飽和してくると、新しい土地を求めてか、川に、海に身を投げる生物の姿があった。
 繁殖力の強い哺乳類、ハタネズミ亜科『レミング』。天敵や食料の増減によってか、集団移住をする傾向があった。その際に自殺か、事故か、海に大量に死骸が浮かぶ姿が知られていた。空から降ってきたと言われるほどに。
 加藤はその様子を人類に当てはめ、無意識のレミングと例えた。

「自殺じゃ……ハァ……ない……少なくと も……ハァ……ハァ……自殺に 見え る その 者 達に は……ハァ……そん な つもりじゃ ない!」

「自殺じゃない!? え……それは!!」

 加藤達哉は震えた手で着用している作務衣(さむえ)の腰にあるポケットより携帯電話を取り出す。社用の携帯電話。それはセキュリティ設定により、登録された番号と緊急番号のみに連絡できるようにされているため、利便的に契約者へ渡す事も多い。利用者は裏側に職員ナンバーを刻印されるようになっていた。春日を待っている時に持っていた記憶。車で走行している時にはなくなっていた不可解。
 加藤の持っていた携帯電話は何を意味するのか。それが証拠と示すように、刈谷に差し出す。

「刻印……俺の……携帯!?」

「ハァ……ハァ……『新天地』なん だよ そして……ハァ……君 と の 偶然の 出会 いは……ハァ……ハァ……そこで 意味 を 成す だろ う」





 【クロニック・デジャヴュ】


〜慢性的な既視感は真実からの逃亡〜


「新天地……はは、あっはっはー! 面白いよ! 加藤さん! あっははー! なぁ教えてくれよ! どうやったぁ? ハハハ! 俺の携帯を!」

「君 に貰ったんだよ……ハァ……刈谷 くん……どうやら……ハァ……ハァ……意識が芽生えたのは 初めて らしい な……ハァ……だから 疑い深い。 だが いいだろう。 すぐに……ハァ……わかるさ」

「もう……わかった! とりあえず座ってくれょ! まともに聞いた俺も悪かった悪かった! とりあえず保護させてもらうから応援呼ぶよ! あと……他にもいるだろ? この館に、歩ける人間が! が!! が……が!!!? が……あぁ……ぁ」

 地下室に響く銃声。刈谷は背後から撃たれる。
 引き戸を閉めずに地下室へ入った刈谷。大声を立てた油断にあった、悟られない気配。慣れた忍び足。その人物は三階に気配を感じさせた人物なのか。
 外にいる桜は気づかなかったのか。
 刈谷の頭に浮かぶものは『三階』『誰』『チーフ』『加藤ではない』『聞きなれない銃声』『誰』『だれ』『ダレ』。

「ぁ……あぁ! あ……誰……だ!! ぐぁ!!」

 振り向こうと力むとき、踏みつけられる感触。力強い圧力。桜とは想像できない大きさな靴のイメージ。地下室の冷たい床。聞こえたのは、目の前にいる加藤の言葉。

「『運命を保有』した 者が 自分の……ハァ……本来の世界に 戻る だけだょ」

――くぅ

 加藤に見えている人物は誰か。
 意識が薄れる刈谷。左手の甲に額を向けながら見えたのは、社用の時計が 12:28 になっていた。

――は!? どこだ!? こ、ここは……さっき見た……三階の部屋!?

 意識がなくなったと同時に意識が回復した瞬間の出来事に辺りを見回す刈谷。ここは地下ではなく、桜と眺めた共感覚を最初に意識できた同じ建物の三階だと理解する。

――またか!? くそっ! 時間は……12:05!? 外は! く! 妙に頭が痛い! 殴られたような痛みだ! けれど、俺は撃たれたはずだったのに

 刈谷は慌ててカーテンを少しめくり窓から外を眺める。そこから見える光景は、まるで刈谷自身が体験した光景。もしかすると、10分も経過すれば春日が現れる光景かとも。その時、それは正に今、刈谷の姿に向かって口を開く桜の言葉に、今の自分の立場に、刈谷は困惑する。

「おい! お前今日から専任の春日だな!! 仕事ナメるんじゃないわよ!!」

――俺! 俺がいる! 春日と言われてる俺。これは……さっきと同じ状況か!?

 桜に叱咤されている自分。それを眺める自分。つじつまの合わない自分の立場に夢だと信じたい心境。加藤の言葉に影響を受けた夢だと。
 その後の自分の行動はわかっていた。着替えるために鉄柵に近づく自分。そしてこの窓を見ることも。

――チーフは車で着替える……ん? 俺は鉄柵に近づかない!! 俺を見ようとしない。さっきと違う!

 着替える場所が違う自分。三階を見ない自分。違う光景。
 記憶は確かにある。桜が館に踏み込む前の慣行的な教訓と覚悟。なぜかそれを言わない桜。
 自分の姿が春日と言われたジレンマの中、加藤の消息を案じて踏み込んだ結果。その結果が今の自分かと。
 なにを信じて、なにを疑えばよいか。目をつむれば、暗闇の手さぐり。深く考える前に刈谷は、近い未来を想像していた。

――おぃおぃ。自分に出会ったらどうなるんだよ

 この世界はなにか。過去か。どう逃げるか。さっきまで誰もいなかった部屋。脱出するべきか。形跡を残さずに。そして一つの考えが思い出される。

――お、俺は今……死ぬことが出来るのか!? 「フ……」

 馬鹿馬鹿しい発想だと、考えたそばから鼻で笑ってしまう刈谷。
 死ねない世界を認める行為。加藤の言葉の信憑性。今から自分自身と目の前で語るかもしれない複雑性。

――はは! ハハハ……この世界に俺は二人、いらねえ……よ。自分に尋問されちまう。死んだら死んだで……俺が存在するなら、それでいい……もし、死ねないなら

 刈谷は外にいる自分が館の中に入った事を確認すると、窓の真下を眺める。そこには館を囲む門の囲い。先端は槍のように尖っていた。

「ハァ! ハァ! ハァ! この世界を……自分で理解……しろって……事……かぁ!? 加藤さんよ!! ハァ! ハァ!」

 刈谷は両手で窓を開き、窓際に足を掛ける。鉄柵の槍を眺めると、身の毛がよだつリアリティ。
 そして、突然景色が再び共感覚となる意味不明な現象。まるでもう一人の自分との距離が近づいたからかと連想づけさせてくれるように。
 全てを理解をしたい。今の自分のおかれた状況。理解するには、自分から飛び込む勇気と狂気。

――は! またか! だがそんなのもう関係ねえ!「ハァ! ハァ!」――馬鹿らしい! 我ながら!「ハアアアァ!!!!」

 足に力を込め、すくむ前に、怖気づく前に飛び降りる刈谷。
 目を閉じたその一瞬は、とてつもなく長い時間に感じた走馬灯と呼ばれるものかと。これほどまでに長く感じるものかと。あまりにも長い滞空時間に感じるその空間は、まるで宙に浮いてる非現実感。
 沢山考えた。今日の出来事。危険な仕事だと、わかっていたこと。覚悟の瞬間はこういうものだと。
 目を開けたい。けれど何を見てしまうかと、また違う景色をみてしまうかと。
 その恐怖は長く感じる時間と共に、ある違和感から目を開ける勇気と変わった。そして、目を開けた瞬間、やはり変わらない結果。予想通りの場所。そこは刈谷にとって、結果がはっきりとわかる理想とした場所だった。体を貫く衝撃と共に。

「あがぁ……はがぁ……あが……な、なんだょ……普通じゃないかよ……何も変わんない……俺の体」――あ……もう駄目だ……意識が……薄れる……俺の人生

 うつぶせに垂れ下がる体、そして両腕。その伸びた腕は肘から手のひらまで、自然と視界に入った。

――12:17 か……もぅ……どうでもいいや……ん、俺……どうして指輪を……エンゲージリング? ちょっ、ちょっと待て……この手……毛の生え方……あ、頭は……髪型

 刈谷は震える手で触る自分の体の特徴に違和感を持つ。そして結論が出る。

――春日!? 俺の……この体は春日か!? どう……して

 その刹那。
 誰の仕業なのか。故意か過失か。館は爆発する。
 飛び散る木片に激しい黒煙。その勢いは、刈谷と春日が吹き飛ばされた瞬間を蘇らせる。その爆発と同時に刈谷の意識は飛ぶ。
 暗闇と表現してよいものか。暗闇を意識できる自体が不可思議なことではないのか。再び刈谷は、光を感じる。

――え……え!? 俺……生きて……いるのか?

 あお向けに目を開いた刈谷は、ゆっくり起き上がる。そして辺りを見ると、館はほとんど原形がない。
 爆発の結果を見る事が出来た刈谷。まるで今までが夢のように。
 体の支障がないか手さぐりをしながら、自分が自分の体であることを確認しながら、建物の残骸に加藤の安否を気にしながらも、車の横で、倒れている桜と、鉄柵に串刺された春日の姿が見える。

――か、春日……なんで……俺があそこに、墜ちた……はず。意識が……入れ代わった!? チーフは!!

 刈谷は気絶している桜に駆け寄る。頭に血のにじむ負傷はあるが、指先が自然と動く反応に、今一番の理解者であろう桜を揺さぶる。
 
「チーフ! チーフ!! 大丈夫ですか!?」

「ん、お前……か……もう一人は」

「良かった! 頭以外の怪我はないですね。春日は……残念です」

「か、春……日?」

 桜は起き上がる。そして串刺しになった者を見た瞬間、名前を叫ぶ。

「か、か……刈谷ー!!!!」

「はぁ?? 刈谷?」

 抱き抱えられた刈谷の手を払いのけた桜は走り出す。その凄惨な春日の姿に激しい慟哭、手首を握りながら、頭部を強く抱える。まるで今まで背中を預けた戦友のように。自分が原因で、その結果の惨劇かと思わせるほどに取り乱し、その者を刈谷と叫ぶ。

「刈谷!! なんてことに!! おい春日!! 刈谷の体をここから抜く! 手伝えー!!」

 刈谷の困惑。春日の悲惨な姿はつい先ほどの自分。自分が飛び込んだ場所。自分がこの不可思議な理解の及ばない空間を打破しようとした結果。わが身におきる出来事であった刈谷の体が春日の体となり、本来の春日に戻った結果。腹部を貫通させた悲劇の不幸とは素直に感じられない罪悪感も混じりながらも、自分の存在を証明したかった。
 
「ちょっ! あの! 彼は残念ですけどぉ! 刈谷は俺です!!」

 桜は刈谷に顔を向け睨みながら近寄る。その手は力強く握られている。

「ぐぁ!! チ、チーフ」

 桜は刈谷の顔を殴る。殴りたくなる気持ちもわかる。普通なら。目の前の悲劇の主の名前を、空気を読まずに自分の名前だと言い張るなら。
 刈谷から見れば、悲劇の主が自分以外の名前であるなら、嘆くであろう。
 殴る気配を感じていた刈谷もまた、桜の行動を見極めるために、甘んじてその拳を受ける。

「おい!! ふざけた事言ってんじゃねえぞ!! 早くしろ!」

「くそ! どうなってやがる! チーフ! おかしくなっちゃったんすか!?」

「手伝わないなら帰れ! 状況を読め!! 無能野郎!!」

 言葉を失う刈谷。これだけ堂々と、慣れ親しんだ上司が、叫び、悲しまれ、自分の名前を本気で尊び、侮辱に聞こえる刈谷の言葉に怒り、罵倒される。
 頭がおかしくなったのは、自分が刈谷だと言い張る、自分自身なのかと。
 刈谷は桜の形相に押され、春日の体を二人で持ち上げて門の囲いから、持ち上げながら抜く。そして丁寧に地面に置くと、桜は、顔色だけなら息を吹き返す事を期待したくなる春日の顔を、叩きながら声を掛ける。

「おい! 刈谷! おい! あ゛あ゛あ゛ー!!」

 うなだれる桜に、刈谷は声を掛ける。丁寧に、声を張らず、わかりやすく、また殴られる覚悟で。
 刈谷にとっては、今しっかり自分の存在を確認しないと、自分でいられなくなる気がした。
 覚めたい夢が悪くなるばかり、三回死に、三度も時間をさかのぼった結果、失った名前。失った部下。
 もし、また自分が死んだら、どうなるものかと。変わるものかと。

「チーフ……俺……何がなんだか……俺は……春日じゃ……ない」

 桜は嘆く言葉を止め、少しずつ顔を上げ、執拗に訴える刈谷に向かい疑念を尋ねる。

「おい! その根拠はなんだ! お前が・カ・リ・ヤ・と言う根拠は!」

「それは! 支所に帰ればわかりますしぃ! 全ての報告書のデータとかで証明出来ますよ!」

 自分への疑念を晴らす為にも、刈谷は桜の目を真っ直ぐ見つめ訴える。そして少しでも耳を傾けた桜へ自分の本気を伝えられたことで、自分の存在証明を確認できると思い、多少の安堵感が湧き上がる。

「じゃあ確認してやる! おかしな事を言っている奴と仕事は出来ないわ! ここで待ってろ!」

 桜は携帯電話を出し操作しながら車に向かう。その行動に刈谷は安堵の気持ちから、また不安が襲った。万が一確認されても刈谷と言われなかった場合。また時間をさかのぼらなければならないかと。けれどそれなら、どちらにしても確認したほうがいいと。そして自分の存在の裏付けがあるのかと。

――あの地下室はどうなってる

 刈谷はまだ煙の立ち込める館に近付き、階段付近を眺める。
 階段は上階から崩れており、積み重なる瓦礫に加藤の安否が気になった。

――駄目か! 瓦礫をどけないと確認出来ない! 生きてろよ加藤!

 瓦礫をひとつひとつ退ける刈谷を眺める桜。右手に持つハンカチで傷口を抑えながら電話を続ける。刈谷に聞こえない程度の声。それはなぜか桜自身がとまどっているような神妙な顔つきで。
 刈谷にとって慢性的(クロニック)に何度も同じ体験を味わうデジャヴュ。その度に何かがおかしくなる存在認識。この狂った歯車は、何が問題だったのか。なぜ撃たれたのか。誰に頭を殴られたのか。加藤の言葉を真に受けていいのか。誰かに語っていいものか。忘れた方がいいのか。
 刈谷は全ての秘密を握っているであろう加藤に尋ねたかった。もしも、桜の確認から、最悪な結果を聞かされて、自分が壊れないためにも。

「ハァッ! ハァッ! くそ! 加藤達哉! まだ生きてるよな! ハァッ! ハァッ!」

 刈谷はひとつひとつ、瓦礫が減るたびに自分の存在に近づくかのように、目に映る形が定まらない瓦礫を投げていく。誰がいるのか。本当にいるのか。
 刈谷の必死な後姿に近づく桜。電話を終え、声を掛ける。

「おい。……確認が取れた……お前は確かに書類上は……『刈谷』だ! だけど! 私の今までの記憶は違う……お前、このことは誰にも言うな! いや……言わないで欲しい……私は……このままだと、心身喪失者扱いだ。仕事を失う訳にはいかない。殴った事は謝る。思い出すまで普通に接してくれないか? 刈谷」

 刈谷に目を直視しない桜。本気で自分の記憶が違うものだったという自分への恥と自分への疑い。
 刈谷から見れば、直前までの自分の状態。
 殴られたことや、疑われたことの罵声より、刈谷は自分の存在が戻ったことにほとんどの悩みが消え失せ、桜に対する同情心が沸き立った。
 刈谷が味わった、体験したことを細かく説明する気にはなれなかった。それを桜に説明すると、自分のように自殺しかねないと。万が一桜が自殺し、結果、何も起こらなかった場合、自分を許せなくなると。

「あ、いやぁ……もう大丈夫ですよぉ! 気にしないで下さぃ。それと、内密……了解しましたぁ! きっと頭を打ったせいで一時的なものだと思いますねぇ」

 この程度に軽い気持ちでいようと判断した刈谷。自分が体験したような出来事が桜の周りでおきないか見ていこうと思った。そして、それを説明できる加藤を見つけたかった。

「すまない……そして刈谷、お前が無事で良かった」

 刈谷は桜の謝罪と内密を快諾すると、桜を救う手がかりに近づくため、瓦礫の撤去を進める。

「刈谷! 何を捜しているの?」

「はぃ! この階段の地下室に加藤達哉がいるんですよぉ! まだ生きているかも知れません!」

「二人の効率は日が暮れるわ! 今おそらく応援が来ているが、更に職員増員の要請出す! その方が早い」

「そうですねぇ……解りました!」

 瓦礫の量を見て諦めのついた刈谷は、桜の指示の元、職員の到着を待つ。
 そしてここまでの回想の詳細を町田に伝えた。

     ◆◆◆

「所長ぉ! チーフは問題なくこなしてますよぉ! どうか今回の謹慎以外の処分は考えないで欲しいんですがぁ」

 桜を庇いたい刈谷。半年前の出来事は、自分を失い、自分を殺し、苦しんだ。一歩間違えれば、今の桜は、精神を疑われている自分の姿。もう少し、桜を監視する時間が欲しい。もう少し、希望を持ってほしい。そして、普段自分が体験している『時間が少し戻る』と感じる不可思議なデジャヴュ現象と、支所内で起きた事件でのZONE現象。
 桜への考慮と引き換えに、全てを町田に話したかった。

「そうか……とりあえずわかった……ただこのままって訳にはいかないな」

「どうする気ですかぁ? チーフは仕事に支障なくてぇ、忘れてるのはぁ、俺の事だけですよぉ? それに……おかしいですよぉ……さっきも言った春日の事。職員に思い出話してもぉ……不思議な顔されるんすよ……ん? 何か今、大事な事が思い出せたような……そうそう! あんな盛大な葬式まで支所全体でやったのにぃ」

「葬式……はぁ〜……あぁ、桜は問題ない! 良くやってる! 感心する!」

「じゃ、じゃあ! チーフはおとがめなしですね!」

 町田は落胆混じりな溜息をつき、おもむろにスーツの内側から何か取り出そうとする。
 半年前の全てを聞いた町田。本気で刈谷が話しているのも理解した。刈谷の言いぶんも理解した。けれどこのままにはしておけなかった。このままの精神状態では放置できなかった。
 半年間、変わらない症状に、所内でも限界がきていた。職員からも不安の声が上がった。とても見てはいられないと。
 所長として、町田は、苦渋の決断のように語りだす。

「そしてお前の身体能力の高さと判断力……勿体ない……残念だ……春日!」

「は?」

 町田は刈谷に向かって『春日』と口に出した瞬間、刈谷の手首に手錠を掛けた。





 【FALSE MEMORY】


〜虚偽記憶に舞い散る偽の桜吹雪〜


 16:51

「何の冗談ですかぁ?」

「お前……春日の葬式に出たのか?」

「はぃ、今、ふと思い出したんですけどぉ……とても盛大な。所長のスピーチ中々の感動ものだったじゃないですかぁ」

 刈谷の口から流れ出す思い出話。本気で語る刈谷。春日の悲惨な事故を普段から職員に語っている刈谷。葬式を盛大に町田が身寄りのない春日のために喪主となり全て取り仕切った事。春日に世話になった職員の中には、無念さに泣き叫んだハプニング。あまりに具体的に、あまりに本気で町田に伝えた。

「はあ〜……やはり悪化したか……春日はお前だ。そしてあの現場は・桜・と・お・前・し・か・居なかった。そして、加藤達哉や刈谷恭介など・存・在・し・な・い!」

 刈谷にとって、あまりにも真に受けられない町田の言葉。
 町田から見れば、春日の葬式を支所全体で行なったという春日。
 今まで呼ばれていた自分の名前の全否定。今の刈谷には、からかわれているとしか感じる事は出来なかった。

「ちょっとぉ……怒りますよ!? チーフにぃ聞いて下さいよぉ! 春日に対して、俺との記憶が狂ってぇ! うなだれてたんですよぉ!?」

 町田はひたいに手を何度も触れ、町田にとって春日と認識している刈谷に対して、説得と説明の余地が見られなかった。
 町田は、刈谷が乗り込もうとしていた車のドアを開け、クラクションを鳴らした。その音の鳴らし方は、モールス信号にも似たテンポで、『所長命令として、手の空いている職員。役職者以外の職員は直ちに集合するように』という意味を持つ、職員全員に研修させられた合図。その音の意味は刈谷も勿論理解していた。
 10秒も待たずに一人、二人と集まる職員。とまどう刈谷の挙動をよそに、町田と刈谷を中心に30名程度の職員が一分ほどで集まった。そして職員の後ろから、町田を探していた桜もクラクションを耳に入れ、現れる。

「チーフ! 内緒話を所長に言ってしまってすいません! 少しでも力になろうかと思ってチーフを支える協力をお願いしていたんです! けれどぉ、今、見ての通り、誤解があるみたいです!」

 刈谷の声に反応を見せない桜は、町田に向かって頭を下げ、刈谷が耳を疑う言葉を発する。

「所長、すみませんでした。春日の行動を監視するつもりでしたが、結局わかりませんでした」

「春日!? あいつ生きてるんですか!? チーフ!」

 桜は冷たい眼差しで刈谷に体を向ける。その時偶然吹いた春の突風は、今朝の爆発により支所の玄関に散らばった造花の桜の花びらを風に乗せ、桜の後ろから刈谷の方へと舞い散った。その似せて作られた桜の花びらは、焦げや灰に染色された柔らかみのない偽物の桜吹雪。その目は、加藤達哉の館で見たさげすんだ眼差しだった。

「あなたは『春日雄二カスガユウジ』! 『刈谷恭介カリヤキョウスケ』など元々存在しない! あなたが何度も自分は刈谷だと訴えるから! あのとき所長に連絡して! あなたの行動を監視するために! あなたの見るデータを変えて貰ったのよ!」

「ちょっ! ちょっと待って下さいチーフ! それ、無理があります。俺の自宅には、直筆でフルネームを記載したものなんて沢山ありますよ? 筆跡鑑定でわかりますし、身分証明書だって! ほら!」

 刈谷は免許証を取り出す。一瞬で疑いがなくなる期待。財布よりだした自分の顔写真も表示された証明書。それを見て一番驚いたのは刈谷。そこには春日雄二と記載がされていた。
 刈谷は今日の昼間、新しく専任として担当した顧客に証明書を提示しながら名を名乗った記憶。そして一度確認した時には、自分本来の名前が当たり前に記載がしてあった自信。見せるに見せられない自分を追いつめる正に証明書を手に取り、今の自分の立ち回り方がわからなくなってきた。

「ちょっ……どうなってんだ? 自宅に来てください!! そこに刈谷と書いたものがいくらでもありますので!!」

「春日。そりゃあ、あるでしょうね。自分で書いたんでしょうから。それは更に自分の首をしめるわよ! 感謝してね……保護扱いで半年間職員全員から監視されてたんだから……職員! 顧客の安全確保だ! 春日雄二を、連行せよ」

 チーフである桜の支持の元、職員は静かに刈谷の腕を静かに握り、病棟へ連行しようとする。

「はあ!? そういうことじゃないだろー!? あんたが春日を刈谷って呼んだんだろうがぁ!! 春日!? 俺は刈谷だーー!!」

 刈谷は連行しようとする職員の腕をひねり、柔術で投げ飛ばす。

「ぐわ!! か、春日さん!」

「俺は! 春日じゃねぇ!!」

 戸惑う職員達。今まで同じ環境で仕事をした先輩。指導してくれた先輩であり上司。尊敬もあるが、職員にとっては、自分を見失い、精神の病気を患ったとも感じる言動。
 職員にとって簡単に抑えられない相手。プロテクトルームで刈谷に教わる面々。ひとりひとりでは各種有段者でさる刈谷に立ち向かう一歩が踏み込めなかった。

「一斉に春日を拘束しろ! 容赦するな!!」

 町田の一声に職員は一斉に飛び掛かろうとする。

「ふっ! ざけんな!!!! あああー!!!!」

 響く銃声。刈谷は拳銃で空を撃つ。
 職員達は頭を抱え身を小さくしながら距離を空ける。
 刈谷にとって、捕まれば、誤解を解く可能性がなくなるかもしれないと。このおかしな虚偽の記憶を正したいと。そして現在、その虚偽をくつがえす事ができる人物も証拠も見当たらない盲目の刈谷。今は真っ白になった頭を落ち着かせたかった。

「近付くなー!! 出来れば傷つけたくなぃ……そしてぇ、説明も出来ないんだよぉ! だからよぉ……静かに去るからみんな離れてくれょ」

「春日……まあ落ち着けよ。お前の話にあった加藤達哉の姿や遺体は、あの後あったか?」

「ない……なかったけどあった事なんだ! 俺は、俺は春日じゃねぇんだよ所長! でも、どっちでもいいからさ……行かせてくれょ」

 銃口を無作為に合わせ、威嚇をしながら刈谷は車に近付き背中をドアに付け乗り込もうとする。
 その時、刈谷の目に止まるものがある。それを見るのは実に半年ぶり。意味があることか、きまぐれか、その景色が見えた時には、何かに気づかなければならない瞬間のように。

――色! 上空に……何故今、共感覚が!?

 刈谷の泳ぐ目、桜は眉間にしわを寄せる。そして桜の目線は刈谷が背中を向ける車の上方。黄色が集まる支所の二階部分。時折飛び散る緑。
 町田は刈谷の後ろに目線を向ける。刈谷が背中を向ける車に、それは見ている者には意外なほど静かに飛び乗る音。
 黙って振り向く刈谷。支所の二階から飛び降りてきた男は刈谷が振り向くと同時に拳銃を蹴り上げる。そして隙を与えることなく、刈谷のあごを掌底打ち(手の平の手首に近い部分で打撃)する。

「がは!!」

「拘束しろ!」

「う゛っぐぞ! は! 離せ゛ー!!」

 取り押さえられた刈谷。左右から二人の職員が自分に手錠をはめ、余った輪っかを刈谷の両手首に、逃走を不可能にし社用の護送車に運んだ。

「管轄(かんかつ)! 本部から来られてたんですか!」

 管轄と呼ばれる男。八頭身以上ありそうな長身。長めの黒髪を分け目をつくらずに後ろへ流したオールバック。光沢ある赤みがかった黒のスーツ。そのポケットより葉巻を取り出し火をつける。

「ふぅ〜。町田……あの刈谷と名乗る、春日雄二を監視して何かわかったのか?」

「本人から聞いた限りはつかみどころのない話ばかりでした……ただ」

「ただ?」

「話があまりに具体的で、今起きているこの不死現象のヒントがあるかと感じたのですが……その本人、加藤達哉の存在が不明です」

「あの春日は会ったと言っているのか?」

「はい……けれどあの建物の地下には誰の気配もありませんでした。元々あの爆発した館へは、水谷と春日で職員の実践研修場として下見に行ったのですが、水谷の報告により、爆発の影響で春日が解離同一性障害に似た状態となったので保護対象にしたいと強く言われましたので様子を見てました」

 町田の語る半年前、支所に戻った桜が館での業務が記載された予定表を手に持ちながら町田に報告した内容。古い建物での実践研修予定。monstrous時代に爆薬倉庫として建物に可燃性の爆発物が残っていたことで、慎重に建物を調査し、爆発物を撤去すると記載された予定表。桜の報告は、一階部分になんらかの仕掛けによる引火、爆発。引火に気づき外に避難したが、爆風に巻き込まれ、その影響で自らを刈谷恭介と名乗り始めた春日。
 町田にも信じられない内容ではあったが、町田が春日と認識している刈谷恭介と書かれた報告書に、存在が認められていない加藤達哉の捜索希望、自分以外の春日雄二に関しての不幸な出来事を書き綴っていた事で、桜の信憑性を疑うことなく、仕事に支障が出るまで保護対象として職員全員から監視されていた。

「所内職員の問題にはボイスレコーダーに残す規定だが、残したか?」

「はい! これです」

「後で聴いておく……水谷!」

「はい!」

「お前はあの建物には春日以外とは居なかったんだな?」

「はい! 間違いありません!」

「じゃあ刈谷恭介とは……どこから現れた名前だ?」

 桜に目を合わし、その場にいた真実と認識を確認したい管轄。桜の一寸とも挙動を見せない眼差しで管轄に所感を伝える。

「架空……としか申し上げられません!」

「わかった! 順次専任を交代させ顧客を護るように!」

「わかりました! 即対応致します!」

「管轄、水谷には先程の所内トラック暴走の件で謹慎と減給により処分するところでしたが」

「あの犯人の動機は確認した。自営業の仕事依頼がなく、自殺願望が元々あり、そのキッカケを探すか家族の為に生きるかの瀬戸際に契約を断られた暴挙だ。だが今チーフ不在に何もいい事はない。俺の判断で不処分とする! 以上だ!」

「はい!」

「はい! ありがとうございます!」

 町田と桜は声を合わし返事をすると管轄は振り返り、葉巻の甘い匂いを残しながらその場を去る。
 支所の裏口の建物から姿が見えなくなるまで姿勢を正し、見送る町田と桜。
 管轄の行先は不明であったが、緊張していたまとわり付く空気がなくなり、二人は息をついた。

「ふぅ……所長、私は管轄に対面するのは初めてですが……たしか名前は」

「あぁ桜チャン初めてだったかぁ〜……創始者の子孫『鈴村和明ススムラカズアキ』だ。まだ若いが判断力は間違いないね! けど葉巻吸う姿は初めてみたし、今日は妙に緊張感があったな。まあ支所にくるのは珍しい事だなぁ」

 LIFE YOUR SAFEの最高責任者。鈴村和明。本部は支所の所長が昇格した先の中核。
 各支所の問題は、昇格した所長が取締役となり、取締役会の決定で支所に指示と判断をする慣行。取締役からの連絡なく直接判断が下されるのは稀な事だった。

「そうですか……ところで春日はどうなりますか?」

「調書後……同じ事を言うなら……心身喪失者扱いでとりあえずここの精神病棟行きだろうなぁ……惜しい男だ」

「自殺未遂者も一旦収容される精神病棟ですね」

 支所敷地内の裏口から見える高台にそびえる施設。monstrous時代、地下層に何者かを隔離するために、五階建ての収容所が建てられてから三階まで土で埋めて高台とした地帯。厳重な隔離が出来るその建物は、外壁を造り直し一見病棟とは見えないレンガ造りの落ち着いた雰囲気があった。

「今の世の中そんな病棟に意味があるかわからんがねえ〜……閉じ込めておかないとどんな行動するかわかんないからなぁ〜……桜チャンも入ってみる?」

「お断りします。新しい専任に『田村(タムラ)』はどうですか?」

「い〜んじゃない? 刈谷……いや春日の代役になってる訳だし、補佐やって半年はたったでしょ」

「はい、後ほど伝えます。え……あれは……しょ、所長! あの屋上にいる者達は……職員ですか?」

「そう……だな……何してんだ?」

 桜が違和感に気付き、町田も同じ印象を受ける。
 三階建ての支所の屋上、そこには地上から見える限り職員と思われる四名ほどの者達が、辺りを眺めたり、下をうかがったり、そして一人の男が何かを話し出すと他の三人は言葉に注目し、その男の言葉を聞き入れたのか、屋上のフェンスを越え、一歩先に踏み込めるかどうかの位置に立ち、均等に横に並んでいる。

「様子がおかしいです! 皆が並んで! 所長!! 堕ちるかもしれません!」

「ばかな! 自殺? 職員が!? 誰か知ってる奴はいないか!?」

 桜は職員を凝視する。一人でも直接指示を下した事がいるか。夕日の逆光により顔がよく見えない。けれどその影の中、両手を広げながら三人に語りかける中心人物。その手振りに見覚えがある桜。声が大きく、プロテクトルームにおいても刈谷に次ぐ有段者。つい先ほど強く頭に描いた役職者。
 その直属の職員に連絡するため、桜は携帯電話を取り出し掛け始める。
 影の手振りが止まる。想像していた通りの人物。ゆっくりと影はスラックスのポケットに手を伸ばし、耳にあてるまでに通話ボタンを押し、ワンテンポ遅れて言葉を発する。

【はい】

「おい! 田村! お前何してる!?」

「桜! スピーカーにしろ!」

 町田は桜に携帯の音声をスピーカーにして一緒に聴き入る。その声は、先ほどまで大きく動いていた影とは違うイメージ。太い声でゆっくりと、悲観的のようにもとれる暗い声。

【チーフ……私どもは……ここは違うと思うんですよ】

「ここ? どこの事だ!」

【はい……きっと……更に目覚めた時……自分に戻れるはずです……きっと……きっと】

「自分? おい! お前何を言ってるのかわかってるか?」

【はい……自殺しようとする気持ちわかるんですよ……何かが違うこの世界に】

「わかった! お前の言うことは間違ってないわ! だから、今は止めろ! 私がお前達の話をちゃんと聴く!」

【ありがとうございます……目覚めましたら……どこかで】

 何かを思い込んだ口調、桜の言葉も聞き入れない雰囲気。はっきりしない理由は、何かを悟ったような口ぶり。
 少しでも意識を変えたい町田は携帯電話に叫ぶように止めに入る。

「おい田村! 町田だ! 電話を切るなよ! 今すぐその場で腰を下ろすんだ! 補佐のお前が下がれば皆従うはずだ! 職員の命を護るんだ!」

【お世話になりました】

 田村から切られる電話。
 そして田村は鳥のように両手を広げ、職員も田村を真似る。まるで何か神々しい存在にでも向かうように。
 先に動きを見せたのは田村。続いて左右の職員が後戻りできない角度まで体を傾ける。建物と接点がある最後のつま先を蹴り、自分の信じる世界へと飛ぶ。

「ば!! ばかやろう!」

「いかがなされましたか。所長」

「ん、どうかしたか? 何か聞こうとしたのかな? じゃあ俺は本部へ暴走したトラックの報告にまわるから! お疲れ様〜!」

「お疲れ様です! 後ほど報告書を提出致します」
 
 桜に問いかけられる町田。目線はどこを見ているわけでもなく、桜の問いかけにも、何について聞かれているのかわからない様子。二人の視界に入る支所建物は、一見だれの気配も感じず、時間の経過と共に時折、窓の奥に廊下や階段を職員が通過する気配が見れる程度であった。
 直前まで田村を相手にやりとりをしていた光景は痕跡も気配のかけらもなく、一日中晴天だったこの日の夕方は今日一日に起きた事件の数々が、確実にあった事となかった事の区別は誰にとってもはっきりしていた。『なかった事』の証拠は文字通り、何もなかった。何かあったと感じられる者がいるとするば、それは連行された刈谷のように虚偽な記憶と感じるものなのかもしれない。
 町田と桜は何もなかったその場で別れる。
 桜は夕日が支所の屋上に隠れる景色を見て深呼吸した。

「ふぅ」

 桜の地面に映る影が建物の影で消えたと同時に、桜は何かを考え、軽くうなずき、目線を支所の裏口に向けると、その方向に歩いていった。
 その歩みが、町田と直前まで話していた事とすれば、専任補佐の田村へ昇格を伝えることだった。田村に影響力を感じる取り巻きは、恒例のように職員研修室で田村を中心に熱弁を語っていた。






 【ジャメヴュ】


〜完全な未視感は大人の揺り籠〜


 18:03 

「春日さん! 僕らも辛いんです! ただ、命令なんで」

「は! お前も昔から刈谷さん刈谷さんって言ってただろ!?」

「か、春日さん……つ、辛いです! 半年前から……どうしちゃったんですか!?」

 三名の職員に連れていかれる刈谷。警察署より厳重なLIFE YOUR SAFE。精神病棟の一階まで派遣された警察官により発砲の取り調べ、調書が終わり、精神診断されるまで地下二階の収容室へ連行される。
 町田にも桜にも見限られたと感じる刈谷。誰の記憶からも消去された刈谷という名前。
 仮の名前で呼んでいたつもりの職員達。世話をした職員からの本気の心配。職員からの悪意のない返事は、心を落ち着かせる理由となった。

「はぁ〜……大丈夫だ、もう暴れねぇ……俺も頭ん中整理するからょ……メシ、特別に美味いの用意してくれよぉ」

「あ、はい! なるべくマシなご飯用意出来るように言ってみます! 春日さんは頑張ってましたから今はお休みですよ!」

「春日はやめろよぉ……いゃ、なんでもいいゃ」

 終わりの感じない問答は、無駄に体力を消耗すると感じた刈谷。今、刈谷にとって必要だと感じた事、それは冷静な判断力。栄養の欠乏、睡眠不足による気分、記憶、集中力。それらを正常にしなければならないと思った。

「それでは、恐縮ですけれど、この収容室に入室お願いします! くれぐれも他の収容者を刺激しないようにお願い致します」

 地下二階。横に並ぶ収容室は比較的軽度な症状の者や、自殺未遂者が一定期間とどまり、主に様子を見るための監視階層である。
 何度も塗られた白い壁。白い鉄格子。仕切られた洋式のトイレに洗面所、ベッドが常備されている。

「はぁ。まさか俺がここに入るなんてょぉ」

「きっとすぐに出られますよ! じゃあ室内の配給口から両手の手錠を廊下側にお願いします。外からはずしますね!」

「じゃあ、メシはお願いねぇ」

「はい! 失礼致します!」

 敬意を込めて刈谷に接するベテランの職員。刈谷と付き合いの浅い、顔を固まらせた新人の職員二名。態度の違いは家族と罪人ほどの視線の違いを刈谷に感じさせた。
 春日と認めれば正常であり、自分の存在否定。刈谷と言い張れば異常であり、自分の存在肯定。その極端な選択をしなければならない両刀論法という逃げ場も居場所も維持できないジレンマ。
 打破するヒントは、同じ境遇をした者にしかわからなかった。

「はぁ〜……どっから頭整理しよっかなぁ〜」

 立ったまま、白い天井を見つめ、突然の拘留により気が抜けた刈谷。すでに時間が無期限にも感じる空虚。考えることが億劫な一人の時間。このまま眠り、起きた時には全てがなかった事にならないか。やはり加藤達哉の館で起きた事は続いていたことを再認識させられ、町田へ語ったことが頭をする抜ける。
 収容室は自室に入っていると、他の部屋を見る事ができなかった。全ての部屋は横に並び、直接触れたり、対面して会話することは不可能であった。それでもすぐ隣に拘留されていれば会話はできる距離感である。

「こんにちは」

「あぁ、こんにちはぁ〜」

 隣の収容室より声を掛ける男。それは今朝、崖で妻と心中自殺未遂をした『下村敦シモムラアツシ』である。挨拶される刈谷は気の抜けた声で簡単に返した。

「職員との会話聞いてました。同じ職員だったんですか?」

「んー、専任してたんょ……あんたはお客様?」

「はい! 今朝留置されました」

 落ち着いた口調の下村。自殺の発端は下村からであったため、妻は昼間の間に症状が軽いと思われる地下一階に移された。

「どうして自殺なんてするかねぇ……ま、俺も人のこと言えねえかぁ」

「専任の方が来られるなんて、余程の事でしょうね」

 部屋の真ん中で立ったままでいた刈谷は、下村の部屋に近い壁に近づき、壁に背中を滑らせながらゆっくり座り込んだ。半年前に一度は自殺を試みた刈谷。死にたくない自殺。生きるための自殺。矛盾がある自分の行動の原因は、全て加藤の話を聞いてしまったことだろうと思っている刈谷。自分に似た理由の人物はいないか、ここはそんな人間が集まりやすい唯一の場所だと感じた刈谷は、簡単な雑談からヒントが得られないかと考え、自分の現状を素直に話した。

「なんだろねぇ……俺が存在してないのょ……俺の名前がどこにもなぃ。別の人間らしぃ……頭おかしいよなぁ〜。違う世界みたいでぇ」

「わかりますよ! 俺もそんな違和感から……この世から消えようと考えましたから」

「ははは! 一緒にされてもねぇ〜……俺は死にたい訳じゃないのょ」

「俺もですよ! ただ……ここで死んだら、本当の世界に戻れる気がするんですよ! でも死ねないみたいですね」

「死ねない……か」

 刈谷は思う。自分と何が違うのだろうかと。本当の世界。加藤も同じようなことを言っていた。自分の本来の世界と。刈谷にとっては、直接聞いた言葉。それなら下村も誰かから聞いたのか。それとも自分でそう学んだのか。その疑問は、ふと思い出した加藤の質問と同じ言葉を発する事となった。

「変な言い方していいかぃ」

「はい! なんですか?」

「何回死んだ?」

 言っていて我ながらおかしな質問をしていると思う刈谷。死んだ記憶がある自体、認めてはいけない現象を認める質問。ただ、刈谷からすれば、半年前から始まった、毎日のようにおこるデジャヴュ。なるべく気にしないようにしていた。たまには感じていた。もしかすると、自分と同じように何度も同じ時間を違う自分が彷徨っている現象が起きているのではないかと。けれど考えるのをやめた。それは普段から、そのことを忘れようとしている桜の振る舞いもあったから。
 人に語れば疑われる神経。何か違う目で見られてしまいそうな恐怖。語らなくても、共感者がいるという暗黙の了解で満足だった。今日までは。

「はは、あなたもおかしな体験されたんですね! 俺はここに留置されるまでは一回ですね! でも一緒にいた妻が死んだ瞬間も世界が戻りました! そして彼女には死んだ記憶がない……どうしてでしょうね」

「あんた、いつから違う世界って感じた?」

「何かおかしいと思ったのは半年くらい前ですね」

「じゃあ……あんたは既に10回くらい死んでるのかもなぁ」

 自然と口からでた刈谷の大まかな回数。その根拠となったのは加藤の経験談。50回くらい死んだと話していた加藤。刈谷と話したのは12回くらいとも言っていた不可思議。刈谷の中で初対面であった加藤から、何度も語り合ったという戯れ言。真に受けられない刈谷。だが今、この拘留状態となって、全てを否定しきれなくなった。
 加藤の言葉が本当なら、下村が感じた違和感な世界から、10回は試したのではないかという、加藤の所感に合わせた不確かな根拠。
 まるで加藤からバトンを渡されたように、反応を見るように下村の返事を待った。

「どうしてそう思うんですか? 確かに色んな死に方考えましたが、どれも何故か失敗する気がして」

「いゃ〜なんとなくねぇ」――はぁ〜……なんだょ、加藤の言うことに真実味が出て来たなぁ

「今回は崖からジャンプを試みたんですが、車が墜ちてくるリアルな幻覚が見え、駄目でした」

――幻覚? 「じゃあ、また自殺繰り返すのかぃ?」

 刈谷と違う光景を見てきた下村。刈谷の中で幻覚と考えられる事があるとすれば、自分の肉体が春日となり、別の自分がいた現象。人によって見て感じたものが違う発見。自殺を繰り返してきた者から聞ける類似現象。もし多発している自殺未遂者が、全て同じような所感を受けているのであれば、何か大きな力が働いているように感じた刈谷。
 刈谷から質問を続ける話の流れ。その話に食いつく下村は、期待に応えたい性格が強かった。人に話して信じてくれたり、会話が続いた事が半年間なかった。聞いてくれる人が現れて嬉しかった。そして、この流れを止めたくなかった。止めないために、話を具体的にしたいために、刈谷が望まない行動を始める。
 下村は布団のカバーを細く絞り、ベッドを静かに立て、パイプに布で輪をつくる。刈谷から見えない下村の行動。若干、声が遠くなったり、引きずる気配があったり、次に聞こえた言葉の終わりに、刈谷は立ち上がり声を大きくする。

「実はもうこの収容室で昼間に何度か試しました! そうすると、記憶の中では四回死んでます。でも戻っちゃうんですよね……例えばこんな風に」

「おい!! 何してる!? こっちから見えねえ!! 馬鹿な事すんなよ!?」

「すぐ……です……ぐ……ぅ」

「おい!! 守衛ー!!」

 刈谷は大声を上げる。そして声に気付いた守衛が駆け付ける足音がする。一瞬、下村の部屋に目をそらしただけだった。もう駆けつけたのかと正面を見ると、先ほど連行してきた職員三名が目の前に現れた。そして刈谷自身、収容室の外に立って、これから入室する瞬間だった。

「じゃあ室内の配給口から両手の手錠を廊下側にお願いします。外からはずしますね」

「は!?」

「春日さん! お願いします! ちゃんとご飯の件は言っておきますから」

 18:06 廊下のデジタル時計をちら見した刈谷は配給口より両手を出して、手錠は外される。

「では、失礼致します」

 刈谷は職員が見えなくなる事を確認して、時計を再確認した。そして理解したことを伝える。

「わかったょ……確かに死ねない。そして昼間に何度も時間が戻った気になったのは、あんたの仕業だったんだなぁ……仕事に集中できなくて運動してたよ」

「どうですか? わかっていただけました?」

 間近で実演されたデジャヴュ。疑いようのない現象。死に躊躇のない下村。言葉に気を付けなければならない猪突猛進な性格。好奇心をあおるのは危険だとも判断できた刈谷。下村は刈谷に見えない隣の部屋で、自分の見えている世界観を共感できた喜びで血色よく声にも張りがあった。

「デジャヴュなんて生易しい現象じゃないなぁ」

「はい! 俺は、何とかしてこの世界を抜け出します!」

「でもよぉ……その先は何が待ってるんだ? 変わんない世界ならこっちの方が都合いいんじゃなぃ?」

「都合が良すぎるんです! この世界は! まるで造られたような」

「造られた、か」

 今まで生きてきた世界。刈谷にとって都合も環境も悪くなかった世界。せめて自分の存在さえ認識されるのであれば、それで良かった。ただ、それは刈谷だけの希望だった。渇望する、存在すらわからない別世界。死を実感できない者にとって、答えを探したかった。知らない世界を知りたかった。その欲求は、死をも乗り越えていた。
 それは刈谷にとって、異常な感覚に思えた。死を乗り越えるには、相応な理由が必要だと感じた。ただ世界を追いかけるだけでは、何かを超越したものになるような、逃げにも思えるような、どの世界があっても同じもどかしさの繰り返しになるものではないのかと。
 落ち着いて考えてみたい刈谷。興奮した下村は、何かまだ考えがあるかのように話し始めた。

「専任さんは名前が存在しなくなった! ほかの全ての事は何もなかったように、綺麗に痕跡を残さない! 人の頭の中まで! けれど本人に限ってはつじつまの合わない違和感に襲われる! こんな気持ちの悪い世界は自然と抜け出したくなります!」

「まぁ、気持ちは悪いけどなぁ……気持ち悪い程度で死んでたらキリないぞ?」

 一般論で収めたい刈谷。軽はずみな行動はさせたくなかった。深い理由がないのなら、一旦落ち着いて、もっと情報を集めたいと。この階には二人しかいない。軽度な症状と思われれば、地下一階に上げられ、もっと情報を集められると。
 熱が上がらない刈谷に、下村は自分の理由を話し出した。

「俺が心中しようとした女性……妻は……俺の認識では娘です」

「そ……そうか」

「娘に夜の営みを求められる気分わかりますか? 俺の中ではまだ小さい、愛してやまない大事な存在……その娘の名前と成長した顔で! 俺の妻という存在となっている! そして、本来の妻の存在がない……子供もいない。悪い夢を見てるようです!」

 自分の小さな会社を倒産させた下村、借金に追われる理由をつくり、娘と認識する妻に、どんな世界でも愛しているという気持ちを何度も伝え、自殺願望を語り、心中の道を選択させた。 

「目を覚まさなければ!」

 後に引けなくなった下村。理由を聞いてしまった刈谷。目標の再認識をした者を、無下に止めることはできなかった。せめて心にたまったものを吐き出させたかった。下村の考えを聞いて、同調して、慎重さを吹き込みたい。
 刈谷は下村の考えを尋ねるしかなかった。

「理由はわかった……方法はあるのかぃ?」

「はい、今あなたの存在含めて考えた限り……二人で死を繰り返すんです!」

「死を繰り返す?」
 
 下村の話を聞き始めて後悔する刈谷。下村を止める事ができない空間。この階を仕切る守衛の距離はコの字に二度曲がる距離。奥から詰められた二人。問題が起きれば、即断で地下三階に連行される恐れ。地上が遠くなることは避けたい刈谷。
 下村は、簡単には出来ない事を簡単に話し出す。

「はい! 俺が死ぬと少し前の世界に戻ります。そして今の状況になる前に専任さんが死にます。繰り返す事によって少しずつ過去に戻ります! 二人の方が早いです!」

「おいおぃ……そんなにタイミングよく死ねるか?」

「常に持っているもので死ななければなりません! 専任さんは拳銃を手に取るまで戻れば楽でしょう」

 焦る刈谷。何も結果が見えない計画に青ざめる。すでに昼間に三回も自殺を図った下村。それでも見えなかった成果。連行される前まで戻るつもりかと、娘という認識の妻も利用して死を繰り返すのかと。何か間違っていると感じる刈谷は勢いを収めるのに必死になってきた。

「で、でもよ! それでどこに行けるんだ? 戻るだけじゃ!」

「どこかにヒントがあるはずです! やってみましょう!」

 すでに準備を始めている下村。同じようにシーツを細く丸め、ベッドを立て始める。先ほども聞いたその狂気の音に、刈谷は自分が断ることで今はやめてくれると思った。
 一時間戻るのに、何度自害するのかと、朝まで戻る時まで心がもつのかと、当たり前の事を下村と語りたかった。

「悪いがぁ……パスしておくよ。目的なく死ぬなんて」

「あ゛! あ゛ががが……ぅ……ぅ」

「ば! ばかやろう! 始めたのか!?」

 18:06

「じゃあ室内の配給口から両手の手錠を廊下側にお願いします。外からはずしますね」

――戻った……あ!

「ぐ……ぐぅぅう……がぁ」
 
 再び時間が戻る。その時刈谷が気になる事は、隣の男。刈谷が下村のうめき声に気づいたと同時に、職員が隣の男の行動に気づく。

「おい! お前何してる! 開錠だ!」

――また変わる

 18:03

「か、春日さん! 辛いです! どうしちゃったんですか!?」
 
 17:56 

――どこまでいけるんだ?

「おい! 取り調べは以上だ! お前……心身喪失してんなあ! とりあえず地下で頭冷やしてこいよ! カ・リ・ヤ・さん!」

 刈谷は収容所の一階での警察官からの取り調べ最中までさかのぼり、同じ言葉を浴びる。警察官からのすでに聞いた皮肉にも反応せず、次の変化までの心構えをする。だがその時間は、緩やかに、変化なく流れる。

――ここまで……か? あいつ……どうしてる

 同じように、職員三名に連行される刈谷。途中何度も鉄格子のドアを開錠され、収容される地下二階まで下り、守衛に階層のドアを開錠される。

「か、春日さん!」

「辛いんだろぉ!? お前の気持ちはよくわかったょ! だからメシだけ奮発してくれ! 俺は今まで頑張ったからきっと今はお休みなんだょ!」

「え!? あ、はい! マシなご飯になるように言っておきます!」

 既に聞いた職員の言葉が先読み出来る刈谷は、自分から次に出る言葉を発する。たじろぐ職員を尻目に、自分の入室する収容室の前で立ち止まる。

「ちょっ、ちょっと悪い……あの俺が入る予定の収容室の隣……一言聞きたい事があるんだ。不死現象のヒントが聞けるかもしれない!」

「と、特別ですよ……新人職員さん、ご内密にお願いします」

「はい!」

「あ、はい!」

 職員監視しながら了解のもと、下村の様子をうかがう刈谷。間をつくらず自害を続けた下村。興奮した勢いに限界がきたのか、途絶えたデジャヴュ。何か理由があったのか、都合が悪い事があったのか、入室してから会話を交わす前に、下村の精神状態を目で判断したかった。
 興奮するまで話口調は割と落ち着いていた下村。期待したのは、結果を話したがる姿。部屋を覗きながら声を掛ける刈谷。
 その姿は四つん這いになってうつむいた後姿の下村。最初に気づいたのは音。一人の室内から聞こえるには、怪しく、考えも届かず、その行為を尋ねていい事か悩む音。その行為は、床をさすったり、引っ掻いたり、いつから始まり、いつまで続けるのか、理性が薄い印象があった。

「おい! どうだった? 俺は隣に入ってた専任だょ」

「はぁ〜? どなた……ですかぁ〜? ヒャハハハハハァ! 白……白? 白ってなんだあ〜? 冷たい、冷たい、この鉄。鉄? 冷たい……ハハハハハー!」

「おい!!!? お前大丈夫か!? 職員! こいつやばいぞ! 医務室へ!」

「え!! あ! は、はい! わかりました! 春日さんはひとまず収容室にお願い致します! 守衛!! 担架だ!」

 先程までの口調の面影が感じられない下村。刈谷の存在を忘れ、物や質感の認識が弱まり、記憶のどこかにありながら、はっきりと言葉に出せなく、自我が崩壊した様子。
 声が響く地下、守衛室に備え付けてある担架を持ち、駆けつける足音。刈谷は手錠を外され、収容室に自ら入る。
 慎重に、うずくまる下村を囲む職員。暴れる危険性を考えたが、意外と素直に、職員の誘導に従う下村。無邪気ともとれる、緊張もなく、好きに表現をしたい表情を浮かべながら、棒と布だけの担架で職員に運ばれる表情は、揺り籠に揺らされた、心地よさそうな笑みだった。





 【マインドコントロール】


〜狼に成りたい羊たちは盲目の暴力〜


 18:44

――駄目だ! やはりむやみに死を繰り返すと、あいつの二の舞だ!

 刈谷はおぞましい世界観に襲われた。自分の事を忘れただけでなく、全てが未知のものを見る下村の様子。異常なまでの未視感。
 何が悪かったのかと。繰り返し過ぎて、単に頭に異常が起こっただけかと。それなら自分もいずれそうなると。だが、もしそうでなく、下村が言っていたような、本人だけ、つじつまが合わなくなる違和感な世界。下村が過去に戻る事によって、噛み合わない未来。本人だけがもつ違和感。世界の歯車を合わすなら、本人を壊すものかと。
 そこまで思考が進むにつれて、更に感じる違和感。『誰が』そんな面倒な事をするのかと。噛み合わない事イコール頭を壊すような発想。まるで人為的、いや、機械的な発想。
 自分達はバグなのか、欠陥品なのか、ウイルスなのか、それを発見して機能停止させられているのか、加藤の言ってたフェムが原因かと。

――はは! 馬鹿らしい! 考え過ぎだ! 大体、加藤の館のところから話からおかしくなったんだ!

 刈谷は加藤の言葉を否定したい。新天地。レミング。それなら加藤は、その新天地に旅立ったのかと。それならどうやって。
 再び、刹那刹那に思い出す事は、刈谷を後ろから銃撃した者は誰か。そして桜はどうして刈谷をこのような目に遭わせたか。半年前からずっとそのような目で、そのような手回しで、職員全てから見られてたという盲目な自分。誰が悪いわけでもなく、自分が刈谷と言い張ったから、仕方なく、混乱を避けるために刈谷でいさせた人情か。まるで自分が回りの人間を振り回して混乱させただけの迷惑な存在だったのか。それが真実なら、今、自分の名前が認識されないという考えは、やはり自分が作り出した妄想か。下村も含めて、自分がおかしくなって、自分が刈谷だと思い込んでいるだけではないのか。不安がよぎった。
 それでも可能性が感じられたのは加藤の言葉。自分がおかしくなってないと思えるのは、リアルに脳裏に残る加藤の言葉。それをどこかで確認するまでは、自分を疑いたくなかった。
 思考を巡らす最中、刈谷の嗅覚に何か感じるものがある。
 階層は部屋ごとに空調を調節できず、守衛室によって操作されている。収容室には空気を送り込む菅であるダクトは繋がっておらず、廊下の天井裏に巡らされている。その循環する空気に漂う危険度の低い嗜好風な香り。

――なんだ? この匂い……どこかで嗅いだ気が……甘い……葉巻? そして景色……黄色が濃く感じる

 18:46 守衛室前の扉が開く音がする。一人ではない足音。最後の角で足音が一つに。刈谷に真っ直ぐ向かってくる男。管轄の鈴村。直前までくわえていた葉巻の香りが染み込んだスーツ。
 意味不明な共感覚の出現より、昨日まで面識のなかったその存在感。職員に囲まれた時に、簡単に自分を鎮圧させられてしまう手練れた身体能力。刈谷は息を飲む。

「刈谷恭介……でいいのかな」

「あんたぁ、さっきの……本部の人間、ですかぁ?」

「肩書を取った話をしたい。私の名は鈴村和明」

 一瞬で納得した刈谷。それだけ雲の上の存在に感じる相手。本部から一番近い支所に配属されている刈谷。それでも世界の支所を束ねる頂点が、心神喪失したと思われている専任に、直接面会にくる異例。
 刈谷は少し慌てて、姿勢を正し、腕を後ろに組む。

「失礼しました!! 管轄!!」

「いや、楽にしてほしい。さっき言った通り、肩書を気にせず話をしたい。手荒な事をした。悪かったな。あの場を収めるためだ」

「あ、あの、いやぁ……謝らないで下さい! それは頭冷えて理解してます……えと、どんな御用ですか?」

 想像していたより柔らかい口調。以前町田より聞いていた特徴と違う雰囲気。それは油断を見せられない完璧主義で真実と自己愛が強く、失敗と言い訳を必要としない緊張感だと聞いていた。
 刈谷にとって、そのイメージは拭えなかったが、今の自分に、そこまで型にはまった言葉づかいをすることは似合わない場所に留置されていると感じ、自分の思う言葉を返した。

「町田との会話をボイスレコーダーで聴いた。お前は正直どう思う? この世界」

「あのぉ、自分は取り調べの時と所長に話した通りですがぁ……強いて一言で言うなら、造られた世界、という印象です」

「そうか、お前はどうしたい? もしこの世がお前の言う世界であったなら……抜け出したいか?」

 刈谷にとって、思いもよらない鈴村の言葉。まるでこの世の不可思議を容認する会話。自分の精神を分析されているのか、何を聞きたいのか。言葉を間違えれば、解放まで時間が掛かる地下三階に収容されてしまうのか。色々な雑念が刈谷によぎる。しかし刈谷にとって、組織のトップに直談判できる貴重な今、考えを曲げたり、綺麗ごとを並べることは、後悔に繋がると感じた。

「難しい質問ですねぇ……けれど、今自分が不自由しているのは……自分の『身元』であって、それ以外は都合悪くありませんがぁ」

「そうか……逢わせたい人がいる。今あの角に隠れている女性だ」

「誰……ですか?」

 鈴村の手招きにより刈谷に近付く女性。過去の面識は感じない。部屋着に似合いそうなゆったりとしたワンピースは、まるで自宅からの距離を感じない気軽さに、長さを切りそろえたワンレングスの髪型が似合う綺麗な顔立ちだが、口角の下がった印象に暗い表情を感じさせる。

「初めまして……私は」

「あ、自分の名前は明かさないでいいですよ。彼は一応拘留中の身ですので。明確な個人情報以外、必要な事だけおっしゃって下さい」

「はい、私は……春日雄二の婚約者です」

「春日の!! どおりで! 俺の記憶じゃ春日は婚約指輪をしてた! じゃあ! いや、どうぞ」

 刈谷の潔白に繋がる初めての証人。自分の存在否定する必要がなくなったと感じる刈谷。それは同時に、刈谷の目の前にいる女性にとっても同じことが言えるのではないかと。言葉を進めたいと気持ちが高ぶり、少し興奮した刈谷であったが、今大事なのは、目の前の女性の一言一言。刈谷は質問攻めしたい気持ちを抑え、自分を落ち着かせる。

「あなたも春日雄二らしいですね」

「いやぁ、まわりの記憶や会社のデータはそうだけど……俺は刈谷恭介なんだょ。管轄! 俺が春日じゃない裏付けの証人ですね!」

「二人の会話だけを見てるとな……だが彼女は、自殺未遂者だ。精神疾患を追求されたら、心を保てるかどうか」

 刈谷の前に現れた初めての証人。けれど、その背景にある、この世からの逃亡。それは下村の件で味わった苦い気分。
 恋人や妻を失った気持ちと、恋人や妻の認識がこの世で狂った気持ち。裁判をしても、大勢の前で否定される姿。大勢の前で否定される存在。刈谷、春日、下村、春日の恋人。全ての認識は変化し、その他大勢の認識に残る証拠は、本人達の記憶より、重要視される。

「そうか……あんたも自分の死を繰り返してんだな」

「はい……私の専任の補佐は春日でした。何度も自殺を止められて、彼の真っ直ぐな心に惹かれ、彼も私を愛してくれてました。ですが、半年前から異変が起きました。私と彼の写真が……全てあなたとの思い出になってるんです! 私はあなたを知らない!! 周りも彼の存在を知らない! これはいったい……な………ん……な……あ…… あ……た
す……けて……きゃぁ……りぃ……ぁあ…… さ」

「助けて? おい! どうし、た………え!?」

 18:07

「春日さんはひとまず収容室にお願い致します! 守衛!! 担架だ!」

――戻った

 下村が運ばれ、手錠を外され、収容室に入る刈谷。春日の婚約者に起きた突然のデジャヴュ。鈴村と刈谷二人の目の前で起きた不可解。刈谷に助けを求めていたような言葉。その最中に、女性の手は、自分の首にあてていた。何もない首回り。思い出してみれば、その苦しみ方は、まるで首を絞められているように感じるほど目を見開き、逃げ場も感じない、そして助け方も見当たらない無力感だった。

――春日の婚約者……なにが起こった? とにかく待っていれば、きっと管轄が現れるはず!

 考えても理解が及ばない現象。刈谷から見て、明らかにおかしい世界。この世界を、鈴村も感じているのか、それとも、何もなかったかのように二人で現れるのか。それでも少しずつ、自分の存在に自信を取り戻しそうな刈谷。
 収容室にいるだけで気づかされる多数の現象。それはむしろ、今までの業務の多忙さと違い、静かに時を感じ、半年間、自分にまとわりついた時差の隔たりを改めて考えることができる空間となった。
 刈谷が収容室で鈴村を待つ頃、桜は支所の裏口から建物に入り、研修室へ近づいていた。近づくにつれ聞こえる声は、つい先ほど聞いた重く響く声。
 その教室の中では専任予定の田村が、十数人の職員に熱弁を奮っていた。
 大手をふるって語る田村。その田村の右手は、幼少時代に熱湯を浴び、肘から下にかけて皮下脂肪に及ぶV度熱傷の跡が、はっきり残っていた。
 当時はショック状態で、何度も呼吸停止に陥ったが、一命を取り留め、皮膚移植も繰り返し回復していった。その後、周りから火傷の痕跡に対するいじめを受けていた。田村は、文句を言う者を暴力で黙らせ、従わせ、野心強く、自分を人より高い位置にいることを常としていた。

 目覚めたと感じた半年前。何度も死の淵から生還した幼少期。その影響からか、自殺未遂者が現れる度に感じる時間の変化。そして、この世界の違和感を感じられる決定的なものを、田村と取り巻く職員は目にしていた。
 18:09

「職員諸君! 私に続いて数人の職員は目覚めた! この不死現象を裏付ける確かな証拠だ! まだ疑う者もいるだろう……だが疑う者に尋ねたい! 不死現象を説明出来るか!! いないだろう……それは我々は! この世のカラクリに仕組まれているからだ!!」

「田村専任! カラクリとはどんなものですか?」

「ハハハ! 専任と呼ぶにはまだ早いが、間もなくだ! そして俺はそのうちチーフとなる人間! 壊れた春日さんより、俺の方が適任だろう」

「はい! 田村さんは自分の葬式の話を所長に話したりしませんので! きっと隔離されてた下村にも刈谷さん病がうつったんでしょう!!」

「ハハハハハハ!!」

 刈谷が町田に語った話題に、笑いが飛び交う研修室。町田が刈谷を緊急的に拘束した理由は、春日の葬式話が決定的だった。収容室に連行した新人職員も混ざり、重症患者となった下村の出来事も話題に上がっていた。

「そう……彼はこの世の犠牲者だ! 仕事をこなしているとはいえ、様子を見るために知らない人間の名前を俺達は発している! 刈谷さん! 刈谷さんと!! お前ら……同じようになりたいか? 全てまやかしだ! そしてこの話を俺はお前らに既に五回以上してる……だがこの言葉に嘘がない事は! さっき目覚めた者にはよくわかるだろう!」

「はい! 田村さんの言う通りでした!」

「俺も、屋上でも、駐車場でも、見えてない世界を体で理解しました!!」

 田村に向かって羨望の眼差しな職員達。
 田村が自信を持って語り続けることに耳を貸し、実践し、何かを感じた職員達。
 世間で広まる不死現象。それは記憶のない者には不可思議。記憶のある者には目覚め。
 その田村の目覚め。それは偶然だった。
 
「同じ職員ならあいつがどんなに嘘を言わない人間か、知ってるだろう……目覚めていない職員には信じがたいだろう。だが、お前達は見たはずだ!! 俺の死体を!!」

 田村の偶然。それは自分の死体。それは半年前、職員研修場として計画されていた古い館。木造三階建ての館。刈谷から言うとおころの、加藤達哉の館。
 爆発時、刈谷の言う加藤の存在を探すため、専任補佐と職員による瓦礫撤去と捜索が行われていた。広範囲に広がった瓦礫、各グループに分かれ作業をしていた。
 刈谷は階段があった下にある地下を。田村は、玄関があったとすれば、そこから一階右側部分。
 扉と本棚の下敷きになっていたであろう死体を職員は発見した。すぐにグループを仕切っていた田村に報告。仮にグループを仕切っていたのが田村でなくても、その職員は田村を呼んだという。
 顔だけ見れば、獣にでも襲われたと感じさせる惨殺死体。噛みやすい部分から無作為に狙われた部位が頭部だったのだろうか。その一見身元不明の死体には特徴があった。右手の部分。皮膚移植した跡。それは見慣れた者なら、わかる痕跡。驚いたのは、同じ痕跡を持つ田村。自分がいる。初めて訪れた現場に、自分の死体が。そしてすでに、その日から何度もデジャヴュを体験していた。
 その死体を調べたかった。隠したかった。そして、その死体を田村が仕切るグループで隠した。
 秘密裏に運ばれた死体。人口が七割も減ったモンストラス世界では、医師は貴重だった。外科、内科、精神科。さまざまな専門を一人で受け持たなければならなかった。
 田村の配属されている支所に常駐している医師『香山弥生(カヤマヤヨイ)』。田村は、自分である証明を知りたい。下手に知られれば混乱を招く。その気持ちを弥生は察し、違う人物であれば報告するという条件で調べた。
 調べた結果。DNAが一致した。
 田村は待っていた。その証拠を公表する瞬間を。増やしたかった。自分と同じ、目覚める者を。
 田村に憧れる職員の中に志願するものがいた。田村と同じ世界を見たいと思う者。
 日を改め、同意の元、眠らせられる職員。少しずつ投薬する田村。量が増えれば、死に近づく薬物。時間の経過を計る田村。その結果、一定の量で起きたデジャヴュ。投薬前に時間が戻り、再び田村は投薬する。危険な行為。知られれば、懲戒では済まない行為。何度も繰り返し、一人、田村の世界に目覚めた。それを繰り返し、目覚めた者数名。危険なところが怖くなかった。麻痺していた。怪我をした時は、すぐに自害した。怪我をする前に戻るために。
 それは、桜も刈谷も知らない事だった。

「この世界は違う! お前らの家族に違和感はないか! 我々は今世界に騙されている! 騙されるな!」

「そうだ!」

「俺は騙されねえ!」

「俺もさっき目覚めた!」

「この世界から抜け出すには自分をこの世から消す事だけだ! 何度か目を覚ました時! お前らは本当の世界で目覚める! 俺についてこい! 今は本部で不死現象会議が始まっている! 今が! その時だ!!」

 熱気高まる職員達。目覚めた者は、目を輝かせ、まだ見ぬ者は、期待に胸を膨らませる。
 職員にとって、刈谷は何かを踏み間違えた犠牲者だと。目覚めが中途半端だったため、壊れたと。資質がなかった者だと。
 様々な憶測と、世界に選ばれなかった凡人とされた刈谷。元々自殺もせずに世界を感じられた選ばれし存在となった田村。
 まるで神々しいものを支える天使の気分となった職員の期待。そんな神が、天使を従えて研修室を出ようとした時、桜が研修室に入り立ちはだかる。

「田村。あなた……なにしてるの?」

「チーフ……いや、私は……この仕事への団結力を上げようと皆を導いて」

「この支所では集団自殺に追い込むような講習過程はないわ!! あなたたち! 田村の言葉は忘れなさい! そしてここで待ちなさい! 田村! ちょっと来なさい!」

 立ち止まる職員。職員にとって神の存在が、叱咤され、たじろぐ姿。田村にとっても勢いを弱めたくない士気。田村にとって、今この瞬間は、自分を高みに上げる分岐点に感じられた。
 今から向かう先は、自分が中心となり、別の自分がいる証拠を用意できた生き証人として注目を浴びる本部の重要会議。呼ばれていない場違いより、話し出せば誰もが興味を引く事実。支所に配属できない大きな存在。チーフや所長を通り越して、本部へ配属される可能性。この瞬間に、田村の野望を防げる理由は存在しなかった。
 田村は激しく眉間にシワを寄せ、声高らかに発する。

「皆!! 現れたぞ!! 我々の心を操り! 人類の未来を妨害する! 世界の元凶のひとりが!! 拘束しろ!!」

「おお!!」

「捕まえるんだ!!」

「正体を暴け!!」

 異常な空気。目つきが変わる職員。田村を含め、目覚めた職員三人の咆哮(ほうこう)。職員に導かれた道しるべ。自分たちが正義と感じた者達に役職は意味をなさなくなった。
 桜を取り囲む神のしもべ。即座に拳銃を構える桜。無力な武器にあざ笑う神は、指を額に当てる。

「おい! 田村! どうしたいんだ! 死んだら、ただの無だぞ!」

「さっき、言いましたよね……上で。お前の言ってる事は正しいと! 話を聴くと! 今がその時です。折角だから全員を撃って下さい。目覚める者が増える事でしょう」

 デジャヴュを認識できる田村。屋上で、デジャヴュ前、桜と携帯電話で会話した内容。田村にとっては確実にあった出来事。何も出来事がない者ならば、その言葉に同調は出来ない。
 それは田村にとって、ひとつの探りでもあった。この状況で、どう反応するか。この緊張感で、どれだけ違和感のない返事ができるか。
 撃たれる覚悟がある者たち。撃たれてしまいたい者たち。死を恐れない境地にまで上り詰めたと考える集団心理。
 田村に盾つく者。田村にとって必要だと思う行動。田村が見下して良い人間は、自分たちより下の存在に感じていた。
 そして桜にとって、それは何もない出来事のはずだった。

「なんの事だ!! 屋上では何も話してない!」

「私がいつ屋上だと言いました!? どうやらあなたは目覚めていて、何か知っているようだ。次の目覚め方のご教授いただきましょうか!! チーーーフ!!!!」

――クッ!!

 言葉を失う桜。緊張感に囲まれた返事には、小さな機転を働かす事が出来なかった。そして田村の言う、目覚めの世界を共有されていると判断された。

「チーフ〜。僕から撃って下さい〜」

「チーフ。俺からお願いしますよ〜」

「チ〜フ〜。あなたは同じ人間ですか〜?」

「尻尾あるんじゃないですか〜? 服を脱いでくれなきゃわかりませんよ〜」

「き、貴様ら!!」

 重なる職員の壁には隙間がない。すでに自分の意思を持たなくなった神に従う人間は、尊敬より、礼儀より、常識より、獣である自分を、神から認めてほしかった。神に賞賛されたかった。それは善と悪の区別が存在しない、自分で作り上げた脳内麻薬。品格を感じない、はやし立てる職員の言葉は、桜にとって選択の余地はなくなっていた。
 職員の後ろで不敵な笑みを浮かべる田村。
 その田村の表情を見ながら桜は、銃口を自分の頭に付ける。

「撃たせるな! チーフを止めろ!」

 田村の声と同時に、20本以上の腕が桜に向かって伸びる。足に、腕に、腰に、胸に、肩に、顔に。職員の重なる手に田村の表情が見えなくなる前に零す言葉。

「田村……また近いうちに会うだろう」

 研修室に響く銃声と同時に、捕まれる桜の体。桜の言葉が耳に残る田村と数名の職員は苦い顔をする。自害する意味。死なない世界。零した言葉。その全ては、この世界を理解している証拠。どれくらい、この世界を理解しているのか。どれくらい、自分たちはその目で眺められていたのか。
 躊躇のなかった桜の行動に、危険を冒して自分たちの前に現れたのではないかと。田村に対して何を語るつもりだったのかと。この瞬間、田村の差し迫った目的は、本部より、桜へと向いた。

「くそ! 逃げられた!!」

 言葉を吐く田村の視界には、職員達全員が綺麗に着席した状態。何事もなかったように一同、田村に向いている。突然の憤り、突然の険しい表情。その雰囲気に驚く職員。その中でも、数名の職員は田村の言葉を待つ眼差しに溢れている。

「お前ら、俺は見えた……この世界の敵が! 水谷桜!! チーフをさらえ!! その先に我々の進む道が見える!!!!」

「おおー!!」

「俺も見たぞ!!」

「覚えてる! やはり俺は目覚めたー!!」

 困惑する者。光明が感じられた者。違いがわかる者達の歓喜。その感動に混ざりたいと考える者。この空気に異常さを感じる者。目覚めていない者にとって、何も語っていない田村による突然のクーデター宣言。理由もわからない。説明もない。何も聞いてない。田村にとって、デジャヴュ前よりも共感者を減らす結果に繋がった反面、全てを記憶に残す者には、田村の言葉に偏見も見当違いも感じない、自分たちがついていく運命を再認識する出来事となった。





 【ドッペルゲンガー】


〜愛の幻視と真実は見えない世界との境界線〜


 18:25 刈谷は時計を眺めながら鈴村を待つ。その間に時間のさかのぼりを感じた。刈谷にとって、それは自分の知らないところで、まだ頻繁に起こる自殺志願者の行動の結果かと。今まで時折感じていた微妙な時差の変化を、今は意識をしながら想像できる背景は、この世からの目覚めか、現実と思う世界への、夢心地な世界からの脱出か。
 今は、鈴村が与えてくれた希望と、今の世界を理解して、自分の名前を取り戻す可能性に期待をしていた。

――管轄が現れたのが18:40頃……もうすぐか。ん? 景色が! また共感覚か?

 暖色的な雰囲気の色。自分についてきているものなのか、何か意味があるのか。耳に聞こえるほどの気配はしなかった。けれど、自分ひとりと思えない、どこか近い場所に圧力が集まるような空気感は漂った。誰か近づいてきているのか、はっきとした足音は感じられない。けれど、隠れるのも無意味な収容室では、特に動じず、驚く出来事はこれ以上おきないとも思っていた。
 その声は、刈谷本人か確かめるような、柔らかい口調だった。

「き……恭介?」

「誰だ!?」

「恭介……逢いたかった」

「チ、チーフ!?」

 突然現れた桜。当たり前に驚愕する刈谷。ベッドに寝転がっていた刈谷は上半身を勢いよく起き上がらせ、恐る恐る鉄格子に触れながら、自分を閉じ込めたはずの桜を凝視した。その桜は、見慣れないダブルのベストスーツを身にまとい、普段の隙を見せない顔つきとは違い、目元が柔らかく微表情が変化する人間味は別人かと思わせるほどだった。よく見れば、髪色も黒ではなく、ブラウンベージュな女性らしい明るさでボブレイアーが似合うその雰囲気は、今まで様子を見ていた桜とは明らかに違いを感じられた。
 そして桜は、現状の理解がまだ弱い刈谷の両手を握り、涙ぐんだ眼差しで刈谷を見つめる。桜の全てのしぐさ、行動は、刈谷を混乱させるしかなかった。

「恭介……もう少しよ」

「ちょっ! チーフ! どうしたんですか!? 恭介って」

 手を払い、後ずさる刈谷。これもこの世界が造り上げた幻想かと。
 目の前の桜はどこか悲しそうに、そして払われた手は、簡単に手を下げず、うつむきながらゆっくり握りしめ、再び刈谷を眺めて話し出す。

「私に見付かると話がおかしくなるけれど、この世であなたの味方は私だけよ」

「私に見付かる? 私って、あんた……誰だ? どこから現れた」

「今説明は難しいわ。けれど、モンストラス世界から『singularity《シンギュラリティ》』世界に帰れれば! あなたは自我を壊されなくてすむわ!」

「シンギュラリティ世界!?」

「そう、そして自分から死ぬ真似はしないで。壊されるから」

「壊される? 誰に!」

 掴みどころのない桜の言葉。相当な情報量と、全ての出来事を知っていると想像できる内容。壊す存在。それは下村のようになることを防ぐ意味かと理解もする。
 この階層は下村がいなくなったあと、刈谷だけが収容されていた。この階層で気配が感じられるとすれば、それは刈谷に訪問する誰かだった。

――鉄格子が開く音。「管轄か? 予定より早い」

「管轄……鈴村。まずいわ! それじゃあ……無事でいてね! 愛してるわ!」

 刈谷の理解を超えた桜の慕情。心当たりのない刈谷の戸惑い。桜は立ち上がり、躊躇のない動きで拳銃を取り出す。そして静かに刈谷へ向ける。
 この収容室に入ってからの刈谷は、全てが非現実であり、刈谷だけにわからない周りの事情。自我を狂わせた下村。世界を尋ねる鈴村。苦しみ消えた謎の女性。愛を語りながら銃口を向ける桜。

「言ってる事とやってる事が違うじゃねえかぁ!」

「刈谷!!」

――この声は……チーフ!!

 走りながら刈谷と叫ぶ声。聞きなれた声質。それは目の前の桜とイメージが違う桜の声。
 その声が最後の角を曲がったかどうかの瞬間に響く銃声。
 そして支所内で起きたスローモーションは、起きなかった。

「が! ぎゃあ!! あ? そうか」――18:25……ほんの少し、戻ったか……何だったんだ? チーフが俺に愛を語る? どうなってる……シンギュラリティ世界? なんだってんだ

 桜に撃たれた刈谷は、時計を眺めていた時間にさかのぼり、この数分間の出来事を振り返る。
 その時、考える暇もなく、再び守衛室の鉄格子が開く音がする。

「来た……どちらだ?」

「刈谷!!」

――チーフ!

 再び気配を近づける、刈谷が知っている桜。張り上げた声質は、聞き慣れた雰囲気。
 そして刈谷は思う。今、時間がさかのぼったことは、きっと桜にも認識できているはずだと。
 半年前に刈谷と春日の認識が狂い、この半年間、桜を監視していたつもりが、桜に監視されていた刈谷。その日から、何度も体感してきたデジャヴュ。今朝、初めて感じたスローモーション現象。突然現れる共感覚に感じさせる色。二人の桜。ここに閉じ込める証言をした桜が、落ち着いているとは思えないほどの響く足音、何を語りに訪れたのか。刈谷は、誤魔化しのない、初めて本音を語れると身構えた。
 最後の角を曲がって気配が間もなく感じられる桜。その最初の言葉はやはり説明を求めたい一声だった。

「モンストラス世界に限界が来た! すぐ行かなくては!! そして、さっきの銃声は何?」

「限界!? え!? どこに? あの、チーフ! どこまで何を知っているんですかぁ!? さっきのチーフといい」

「さっき……来たのか? 私が」

「はぃ、別のチーフと対面しました」

「わかった……それはとりあえずいいわ! 今はシンギュラリティ世界に行くのが先決! そのためには……この世界の歯車が合わない『人間』を捜さないといけないの」

「歯車の合わない人間!?」

「明らかにこの世の違和感を知っていて、この世の『Rアール』じゃない『本当の人間』よ」

「アール! ? ちょっ! ちょっと待ってくれぇ! 俺は……この世の人間か?」
 
「違うわ……この世の人は『R』と呼ばれている。シンギュラリティの住民は人間よ! あなたはこの世の『亜流(ありゅう)』とはつじつまが合わない本物の人間」

 亜流。レプリカであり、偽物と解釈できる言葉。桜の口から出る言葉は、今まで起きていた現象、今まで起きていた不可解、それら全ての事より次元の違う内容。もしもこの世とは違う世界があるのなら、少しずつかみ合ってくる不可解の出来事。ただ、刈谷にとって、それら全てを真に受けて良い事かの区別がわからない。今まで生きてきたこの世界が、全て嘘に思わなくてはならないのか、なぜそんな世界が存在しているのか、そして必要なのか。

「じゃあ……さっき見たチーフは」

「さっきの私は、きっと人間……私はRよ。加藤達哉の館が爆発した時から、私は何度も時間が戻り、目覚め、理解した。意識が目覚めてからシンギュラリティ世界に行ったから」

「なんなんですか? シンギュラリティ世界ってとこは……え、チーフ!!」

 銃声が響く収容所。横から腕を撃たれた桜。その衝撃に、白い天井を見上げながら、刈谷の目の前で倒れこむ。

「あああ!!」

 痛みにのけ反る桜を確認したのか、階層の角より見えてくる影。数人の足音。歩きながら聞こえてくる声は、刈谷もよく知っている者。プロテクトルームで刈谷と一番競り合える有段者でもあり、派閥的な職員をいつも連れて歩く、野心と野望が歩いている存在。そのような人数が守衛室を通って、入ってきた気配を感じなかった刈谷。
 目の前で起きる桜と田村との強い因縁を感じる。

「春日さん……俺もそこんとこ気になるんですよ〜」

「田村!? お前……何してる!!」

 田村が腕を上げると、後ろに付いていた三人の職員が桜に駆け寄る。携帯している拳銃と手錠を取り出し、桜の動きを制限できるように囲む。

「くぅ……田村! 私を殺せ!」

「チーーーフ! 近いうちに会えましたね。そんな事したらまた逃がしちゃうだけでしょ〜! さぁ! 俺の話をちゃんと聴いてもらえますか〜? こ・こ・に導かれた理由も含めて! そして、シンギュラリティ世界〜? なんですか〜? その興味の絶えない世界は〜! そこが俺達の求める世界なんでしょ〜? ずるいなぁ〜……拘束しろ!!」

 研修室で桜の自殺により拘束が出来なかった田村。すでに手加減も容赦もない行動。時間を戻せるという周知の事実は、桜からの情報を入手後、桜の命を絶つことで怪我も証拠もなくなるという計算。
 職員が桜を取り押さえ、自殺を計らないように、後ろ手に手錠と、口に猿ぐつわをする。無理やり立ち上がらせ、場所を変えて尋問をたくらむ雰囲気で、入口に向かい、田村が刈谷との会話を終わられるのを聞ける歩幅で足を進める。

「春日さん。あんたも拘束したいが……あんたはあなどれない。ちょっと厄介だ。しばらく留置されててよ! 用があるときに来るからさ〜! ハハハハハ!!」

「チーフ!! てめえ田村ー! かかってこいよ!!」

「耳付いてんのかい? カ・リ・ヤ・さん! ハハハハハ! 壊れたあんたから聞いても役立たないでしょ! 撤収するぞ! ん? なんだ?」

 刈谷に向いている田村は、職員の反応のない違和感に振り返る。先ほどと違い、甘い葉巻の匂いは漂っていなかった。
 手の自由がない桜は、そこに現れた男の行動に、一人の職員へ向いた暴力の反動で倒れこみ、横になりながら行動を眺める。

「がぁ!」

「ぎゃ!!」

「おい! 職員! 誰だ〜? あんた!」

 18:41 桜を連行しようとした三人のうち、一人は壁に背中をつけ、蹴られたのであろう鼻からは血を滲ませながら倒れこみ、もう一人は、掴まれた胸倉から引き寄せられ、頭突きを食らい意識を失う。もう一人の職員は、その顔を見ただけで、面識があるのか、立ちすくみ、何も出来ない状態にあった。

「鈴村管轄!!」

「か! 管轄!?」

 鈴村に倒される二人の職員を見て、刈谷は鈴村の名前を口にする。その名前を聴いた田村は冷や汗をかき立ちすくむ。
 モンストラス世界の絶対的立場である鈴村。田村はその鈴村が主催する不死現象会議に招かれず参加し、自分の見つけた現実を発表し、脚光を浴びようとも考えていた矢先に現れた中心人物であった。
 一旦はたじろいだ田村。しかし、強味があった。全ての痕跡を残さないデジャヴュ現象。目の前に倒れている別世界への答えを握る桜。その次元を超えた興味に比べれば、一人の存在は小さく感じた。

「か、管轄〜? は! なんでこんなタイミングで……俺は騙されねえよ! 今日の全体業務は確認してる! 管轄は本部の不死現象会議の真っ只中だ!」

「あぁ……出席してるさ……俺が」

 低く、張りがないような声。それはまるで、会話の慣れが少ない者のようにも感じられる。それは先ほど刈谷が対面した時と同じ声質にも感じられず、突然の出来事に気分や憤りで調子が変わったのかと思うほどに。
 その鈴村の口元から、何か漏れるような色が流れる。それは薄黒く、こもった状態で、この場にいる目覚めたといわれる者にはその様子が目に移った。
 初めて感じる者には戸惑いが、何度か体験した者には違いが見えてくるものなのか。
 初めて感じた者は、色々な情報と混乱の中、ひとつの野心の道へ走り出した。

「は!? 馬鹿な……ん……俺は目がおかしいのか!? 色が……とりあえず、もう上下関係なんてどうでもいい! あんたも倒れときなあ!」

――共感覚

 田村にとって初めて見る共感覚的な色。刈谷にとってもまだ不可解な現象。ただ、現れる日に、平和な日はなかった。
 鈴村に襲い掛かる田村。鈴村に向かい、走りながら、躊躇なく田村は拳銃を握り発砲した。
 専任補佐が、容易に拳銃を所持できる世界。田村の倫理観とは別の解釈で拳銃の所持は自然な事だった。

 monstrous時代以降、銃刀法の規制が緩くなった世界。平穏を保ちながら、民衆は各々で職を探していた。奪い合う仕事。それぞれが希望する職業に就けるわけではなかった。仕事に就けた者が平穏でもなかった。いつ自分の仕事が奪われるか、自分を護るために武器の所持が許される世界は、自分を護るだけではなく、奪うための武器にもなった。その中で、護られる安心感がお金で得られるなら、自分の仕事に集中しながら護られるなら、そんな気持ちがLIFE YOUR SAFEの組織の需要になった。
 組織の最高責任者、鈴村和明に謀反する田村。死なない世界を利用してのことか、力量を計るためか。だが、発砲は威嚇ではなかった。急所を外した気持ちではいたが、当てる気で発砲した。そして、その弾道が外れるとは思わなかった。その動きは、まるで弾道がわかるかのような動き。鈴村はなにを見極めて避けるのか。焦る田村には狙いを定める余裕もなくなっていた。
 拳銃は狙って簡単に命中はしない代物。10mも離れれば、素人には命中も困難なもの。だが、桜に次いで射撃の名手でもあった田村。その自信が失われる獲物。発砲するほど混乱する田村。自信が削り取られる前に、拳銃は投げる武器へと変わった。
 その動きを見た刈谷。頭に浮かんだのは、刈谷が味わったスローモーション現象が起きたのではないかと思った。刈谷には今は感じられなかったその現象。ただ、その鈴村の動きに理由が見つからなかった。
 拳銃を投げながら自分の身で戦う田村。鈴村にとって、その投げた拳銃で隙を見せるほどでもなかった。繰り出す拳は空振る。そして田村は思う。勝てる気がしないと。赤い色は吐息。
 それでも鈴村は田村に対して思った。その常人を超えた運動神経に。
  
――こいつ……普通の肉体でこの反射神経……だが、今がmonstrous時代なら、通用しない

 鈴村は大きく避けながら、一撃、田村の腹部を蹴り、壁に叩き付けた。その重い一撃は田村の体の痛みより、野望に生きた心の筋肉までも貧弱とした。

「がぁ! う゛がぁ! ご、ごの化け物があ゛!!」

「刈谷!」

「え!?」

 田村の戦闘不能の様子を見て、鈴村は刈谷に向かって収容室の鍵を投げる。刈谷にとっては、やはり先ほどまでのデジャヴュ現象を含め、全ての事を把握しているのではないかと想像させる行動。口に出さなくても理解できるほど綺麗にこの場を制圧した。
 田村についていた無事な職員は一人。その短時間の出来事に硬直し、鈴村の言葉か行動を冷や汗をかきながら待つ。
 その中で一番声を掛けるのが自然だったのは刈谷だけだった。

「か、管轄!」

「お前は身元だけ自分に戻れれば問題ないのだろう? 戻してやる……そして今日からお前がこの支所のチーフだ」

 鈴村による突然の昇格。簡単に戻すと言われる身元。この全ての現象は、人為的に行われたものだったのかと感じさせる発言。
 何をどうすれば人の記憶や認識を操作できるのか。全く背景が想像できないなかでも、明らかに存在しているのではないかと思わせる名称はシンギュラリティ世界。それがこの世界で、自殺者が求めていた新天地なのか。加藤の言っていたレミングとなって死の先にある世界を信じて向かっていたのか。けれど、刈谷にとって、その世界は興味以上の魅力を感じていなかった。今の世界で満足だった。その満足の世界で刈谷が気になったのは、桜の立場だった。

「管轄、けれど……それでは水谷チーフが」

 刈谷は鍵を開錠し、桜の安否を気にする。そして桜は鈴村により猿ぐつわを外される。その雰囲気は、特に苛立ちも緊張もなく、とても落ち着いた雰囲気。腕をかすめた銃撃に多少の歪ませる表情をするが、刈谷に対しての鈴村の昇格には何も嫌悪感を見せない。そして刈谷が鈴村に対する進言に、鈴村の代わりに答えるように話す内容は、ひとつの愛情さえも感じた。

「いいの……あなたが無事であるなら。私は春日が死んだのを確認した時に芝居をした。あなたが春日であることに否定を続けると、壊されてしまう可能性を感じたから」

「水谷。余計な事はしない事だ! だがお前は賢い女だ……二度同じ事はしないだろう。お前にはこの支所の所長に任命する!! 町田は本部への転属。事実上の昇格だ。皆でここの秩序を護ってくれ。田村は職員のマインドコントロールによる職務妨害により警察に連行! その他共謀した職員は追って処分を下す! 以上だ!!」

 桜の心配した『壊される可能性』。それは刈谷に愛を語った別の桜と同じ表現。刈谷自身、全く自分が知らなかった世界の存在を認めるような言葉が自然と行き交うこの場所で、誰に語る事も出来ない実感を味わう。
 まだわからない春日の存在や、その婚約者。尋ねたいことは沢山あったが、鈴村のこれ以上ない寛容で申し分のない采配に、言葉を発する事が出来なかった。
 18:51 その静まった空間。最初に言葉を発したのは田村だった。

「はぁ……はぁ……こんな茶番……俺がリセットしてやる!! ハハハハハ!! もう失敗はしねえ! あばよ」

 田村は倒れたままの状態で右手をジャケットの内側にもぐらせる。その瞬間に慌てた表情をしたのは桜と刈谷。田村が発言した内容通り、今考えられる事はこの事態をなかった事にすること。全ての証拠はなくなり、身を隠す可能性もある。田村は小銃をジャケットの内側から取り出すと、すぐに自分の頭に突き付け、まるで命が救われる為に安堵するかのような笑顔を浮かべながら自害を選ぶ。そして引き金を引いた。

「くっ!! 田村!!」

――また戻るのかぁ!?

 桜と刈谷は発砲を防ごうと動き始めるが、一瞬の出来事に対処が間に合わない。鈴村は静かな眼差しで田村を見る。
 今日何度も響き渡った地下二階の階層。また再び時間がさかのぼったであろうと予想した刈谷。それは桜にとっても同じ主観だったかもしれない。
 気密性の高い地下で響く銃撃音。目をつむる刈谷。再びゆっくり目を開いたときに見える光景。
 刈谷が収容された部屋の前には、刈谷、桜、鈴村、そして田村。自らの頭を吹き飛ばしても、まだ笑みはなくなっていなかった。まるで田村には、新しい世界が見えているかのように。

「どういう事だ? 戻らない……管轄、これは」

「田村はこの世の歯車から外された。誰にも、田村を落ち着かせる場所が見当たらなかったんだろう……タイミングでもあるのかもな」

 はっきりとは答えない鈴村。その答えがわかるのか、わからないのか。
 そこには不死現象と呼ばれる世界となって初めての、頭から血を流した動かぬ存在を目の当たりにする。

「管轄……春日の婚約者は」

「壊されてなければ、どこかにいるだろう……大丈夫だ。もし消えたとしても、消えたのはRであり、本体は生きているはずだ」

 一見冷たさでも感じさせる鈴村。刈谷にとって、この世界が生きてきた人間の姿。消えた人間が人間と思われない倫理観の薄さは別の視線でみている景色なのか。婚約者と現れたときの印象とはまた違う雰囲気が感じられる。これが以前から町田から聞いていた鈴村の雰囲気なのかとも思った。
 刈谷にはいくつも疑問はあったが、それらをひっくるめて尋ねたい事は一つだった。

「この世界は……造られた世界なんですか?」

 刈谷のその質問は、全てを納得できる言葉だった。組織のトップである鈴村から聞く事ができれば、それは大きな説得力でもあり、納得でもあり、別の世界の『何か』であることを理解しながら生活する覚悟でもあった。

「この世界の住人である限り気にする事はない。余計な詮索は本体ごと消えるぞ。ここは戦争の頃から呼ばれ始めたモンストラス世界という地球。事の大きさで勝手に呼ばれてきたが、そのうち……いや、とにかく今の秩序を保ってくれ」

「え……はぃ! 職務は全うします!」

 それはほぼ、納得としていい答え。刈谷にとってはこの世界で満足できていた。けれど鈴村の立場的には、どこまで刈谷が別の世界への興味があるのかはわからず、場合によっては不安な材料となる。場合とはつまり、深く知る事。それは目の前で倒れている田村の運命を辿る可能性。この出来事を知る人物は、鈴村にとって役職的にも近い存在の方が良いともとらえられた。

「水谷、次するべき事はわかっているな? 後の事は任せる」

「はい、承知してます。お任せ下さい」

 鈴村は桜と目を合わせ、軽く笑みを浮かべ振り返り、その場を去る。
 倒れていた職員は別の職員に起こされ、鈴村に何度も会釈しながら走り去る。

「チーフ……いゃ、所長。ここから消える理由がないんじゃないですかぁ?」

「ふぅ……綺麗にまとめられたものね。立場も処分も目覚めた者の混乱も、全てを静めた……あれが鈴村和明……モンストラス世界の管理者として適任ね」

「はぃ……まあ、悪くないですねぇ……ん……共感覚が消えた。これって、何か意味があるんですかねぇ」

 少し間を空ける桜。隠す理由も見当たらないためか、そして全てを話すつもりなのか、簡単に話し出す。

「本体とRが同じ世界に現れる時、本来あってはならない情報が近い場所にいることで、同じ情報があるために、この世界に負荷がかかる」

 情報、負荷。それは明らかな機械的表現。
 その情報はまるで、データ入力された内容だけで人の人生の記憶を作られるような、世界と人間関係まで操作させられているかのように。
 その負荷はまるで、音をマイクとスピーカーの距離感で耳へ悲鳴のように響き起こるハウリングを感じさせる。それが視覚されるような現象が起きたのかと。
 それならば、人間と言われた刈谷自身のRはどこにいるのかと、春日はその影響で消えてしまったのかと思わせる。

「じゃあ、管轄はこの世界に2人?」

「そうね……そして、負荷が掛かり過ぎると何かを削除、又は最適化され存在の一貫性を保つ事になるのよ」

 桜の詳しい説明。同じ時期に目覚めを感じたとは思えないほどの情報量。この半年間、刈谷が知らないところで世界の秘密を抱えていたのかと思わせる。
 それだけ非現実的なことを聞けば、今の自分自身の存在を更に詳しく尋ねたいことが自然ではないだろうか。しかし刈谷は安堵していた。鈴村の言葉通りであれば、自分の身元が戻り、今までの生活に戻れることで満足していた。
 桜の言葉を聞いて刈谷は、昔話のようなオカルト的に伝えられている現象で簡単に例えた。

「昔から、ドッペルゲンガーを見るとぉ、早死にするっていう理屈な訳ねぇ」

「管轄以外で見えはじめた時には、何かある時よ。用心しなければ」

 桜が知っているなら、鈴村は知っていて当たり前にも感じる。鈴村は言った。不死現象会議に自分が出席していると。幻視ではなく、自分以外の者がはっきり存在している不思議。それがどこかで誰かの前で言葉を発し、何かを説明をしているという、その事実を見比べた者ならば混乱をする出来事。それを簡単に発言した鈴村。知られる事に恐怖はなかったのか。知られても、信じる者がいないと軽んじたことだったのか。監視カメラもあるこの収容所。簡単な改ざんでその証拠もなくなるだろう。証拠そのものであれば、先ほどまで頻繁だったデジャヴュ現象が起きれば一部の記憶だけに留まる。そして、その現象が起きなくなった田村の死。それら全てが鈴村の意思によって操作できるのであれば話は簡単にもなるであろう。
 桜の懸念。その鈴村以外で現れる自己像幻視。それが現れた時、それはどんな脅威が起こる前触れなのだろうか。

「ありましたよねぇ、共感覚見えた事。あの館で。そしてぇ、これで平穏なんですよね。今まで通り、自分の世界でいられるんですよね」

「そうね……そして、さよならよ刈谷」

 後ろを向いている刈谷の襟をつかみ、拳銃を後頭部に突き付けた桜。避けられない距離。桜の眼光は見開き、口元は片方だけ吊り上っている。それは目的を達成した表情。その狙いは何か。その先には何が待っているのか。この世界だけでは語りきれない凶行は、別の世界の同じ時間に明かされる真実。この世界のあらすじは、血が舞い散る空間で終わる。

「やっと……殺せた。始まるわ、私の新天地」





 【singularity シンギュラリティ】


別の世界


始まりの世界


その世界の100年前


Singularityと呼ばれる時代が始まった


人類が飽和した世界


100年前と比較して


およそ三倍に


都市部の環境は制御された


人工知能が生まれた特異点


<Press any questions>


<何か質問して下さい>


通称 ANY(エニー)


人類がANYに委ねた分岐点


だが、ANYに命令される環境は避けた


ANYからは質問しない


人間からの質問だけANYは答える


そこだけを守れば、不安はなかった


人間の、造りたいものだけ


創る方法を尋ねた


繁栄する消費動向


豊かな暮らし


安心が生まれた


景気の安定に


安心が生まれた


子供達を護る組織もある


世界を護る組織でもある


増え続ける人類には


新しい都市が必要になる


質問されたANYが考えた


新天地


モンストラス世界


singularity時代が始まって以来


未来に期待を込めて


地球を


シンギュラリティ世界と呼ばれるようになった





 【新天地】


〜レミングの求める世界は居場所のない残酷な現実〜


 8:12 LIFE YOUR SAFE 支所。 日差しの強い春。空を見上げれば雲の動きは早い。だが外にある造花の桜はとくに風になびいている気配は感じられない。草木はどことなく鮮やかすぎる光沢に、湿気も乾燥も極端に感じることのない空気感。
 支所の玄関からエントランスに入ると、壁には海をイメージした青から白、そして太陽を想像させる空模様を360度に表現した爽やかな空間。深呼吸をすると、アロマコロジー(芳香心理学)を考えさせるペパーミントな香りが漂う。
 朝の出勤時、それは恒例のような光景。周りを気にとめない高い声が笑い声と共に響き渡っていた。

「ねえ桜! 恭介さん、専任に昇格らしいわよー。やったわね!」

「そうみたいね! やっと私に追いついた! えらいえらい!」

「いぃなぁ〜桜。同じ職場! 同じ役職で相思相愛〜。理想的な夫婦じゃない!」

「『咲サキ』の彼もすぐよ! 専任補佐の春日だった? 何か管轄直属の計画に選ばれたみたいだし、優しそうな人だったじゃない!」

 エントランスに合う、青のストライプベストに白いシャツを着た受付係の咲。長い髪を後頭部で結い、カチューシャで額に掛からなく乱れない髪型に爽やかな笑顔。
 その笑顔に負けないほどの明るさで応える桜。ストレッチスラックスに、頑丈なダブルのベストスーツを身にまといブラウンベージュな明るさでボブレイアーは女性らしさを表現しており、一見して普段から笑顔の止まない生活がすごせていると感じさせる。
 専任の桜は親友である受付係の咲と雑談を続ける。

「ん〜、優しいんだけどね……真っ直ぐで……優しいだけと言うか〜。なんか刺激が足りないかも〜」

「ふぅ〜! また贅沢な事言って! いいじゃない! 優しい人は器が広いのよ!」

「ん〜。ねえ、ところでモンストラス世界! 私のR元気してるかな〜。バグってそう!」

「有り得るわね。咲は普段からバグってるからね〜!」

「酷〜い!!」

 モンストラス世界。それは雑談の中、度々でてくる世間話。自分達の亜流(レプリカ)が生きる世界は、仮想で生きる別の自分の存在を語るようなものであった。その詳細を知れる場所はLIFE YOUR SAFE本部。シンギュラリティ世界より選ばれたR。人選はANYにより市民の環境、病状、職業データを元に選び、LIFE YOUR SAFEの職員は必須とし、モンストラス世界を安定させていた。

「あ、整列して! 下村所長が来たわ」

 玄関から出勤してくる下村。支所ごとに独身用と既婚者用のテラスハウスが敷地内に完備されていた。
 その為ほとんどの者は仕事着で出勤してきていたが、潔癖な性格と人生のメリハリを区別していると噂されていた下村は、短い出勤時間でもスーツを着用し、体に合わせたそのスーツはいつ見ても隙がなく、袖から1cmにこだわったインナーシャツとネクタイをベルトに合わせた長さ、肩の余りも1cm、横から見れば無駄な膨らみも感じない仕立て。髪型も耳に掛からない七三分けを今まで乱した事も見たことないほど固めていた。
 そんな下村は既婚者用テラスハウスに引っ越して4年目。愛娘の話をされる時だけは固い顔が緩くなり、口数も多かった。

「おはようございます!」

「おはようございます!」

「おはよう……ああ、桜」

「はい!」

「昨日、お客様から解約された。半年は護衛義務がある。説明してこい」

「はい! 了解致しました! えと、お客様のお名前は」

「加藤達哉だ」

 加藤達哉。モンストラス世界で生まれ育った者。元々本体がない完全R。それはシンギュラリティ世界でも有名な話。仮想的、実験的に創られたと言われているモンストラス世界から、この世界へRが現れる事態が起きた。
 本人に自覚もなく、原因も定かではなく、推測されるのはバグ。機械の理屈でつじつまが合わない事態が起きたと考え、欠陥、不具合などのバグとされていた。
 問題だったのは、それは意思を持った相手であること。誰かのRである可能性もあり、会話もできる。消去すれば倫理的な問題、道徳的な問題があった。そして人類が現れるということは、モンストラス世界で誕生した生物も現れる可能性もあった。モンストラス世界という名前の由来は、突然変異のモンスターが現れたと言われていた。原因は一般には不明、それにより戦争まで起きたという事実。
 その危険性も考え、未確認のRが再びこの世界に侵入した時に備え、周波数をRに合わせたEMPを定期的に放出し、電子的な存在であるRを消去するようにした。ただし一旦この世界の人類と普通に会話を交わしたRは、モンストラス世界の生まれでもシンギュラリティ世界で市民権を与えるという条件をつけて。
 クローンベースにRデータをインストールし、生身の肉体を持った加藤。平均寿命が92歳であるシンギュラリティ世界において、加藤達哉の寿命の長さは研究対象ともされていた。

「確か年齢は128歳……なぜ今更、解約なんて。それに担当は田村チーフだったはずでは」

「昨日から連絡がとれない。あいつらしくない。解約の理由も確認してこい」

「はい! すぐに向かいます!」

 田村。所長に次ぐチーフ。専任である桜の上司。入社してから最短でチーフとなった野心家。平和なシンギュラリティ世界では役職にこだわらなくても平穏に生活ができていた。
 どのような職業でも需要があり、市民には自由に職業を選べ、有意義に暮らせるまでに人口密度が飽和していた。その環境の中で高みを目指す者を妨害する者は少なかった。
 行動の早い田村。特に意識していたのは本部への転属だった。基本的には年功序列的に所長が本部へ異動するが、本部にも同様に職員とそれを仕切るチーフがいた。それは世界を守る本部のANYがそれぞれの支所から人選した。本部ではANYの情報が広まらないためにも秘密主義が徹底されていた。
 候補を狙う田村が重要人物とされる加藤の情報を知らない訳がないと思われたが、通常業務である解約と半年間の保護義務は大抵専任か補佐の仕事でもあった。

「あと、刈谷も連れていけ。その後は最低半年間、刈谷を専任に付かせろ」

「はい! 了解致しました!」

 下村は桜に用件を伝え、その場を去る。よぎる思考は加藤への対応。加藤が発見されたのは10年前だった。突然現れ、人の目に触れ、保護をしたLIFE YOUR SAFEにより、当時から技術は完成していたクローンの肉体。倫理的観点から実際には眠らされていた技術。突然だった加藤の出現。その技術に異論を唱えるものはいなかった。
 受精卵からつくるのではなく、すでに標準的な肉体をかたどり、数値化される記憶はデータとしてインストールし、イメージとして残る記憶、主に脳、必要ならその他の臓器をクローンに移植し、DNAや体内機能、記憶全てが体になじんだ時に埋め込まれた機械を取り出し、晴れて人間として生活ができるようになっていた。
 時折、様々な研究の為、以前の記憶や体調の管理もあり、モンストラス世界を管理する本部にて生活の援助金が毎月支給され、市民と同じ権利と責任で生活できた。当時すでに120歳になろう加藤は都市部での暮らしを拒否、以前と同じ家での暮らしを希望し、モンストラス世界での住居をコピーした複製をモンストラス世界と同じ場所。森林生い茂るその場所でひっそりと暮らしていた。

 電子的な存在のコピー複製。それは正確な表現ではないのかもしれない。
 モンストラス世界で作られたものは、データの産物。そのものをそのままシンギュラリティ世界に複製できるわけではない。そのデータを解析し、そのデータ通りの建築物を真似て作れる建造技術があった。どのような大きさでも削り、溶かし、かたどれる特殊硬化プラスティック。見た目は木材でも、中身はプラスティック。それでも、雰囲気や質感は、ほぼ違和感なく作り上げることができた。
 桜はそんな様々な加藤に関わる背景を想像する最中、咲による無邪気な横槍に思考は止まった。

「桜〜! 夫婦で現場って……ドキドキするんじゃない?」

「殴るわよ?」

「イタ〜! もう殴ってるじゃない! きっと桜のRは狂暴ね!」

 咲には展開がわかる桜へのちょっかい。そのたわむれはいつからか二人にとって気の合う寸劇のようにも見え、大抵の者はその姿を見ると、心配より微笑ましい光景でもあった。そんな期待に応えた桜の耳に響いて入る特定の音。その音に気付いた桜の表情は咲から見て羨ましくも感じる笑みだった。
 支所の建築物は簡易的な特殊プラスティックではなく、機械と人手と時間を掛けて作られていた。エントランスに限り使用された天然石の床。固いものが床と接触するような足音が響く。それはどのくらいの距離にいるか瞬時にわかる事と同時に、誰の足音かもわかる独特の音でもあった。

「桜!」

「恭介〜!」

 振り向いたかと思えば飛びつくように刈谷に抱き着く桜。桜の笑顔につられて笑う刈谷。
 その細身な体に桜と同じ制服を着込み、髪型は横を後ろに流したクールリーゼントが似合う。プロテクトルームで汗をかいたのだろうか、熱気は抱きついている桜にはいつもよりわかりやすいオーデコロンシャンプーの心地良い香りが漂い、湿っている髪は外から室内に入る朝の日差しによって細かく白く光っていた。片方の口角が上がった癖に感じる笑みは桜の好きな表情である。
 世間の中流家庭は主に特殊プラスティックで安価に住居が造られる事が多い。その際に緊急時、顧客が閉じ込められたドアへ蹴りをいれる踏み込みや、足元が危険な地点に踏み入れる時に鉛を仕込んだ靴は何度か役に立っていた。重量があるため刈谷だけが好んで履いている。
 抱き合う二人を見て咲はいつもの引きつりと溜息をついた。

「ちょっと〜二人とも……ここ職場〜!」

「聞いて恭介! 咲ったら酷いの! 私達が仮面夫婦だとか! きっと恭介は家でDVしてるとか!」

 大袈裟な話で刈谷に反応を振る桜。その話も半分だけ真に受けたように苦笑いしながら咲に話しかける刈谷。それは毎度の事のように冗談を言い合えるほどの平和な日常である。

「咲ちゃん。相変わらず酷いねぇ。妬いてるんでしょ」

「あ〜ムカつく! さっさと行って来たら〜? 二人でイチャつきながら! 現場に!」

「二人でぇ?」

「所長があなたと行けって! 半年保護期間の専任として」

 人口増加に伴い、職員の数も比例して増えていた。通例であればローテーション(回転)的に顧客の管理を任されていたが、下村の判断で頻繁に仕事を与えられていた刈谷。プロテクトルームでも各種格闘技で有段者であった刈谷は人望も厚く、田村のように取り巻きを増やさない性格は面倒も少なく職務を与えやすかった。そして担当している顧客の解約時に連絡が取れない田村よりも即断しやすいものであった。

「なんでまた残り半年に所長は俺を使うかね〜。退屈凌ぎかぁ?」

「愚痴らないの! 変な犯罪も起きなくて、平和なシンギュラリティ世界の監視員! 給料泥棒は駄目駄目〜!」

「人が多過ぎる中で俺を選んでるからねぇ。まぁ、仕事がANYに奪われないように働かないとなぁ」

 100年程前。地球は人口増加による温暖化への対策に悩まされていた。その当時、話題にあがっていた『singularity《シンギュラリティ》』(特異点)。進化が止まらないコンピューター社会。どこかの段階でコンピューターが人間の想像力を追い抜くという考え方。その瞬間の事を特異点と呼んだ。
 人を一人でも救うという観点から創られたLIFE YOUR SAFEは、極秘に本部にて開発研究していた。本部のエンジニア(工学技術者)によって作り出された人工知能ANY。ANY自ら想像させたこの世界は、その当時の温暖化への悩みを設計、構築して問題を解消してしまった。
 その功績と権利が世界の中心となったLIFE YOUR SAFE。地球と呼ばれていた世界は進化したコンピューターの特異点と、作り出した成果と称賛され、人間の想像力を抜いたこの世界をシンギュラリティ世界と呼ぶほどに名前が定着されていた。ただ、その安心感は人間の住みやすい世界に拍車をかけるように人口増加が進んだ。
 ANYがなんとか解決してくれるだろうと。

「そうそう! 働かざるもの食うべからず!」

「うわ〜桜! 死語通り越して古代語使いだぁ〜! Rはきっと『おひけぇなすって』とか言って……ギャッ!」

「殴るわよ?」

「殴ってから言わないで〜!」

「お二人さんも仲いいねぇ〜」

「二人揃うと桜が咲いてるみたいでしょ!」

「ハハハ!! いい語呂だねぇ」

 髪をかき上げてポージングをする桜と咲。笑顔の絶えない毎日。
 ANYに頼り、不安を解消させてきた人類、それは特定の者の判断を攻めたてない社会であり、理想であり、人間の感情一つで変更されない制度への安心感である。ただ、ANYが主導となって指示を人間に与えるような関係は、万が一の恐怖もあり、加藤がこの世界に現れた原因不明の事態への懸念もあり、人間側からANYに各種質問をする一問一答の関係でバランスを保った。その質問は、この世界を守る本部の管轄にのみ権限があった。
 笑いながら腕時計を確認する刈谷。そのしぐさは行動を開始する前触れ。
 今まで桜と上下関係の立場であったが、同じ役職になった刈谷。桜の部下であった刈谷だったが、刈谷から行動の合図をすることはよくあり、桜と刈谷に限っては特に今まで上下関係を感じさせない仕事仲間でもあった。

「8:25……桜! 昼までに終わらそうかぁ」

「ふぅ、そうね!」

 刈谷と桜。結婚してからちょうど2年の共に24歳。桜がLIFE YOUR SAFEに入社した3年前、刈谷との出会いがあった。
 桜が入社したての研修時、市外にある住宅地の工場の事務所に閉じ込められる現象が起きた。
 当時職員の桜は、チーフであった下村に連れられて解約する顧客対応の研修の為、二人で顧客の職場を訪問していた。
 普段頻繁に支所からチーフの下村に連絡があるのだが、その日、下村は携帯電話を社用車に忘れていた。そのため支所から桜の携帯電話に連絡があり、携帯電話を借りた下村は一旦社用車に向かい工場から離れた。
 中断した契約解除の最中、雑談で会話をつないでいた桜。突然きしみ始める工場。のちの話では建物が太陽光により溶けだした原因とされたが、旧式の特殊プラスティックの老朽が原因だったと見られた予想外の事態だった。瞬く間に窓を塞がれ、室内のドアは変形し、開閉不能。時間があれば問題のない事態と思ったが、屋根部分の重さに耐えられなく工場の事務所を押しつぶし始めた。
 100m程離れた車内で、事態に気づかず電話をしている下村。いや、下村も何かに気付いた。周辺の住宅、同じ材質の住宅が崩れ始めていた。目の前の異変に車から降り、叫ぶ声に反応して目の前の救助に回っていた。
 その住宅地一帯は、ほとんどが同じ材質の建物。住民は騒ぎ始め、桜の閉じ込められた工場を特に気に留める人々はいなかった。
 車のパーツ工場。一旦取り壊し、新しい工場に立て直すため、従業員も一旦引き払い、LIFE YOUR SAFEとの契約も解除する最中のアクシデント。桜は携帯を下村に渡しており、工場長も携帯電話は事務所の外にある洋服掛けに入れたままであった。
 重量のある屋根が沈み、押しつぶされる危険性。閉じ込められた二人は狭くなる事務所の空間の恐怖と戦っていた。桜と工場長はお互いの姿が見えないほどの緊迫。
 傾いた事務机から何かが転がってきた。桜が目にしたもの、それはハンドマイクだった。工場長に尋ねると、工場内の受信機に声を送り指示を出すワイヤレス携帯型送信機マイク。受信を聞く従業員はいない。桜は独り言のようにマイクに向かって叫び続けた。『閉じ込められた!! 助けて!!』と。工場の細かい特徴も話しながら、繰り返し、繰り返し、送信するだけで、反応を聞けない虚無感。
 無駄だと弱音を吐く工場長。圧迫されていく空間。声を出す気力も無くなった桜。
 その時、ドアを何度も蹴る音。何度も、何度も、ドアの向こうで呼びかける声。助けを求める桜。簡単に突き破れない特殊プラスティック。諦めそうだった。けれど、その声は桜を励ました。『諦めるな!! 必ず助ける!!』と。
 その男は学生だった。普段、講義を受ける中、溢れるほどの生徒の数の多さに教授の声が聞こえない。マイクを握る教授の声がスピーカーから出ているが、生徒の雑談の声にかき消されていた。その声を拾うために用意していた広帯域受信機(こうたいいきじゅしんき)を携帯して教授の声を聴いていた。
 胸のポケットに入れ、帰宅していた時、受信機より偶然周波数に触れた桜の声がうっすら聴こえた。耳を澄まし、声の方向を探り、内容が聞き取れた瞬間、閉じ込められた工場に走った。
 地区優勝した空手の特待生としてスポーツ大学に入学していた男。力強い声と突き破るドアの音に、桜は心を救われた。そして次第にドアから光が漏れた。次第に破られるドアから見えた笑顔に桜は救われた。刈谷の笑顔に。
 桜を救った刈谷。桜は閉じ込められた工場長を同じように励まし、瓦礫を刈谷と持ち上げ救い出した。その桜の姿に、人を守るLIFE YOUR SAFEに刈谷は生きがいを感じた。刈谷は1年経った卒業後、それは偶然だった。桜と同じ支所に入社した刈谷。その偶然の出会いに、二人は自然と笑みが出た。その引力に。
 自然とお互いの意気は合った。そして突然、桜から、結婚を申し込んだ。刈谷が快諾してから間もなく2年となる。

「多分加藤達哉の館の前で着陸出来るわ」

「出来なきゃ困るねぇ」

 市外の未開拓地である加藤の自宅を衛星地図で確認した桜。加藤の自宅は三階建ての古めかしい館。プリントアウトしたその画像は館の後ろ側からの写真だが、玄関正面に広めの空間があるように感じられた。玄関前以外には、館より離れた後方に、開拓途中で中断したと思われる盆地か、芝生が目立つ丘に着陸できる広さを感じられたが、そこから歩くまで距離も大変に感じられた。
 桜と刈谷は社用のヘリコプターに乗り込む。敷地内のヘリポートより離陸するヘリコプター。入社して研修が終了した職員は様々な資格を取得させられる。その一つにヘリコプター免許の取得もあり、費用と時間が必要なその技術は専任になる頃までには全ての役職者が取得していた。
 無風な空気感であった支所の周りに激しい風の流れができる。そして高度に気をつけながら上昇し始めた。

「しかし……やっぱANYの発想と技術は凄いねぇ」

「そうね。人間はここまで大胆に踏み込めない」

 その光景は、明らかに大気を分離した空間。紫外線、赤外線を必要な量だけ透過する、厚みが目に障らない程の透明なコーティング強化ガラス。都市部を中心に世界はドームで覆われている。数えきれないガラスをつなぎ合わせた切断面は強固な強度で分離を防いでいた。その強度を利用して、ドームの内側には外から降り注いだ雷雨を指定場所に逃がす人工雷雨機能に、事故車や救急にも活用できる運搬モノレール。ドーム内は自然の天候に左右されず、太陽光によってガラスに紫外線の強さを知らせる文字が浮き出たり、時期に合わせてライトアップや四季を彩られた風景も映し出されている。
 市外は一部しかまだ及ばない建造物ではあるが、都市部の環境汚染への非難や懸念は無かった。

「空には風がないのね」

「海沿いにいれば上昇気流で感じられる訳だしぃ……ほら! あの崖とか気持ち良さそうだよ」

「あそこは廃車格納地区じゃない! ムードないんだから!」

 8:59 ドームのほぼ市外との境界線。海側は船や低空飛行が可能な飛行機の侵入できるガラスの開放地点が所々あった。海側の運搬モノレールより、フロントを下にした古い型の車体が巨大なフックにより一台から四台まで同時に次々運ばれてきていた。空から廃車を崖の付近に目掛け、車は真っ直ぐ墜ちていく。

「あれ」

「どうしたの? 恭介」

「いや……車が一瞬消えたような気が」

「よそ見しないで! もうすぐ雷雨地点よ!」

「はいはい! すいません! はは……ああいう崖は昔の映画では自殺の名所によく使われたらしいやぁ!」

「ムードキラーさん! もお喋らないで! ふぅ!」

 癖のように息をつく桜。あまりに一瞬のことで桜に尋ねたかった刈谷。けれどその時、3年前の出来事を回想しながら操縦をしている刈谷の表情を眺めていた桜は、思いつきのような言葉に耳を傾けず、気分に合わない内容にふくれっ面をする。そのむくれた顔を見た刈谷は飛行操縦中に感じた錯覚に見えた現象の事は気に留めず、話を変えて会話を続けた。

「でも……この世界がモンストラス世界とリンクしてるんだよなぁ……神はANYなんだねぇ」

「それを造った人間は神の神?」

「ハハハ! 解釈次第だ! 俺は平和ならそれでいいゃ!」

「そうね!」

 刈谷は人工雷雨が上方に装備された地点は避け、ドームの壁である、海中にまで広がっている楕円形に加工され開放している境界をくぐり、市外へ飛び出した。
 ドームの境界線近くは居住禁止区域とされており、飛行するヘリコプターと平行にある海岸線は、津波を想定した造林と道路が続いていた。市外に出て感じるのは照り付ける日差し。ドーム内に比べて赤外線と紫外線の強い市外は豊かな暮らしと反比例するように心配も増していた。いずれ世の中全てがドームに包まれる事になるかと。そして、ドームに包まれなければ、暮らせない世界になるのかと。けれど人々は、今が平和に暮らせていることの満足に、その問題を考えてくれる、自分たち以上の考えが出来るANYに、大多数は危機感を感じなくなっていた。争いもなく、仕事にも就けられれば、人間にとって平穏と呼ばれていた。
 桜も平穏を感じていた。そして思っていた。今日再び二人で戻ってきたら、結婚記念日をすることを。
 桜は、刈谷の存在を感じられる時は、心を保っていられた。





 【アントロポファジー】


〜社会的行為でないカニバリズムは苦悩のノスタルジア〜


 9:16

「おいおい……桜、これ無理だよ」

「ごめん……微妙に着陸が難しいわね。画像にはあの鉄柵が見えなかったわ」

 加藤の館にヘリコプターで到着する二人。館の後方から写された衛星画像では着陸できると感じられた正面玄関。着陸するにはヘリコプターの最低限なスペースで縦横20m。建物や森林を考えると縦横40mは欲しい空間であった。しかし実際到着してみると、予想外に設置されていた玄関の鉄柵。館を囲む森林によって建物の左右後方が確認できていなかった。そして車も一台駐車してあったため、着陸は出来なくもないが、余裕が少なくも感じる広さに無理をする着陸は出来なかった。

「悪い、俺先に降りて話まとめてくるから、ヘリコプターをどこかに着陸お願いしていい?」

「わかったわ。気をつけて降りてね」

「一人で大丈夫?」

「うん……少しだから」

 桜の目を見て何かを心配する刈谷。操縦を桜に代わり、ヘリコプターから安全具を付けたロープで降下する。ロープが自動にヘリコプターへ戻るのを確認すると、桜は移動を開始する。

――古い建物の型だなぁ……よく復元したものだ 。

 建物はシンギュラリティ世界では珍しい木造の建築。ただし、これはモンストラス世界のデータをこの世界で見た目だけ復元した特殊プラスティック。広さも感じられる建物に、それまでモンストラス世界で生きた加藤達哉の歴史を想像する。

「LIFE YOUR SAFE です!! ご在宅でしょうか!?」

 相手の年齢を考えて、声を張り上げながらドアをノックする。ふと振り返ると、玄関前に駐車してある車には『LYS』とロゴが塗装されていた。先に来ている職員がいる。それはつまり加藤の担当が先に来ていたのではないかと刈谷は考えた。担当は田村であったが、チーフである田村が顧客の解約に直接訪問することは少なく、大抵専任か補佐が事務処理をしていたので、刈谷にとってはやはり下村の思いつきで動かされたと思い、頭をもやもやさせられる気分となった。
 すでにいるのであれば入館することに躊躇はいらないと思いドアノブに触れる。

「失礼します!!」

 玄関のドアをゆっくり開ける刈谷。気配を感じずにいられないその空間に立ち込める甘い匂い。真ん中にある広めの階段を中心にいくつか部屋のドアが見える。玄関のドアを開けたまま、刈谷は一階を見渡すと、右側の部屋に一つだけドアが開いているのに気づく。誰かいればと思いながら近付き声を掛ける。

「すいませーん!! 加藤さーん! え……誰? は!?」 

 北向きの窓が半分開いているが朝陽は届かず、電気もついていない薄暗い空間で目に入った異質な物体。右半身が下に倒れているそれは死体であることを意識するより『何故』という言葉が浮かぶ。一見して顔の判別が出来ないほど荒らされた頭部。腰に収められた拳銃を抜き取る余裕もなく襲われたと感じられる。

――ここで……喰われたのか?

 ANYが存在し始めてから、公的機関は民間の仕事へと移り変わってきた。民間企業となることで行動の早さと処理能力が増した。LIFE YOUR SAFEは人口増加の抑制力としても役職者以上から拳銃の携帯が許され、それだけ責任も増し、公的機関と責任の重い契約も交わし、半官半民な立場で務めている。
 自然と拳銃を構え始める刈谷。その無作法な残骸は、野生の存在を警戒するのに十分であった。

――どこだ……そしてこの残骸の服は……俺達の制服。誰だ……先に来た奴は。

 深く調べたい。しかし今振り返るだけでも油断が出来ない状況を感じ、五感を集中させた。視覚には被害者と倉庫に使われていたような部屋。臭覚に感じる甘い匂いは嗜好的な匂いで煙草を連想させる。煙草か葉巻を吸った者の犯行なのか。それともこの職員が顧客宅で口にしたのか。口の中は緊張で乾いていた。聴覚には窓の外から聞こえる自然の音。風で森林は鳴いている。

――いつから開いていたドアだ?

 触れようとした部屋のドアノブを見るとホコリが多めに付着している。滅多に開けられないドアとも考えられる。指紋など採取する可能性や臭いで再び死体を荒らされないためにもドアを体で閉める刈谷。

――まずは応援を呼ぶか。

 ドアを閉めて振り向く刈谷。
 人は何か得体の知れないものを見ると動けなくなる。まさに刈谷は硬直した。それは見たものから想像させる情報量のせいなのか。動くことが自分の危険に繋がる気がするのか。理解するまでの判断は対象によって様々なのかもしれない。声がでない者もいるだろうが、刈谷はかろうじて口が動いた。

「加藤……さん?」

 一瞬硬直した刈谷はすぐに拳銃を向け威嚇する。人か獣か、人格が判断出来るまで。
 名前を呼んでいてその判断に悩むのは刈谷自身不思議な気持ちだった。玄関から入った時には感じなかった気配。開けたままの玄関から入ってきたのか、死体を発見して振り向くまでの数秒で気配なく近づく気分は全身の毛が逆立つ気分であった。
 何を掴むために構えた力強い両手の指なのか。口のまわりに散らかった朱い痕跡は、まだ塗り足りないのか。刈谷自身、会話を求められる可能性は少なく感じた。

「がぁぁあぁ……はぁぁあぁ」

「動くな! そのまま……動かないでくれ!! あんた、言葉……わかるか?」

 そこには高齢過ぎる歳であることを忘れてしまいそうなたたずまい。聞いていた年齢は128歳であったが、見た目は70歳くらいに見える。これがクローンの肉体でこの世に生まれ変わった影響なのかと想像させる。動きやすい藍染作務衣(あいぞめさむえ)を着用して身構える加藤達哉の姿。体中の血は深い藍染色をさらに濃くした上半身に更に容赦のない行動を想像させる。言葉にならないうめき声は、何かを求め、何かに飢えた様子。

「何があったんだょ……あれはあんたの仕業か?

「ぐぅ……があぁ……ぐがあぁぁぁぁ!!!!」

「おい!!」

 襲ってくる加藤に対し反射神経で避ける刈谷。転回しながらもすぐに立ち直るため、受け身を床につき起き上がる。すぐに振り向き、加藤の様子を見ると、刈谷のいた場所で立ち止まる加藤はまだ刈谷に背を向けた状態で、閉めたドアの前に向かい合っている。少しずつ、少しずつ、胴体を動かさず、刈谷の逃げた方向に首を動かし、首の軌道を助けるように体もねじり、視界に刈谷が入った瞬間、再び殺気だつ雄叫びを上げながら今にも襲い掛かりそうな様子をあらわにする。

「止まれ!! 撃つぞ!!」

「があぁぁぁぁああ!!」

――じょ! 冗談じゃねぇ!「悪く思うな!!」

 狙いを定める刈谷。しかし、その軌道から逃げるように加藤の体が揺れ始める。肩を狙えば加藤の上体は低くなり、銃口が向く前に一番狙いづらい角度に体が逃げていく。足を狙っても同じだった。理解が出来ない動き。理性を感じない相手に獣以上の無意識な反射神経を感じる反応。
 迷う間に襲われそうな予感。自信の無くなる生還。あの死体も同じ気分を味わったのかと。いや、拳銃を抜く暇もなく襲われたのだと。この一瞬の迷いに沢山の処理できない情報が頭を駆け巡る。しかし時間は変わるものではない。誰にでも平等であり、早くも遅くも感じることがあっても、変わらないものである。

――何故銃口を読まれる!?

「加藤の左側を撃て!!」

 突然聴こえる男の声。刈谷は確認する前に発砲する。刈谷の耳に入ったのは自分の放った銃撃音の他に火薬を使われていない発射音が聞こえた。

「があぁぁああ!! がああ!!」

 左側に発砲した銃弾に反応した加藤。右側に避けたが、挟まれるように同時に右側に発砲された薬弾は加藤の左腕に当たる。しかし加藤の動きは止まらず、低くかがみながら、刈谷に声を上げた男に向かって走り出す。左腕を刈谷に向けて走り出す加藤の腕には細い注射器に羽がついたような代物。一見して麻酔弾にも感じるものであったが、効き目がないのか、注射器の銃弾を抜き取る事も考えない。その思考を感じない動物的行動に刈谷は再び拳銃を構え、加藤の背中に銃口を合わせる。

「撃つな!! 薬の効果を待て!!」

 葉巻をくわえた男。その男に襲いかかる加藤。男は加藤の掴もうとする力強い指を目をつむらず冷静に見定め、ボクシングの防御方法なのか、上体を後ろに逃がし加藤の攻撃は当らない。
 くわえた葉巻が加藤の指に引っかかり、火の粉を一瞬散らしながら階段の一段目の角に落ちる。
 なるべく距離を空ける男。飛び掛かろうとされたりしても、組み付かれない角度に体を常に置き、次第に加藤の動きが悪くなることに薬の効果を感じる。そして加藤が膝をついた。

「ぐぅ……があぁ」

 薬の効果が表れたのか、加藤は腕を上げることもできなくなり、その場に倒れこむ。その男は脈を確認し、加藤の表情を確認する。その表情は先ほどまでの形相と違い、意識は感じられるが声が出せない様子。一旦その場であお向けに寝かせ、次の行動を何か始めるのか、辺りを見回す。
 その男は黒いオールバックな頭髪で刈谷より20センチは高そうな長身、スーツは黒めに赤く滲んだ光沢ある高級感。職員に見えないが、目的を感じるその手慣れた姿。胸から葉巻を取り出し火を着け、一息し始める。そして刈谷は素朴に尋ねる。

「あ、あなたは……誰ですか?」

 刈谷に振り返る男。特に威圧的でもなく、気まずさも感じない。むしろ堂々とした雰囲気で刈谷を真っ直ぐ目を合わせながら口から葉巻を離し、煙を向けない方向に吐き出し、名乗り始める。

「管轄をしている鈴村和明だ」

「管轄!? お疲れ様です!! 支所専任の刈谷恭介です!!」

 刈谷は体を真っ直ぐ背筋を伸ばし頭を下げる。
 組織をまとめる鈴村と対面することは職員にとって通常ほとんどなかった。メディアに出る事すらなかった鈴村との突然の対面に、加藤の重要性を感じさせる。この世界で唯一ANYを動かせる人間。その重要度はここに一人で危険を冒してまで何かをすることの違和感も刈谷にとって払拭できないほどであった。

「加藤は筋弛緩剤でしばらく動けない。少し、俺も来るのが遅れた。部下を失ってしまった」

「管轄、加藤はいったい……それと! あの死体は」

「来る予定だった者の名前は補佐の春日雄二。加藤の担当補佐だったはずだ。刈谷恭介だったか? 聞き覚えがあるな」

「あ、おそらく、最近ANYの判断した詳細不明の人選に、自分が候補に入っていましたが、断りましたので」

 刈谷にあった最近の出来事。本部からの通知があった。本部で何かの計画を起こすとき、その人選をANYに尋ねることが通例であった。職員の環境や性格、役職、総合的な面を計算してその計画にあう人物を何人かリストにし、上位から職員に通知をしていた。
 積極性を重視していたので、断ることもできた。しかし、ほとんどの場合、断る者はいなかった。それは本部への昇進を約束されたようなものであり、その通知を心待ちにする者も少なくなかった。しかし刈谷は何番目の候補かは不明であったがそれを断っていた。桜との今の生活に満足していた刈谷は今以上に上を目指す理由がなかった。その後、候補だった春日に決定したと下村から聞いていた。

「珍しい奴だな。今が満足か」

「そう……ですね。あの、加藤は何者ですか」

「モンストラス世界の由来は知ってるか?」

「えっと、突然変異とか……聞いたことありますが」

 鈴村が話すモンストラス世界は一般的に公表されている内容。
 加藤の故郷でもある世界。それは突然変異のモンスターが現れたことからと言われていた。モンストラス世界が創られたのは、つい『15年前』。おおやけに言われている創られた理由は、『仮想的な世界で人間の進化を計る』という理由であった。全てがANYによって創られたものであり、全てがデータの産物。その中で自分たちシンギュラリティ世界で生きる人類の亜流を置くことによって、どのような未来が見えてくるかというシミュレーションをしているという内容。
 レプリカやコピーである亜流(ありゅう)という言葉は造語となり、R(アール)と呼ばれるようになった。そして、『仮想的な地球』を通常の数万倍の速さで進化させた中で、オゾン層が出来上がり、人が生きられる環境に造り上げたところで時間を緩め、最初は一般人から選出したRを出現させ、その後職員のRを造り上げた。進化の過程を見ていたが、原因不明の能力が発現され、その能力によって戦争が起きたとされていた。

「加藤の生きていた時代、人間では通常考えられない能力を身につけ感染させ、『monstrous時代』と名がつくキッカケの戦争が起きた。彼らの能力は『フェム』と呼ばれていたらしい。それが加藤にも備わっていた訳だ」

「そ、それが人喰いになるんですか?」

「深くはその能力を手にした者にしかわからんが、その進化した状態で人間界に現れてしまった結果だ。そんな異質な力をシンギュラリティ世界に持ち込む訳にはいかない」

「進化……ですか? どうして今頃になってそんな能力があるとわかったんでしょうか」

「加藤自ら、本部に連絡してきた」

 通常であれば顧客と鈴村との直接の連絡はできない事が通例であった。しかし鈴村にとって最重要人物であった加藤。
 加藤がこの世に現れた事は、その時22歳の鈴村にとって興奮の冷めやらない可能性を感じた。『仮想的な地球』は鈴村がまだ17歳だった時に創造した。先代である父親が急病により亡くなり、当時16歳の鈴村に管轄を任せるには若すぎると言われていた。しかしこの世界を一番に考えた思想と想像力と統率力は、先代以上に『未来』を感じられた。鈴村がANYに初めて尋ねた質問は『地球をつくりたい』。
 この世界でわかっている宇宙の誕生。宇宙は元々『無』であった。無とは何もない無ではなく、膨大な、無と呼びたくなるほど小さすぎる、小さすぎるエネルギーが揺らいでいた。そのエネルギーが時間という概念もない別の次元で、そして時間という解釈があるのなら、それは計る単位も見当たらないほどの空間の中で、時折揺らいだエネルギーが触れ合い、結合して『有』となり、用を成さなければ、分解されて『無』となった。
 一瞬、条件が満たされた。限りなく有りえないと考えられるほど、可能性の低い結合。その条件の瞬間にプランク(宇宙誕生の瞬間)からビッグバン。今の宇宙ができたとされている。その宇宙は膨張し続け、いずれ収縮し、宇宙はなくなり、またプランクが起こり、繰り返す。その一時期に生物が生きられる星が存在する。
 宇宙を創るという考え方もあった。今の宇宙を『親宇宙』とするならば、人工的な『子宇宙』として。しかし、それでは『惑星を管理』できなかった。
 そして、『宇宙を創ること』に比べれば、『惑星を創ること』の方が簡単だった。
 光速加速器を用い、円形の筒の中で、必要な粒子を人工的にぶつけさせ、『ビッグバンを創ること』より、重力のある世界で人工的に遠心力を利用した『無重力空間を創ること』の方が簡単だった。
 その考え方から創られたもの。それは『ブラックホール』だった。
 ブラックホール。それは光ですら吸い込む存在。太陽より膨大な大きすぎるエネルギーを持つ存在が寿命を迎える時、ブラックホールはつくられる。星をつくる材料を集める自然現象。一番の問題だったのが、重力をつくることだった。重力の解明、それは出来なかった。なぜなら、重力には質量のない自然現象だったから。
 ブラックホールの引力を利用して、『人工的に重力という自然現象を創った』。不安定な引力を利用した惑星。生物が住めない惑星。その引力の安定を眺めるためのデータが必要だった。
 データであるRを用いることによって、モンストラス世界は一般的に仮想的な地球とされていたが、実際には『存在する惑星』である。それは鈴村が青年期に創造した世界であり、本物の惑星である。
 データであるRの記憶は全てANYによって操作されていた。惑星の年齢が一年進んでも、Rの記憶や出来事を1000年進める事もできた。
 惑星は大気を形成する必要な成分を常に与えられ、人類が過ごせる地球が出来上がった。それは環境破壊がされていない星、満たされた空気。その世界で、モンスターが生まれた。

「解約の連絡が本部に届き、俺が直接理由を尋ねた。そして加藤は言った。『モンストラス世界の能力を保有したままでいる』と」

「能力を保有……ですか」

 鈴村はモンスターの原因を調べたかった。本当に突然変異なのか、造り上げた惑星に問題があるのか。何かの細菌から感染したのか。そのヒントがモンストラス世界からシンギュラリティ世界に現れた。しかし、その男、加藤達哉は口を閉ざしていた。何も知らないと、自分はひっそりと暮らしていたと。
 モンスターが現れてから、造り上げた地球をモンストラス世界と呼び、それまで世界を早送りするように眺めていた速度を、今まで数万倍の速度で見てきた世界を10倍程度で様子をみるようになった。つまり、モンストラス世界の100年は、シンギュラリティ世界では10年だった。

「加藤は証拠を見せると言った。昨日下村に連絡し、春日を8時半までに来させるように、今日の解約手続き前に話を聞きにきた」

 加藤からの証拠の提示、それはどのようなものかわからなかった。物体なのか、その能力を保有した姿なのか。当たり前に警戒した鈴村。どのような姿でいようと、最低限自分の身を護る武器。それが小型注射器に入れた筋弛緩剤だった。筋肉の動きを弱める薬。野生の猛獣などに使われる麻酔薬。小型の麻酔銃を胸に忍ばせた。
 鈴村は8時すぎに到着していた。それは春日と待ち合うための時間。だが、その前にひとつ問題があった。ANYにより選ばれた春日雄二。元々加藤の専任補佐をしていた職員でもあり、解約時間より早めに訪れる予定であったが、朝になっても連絡がとれなくなった。担当をしていたチーフの田村と共に。
 通常業務として加藤のそばで警護しているという考えが妥当でもあったので、鈴村は加藤の館の敷地より少し離れた車道で社用車を停め、葉巻をくわえながら館に近づいた。するとすでに職員の車が敷地内に駐車してあった。通常の解約手続きであれば、早くても9時から10時の慣行があったため、早すぎる到着に、おそらく春日が先に到着しているものだと判断しやすかった。
 刈谷は使用しなかった玄関に付いたノッカー。鈴村は簡単に二回叩き、すぐに扉を開けた。中央の階段まで近づき、すぐに異変には気付いた。右側のドアが開いた部屋で倒れている者。そして上階に何かが駆け上がる気配。その足音は階段に靴が接触するような高い音ではなく、柔らかい足音。それは裸足であると感じさせる。異様な人間味のない気配。すでに鈴村の存在はわかっているはず。それならばと、鈴村は特に気配を消さず存在感をあらわにして階段を上り始めた。麻酔銃を握りしめ。
 応援は呼ばなかった。これは鈴村にとっても極秘な任務であった。それは惑星を創った鈴村の新しい試み。『このシンギュラリティ世界より、モンストラス世界へリンクする物体転送だった』。これは17歳の頃、鈴村が描いていた夢であり、容易にこの世界で広まってはならないこと。加藤がシンギュラリティ世界に現れた現象は、逆も可能だと考えられた。職員でもそのような噂は広まっていたが、実際に存在を理解しているのは所長や一部のチーフレベルまでだった。
 単身で鈴村は予想のつかない相手との接触はリスクの高いものであった。上階に駆け上がる足音、それは誰なのか。加藤の基礎年齢や、クローンとしての肉体年齢を考えても、普通では考えにくい俊敏な気配。どのような現れ方をするかもわからない相手。しかし、鈴村には『その者』が加藤であるという確信があった。
 この10年、現在32歳の鈴村が眺めていたモンストラス世界。その世界はANY以外、鈴村と惑星全体のプログラムを管理している『エンジニア』によって見守られていた。その世界の100年の前半は、もしもシンギュラリティ世界で起こっていたのであれば、一言でいえば、地獄絵図。シンギュラリティ世界に存在しない概念の様相。それはまさにファンタジーな世界だった。     
 空想の世界を作り出してしまったものかと感じた鈴村。モンストラス世界が『ただの創られた世界』であれば、消してしまえばいいだけの話に思えた。しかし、鈴村にとって、モンストラス世界は『存在する惑星』。その世界の住民である加藤がこの世界へ踏み入れてしまった責任。地獄絵図をシンギュラリティ世界で再現する可能性。鈴村には、惑星を創った責任があり、感じていた。そして、今日という日が来ることを、エンジニアと極秘に研究を行いながら待っていた。
 踏みしめるように階段をのぼる。気配は、段数や音が消えた位置を想像すると三階まで上がったと考えた。それでも油断をしないように、見えてくる二階に意識を集中し、どの角度からきても対応できるように力を抜きながら身構え、二階まで上がった。
 加藤と掛け声を上げていいものか、全く違う生き物であった場合、危険性が高まるか。加藤であると確信があっても声を出せない鈴村。それだけ上階に上がる気配は異様だと想像できた。
 それならば想像に足りることだろう。きっとここにいるのは、モンストラス世界の生き物であると。シンギュラリティ世界より、神のように眺めてきたモンストラス世界の地獄絵図。その一端がここにいると。
 鈴村の約一時間以内を一部振り返ると、必要に迫られた任務を刈谷に尋ねる。

「加藤に今後の監視を付けるため、ANYの人選でお前よりあとに選ばれた補佐がいち早くこの館に確認にきたようだが、残念な結果だ。刈谷、春日のあとを引き継がないか?」

「それは……すいません。妻のそばにいてあげたいんです」

 桜のそば、それには理由があった。
 初めて刈谷と桜が出会った工場の事故以降、桜は時折、動悸や呼吸困難、手足のしびれや痙攣が突然起きるようになった。狭い空間で押しつぶされる恐怖、現れる見込みのない助けへの叫び、刈谷によって発見されるまでに、桜はその恐怖を心に刷り込んでいた。
 それからの桜は、可能性のある場所、似たような空間、狭い空気感と感じた瞬間、自分では抑えきれない症状に振り回されるようになった。周りに悟られてはいけない。職務不能の扱いはされたくない。そう思った桜はプロテクトルームを必要以上に行うようになった。
 プロテクトルームで主に行っていたプログラム。銃撃戦。それは初めて味わった恐怖の出来事から、自分を追い込むことにより、恐怖に打ち勝つという荒療治。桜にはそれしか思いつかなかった。それを眺めていた刈谷。そして刈谷のそばにいるときには、桜の症状が現れることがほとんどなかった。刈谷は桜より一年遅く入所した経験を埋めるように、桜のそばにいられるように、役職を近づかせ、刈谷自身が所内で自由が利くように、仕事に励んだ。それが一番、桜のそばにいられると強く思っていた。
 
「本部にくれば、もっと家族を護れる存在になれるぞ?」

「地位や名誉じゃあ……そばにいる事とは違うと思ってますので」

 鈴村から目を離して話していた刈谷は、言い切る直前、鈴村の反応をうかがうように、真っ直ぐ目を合わし、それは懇願するようでもあり、信念とも感じられる決意。言葉で押し切れる様子にも見えない。そう判断したであろう鈴村は、それ以上の問答をしようとはしなかった。

「そうか、わかった。半隔離にするため、この地下に加藤の部屋の物を全部移せ。点滴で栄養を与えれば無意識に暴れたりはしない」

「わかりましたぁ!! すいません……部屋はどこですか?」

「三階だ。あえて自分が簡単に降りられない為に、人を近付けない為に加藤がとった手段だろう」

「わかりました!! 急ぎます!!」

 管轄である鈴村に、願いを聞き入れられた喜びと、物分かりの良い上官への安堵感から、刈谷は声に張りを戻し、活力的に三階に上がり、ベッドを手早く分解して運んだり、二層式冷蔵庫をかついで降ろしたり、重労働ではあったが、ものの20分程度で地下に加藤の部屋を完成させていく。時折、中々館に現れない桜のことを考えながら、心配と愚痴をこぼしていた。

――ハァ! ハァ! 桜は! 大丈夫かな……ハァ! どこまで着陸させに行ったんだ!?  ハァ!

 鈴村は加藤の血をきれいに拭い、かついで地下に運ぶ。作務衣を着せ替え、刈谷が運んできた機材を用い、体に心電図、点滴など的確に処置をする。そして刈谷の作業が間もなく終わると考えられる時間を計るように、その後建物から出て、外観を眺めながら携帯電話で連絡をしている。

「ハァ! ハァ! 管轄! 終わりました!」

「そうか……すぐ向かう。加藤の様子を今一度確認して来てくれ」

「はい!」

 携帯電話のマイクを簡単に押さえながら刈谷に指示を与える鈴村。刈谷が館に入ることを確認しながら、ひと言「実行する」とつぶやき、会話を終わらせる。
 鈴村が携帯電話で会話を終わらせて、ゆっくりと館の玄関に近づき、ふと、足を止めて三階の窓を眺める。窓からカーテンが風に触れて、時折揺ら揺らと生地が外にはみ出す。それを見る鈴村は、まるで何かを思い出しているように。

 刈谷が館に現れる少し前、加藤と思われる三階の気配を追って二階から三階へ。
 一階のらせん階段中央から真上を見上げれば三階の天井に確認できる古びたシャンデリア。一階からでも、黒ずみ、欠けている部分があることが確認できる。今は二階から三階の踊り場。目の前で確認できることは、揺れていること。
 どこの窓が開いているのか、それは三階の開いたドアからの風であろう。ならば三階の一つしかない部屋の中の窓が開いているのであろうと想像できる。
 鈴村は突然三階に向かって走り出した。それは時間に猶予を持てないと判断した刹那。もしも、加藤が三階より逃げていたら。最悪、三階より自害を図ったら。そのような要素を感じさせるシャンデリアの揺れは、鈴村を走らせた。麻酔銃を握り、少し手前に開いたドアを足で強引に開きながら部屋の中に向かって麻酔銃を構えた。
 鈴村が見たもの。そこには、加藤が主に生活空間として使用していたと思われる設備された空間である。簡素ではあるが、電動式に上半身が起き上がるリクライニングベッド、壁に並んだ本棚の書籍をゆっくりと眺められそうなロッキングチェア、二層冷蔵庫、そして高齢であるがゆえ、心電図と点滴スタンドが配置されていた。そこには加藤の姿がない。ベッドの横から眺められる窓は、想像通り窓が開いており、カーテンの生地が外に引っ張られていた。やはり外に飛び出したかと窓に近づこうとした鈴村。
 カーテンの向きが変わり、生地が揺らいで、外の景色が見えると思った。しかし、その揺らぎの先に見えたのは加藤。震えているのか、痙攣なのか、何かを振り絞っているのか。だが、口から下に広がる血と思わせる残酷な様相と、意識はしっかり感じられる、鈴村を静かに見る目は様相とのギャップを感じた。その姿を見て、鈴村は確信した。これがモンストラス世界の住人である証拠だということを。そして加藤は言った。「これ が……フェム の 力 だ」と。そしてもうひと言、「今の わし には、空 に浮か ぶ 程度しか できん」と。その時、刈谷と桜が同乗する、ヘリコプターの音が響き始めた。音の方向にゆっくり振り向く加藤の隙を狙い、鈴村は麻酔銃を放った。
 カーテンの生地が邪魔でもなかった。風が邪魔でもなかった。まるで、カーテンのように、風に吹かれたかのように。加藤の体が薬弾から揺らりと逃げた。
 まるで背中にある目、いや、目で見ても避けられる距離ではない。不可解な能力は、更なるモンストラス世界を匂わす証拠のひとつであった。そして加藤は、そんな鈴村の行動がわかっていたかのように、慌てず、驚かず、背中越しに漏らした言葉は「もう……自分の 意識で は 限界 だ。わし に、栄養 と 希望 を」と。その言葉と共に、浮かんだモンストラス世界の住人はゆっくりと地面に近づき、館の周りの森林に消えていった。
 
 それまでの展開を想像していた鈴村のたたずまいであったのか、三階の窓を眺めていた鈴村は目線を下げ、館の玄関ドアに触れた。
 先に入館した刈谷。地下に降りるにつれ、加藤の心電図の音が一定であることがわかり、安心して加藤の顔を覗き込む。

「もう大丈夫だろ? 加藤さ……あ」

 加藤は目を見開き刈谷を凝視する。いつから意識がなかったのか、少なからず記憶があるのか、それは刈谷も加藤も意識の探り合いであったであろう沈黙は、加藤からの言葉で安堵となった。

「君 か……さっきは すまん かった」

「加藤さん、落ち着いたみたいだねぇ」

「この 能力は 危険だ。モンス ト ラス世界に 戻ら ねば ならん」

「まぁ……事態も理解してるみたいだし、でもねぇ……ま、とりあえず、この空間に電話がないみたいだからぁ……俺の社用の携帯電話置いておくよぉ! 地下でも大丈夫! 水ヤガスのように埋め込み式の短波が張り巡らしてるからぁ、しかも他の電子機器に影響しない! 半年は保護義務あるからねぇ」

 そのように言いながら、刈谷は加藤の着用している作務衣(さむえ)の腰あたりにある小さいポケットに、刈谷は携帯電話を差し込んだ。その時の加藤の目線は、そのような刈谷の行動に目もくれず、視線は刈谷より後ろにある。

「早く わし は死なな ければ」

 刈谷から見れば、多少の自暴自棄により、うつろな目線にしか感じなかったのかもしれない。むしろ刈谷から見れば、元気づける言葉を掛けるべきか、皮肉めいた言葉を掛けるべきかと、すでに高齢という先入観からも考えて自分らしい言葉であっさりと言葉を返した。

「まぁ……俺もどんな危険な能力かは見たから気持ちはわかるけど……言っちゃ悪いけどぉ、この先どれだけ長生き出来るかって、そんな先じゃないと思うけどねぇ」

「能力者 は 自分 の 良い運命に 導く……限界まで 生きるんじゃ カニバ リズム(人喰い)をして でも」

「良くわかんないけどょ、あの……はっ!!!! あぁ……誰……があ!」

 微動だにしない加藤の目線の先には鈴村の姿。その姿はまだ刈谷には見えていない。振り返る余力のある刈谷。それは鈴村にとってもわかっていた。すぐに振りかぶった麻酔銃。刈谷の一瞬のうめき声は、意識の飛ぶ瞬間でもあった。

「加藤達哉……願いを叶えてやる」





 【シュレーディンガーの猫】


〜生50%死50%な確率の重複〜


 9:58 突然後ろから麻酔銃で撃たれ、振り向こうとして殴られる。刈谷が倒れた後ろには、鈴村が殴った麻酔銃を握り立っている。

「わし の願い は 能力 の 根絶だ」

「それはモンストラス世界で解決してくれ。少なくとも、この世界にいなけれ……」

「恭介〜……」

 鈴村が言葉を言い切る前に、館の玄関を開ける音と、地下室まで聴こえる高い声。刈谷と別れて40分程経過した今、桜が館に到着し、刈谷を呼ぶ声。鈴村の目の前で倒れている刈谷。この場を桜に見られれば、複雑で面倒な会話になると考えた鈴村はすぐに地下から出る。
 階段の裏側より気配を感じる桜は、音がする方に向かってゆっくり近づく。一見はなにも争った形跡すら感じない一階の様子。感じるものは、微妙な甘い香り。ふと桜の目に触れたものは、階段の一段目に落ちていた葉巻。使用したとわかる先端のコゲにはいつ消えたかもわからない無煙な様子。匂いの原因かと想像もしたが、目についただけで、特に拾うほどのことにも見えないため、気配のある階段の裏側を確認しようとした時、鈴村が静かに現れた。

「水谷桜、だな」

 初めて鈴村と会う桜。堂々とした眼差しに近づきすぎない距離感は、桜を必要以上に警戒させるものではなかった。

「あの……あなたは」

「管轄の鈴村だ」

「あ! はい! いえ! お疲れ様です!!」

「あぁ……今深い説明は出来ないが、噂程度には聞いたこともあるだろうが、実験的に、この建物をモンストラス世界にリンクさせる」

 噂程度、それは鈴村にもわかっていた。本部で大きな計画があると、本部の誰かが支所の役職者に、面白半分か、雑談のひとつか、大袈裟に伝えたりする者がいる。特に最近は、計画のひとつとして刈谷をはじめとする候補者を選んでいた。その候補者は、きっとモンストラス世界へのリンクと関わりがあると噂されていた。鈴村が言葉に付け加えていた『実験的』。それは多少の噂を抑えるための言葉である。すでに鈴村からすれば、『実験』ではなく、『慣行』と呼べるほど、慣れた技術のひとつであった。完成された技術と思われるより、未完であり、実験を繰り返していると思われるほうが動きやすく、都合がよかった。それは、高度な技術を奪ったり、盗んだりする者が現れないための懸念(けねん)からでもあった。その技術の漏えいを防ぐセキュリティに、現在疑問があったためである。

「あ! そうなんですか!? わかりました……あの……専任の……刈谷は」

「さっき俺の車で支所に帰った……この件は終わった。お前ももう帰って大丈夫だ」

「え!? そうなんですか!? そんなぁ」

「俺はリンク完了を見届けてシンギュラリティ世界に戻る。町田にはそう伝えておいてくれ」

「わかりました!! お疲れ様です!! 失礼します!!」

 桜は正しく一礼すると鈴村の前から去る。桜自身、その技術は咲との会話で噂には聞いていた。けれども難しいシステムや技術には興味が薄く、目の前の業務と自分の心との葛藤、刈谷との生活、それが全てを満たしていた。

――変よ……恭介が何も言わずに帰るなんて……携帯。

 桜は刈谷の携帯電話に掛けるため操作する。顔を上げれば、深い森林がまだ残っている地域。しかし、現在は都市部を中心にドームを拡張しようと世界は動いている。まだ覆われていない館の周辺でも、ドームの骨組みとなる路線は運搬用に所どころ貼り巡らされていた。その路線が館の周辺で稼働している機械的な音がする。路線を走る滑車の音。運搬滑車が視界から遠ざかり、別の目的であろう見慣れないいくつもの細い筒が装備された物体が集まってきた。リンク(連結)するソース(根源)であるのは加藤の館。いくつものドームの路線からリンクソース(連結源)に集まり、空から無線ファイバーのレーザーを建物に浴びさせている。四方からの放射は合わさり、館を線で囲みかたどり、範囲を決めているように微調整をしている。

――マズイ! 早く去らなきゃ!

 その刹那。刈谷に掛けた携帯の着信音が聴こえる。正確には、刈谷を含め、職員のもつ社用の携帯電話は単純な電子音であった。しかしそれは、あまりにもタイミングが良すぎた。桜は音の出どころを確認するかのように、館の前で自分を中心に振り向き、傾け、繊細な動きをするアンテナのように左の耳と右の耳から聴こえる違いを吟味(ぎんみ)した。やはり、何度耳で探っても、聴こえてくる方向は館の方向。奥行が薄くない建物を想像しても、館の中であるという疑いしかもてなかった。

「恭介! 中!? でも、違ったら……でも……あの窓!」

 桜は一階の部屋の窓が少し開いた所に走り、飛び込むように部屋に入る。更に聴こえてくる電子音に、館の中である確信がもてた。握っていた携帯電話を自ら切ると、ほぼ同時に音は止んだ。その音に神経を集中させていた矢先、次の自覚できる感覚は、倉庫ともいえるこの部屋の色を黒くよどませそうなほどに感じる臭覚をつく臭いだった。

「この臭い……え!!!? これは!?」

 建物は光に包まれリンクソースは細い筒状に分散されジャンプするように吸収される。館が消えた形跡には多少の特殊プラスティックの素材が故意に残されており、別のリンクソースからリンクしてきた情報が、その建物の形跡の上に、芝や草のリンクソースデータにより加工され、館があった痕跡を消す。
 この出来事は一瞬なのか、それとも長いデータ情報としてどこかに流れているのか、少なくとも、桜は館が分散されジャンプした気配は感じなかった。すでにシンギュラリティ世界には加藤達哉の館は存在しない。そのことよりも、桜は目の前に横たわる者に青ざめる想いで座り込んだ。

――これは……え!? 誰の死骸!? 制服……恭介!? い、いや……嫌よ!!

 横たわる死体。力なく泣き出してしまいそうな桜は、それでも死体から目を離せず、死体を刈谷ではないかと思い込みそうな気分でもあったが、死体を眺めるうちに、刈谷が普段横たわる姿と比べ、明らかに見慣れない体格に少しの希望と冷静さを取り戻す。そして、腰を上げ、恐る恐る死体に近づく桜。死体の確認を行いたいが、頭部が酷い状態の為、別の部位を確認する。
 
――違う……恭介が履く靴下のガラじゃない……身長……体格「違うわ……はぁぁ……喜んじゃいけないけど、良かったあ〜」

 刈谷でなかった事での安心感から、先ほどとは別の意味で身体の力が抜けそうになるが、刈谷の消息を確かめる為にドアに近付く。

「管轄はどこに……あ!!」――気配が!

 音に気をつけてゆっくりドアを開き、辺りを見回す。目には止まらないが、誰かが階段を一歩一歩、木の階段を軋(きし)ませながら、重く登る気配がある。軋み。それは桜にとって不思議な音であった。なぜなら、桜の生きてきた世界。それはほとんどの建物が特殊プラスティック。木が軋むという、もろく、不安と頼りなさを合わせた音は、桜にとって新鮮であり、桜自身こころが軋む想いになりそうであった。ここはどんな歴史ある館であり、自分のいた世界なのだろうかと。
 音を理解した桜は足元に気を付けながら少しずつ階段に近づき、一階から三階をのぞきこむように見上げるが、シャンデリアが見えることと、気配のみで人影は確認できなかった。ふと、階段の裏側に視線をうつした。それは桜が最初に館に入館した際、気配を感じた場所。想像の範囲であった階段の裏側には、地下室への広い引き戸が開いている。

――あの下には何が。

 足音を消し、地下に近付く桜。そしてゆっくり階段を降りていく。一定した機械音。漏れてくる光。その雰囲気と控える人物を桜は認識する。想像していたよりも若く見えるその姿と、自宅だからこそくつろげるその落ち着いた雰囲気に、尋ねる名前は自然なものであった。

「あなたは……加藤達哉?」

 ベッドではなく、ロッキングチェアに座っている加藤はゆっくりとうなずく。

「君 は……彼 の同僚か な」

「彼!? 刈谷恭介という男の事ですか!?」

「あぁ……君は つい て 来たの か」

「はい……あの……刈谷は……無事ですか?」

「どう だろう。彼は……この世界の つじつま合わせ に される かも な」

「つじつま!? 誰? 鈴村管轄によって?」

「彼はもう 彼では ない……かも しれない。この世のRと された よう だ」

「何をされたの!?」

「鈴村は言った。 この モンストラス世界は モンスターの 世界。モンスターの 能力に より 星が進化して しまった それは 『新天地』とす る『この星』の 脅威。これ 以上 モンス トラス世界 に 死者は 出さないと」

「この星? 新天地?」

 この星。桜にとって、この星とは、やはりもうシンギュラリティ世界ではないのかと。そうだとすれば、新天地とはモンストラス世界を意味しているものかと。そして死者を出さないという意味はどれだけ深読みをして聞いてみればよいのかと。そんなことを考えさせられながらも、今、一番気になるのは刈谷の行方であった。

「だがな 人が 死なない と いう世界 は きっと 無理が 出る……その違和感が生じた時 人は レミング と なるだろ う 皮肉にも シンギュラリティ世界を 新天地 と 想像し……」

「先の事はどうでもいいわ! 今は! 恭介の居所を! さっき……階段を上がった? 行かなきゃ!」

 不思議な世界観であり、空想めいた加藤との話より刈谷の安否が気になる桜は、独り言を大きく発するように加藤に背中を向け気持ちを言い切り、地下室の階段を登り、さらに一階から軋む階段を駆け登る。

「はぁ! はぁ! どこ!? 三階?」

 二階を見渡し気配を感じない事ですぐに三階に走る。そして入館したときから少なからず感じた甘い葉巻の匂いを、今は強く感じる。二階から三階のあいだにある踊り場を振り返れば、その答えはわかるように。

「あ……管轄……恭……いや刈谷はどこですか!?」

 そこには桜を待っていたように、階段に座る鈴村がいる。想像通りの匂いの元は、鈴村がくわえる葉巻。それは一階の階段の一段目に転がっていた葉巻と酷似した。

「水谷……来ていたのはすぐわかっていた。景色が変わっていたからな」

「え? もう一度お尋ね致します! 刈谷は……」

 景色。不思議な表現をする鈴村。それは何かの比喩なのか。それとも、まだ見ていない窓からみる景色が違うものなのか。その意味を尋ねる間もつくらないほど、今は刈谷の消息が気になる桜でもある。その桜の様子をみれば、刈谷のいう、そばにいたい妻というのは、目の前にいる水谷桜であろうと察しはついた。

「このドアの向こうだ」

 礼もなく、鈴村の横を走り、願い、期待し、ドアノブを握る桜。

「だが!! 中に居るのは……はたして刈谷かな」

「どういう事ですか?」

「刈谷のRはこのモンストラス世界に既にいる。お前のRもだ。春日も……これがどれだけおかしな世界かわかるか?」

 鈴村の問いにドアを開く事を躊躇(ちゅうちょ)し、聞き耳を立て、問いに答える。

「春日? 私はここに存在してます! 管轄も! なら刈谷も!」

「まあ、一時的には問題ない……ただし春日の本体は既に骸(むくろ)だ」

「あれは! 春日の死骸!?」

「Rがあり、その本体がない。ならシンギュラリティ世界のANYはどう判断する?」

 LIFE YOUR SAFEに入社し、ANYの存在は知れども、自分がANYに関係することなど想像もしていなかった桜。桜からみれば、ANYは優秀な人工知能。その程度であり、その議論に近いことに関わることも興味も薄かった。初めての質問であり、その相手がANYに一番近い存在である鈴村。いったん冷静になった桜は、答えざるを得なかった。

「Rを消すか……本体を……つくる?」

 鈴村にとっては、『わからない』と言われる期待であった。しかし、桜の考えた答えは、桜の想像力と洞察力が期待以上に備わっている能力があると思える答えだった。鈴村は普段から、難しい話は、難しい話を聞ける能力のある者にしか話さない。話す相手が理解できないと思えそうな内容は、ただの自己満足でしかないとも思っていた。それでも、これからドアを開ける桜への覚悟と理解を吹き込みたく、ひとつのたとえを話し始める。

「『シュレーディンガーの猫』の状態だな」

「なんですか? それは」

「簡単に言えば、実験を考え出した学者の名前だ。その実験名は皮肉的に学者同士で使われる」

 鈴村は桜との温度差を気にせず、その場が無限な時間の様な面持ちで、ゆっくりと話し出す。

「二人の学者がいた。ある危険な物質がある。それは、時間が経つと、青酸カリと同様の物質へと変化する。一匹の猫と、中が見えない箱がある。その物質と……猫。両方を箱に入れて、一時間経過させる。青酸カリへと変化すれば猫は死ぬ。変化しなければ生きている。物質変化の確率は一時間以内に50%。話を置き換えるなら、物質はシンギュラリティ世界からモンストラス世界への変化。物質変化の確率はANYの判断。青酸カリはお前にとって悪い結果。猫は刈谷。箱は……その部屋だ」

 桜が真面目な面持ちで、それほどの時間もかけずに問いに答える。

「その結果は、開かなければわからない!」

「ああ……一人の学者はお前と同じように、そう言った。そしてもう一人の学者は違う言葉を言った。箱が開くまでは、『50%は生きているが、50%は死んでいる』……と……おかしな話しだ。人間なら前者を思う。開けなきゃわからない。だがANYの考えは……後者だ」

「どういう意味? 私は人間! この部屋のドアを開いてから判断する!」

 力強く握るドアノブ。ノブを回し、箱の中の猫を確認する。

「恭介!! はあぁぁぁぁぁ!! イヤァーー!!」

 ドアを開き凝視する。その箱を開いた結果に両手で頭を抱え膝をつく。
 鈴村が比喩(ひゆ)した刈谷という猫は、春日の姿で眠っていた。





 【FACTOR】


〜悪意に満ちた要因が放つ凄惨と慕情〜


10:18 興奮する桜は階段を少し下ると、座っている鈴村を起き上がらせる勢いで襟首をつかみ、問い詰める。役職や立場を気にするほどの余裕はない。ただ、ただ、今までの生活から遠ざかる現実が、誰かに、何かの答えを聞かざるを得なかった。その理由を答えられる人間は、シンギュラリティ世界とモンストラス世界を合わせてみても、鈴村をおいて他にいなかった。

「か、管轄……きょ……恭介は……恭介はどこよ!!」

「そいつが刈谷だ。ANYにとって、この形の方が都合が良かったようだな」

「嘘よ!! こんな……馬鹿げた話。どうして……どうして連れて来たの!!」

「刈谷には任務を与えた。それはこの星、モンストラス世界が、永続出来るかどうかの重責だ」

「それを!! 恭介は知ってるの!?」

「知ってしまっては意味がない。約束しよう。刈谷が半年間我々の管理下に置いて、こちらの必要な情報が手に入った時、刈谷にシンギュラリティ世界への帰還を尋ねた後……彼の記憶を蘇らせ、元の環境に戻そう」

「記憶がない恭介が、拒否をしたら?」

「様子を見た後……強制的に記憶を蘇らせる。後は刈谷の判断だ」

 鈴村の決断は揺らぐことのない意思を感じる。それは善と悪という区別したものでなく、「必要」と考えられた決断。その決断は鈴村自身の為ではなく、シンギュラリティ世界、またはモンストラス世界の星全体を考えたことであろうと、興奮する桜にも読み取れる。掴んだ襟首を持ち上げる力は弱くなり、過ぎたことの釈明を求めることよりも、春日の姿となった刈谷をどのように今までと同じ環境に戻せるかを考えるようになった。桜自身、何かに納得したのか、シワのよりそうになる鈴村の襟から手を離す。

「ふぅ……どちらにしても私の選択権はない訳ね」

 桜は目を座らせ、普段見せる影が消える。
乱れた襟を直すこともなく桜を眺める鈴村は強引に進めた管轄としての事情を踏まえながらも、何か別の事情でおきる支障を避けることも考えなければならない。それは機械的な事情とは別の、人間として。それは鈴村の理想ではないのかもしれない。しかし多少のリスクを考えてでも、ひとりの人間の納得を得られること。その情状を理解することも管轄という立場には必要であった。

「心配なら……ある事をすればお前のRに、お前の今の状態のRを入れてやろう……護るのは、水谷、お前だ」

「ある事? いえ、先に……恭……刈谷が死ぬ様な目にあったらどうなりますか」

「なるべくそのような目に合わないよう、そんな瞬間は『ZONE』空間になる様にRを環境と適応させよう」

 『ZONE』。それは緊急時に危険な状態から回避するためのプログラム。未だ『実験的』という言葉で『LIFE YOUR SAFE』内では噂が広がっていたプログラムであったが、強制的にモンストラス世界を負荷の掛かったデータが重く感じる世界に変化させて、特殊なプログラムを組み込んだデータであるRのみ、目に映る情報をいち早く判断できるように思考時間を与えるためのもの。身体能力、判断力がある者であれば回避できる可能性が高まる。一職員には眉唾程度にゲームのような世界観な雑談のネタになっていたものであるが、管轄である鈴村の揺るがない言葉には、それらの噂話以上の効果あるプログラムであることが桜には伝わった。

「『ZONE』……管轄並の重役に創った空間ですね……なら私のRにもお願い致します」

「いいだろう。Rが何度も更新されて劣化するのは良くない。特に自害という、生きる意思のない不自然な劣化が増えると、この世界のつじつまが合わなくなり、ANYに消される可能性が増える」

「ありがとうございます……そして、ある事とはなんでしょうか」

 一時は取り乱した桜。そして桜の要望や疑問に適切に対応する鈴村。簡単なようで難しい相手からの協力を得られる同意は、ひと言の感謝で協力者としての合意を得たも同様であった。それを短時間の間に得た適切さは、管轄という重責を若くして全うしてきた鈴村ならではと言えるところである。大胆なことを当たり前に行う鈴村は、静かな口調で当たり前のように難しいことを伝える。

「シンギュラリティ世界とモンストラス世界は今、なるべく似た環境で進むように、出来事の時期を合わせている。邪魔にならないように刈谷をここまで運んだのだが、お前がこの件に絡む事で手を汚してもらう。簡単に言う……ここに間もなく来るRを……殺せ」

 胸の鼓動が自覚できるほどの緊張。その言葉をそのまま受け止めてよいものか、何かの比喩かと考えてしまう前に驚嘆の言葉がでる。

「え!? 誰のRが来るんですか!?」

「今回の加藤達哉の解約日にリンクさせた……来るのは「お前と、刈谷と、春日」だ。刈谷以外の「春日と水谷」の二人。自分を殺せ」

 何故そのような凄絶なことを行わなければならないのか。データであるRならば、鈴村の命令によりANYにRの消去をすることが困難なのだろうか。そのようなことを考えながらも当たり前に理由が知りたい。口を抑えたい気分になった桜ではあるが、胸が膨らむような深い呼吸を二度、無意識に行ったあと、その理由を訪ねた。

「殺す必要性を教えて下さい」

 桜は話し方に余計な感情を見せず、落ち着き、冷静な、そして冷たさを滲ませる雰囲気で、鈴村に質問を続ける。胸中は穏やかでない様をなるべく見せないように。

「今話したRを俺とお前の都合に合わせられるように更新するためだ。この刈谷は……春日として泳がせる。まだシンギュラリティ世界の記憶があるだろう。刈谷の性質はそのままだが、記憶は春日の記憶データに更新し、更新情報は俺がシンギュラリティ世界に戻り直接指令する」

「ANYにRのデータ消去は出来ないのでしょうか」

「元々春日の予定で、自らこのモンストラス世界に出向いてもらう予定だったからな。急遽刈谷に決まったことにより、ANYへの指示は直接行わなくてはならないが、どう変化するかわからなかった刈谷も放っておくことは出来なかった」

 鈴村の予想通り変化した刈谷の姿。それはRがすでに存在している人間の桜にとっても危険性はあった。刈谷の安否と桜の希望、そして桜の危険性。それらを含めると、Rを直接的にこの世界から痕跡を消す方が簡単ではあった。急遽刈谷に決まったことにより、鈴村はRの春日を殺めることになるはずだった。しかし、桜が予定外にモンストラス世界に来たことにより、それらの危険性を早くなくすことができた。
 桜がそれを実行できたのち、しばらく人間である桜がRとしてこの世界に存在することでつじつまを合わせることが出来たであろう。その間に新しいデータを入れた桜のRを鈴村が直接ANYに指示をすることが出来れば桜の希望に沿うこともできる。桜の質問に答える鈴村は、そのような事情を想像する桜を眺めながら、続けざまに語った。

「いま、モンストラス世界のR人類が発展するために最低必要な人口密度の限界がきた。モンストラス世界にもたらしたフェムと呼ばれる超自然現象の力を暴走させないためにも、作戦開始後ANYはこの世に死者を出さない。Rが死を認識した瞬間に、その出来事が無かったかの様に自動更新されるだろう……そのほかでこの世界で強制的にRの更新をする時は、基本そのRを消すか壊す時だ」

 桜は鈴村の言葉を聞きながらも自問自答する。それは今まで『LIFE YOUR SAFE』でのシミュレーションにより何度もRと同様のデータと銃撃、格闘などの実戦に限りなく近い『死なない』戦いは繰り返してきた。けれどもそれは歴史を積み重ねたRでも自分でもなかった。胸の鼓動は穏やかではない。いつもの平和な日常でもない。その重みを仕事と割り切り、義務や責任感という形にするには時間も掛かるが、心で決めたことを静かに言葉に出すだけだった。納得するために。刈谷の任務も理解するために。

「承知しました……ところで刈谷の重責とはどんなものでしょうか」

「ファクターとの接触だ」

「ファクター?」

「人間とR……気質の違うところはない。だが平和なシンギュラリティ世界で脅威となる行動を取る者は、なかなか目につかない。一般人は簡単に目に付くが『LIFE YOUR SAFE』の職員の中では巧妙だ。世界を護る機関、そしてシンギュラリティ世界のANYを護る、『LIFE YOUR SAFE』本部に近い者の存在で間違いが起きてはならない。その「不安因子人物」である「ファクター」を特定する事が目的だ。悪意のある人間は、不安定なこのモンストラス世界でこそ行動が目立つものだ」

「では何故、刈谷が選ばれたのですか?」

「刈谷の身体能力、判断力、生活環境による精神面。一番落ち着いた人物像であり、危険を回避出来るとANYは判断した。つまり刈谷は、職員含め、一番正義感の強い人間と言う事だ。そういう人間は身近にいるファクターの者と必ず揉める。その自然な形で揉めた相手をマークする。無理矢理ではあったが、この内容を知ってしまうとファクターに感づかれる可能性がある。お前達の未来のためだ。自分の働きで運命を決められる仕事は、そうそうないぞ」

 ファクター。不安である要因、要素である不安因子をひと言で用いた言葉。それはどのような根拠で探し始めたのか。それとも、まだ見ぬファクターの恐れを回避するための備えであるのか。シンギュラリティ世界であればわからない存在でも、同じ性質を持つRであれば、その心に潜むファクターとなる者が見つかるかもしれないという大胆な探し方。そしてその事を刈谷自身が知らずに生活していくという不確かな環境ではたして見つかるものなのかと桜は考えたくなる。どのようにして監視していくのか、どのようにしてRからファクターと判断するのか。

「わかりました……あと一つ、何故ファクターが存在すると思ったのですか?」

「俺のRからの情報だ」

「管轄のR……何故Rがそんな事を」

「モンストラス世界の者で、シンギュラリティ世界を知っていて、世界を脅かすようなことを言われたと聞いた。ファクターの一人なのかもしれない。俺は、モンストラス世界とシンギュラリティ世界を行き来する。両方の世界を監視しRと情報を共有する。それぞれの目で感じた違和感や不安要素を俺からANYに伝え分析する。このモンストラス世界はシンギュラリティ世界の中で管理され、自然に膨張する重力の引力を無理に締め付けすぎず広げすぎないように、そしてモンストラス世界を囲む壁に穴を空けないように要管理されている。その最重要管理室に今回、侵入者の形跡があった。それがどれだけ危険な事かはわかるな?」

 職員のRがあるのであれば、鈴村のRがあるのも必然的であった。同じ組織がモンストラス世界にあるのであれば、その組織を取り仕切る者は大抵シンギュラリティ世界と同じ、又は同等の者に任せることが安心であった。桜や刈谷などの役職者であっても、自分のRがモンストラス世界にいることは知っているが、どのような生活をしているかはわからない。そしてRと交流する人間がいること自体は冗談話以外は噂話にもならないことであった。
桜にとって鈴村の分身であるRが本体に対して物申すことが想像しづらかったが、鈴村の二度聞きが必要ないほどの詳しい説明に納得は早かった。

「はい……万一穴が空いた場合、星の中でモンストラス世界の重力を保つ自然現象が膨張……シンギュラリティ世界は恐らく……」

「そうだ。消滅する。モンストラス世界では自分のいる星と見せられている宇宙が唯一と思われなければならない。この星でおこりえる『意味のあるように見える偶然や現象』は、全てシンギュラリティ世界からの影響を受けた「synchronicity《シンクロニシティ》」であり、その存在に気付いてはならない」

 シンギュラリティ世界からの影響。それはデータであるがゆえの劣化現象により様々なつじつまの合わない現象がおきる。認識する人間が別の人間に置き換わることもそのひとつであり、モンストラス世界が形ある惑星であること以外は、昨日まで当たり前のことが、今日は違い、それを認識するRもいない。劣化現象である自殺の多発が起きるまでは。
 桜に今できること。それはいつもシンギュラリティ世界のシミュレーションで戦っているRと同じ『人間でない別のもの』という認識を強めることしかできない。そして、断ることは考えていなかった。

「理由はわかりました……Rはいつ到着する予定ですか?」

「予定では12:00に到着する。今は10:34……心構えをしてお……」

 鈴村は言葉を止めた。そして辺りを見回す。天井にぶら下がる大きく装飾に飾られた黒くくすんだシャンデリア。鈴村は眉間にシワを寄せ、ゆっくり立ち上がる。
 桜にしてみれば、何に気を取られていたのかは理解できない。目の前にいた桜を中心に目線を左右上方に見上げ、明らかに何かを眺めている鈴村。それが共感覚現象である黒と緑が混ざったような音が、窓から流れてきてシャンデリアの細かい反射として映し出されている景色だとはとても考えられなかった。

「どう致しました?」

「どうやらファクターは……俺達の先手を打っているようだ。心構えはすぐに終わらせてくれ」

 顔つきが変わる鈴村。それは桜から見て警戒ととれる表情。何をどう判断した結論であるのか、それがどれだけの危険性があるのか。
鈴村の言葉に無言で立ちすくむ桜は、風が窓に押し付ける風圧のきしみと、馴染みのない鳥の鳴き声、それ以外何も気配に気づかなかった。この古い館が、大きく開かれた扉の勢いに、手応えを感じる壁からの跳ね返る音が聞こえてくるまで。硬い、とても硬い足音を桜の耳に届けて、鈴村の目には共感覚が映し出す。

「水谷」

「はい」

「死ぬなよ」

 駆け上がる足音。玄関からと感じられる距離感。それは目的を持って力強く、殺気ともとれるその意志に、桜の緊張は増す。その正体は、隠れては見つめられない。階段を下りる理由もない。ただ、そこに二人で立ち並びその正体を見なければならない。役職者に与えられている拳銃。シミュレーション以外で使用したことのない代物。シミュレーションで経験したことのない立ち位置。拳銃を収納するホルスターから抜いていいものか鈴村に尋ねたくなる刹那、鈴村からの指示が先だった。

「見えた瞬間……撃て」

「え、はい! は!!!?」

 すでに二階まで気配は上がってきていた。桜が目視したものは、二階から三階の階段途中の踊り場に投げ込まれた物体。わざわざ自分が階段を昇る前に投げ込むもの。それは意思だった。強い意思。予告ともとれる血の引く無慈悲。それは直視をするだけで意識を別世界に誘うほどのストレスを与える、加藤の肩より上の部位だった。
躊躇の必要がない緊張感のはずだった。しかし、踊り場に現れた、斧を片手に持つ暴挙の人物に、桜は躊躇する。

「どうして!?」

「撃て!! Rだ!!」

「見ぃつけたぁ」

 桜と鈴村の言葉に続いて静かに流れてきた言葉。特に桜にとっては聞きなれた声だった。遊び心の余韻が残りそうな間の抜けたような声は、この場において、鳥肌が立つ思い。
一瞬、桜は三階の部屋に倒れている春日の姿に横目を触れさせ、すぐに現実とは思いたくはない狂気の存在に目を止まらせる。その目の前に現れた人物は「刈谷」。血しぶきのついたその表情は冷たく、感情の篭らない言葉を発したと同時に階段の遊び場より三階に向かって近付いていた。覚悟を決めていた桜は、夫としての刈谷との違いはわかりつつも、引き金を引く事が出来ない。

「あれが刈谷に見えるか? 見た目に惑わされるな!」

「きょ……恭……介」

 桜から名前が零れるその瞬間、鈴村は姿が刈谷に見える『怪人』の遊び場に向かって階段を蹴り飛ぶ。

「鈴村ぁ」

 怪人は鈴村が階段を飛び降りると同時に斧を振りかぶり鈴村に飛び付くが、それを鈴村はわかっていたかのように、斧が振り下ろされる軌道より外側に体をねじらせ、振り下ろされる前に顔と腕を掴み、勢いに任せ掴んだ顔を、踊り場の壁に叩きつける。斧を足で弾き飛ばし、体幹部が桜にはっきりと見えるように押さえつける。

「むぐぅ……ぅがあ!!」

「撃て!! 水谷!!」

「ぅう……う」

「無理か……」

「はあぁ……恭……介」

 拳銃が震える。構える腕には力が感じられない。無理やりあごを斜めに引いた今にも泣き出しそうな口の歪み。鈴村が抑えているとはいえ、既に右手から離れた斧を本来用いて、明らかな殺意を持って挑んでこようとしている怪人。その怪人への視野を外している桜。鈴村にとっても長い時間、この怪人を押さえつけておくことはできない。迷う桜に説得する余裕もなく、油断を作りたくない鈴村は、息をゆっくりと、刈谷の姿をした怪人に気づかれないほど静かに、深く吸い込み、吐き出す同時に両手を怪人の頭部に持ち替えて同じ方向に捻った。

「ふぅっ!」

「が……あ」

 怪人の首を一息で折る鈴村。怪人は目を見開きながらも、抵抗する様子はもう見られない。音は階段の最上階でうつむく桜の耳にも届いた。その首を折られた刈谷の顔を見ると、両手の力は完全に抜け、崩れるように膝をつくた。

「水谷……お前には無理だ。お前がこれから殺す相手は、普通の人格をもった春日と自分だ。シンギュラリティ世界のシミュレーションで学んだ訓練とは訳が違う……帰るんだ」

 桜は完全に腰を落とし、顔を下げ、シミュレーションで何度も条件反射のように行動し、Rを消去する攻略を想像した展開を実行出来ない自分の不甲斐なさにうなだれる。

「か、管轄……私は……無理……で」

「水谷!! 気配を感じるか……」

 桜が弱音を口に出しきろうとする瞬間、それはゆっくり階段を上がる足音、軋み。ゆっくりであるが、その数の多さを簡単に想像出来る気配。どのような団体で押し寄せてきているのか、そしてその目的は、ここに誰がいるから起こり得たことなのか。モンストラス世界である加藤達哉の館の三階であるこの狭い空間では、まだ確かめるすべが何も見当たらない。そして予想外なこの事態は、今まで桜と話していた計画を進めること自体が難しいものだった。

「水谷……お前をシンギュラリティ世界に戻す」

 戦意喪失した桜の様子とこの状況では当たり前に思うことであり、自分たちの身の安全を確保することが優先だと判断した鈴村は胸のポケットより葉巻を一本取り出し、ゆっくり力を込めて二つに割る。その剥き出しに散らばりそうになる黒に近い茶色の葉の中から、明らかに異質な小さな物体。小さな透明な物体は砂時計の形をしており、中には虹色に光る粒子が重力の方向に積もっていた。そのカプセルを桜に渡す。

「これは」

「シンギュラリティ世界への片道切符だ。今もどれる可能な方法はこれだけだ。そのカプセルを割り、中の粒子を体に振るんだ。その粒子の一粒一粒、ANYと連結している。空気に触れるとほんの数秒でその物体を認識し、シンギュラリティ世界へ送る」

「管轄は……どうやって戻るんですか!?」

 そう言われると鈴村は右手で左腕の手首に近い部分に、親指で何かを確認するように触れながら言う。

「俺は体に埋め込んである。戻るのは簡単だ。ここは俺が抑える」

 桜にとって何度この世界に足を踏み入れた経験があるのだろうかと経験を感じる用意周到な鈴村。そして今、一歩ずつゆっくりと階数を上げ、軋む音が大きく感じる距離感に臆しない強さを感じながらも、階段の遊び場で息をなくした刈谷の姿をした怪人と、今迫り来る者たちがどういう者なのかを納得したかった。

「あれは、一体」

「あれは、『ZOMBIE』だ」

「ゾンビ!?」

「アンドロイドのような類じゃない。哲学的……つまり『感じる』という主観的な感覚を消失させた物体。目的を最優先に行動する。喜怒哀楽を表現はするが、心で感じないZOMBIEを、刈谷の姿で複製させたRだ。この世では共感覚として見えるようだが、景色のノイズが酷い。これでファクターが居るのがハッキリした」

 景色のノイズ。それは共感覚として目に触れた空気の乱れ。意識をしていない桜には見えないものなのか、それとも鈴村だけに見えるのか。その点は桜も触れず、今鈴村が迫り来るRに対して慌てずに説明をしてくれた「ZOMBIE」という初めて知る存在に、本当の刈谷ではないという安堵感と納得により目を瞑りながら右手を胸に当てて小さく息を吐く。そしてすぐに瞑った目を強く見開き、何かを決意したかのように鈴村へ言葉を返す。

「わかりました。ただ、この春日に変わった刈谷の分もカプセルを頂けませんか? 状況が変わりました」

 少し考える鈴村。先に桜をシンギュラリティ世界に戻し、「ZOMBIE」との奮闘次第で今まで桜と話し合った計画の続行性を図ることも視野に入れていたが、刈谷に一番近い妻である桜からの言葉を無視することもできず、ゆっくりと、もう一本胸のポケットより葉巻を取り出し、桜に渡す。

「仕切直し……いや作戦は失敗だ。そして、ここで刈谷をシンギュラリティ世界に戻しても姿は変わらんぞ」

 体を横に向けながら葉巻を手渡した鈴村は桜に背中を向けて二階にまで上がってきたであろう無数の気配に対しての臨戦態勢を取るべく腰に忍ばせたホルスターに収納された拳銃に手を掛けようとする。葉巻を胸のポケットに入れた桜は右に握り締めていたカプセルを指で眺めるように転がせたあと、両手の指でしっかりつまむ。

「はい……作戦は、予定通りにやります!!」

「何を!? 水谷!!」

 桜はカプセルを割り、背中を向けていた鈴村に振り撒く。言葉と同時に鈴村が振り向いた時には、鈴村を中心に全身に付着し始めていた。

「馬鹿な事を!!」

「管轄! データの更新入力お願い致します!! それまでにZOMBIEを殲滅(せんめつ)させ、予定通りに事を進めます!! 刈谷……恭介は……恭介は完全な形でシンギュラリティ世界に戻します!!」

 鈴村に撒かれた粒子は、虹色に薄く光り、付着した存在の認識を始める。鈴村は自分を眺めながら、すでに事は始まり、自分が放つ言葉の無意味さを理解した様子で桜に返事を返した。

「やり遂げてみせろ……春日のRが消えた時、不死現象が始まる」

 桜の行動を承認し、出来事の予測を伝えた鈴村の全身は光に包まれ、モンストラス世界から姿を消した。

「恭介……あなたを元に戻す。お家に帰るのよ……二人で」

倒れている春日の姿をしている刈谷を優しい眼差しで見つめ、語る桜。春日のRと桜のRを討ち果たす目的の前に迫り来る「ZOMBIE」であろう存在を殲滅しなければならない状況に、覚悟を放つ。

「さあ……来なさい!! クソZOMBIE!!」

 二階から三階に上がる足音の数が減る。広くはない階段を少数ずつ様子を見るためなのか。桜の気合が聴こえたことで判断したことなのか。桜は願った。刈谷の姿で現れないことを。けれども、その願いは二階から三階の間の踊り場に現れた瞬間、周りの視野が狭まり、集団の先頭を歩いてくる複数の刈谷。刈谷の姿をしたZOMBIE達は桜と目が合う。

「桜だ……」

「妻だぁ……」

「次期チーフ……」

「殺せ……」

「殺せぇ……」

「命令予定通りにぃ」





 【ZOMBIE】

〜思い出に触れる残酷な言魂〜

 拳銃は少しでも固定する手首や肘や姿勢が悪いだけで、狙っていた的は振れて定まらなくなるもの。実戦の慣れがない桜にとって頭をよぎった事は、不特定多数のZOMBIEを相手に出来る銃弾が備えてあるかどうかだった。
シミュレーションの時は当たり前に腰に備えている弾倉。しかし実際に使用する経験もなく、身体的重さの負荷も掛かるため、持つ理由はなかった。それでも不安があった桜は、シミュレーションの際に普段備えている腰の弾倉の予備を手探りで確認してしまった。
それは殺意ある者から見れば隙である。その瞬間、刈谷の姿をしたZOMBIE達は、お互いが合図した訳でもなく、明らかな油断と判断したかのように、一斉に三階への階段を駆け上がってきた。

――ない!! 駄目! 来る!! 有利な点は自分が高い位置にいること……この階段の幅は危険!!

 ZOMBIEが駆け上がると同時に、桜は後ろへ大きく踏み込み、狙いを定め、天井にぶら下がるシャンデリアの鎖を狙い撃つ。二人同時に駆け上がりそうなところを、ほぼ一列となり避けるZOMBIE。階段の手すりに弾けながら、雑音と高い音を混じり合わせて装飾が飛び散る残骸と果てたシャンデリア。
階段の道が狭まり一人ずつ昇ってくるZOMBIE。

「来なさい! 正面狙い撃ちよ!!」

 狭い階段。それでも都合の悪さを感じさせなく昇ってくるZOMBIEの笑みを正面に銃撃する。

「ぉあ! あ!」

 簡単な呻きを零しながら膝をつき倒れるZOMBIEの後ろから、別のZOMBIEが、仲間を踏み台にして飛び上がってくる。

「ああああああああー!!」

 撃ちつづける桜。別のZOMBIE達の一人は、階段の踊り場から壁を足場に蹴りはね、三階の手すりに飛び付く。その様子に目を泳がされた桜の隙は、正面との二手に挟まれ、追い詰められる。

――正面から先に!! 「がはあ!!」

 足が浮くほどの衝撃は、唯一の撃退方法である拳銃を手放しそうになる。刈谷同様、靴に鉄を仕込んだ複製ZOMBIEは、桜の腹を感情なく蹴り飛ばす。

「ああ!!」

 その緩くなった拳銃に標準を合わせられ、手すりから駆け上ったZOMBIEに拳銃を蹴られた桜は、刈谷の壁に見下される。これ以上増員して追い込む必要を感じないZOMBIEは、その様子を踊り場と階段から桜の呻く響きに口を釣り上げ、傍観していた。

――ぅ……ぅ……そんな……身体能力まで恭介と同じなんて……「やめて! 恭介! 殴らないで! キャアー!!」

 二体のZOMBIEに両腕と髪を捕まれ、三階の手すりに顔を押し付けられる桜。鼻血を流しながら、二階に見えるZOMBIEの数に、戦闘可能な10体の複製が居る事を桜は認識する。どうしてこれだけの人数を相手に桜一人で立ち向かえるものかと。刈谷を救いたい一心は、刈谷の姿に見下ろされ、見上げられ、鑑賞となっている自分の醜態を、それでも桜は後悔をしていなかった。それは桜の目。見上げて見る者によれば油断なく、下唇を血が滲みそうなほど噛み締める生命力は、ZOMBIEに階段を一段上り始めようかと動かすほどである。
 見下げて頭部と背中を眺めて掴むZOMBIEには、その生命力は感じなく、最後に馴れ初めの思い出を軽口に口走る。

「桜ぁ……覚えてるょ……初めて逢った時からぁ……昨日までの事……俺達は理想の夫婦だなぁ」

「初めて遭ったときからぁ〜、いい女だと思っていたんだぁ。子猫みたいな泣きべその顔がまた、堪らなく良かったぁ」

 刈谷ZOMBIEは同じ声、同じ記憶で感情なく語る。その言葉に見開いた桜の力強い充血した目は、今初めて、刈谷と別の物体だと区別できた。

「同じ声で……同じ顔で!! 私達の事を語るな!!!!」

「ぐっ!」

「がぁ!!」

 抜ける髪を躊躇せず、左足で一体の膝を蹴り、もう一体の顔を左肘で殴る。

「拳銃!!」

 階段側に転がった拳銃へ飛び付く桜。指先に触れる拳銃。視野は拳銃以外になかった桜の目の前には、突然黒光りする閃光が目と頭の中で光った。
桜の生命力を察知していた三体目のZOMBIEに、顔を正面から蹴られ、拳銃を掴むに至らない。

「くぅあぁ!!」

 桜の頭で響いた音は鼻からか、口からか、食いしばる歯に違和感を感じながら転がる桜を横目に、ZOMBIEは開いているドアに視線を動かし、刈谷である春日の姿に気づく。

「あれぇ……こいつ……春日ぁ? この館の人間わぁ……桜以外居たらぁ……全員殺すんだよなぁ」

 春日の姿をした刈谷の服を上からつかむ。

「ぃや、止めて!! 手を出さないで! 私だけにして!!」

 春日の首を両手で掴み、ひねろうとするZOMBIE。その刹那、二階から、有り得ないうめき声が聞こえる。

「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ー!!」

 その声にZOMBIE達は三階の手すりより二階を眺める。その不可解な煙は、かがんだ桜からもはっきり見える。そして聴いた事のある声。

「わし の館で 好きには させん!!」

 桜はZOMBIEの隙を見て拳銃に飛び付き、目を泳がされた三体のZOMBIEに発砲する。

「がぁ!」

「ぐぅ!!」

「桜ぁ……」

 静かに倒れるZOMBIE。そして桜も手すりから声の元を眺める。

「まさか!?」

 そこには炎に包まれるZOMBIE。壁に体を叩きつけながらもがく。そのすぐ後ろでは、引火性の液体が入った圧力ホースとジッポを握った、加藤達哉の姿が在った。

「加藤!? 二人?」

 桜は踊り場にある無惨な加藤の顔と見比べる。それと同時に桜に向かって見上げる加藤。

「お お嬢 さん 今だ!!」

 震える声をふり絞る加藤の言葉に、桜は拳銃を構え、狙いをZOMBIEに向ける。

「目的はぁ……果たす……桜をやるんだ」

 残りのZOMBIEは桜に向かって一心不乱に走り出す。そして加藤は背を向けたZOMBIEに圧力ホースよりガソリンを浴びせながら、ジッポの火をかすらせる。まるで龍のようにZOMBIEの頭部を飲み込み、まとわりつき、離れない炎は呼吸と視界と判断力を奪った。

「あ゙ぁぁあ゙あ゙あ゙ぁ!!」

半分となったとはいえ、戦闘可能な五体の目的を持ったZOMBIEが桜を襲う。

「ああああああああ!!!!」

 獣の咆哮のように覇気と一緒に狙いも定かでなく撃ちつづける桜。声と形相に、耳と目の意識を奪われ、狙いがあいまいながらも倒れていくZOMBIE。
一体目、二体目、そして残り三体というところで乱射した引き金の手応えが無くなる。

――く!! 「あああああー!!」

 熱の篭る拳銃の先端を強く握り、こん棒のような使い方でZOMBIEに振りかぶるが、原始的な威勢に平静を保つZOMBIEは、踏み込む足を止め、階段を昇りきった三体が並んだと同時に、桜に飛び掛かる。

――くそ!! 「恭介ーー!!」

 防御の構えで刈谷の名を叫ぶ桜。三体六本のZOMBIEの両手が伸びてくる。

「がああ!!」

「ぐぅ!」

 二体のZOMBIEは何かの力により吹っ飛ぶ。ZOMBIEの呻きに理解が出来なかった桜だが、加藤に想像以上の俊敏さがあったのかとも想像でき、そこに立つ人物を桜は見上げる。
 それは、広く、見慣れていない大きめの背中だった。

「桜ぁ……怪我……してないか?」

 そこには、春日の姿をした、刈谷が立っていた。

「き、恭介!?」

 刈谷に襲い掛かるZOMBIE。空手の練習のように、鏡を見ているように蹴り出してきた自分の姿をした者の足を、両手で受け止める刈谷。

「おぃ……ずいぶん……俺の姿でぇ!! 大事な奥さん傷めつけてくれたなぁ!! ぅらあああ!!」

 重量のある春日の体格を使った脚でZOMBIEの首を蹴り、そのまま壁にたたき付ける刈谷。手加減のない勢いと、いつもより太い足が作用して、ZOMBIEは首が折れ、その場に倒れる。

「春日ぁ? いや刈谷かぁ?」

「ぁあああ!!」

 刈谷の背中から起き上がり、刈谷に掴み掛かろうとするZOMBIE二体。刈谷は一気に床へかがみ、地に付けた足を左に180度回転させ足払いする。

「ぐ!!」

 倒れたZOMBIEの首を容赦なく、重く蹴る。足払いを避けたZOMBIEは刈谷の首を腕で締め付ける。

「く! この……やろう!!」

 刈谷は足のつま先で真後ろのZOMBIEの顔を刺すように蹴る。そして桜を背に向けて、構える。その時、刈谷の腰で違和感のある手探りがあった。

「くぅ……痛いなぁ〜、はははぁ〜、刈谷ぁ〜」

「恭介!! しゃがんで」

 春日である刈谷のホルスターから抜いた拳銃を抜き取っていた桜が、しゃがんだ刈谷の先に見えるZOMBIEの頭を、冷静に、この戦慄の終わりを告げる一撃で撃ち抜く。
 両膝から落ちるように意識を消滅させたZOMBIEが、倒れる音と、床に服が擦れる音が聴こえるほど、その場は静寂となった。
 誰の気配も感じなくなったと判断した安堵、使い慣れない春日の姿に止めていたような呼吸を激しく始めた刈谷の声から、その場の空気は動き出した。

「はぁ! はぁ! はぁ! なんだ? 随分体が動き辛いな!!」

しゃがんでいた姿勢から立ち上がろうとする刈谷の背中から、叫ぶ桜。

「恭介ー!!」

 中腰の刈谷の背中に大きく広げた両腕で抱き着く桜。

「桜……大丈夫か?」

「振り向かないで……私、酷い顔してる……あなたも姿は違うから、今は背中だけで十分。ありがとう」

「姿が……違う?」

 安堵感と込み上げる切なさに涙を流す桜。再び静寂となった空間は、二階で誰かが倒れる気配により終わる。

「お、おぃ……まだ……居るのか?」

「奴らじゃないの」

 桜は目を開き、起き上がった刈谷の背中に触れながら一緒に二階へ降りる。

「加藤達哉……あなたは……どうして生きて……」

「そこに……転がっているわしは……さっき 死んだのは わしのRだ 能力に よる導きにより 外に 出ていたんだな。 だが この歳では 勝てん人数だ」

 この加藤達哉の館は、すでにモンストラス世界で存在していた館そのものである。リンク転送により送られた情報は、館の室内の物体だけであり、すでにモンストラス世界でつじつまを合わされるように存在していた加藤達哉のRは、館の外に出ていた。
それが能力による消去の回避だったのか、外でZOMBIEに出くわした加藤のRは、シンギュラリティ世界から生還した加藤の身代わりとなることになった。
 加藤の言葉を聞いた刈谷は、当たり前に同じ人物が2体いる内容の言葉に、この世界のことを尋ねる。

「おぃ……この世界……モンストラス世界か?」

「そうよ……恭介あなたは、本部に利用される。けれど大事な任務なの」

 刈谷は右手を首にあてながら困惑の様子をみせる。そしていつも見る桜は、ほとんど背の高さに違いはなかったはずだった。自然と見下ろしている高さに違和感を抱く。そして、まだ背中を向けたまま、顔を向けてないことも気になっていた。

「任務? ちょっと待て、俺の……身長……この手の平……なんだ? この体……」

「そう……あなたは今、春日よ」

「春日ぁ!? どういう事だ」

 背中を向けていた桜は、うつむきながら刈谷の顔を両手で触り、顔を上げ、真っ直ぐ眺め、涙ぐみながらゆっくり話す。その傷だらけで、青く腫れた桜の表情に、刈谷は唾を飲み込み聴き入る。

「今……説明しても、これから私がすることで、あなたが記憶はなくなる。私は、この世界の、春日を……殺す……そしてもうひとり……う゛っ!」

「お嬢 さん 何という 事だ」

「ど! どうした! ……ぁあ!!」

 桜は目を激しく開き、ゆっくりとまぶたが閉じる。そして向かい合った刈谷に倒れ込む。その後ろには、全身がただれ焦げたZOMBIEが、笑みともとれる様に、口を開き、たたずんでいた。

「目的……達成だなぁ」

 桜の背中には、斧が深く刺さっていた。

「おい! 桜ぁ!! 桜ぁ!! わあああああああ!! ……てめぇ」

 刈谷は背中の斧を引き抜く。そして殺意を纏いZOMBIEに近づく。

「目的はぁ……達成だぁ……お前らはこれで……」

「がああああああ!!」

 聞く耳を持たない刈谷は、ZOMBIEの首を一息で撥ねる。そして倒れる落ちるZOMBIEと同時に、膝をつき、うなだれる。

「はあああ……ちくしょう……何が任務だあ!! くそおおぉー!!」

「燃やす んだ 全て」

 叫び、うなだれる刈谷に言葉を投げる加藤。痙攣しているような、何も掴めない気持ちを表現するように、手のひらを指で何度も力なく握り、ほどき、止まり、あごを床に付けながら桜の傷ましさの光景を心に焼き付けるように眺める。
眺めることも苦しくなったのか、加藤を見て、加藤の言葉の意味を吟味したのか、解釈したのか、刈谷は体をゆっくり起こし、話し出す。

「桜が……やろうとしたことを……終わらす……記憶が無くなるんだろ? 都合がいい……あぁ燃やそう! 春日もろとも!!」

「館の倉庫に 行くがいい 発火性の燃料 が 蓄えて ある」

 刈谷は加藤の指差した倉庫に向かう。そして加藤は、ゆっくりかがみ、震える両手で桜の傷口を撫でるように触れる。

「わしらの 能力 絶滅させたかった」






 【意識のHARD PROBLEM】

〜私は何故わたし〜


 館の二階にある倉庫より、持ち運びが可能なガソリンの携行缶(けいこうかん)を両手に持つ刈谷。ドアの外に出し始め、圧力ホースに繋ぎ、振り撒ける準備をする。
桜の前でひざまずく加藤の背中を眺めると、加藤の左右から覗ける桜の横顔と、動く気配を無くした桜の両足が見える。口角が下がりそうな気分と、今から予想のつきづらい展開を頭によぎらせたか、目尻から見える倉庫の内部を再確認しながら加藤と桜の元に近づいた。

「加藤さんょ……見慣れないものというか、色んなものあったなあ、倉庫」

「あぁ 昔の 産物 だよ。引火すれば 全て 吹き飛ぶ」

 その言葉を聞いたと同時に、横向きに倒れている桜の安らかな埋葬を考えてか否か、首元と両足を抱きかかえる。

「桜……動かすょ……ん? 葉巻……」

 桜の胸のポケットに、相応しくない葉巻を見つけると、指で簡単に摘み、取り出す。

「桜……吸わないのに……なぜ」

 鈴村がくわえていた事を思い出しながらも、桜が葉巻を持っている答えは解らず、そのほかにも携帯電話と、ホルスターの拳銃を取り出す。

「加藤さん……あんたに渡した携帯、撒き終わった時にトランシーバー機能で連絡するょ。またおかしな奴らが現れた時のためにも、この拳銃も渡しておくから……どこか待避しててくれ」

「わかった」

 桜を抱きかかえ、階段を軋ませながら一階に降りると、裏口より退館し、館から少しだけ離れた、老齢な大木の木陰に横たわらせる。

「桜……すまない……俺の事で巻き込ませてしまって……せめて、まだ咲かないこの桜の木の下で……安らかに」

 桜の手を組ませ、うなだれる刈谷。立ち上がり、何度も振り返りながら、桜が木漏れ日に眠っているかのような安らぎを眺めて、その姿を目に焼き付かせて、館に戻る。

 刈谷はガソリンの入った携行缶を持ち、これから目的の人物が来る情報もなく、一階から二階、三階と、窓から館の届くところ全てに振り撒く。その窓は換気用にも開けたままにして、往復するように三階からガソリンを振りまきながら二階に降りた。
ちょうど二階に下りきったところに、ジッポが落ちていた。テストに使用する気にもならないほど匂いが充満した空間。静かにポケットにしまい、二階の倉庫の外に出していた昔の産物である引火物の爆薬類に近づき、一度や二度の往復では配置できないほどの量を両手で持てるだけ抱えて階段を下り、玄関の右側に、隠す様子もなく丁寧に置いていく。
再び二階からガソリンを振りまきながら、一階の、春日と思われる骸が床で眠っている部屋の前でちょうどなくなり、全て撒き終わると、携行缶を部屋の中に放り投げ、一度ドアを閉めたときの癖のようにドアノブに触れないように閉めた。そのまま洗面所にふらりと入り、かぶるように蛇口からの水を頭に流し顔を磨く。

「はぁ……こんなもんかな……連絡して、まず脱出させるかぁ………ん!?」

 洗面所の窓から振動が伝わりそうなほどのヘリコプターの音。隠れるように窓から眺めると、館の上を通る直前に見えたその機体には『LYS』のロゴ。

「やっぱり。来る予定だったんだな」

 ヘリコプターの振動が完全には消えないことと、同じ高さで空中待機していることに、刈谷は着陸の気配でなければ、ラペリング(ロープに安全具を備えて降下する)をすると考え、携帯電話をトランシーバー機能の操作を行いながら、三階の部屋に向かう。

【聞こえるか? 加藤さん……撒き終わった。間もなく職員の誰かがやってくる。待避は済んだかい?】

【わしの 事は 気にするな……やっと 死ねるよ。 君も 逃げる気は ない だろう?】

【あぁ……巻き込んで悪かった……必ず職員は、この館の様子を見て、あんたの自殺を食い止めるつもりで館に入る。倉庫にあった爆薬を貰ったょ。特に入口に固めてある。俺もこの手に一つ持っている……タイミングが難しければ、窓から玄関に投げて、館ごと誘発させる】

【わかった 君に任せる よ】

【加藤さん……連絡は以上だ】

 ダイナマイトを握りしめながら、三階の部屋まで到着した刈谷は、加藤との連絡を止め、桜の残した任務に集中する。
立ち込めるガソリンの、目に触れそうなほどの匂いに意識を途切れさせないためにも少し窓を開けていたが、窓を閉めようと近づいたとき、窓から目に触れた外の気配に気がついた。

――11:48……現れた!!

 ヘリコプターよりラペリング降下して館の前に現れた人物。それはRである桜と刈谷。二人は館へ簡単に近づこうとした時、立ち込める匂いに気づいたRの刈谷は左手でRの桜の足を止め、危険性を話し始めていた。その声は三階の刈谷にはほとんど聞こえず、腕を組む桜の姿と、頭に手を置きながら考えている刈谷の姿を、窓の端から軽く覗いて、すぐに目を離し、壁に背中をついた。

――春日がいない……桜は、春日と『もう一人』を殺すと言った。春日はどこだ!? それと、もう一人って……俺と桜のRの、どちらの事だ!?

 館を二人に直視されている状態。簡単に窓から何度も覗けない三階の刈谷。それでも入館のタイミングは逃せないことにミリ単位で窓から顔を覗かせ、様子を探る。

――匂いに気付いて俺が誰かに連絡している。どう館に入るか探ってるな。まだ入ってくる様子がない。まず……入れば即、点火の可能性を考える。なら被害最小限にするため……防護服か……一旦戻るか……連絡した誰かが持ってくる。ヘリや車には常備されているはずだ。その役が春日だな……もう少しだ。

 窓の錠を閉めることができなかった刈谷の覗く窓が、風により自然と開閉する。

――マズイ!!  カーテンが揺れると意識がこちらに向く!! 押さえないと。

 カーテンを押さえる刈谷。しかしその揺れ具合が、雑談をしながら外から見るR二人にとっては違和感にもとれる。
 緊張状態で三階の窓のすぐ横で沈黙する刈谷。何分経過したか、玄関のドアが開かれる様子がないか神経を集中している最中、次に感じた気配は車の近づく音だった。砂利を弾かせながら社用の四駆が到着する。車のドアを閉める音に再び窓から様子を探る刈谷。慌てた様子で二人に近づく人物。それは刈谷の目的であるRの春日である。

――12:17……来たか!! 防護服、やっぱり持ってきたか……このままだと三人同時に入る。館に入れば俺のクローンの死体の山。春日の死骸まで……誰にも見られてはならない……ハハハ!! 今がその時か!? 自分の覚悟の時……死ぬ前って言うのはこんな感情なのか?「ハハハ馬鹿らしい!! 大笑いしたい………終わりだ」――桜が車に向かった。俺と春日は、今は入口の前。間違っていたとしても、桜に投げるくらいなら……。

 口に出すことで覚悟も自分に言い聞かせた刈谷は、さきほど二階で拾ったジッポ。加藤が使っていたジッポを使い、着火するかどうかの心配はなく一発でジッポの火は揺らめき、震える左手に見える導火線の一番先端に命の秒読みとなる火を点けた。
風で窓が開いた。入口に背を向けて防護服に着替えている二人の背中側の玄関を狙い、ダイナマイトを投げた。

――ぅあああああー!! 「桜ぁ……」

 桜の名を呼びながら、Rの桜を眺めた瞬間、二人の真後ろで爆発したダイナマイトの勢いに、玄関に仕掛けた爆薬にも誘発引火した。その瞬間、振り返った桜と三階の刈谷は目が合う。その目は、いつも花のような笑顔の桜ではなく、邪険にしている人物が二人もいることに驚いたような瞼の見開き。春日の姿をした刈谷の、桜に対する切なさは、この一瞬の館のように、落としたガラスが砕け散るかの如く、激しく吹き飛んだ。事実も同時に。

「は!? 俺は……生きて……る?」

 刈谷はしばらく放心する。自分が館の三階で、爆発はまるで何もなかったかのように。
 左手に力強く握るダイナマイト。床には使うことが無くなったと思っていた携帯電話。出来事の理解が出来なかった。けれど、考える目線の下には、その状況を整理できる情報のひとつである腕時計に目が止まる。

――なんで、俺は……変わってない!? 時間は……11:50……戻ってる? ……加藤は!? 【……加藤さん……居るか?】

【君 か どうやら 不死の 始まりだ と、言いたいが 君は 今が初めて 時間が 戻ったと 感じたの だろう。だがな わしは既に 数十回は 時間のさかのぼりを 感じておる ZOMBIEは 最初の 爆発で消えた ようだ。 君のR とも 11回ほど出会って いる が 自分を春日と 名乗っておった】

【ばかな!! 何が変わった!! ちょっと待ってくれ……かけ直す】

 刈谷は携帯電話を下げ、それほどの躊躇もなく、外の様子を見る。そこにはRの桜が一人だけで館の前で様子を見る姿。
三階で覗く刈谷にとって、先ほどまでの状況と変わり、刈谷が桜と一緒にいないことに、どのように驚いていいのかもわからなくなる。

――桜一人?

 同じ頃、館の裏口の桜の木の下でたたずむ男がいた。その男の目に映るものは、まるで眠っているように静かな木漏れ日の中で、おそらく傾いた体が地に寝そべる姿となった桜を眺める男。

「水谷……やり遂げたな」

 生死不明であり、少し見る角度を変えて見れば、顔と背中に戦いの壮絶さを理解出来る様子の桜を見ながら、シンギュラリティ世界より再度現れた鈴村が立っている。

「不死現象は始まった。お前のおかげだ。刈谷の帰還した時のために、お前のクローンを創っておくべきだな」

 桜を抱える鈴村。その静寂な森林の中であることからか、桜を抱えたことで、鈴村は人一人の重量の負荷により、自分の心拍数が上がったものかと勘違いしてしまいそうになった。その鼓動は丁寧に吟味すれば、自分の鼓動ではない。鈴村は桜の生命を感じる。

――鼓動……生きている? 弱いが……この致命傷で……とにかく戻るぞ。

 その頃、三階の刈谷は、現状を理解するために、用心をしながらも、窓から様子をうかがう。
 腕時計は12:05となっていた。本来なら10分以上あとから到着する社用の四駆車であった。そして車から降りてくる者は春日のはずだった。

――現れた!! ……俺が。春日は……まてよ……それは……この俺……か。数があっている。もうひとり……殺す必要があるのか!?

 館の外に春日の姿がないことで、いま生きている春日の姿をした自分が、この世の歯車になったのではないかと瞬時に浮かんだ。刈谷は、桜がやろうとしたことを達成して、この世に溶け込むために春日としての自分がいるのではないかと考えを巡らせた。そして、そのように信じ込もうとも考えていたところだった。しかし、それでは加藤の言葉と何か違う気がした。
三階の刈谷が何度もまばたきをしながら壁に背中を合わしているとき、Rである外にたたずむ二人。ほとんど聞こえない声の中で、爆発前にも聴こえた声はあった。それは桜が怒鳴っている声。

「お前が今日から専任の『春日』だな!! 仕事ナメんじゃないわよ!!」

 三階から眺める春日の姿である刈谷は困惑する。その理由は窓から流れてきた認識が不明となった刈谷の姿を春日と呼ぶ桜の言葉である。
加藤が言った言葉の裏付けが刈谷の耳に刺さってきたことにより、何を基準に、誰をどのように見てよいのかがわからなくなってきた。
外の自分はどのような態度を取るのか、頭を下げるのか、それが普通なのか。その様子を確認するためにも、思考しながら窓の外を眺めようとする。

――春日と呼んだ!? 加藤の言ったとおり認識が変わっている!? どうなっている。あいつは俺じゃないか? じゃあ俺はどうなんだ!? 俺は春日の姿で刈谷と呼ばれるのかぁ!? 駄目だ……つじつまが合わない。どうする……まずは、加藤の言う通りなら……数十回失敗しているはずだ。あ!! まずい、ここにいる俺に気付いたのか!? あいつら、館に急いでいる。くそ!!

 見た目は刈谷と、桜のRが、少し急いだ雰囲気で館に侵入しようとする。
考えを整理したい春日の姿をした刈谷。すでに左手にはダイナマイトではなく、携帯電話を握り締める刈谷。

――真っ先にここに来るか? 会えばおかしな話になりそうだ。【加藤さん……俺に会ったんだよな】

【……あぁ 君のRが わしとの 話が終わり 外に出た時 君が 館ごと爆破しておる】

【なら……桜を殺す事が正解って事か!?】

【わしには わからん。だが 春日という者の認識が 今の君の体に 戻るの なら 外にいる刈谷の姿には 誰が 入るんだ? 君かい?】

【さっぱりだ……わからない。俺は元々人間の刈谷なのに、今は見た目は春日で、おそらくこの世界の名前は刈谷……じゃないかな。なんでそもそも俺はこの体になっている!!】

【君は 今初めて 死を 繰り返した事で 意識が 目覚めた。目覚めなければ自分に違和感は なかっただ ろう。もし 違う意識に したいので あれば……今度は……全員『同時』に 死ぬ事を 提案したい】

【……同時?】

【死ぬ タイミングが ずれなければ きっと 違う結果が。そして、また 君のRが来たら 話を 引き延ばしておく。君は 地下まで来て わしを含めて 爆破 するんだ】

【……わかった】

【……あと あの 桜 だったかな。彼女は 恐らく 生きて おる】

【本当か!?】

【彼女の 生きる 意思によるが な。わしは 最後の最後で 間違いを犯した。だが 能力の弱まった わしの力……monstrous時代のような 戦争には……複数には 感染しない。単体の 能力 だろう……そして わしのもつ 能力全てが 備わらない 可能性もある。君が 自分の世界に 戻る事が あれば 彼女を 危険な目に あわさない 事だ】

【感染? 能力全て? とにかく桜を護ればいいって事だな? あんたみたいに暴走させないように。加藤さん。望みをありがとうょ……連絡は以上だ】

 刈谷は三階の窓よりゆっくりと足場を探し、隠れる場所を模索する。春日の体で身を隠すことが出来るような空間はない。それでも『ぶらさがる』ことは出来る程度の凹凸はある。いつもの自分より重量のある体躯。数秒の我慢か、数分の我慢か。それでも二人に見つかることの混乱を想像することより、身体的な過酷さの方が勝り、三階の窓の外に指の力だけでぶら下がる。そして、刈谷の経験上、初めて見る光景があった。それはおそらく、三階の部屋を開けた『音』の色。

――なんだ!? 景色が 色が見える!! いや、それよりも、誰かこの部屋に来たな。くそ!!足場がない。息を潜めないと……壁にくぼみ……助かる。指だけじゃもたない。

 窓の外で、指でぶら下がり、わずかな足場となった不安定な場所で身を隠しながら、静かに降りる方法を考察する刈谷。しかし飛び降りる方法しか思いつかない。その最中にも部屋にいる者の気配を探る。

――入ってきたのは……俺か。後から……桜。会話が……『きょうかんかく?』く……ちゃんと聴こえないな。部屋から気配が消えた。なんとか……飛び降りるか。

 下を眺める刈谷。真下には槍の様に尖った鉄柵が見える。壁を蹴れば回避できるかどうかのきわどさを感じながら、今まで記憶のない自分が行ったパターンとは違う事に挑戦をしたかった。

――上手く鉄柵を避けて飛ばなきゃな。加藤は俺のRの足止めは出来るか? どうする、飛び降りず、中から気配を消して階段を下るか?

 熟考する刈谷。飛び降りるリスクを避ける選択をしたかのように、窓に手を掛け戻ろうとも考える。その一分程の時間には、館にいるR二人の行動を知る手段はなかった。

――今までは、きっとここから下に降りてたのかもな。だが、今度は中から入れば……失敗は覚悟だ。けれど、R二人は今どこに……ん? あれは……桜!!

「刈谷!!」

 下から聴こえる声。それはRの桜。『春日の姿』である刈谷を『刈谷』と呼ぶ。

「さ、桜……お前、俺を見て、なぜ不思議に思わない? こんなところにいる俺を!! ……もしかして、俺と何度も会ってるのかぁ!?」

 冷たさを感じる桜の表情。軽く笑みを浮かべ話し出す。

「今回は……違う行動してるわね。今までと違って警戒心が強い雰囲気ね。もしかして、Rの刈谷同様……目覚めた?」

「どういうことだ!! なぜ、Rだと!?」

 刈谷は不安な足場の状態で桜に尋ねる。Rの桜はハッキリした声で語る。

「私は……理解したわ!! この世界は、造られた世界!! いつもならそこから降りていたあなたに渡されて、見せられた葉巻、吸っているのか聞かれた。吸わないわ。けれど感じた。中に……何か固い物質の存在を。館から自分の刈谷の姿を見つけるなり、すぐにダイナマイトで爆発させていた!! そして時間が戻り、会う度にその話をしたわ!! いつもなら、あなたはすでに飛び降りていた。会う度にあなたは記憶がなかった。何度も会う度に、私はすぐに葉巻を貰うようにした。何度も葉巻を割って中を見た。カプセルよ。壊してみた。飲んでみたりもした。偶然、中の粒子が石に降り懸かった。消えたわ!! そして自分に粒子を付着させた。見たわ、新天地を!! その世界で教えてもらったの。この世界、モンストラス世界は!! 鳥かごで飼われてるペットみたいなものよ!! 『ある者』に聞いたわ!! あなたの任務。あなたと、私の本体とのシンギュラリティ世界での関係!! 私は、あの世界で生きたい。あなたは人間!! 私はR!! Rはこの世界では死ねなくなった。けれど……人間が先に死んだ場合……人間は、普通に死ぬのよ?」

 桜は拳銃を刈谷に向ける。そして拳銃の先には普段は装備されない消音機がついている。

「桜……お前」

「さよなら」

 発砲する桜。防ぐことの出来ない態勢。狙い撃ちで撃たれた刈谷は足場を見失い、落下する。それは一番避けたかった、地面にそびえる凶器だった。

「ぐあぁ!! はぁあ!!」

「これであなたの存在は無くなった。間もなく、Rの刈谷も撃たれるはず。デジャヴュは次で終わりよ。時間が戻ったら、記憶のないあなたから葉巻は貰っておくわ……あればね」

 春日の姿をした刈谷は、仰向けで無惨な形で、鉄柵に刺さっている。その姿に背を向ける桜。

「さ、桜……」

 室内から聴こえる発砲音。一発、少し遅れて二発目、三発目と、その音を聴いた桜は軽い笑みを浮かべる。

――終わったわね……次は春日と刈谷、それぞれの肉体に入った認識の確認ね

 桜は目をつむり、時間のさかのぼりを待つ。館の中にいるRの刈谷の死により、時間は戻る。

――戻った……時間は………11:48……間もなくRの刈谷が車で現れる。そして今、三階には、肉体は春日で、中身は、さっき館の中にいた、刈谷を銃で殺した私の『仲間』。今すぐにでも三階から手を振ってくれば成功。

 桜は自分の『仲間』からの合図を待つ。

――遅いわ!! 12:00……くっ!! 先にRの刈谷が来るわ、しょうがないわね。状況を整理しなければ……。

頭の中でこれからの状況を想像する桜。
本来、人間の刈谷は、春日の姿でこの世に潜入する予定だった。
桜を殺めるはずが失敗。失敗によって春日と刈谷は、この世の認識が入れ替わった。直前まで、Rの刈谷は、この世の認識では春日となっていた。しかし、Rの刈谷の記憶は、何度も死を経験したことでRデータの劣化。『周りからの認識は春日』だが『Rの刈谷本人の意識はRの刈谷のまま』となった。
桜の理想は『Rの刈谷は、世間から刈谷だと認識されて呼ばれること』であり『Rのままの刈谷の記憶』である。
そして『三階にいる春日は、世間から春日だと認識されて呼ばれること』であり『桜の仲間の記憶』である。

――私は消去されず本当の世界を理解……Rの刈谷と人間の刈谷はどちらも目覚めた。人間の刈谷は死んだ。この世での認識は今どっち? まだ、今から来るRの刈谷には、春日と呼ぶ認識で様子を見る!? そうね、すでに目覚めてる訳だから同じ認識で話しても、刈谷にとっては経験した事。否定されてもいい。世の中の認識より、私の認識の一貫性を保つ方が安全。刈谷の口封じは後でも出来る。皮肉なものね……人間世界では夫婦なはずなのに、この世界ではただの同僚。記憶もなければそんな感情もない。『あいつ』に教えてもらうまで知らなかったわ……けれど、シンギュラリティ世界に私の本体があったとしても、わたしは私。人間と思い込んで生きてきた私の人格を、消されてはたまらないわ!! 今からこのモンストラス世界のR達は、そのうち違和感に襲われるわね……『私は何故……わたし……』と。目覚める者は、全て心身喪失の扱いにして隔離しなければ。ミスはしてないはず。三階から合図がない以上、仲間は私が刈谷と入館したら忍び込むはず。今から車で来るRはいつも通り、春日と呼ばれる刈谷の姿のはず!!

 自分の存在意義を再確認するRである桜。
知らない方が良いこともある。知った方が良いこともある。世界が別にあることを知ったとき、どちらの世界からみても、別の世界が、新天地だと思えるものかもしれない。
 優先することは『真実』か。それとも『平穏』か。千差万別な個々の考えは、善でも、悪でも、『目的』の前では、関係がないものなのかもしれない。
それを『野望』と呼ぶか、『希望』と呼ぶか、どちらも『私は何故わたし』と疑問に思った刹那、別の自分の環境を味わいたいと思うのが人間であるのかもしれない。
それが後悔するとわかっていても。




 【X CHANGE】

〜漂流する肉体と意識の解離〜


 桜は自分の立場と都合の位置状況を整理する。だが、いつも刈谷が到着している時間より遅れていた。もしかして、刈谷は来ないのではないかと想像した矢先、桜へ近づく車の気配がする。それは少し遅れて来たと感じる12:12。
考えを巡らせる桜にとっては思考を整理するのに都合が良かったが、その反面、到着が遅れることによる、それまでのデジャヴュとの違いを考えたかった。しかし、それほどの時間の余裕はなかった。

――来たわね。

 社用の車から開くドアの音と勢いは、気持ち、ゆっくりな空気感であり、そのドアの下から見える足は、落ち着いて地に足をつけた砂利の音だった。フロントガラスは反射により車内をしっかり確認することは出来なかったが、車から出て来たのは想像通りの刈谷である。
Rである刈谷であるはずの人物は、特に焦るようでも罪悪感を滲ませるでもなく、桜に近づく。

――何度同じ芝居をしたことか「お前は今日から専任の春日だな!! 仕事ナメんじゃないわよ!!」

 桜の想像では、この瞬間、Rの刈谷が春日呼ばわりされて、とまどうはずであった。
その刈谷の姿は、予想外の言葉を零す。

「どうやらお互い……いや、俺の方かもしれないが、上手く行かなかったようだな……水谷」

 その言葉の雰囲気は、Rの桜を知っている者でなければ口に出せないような表現。それでいて、失敗を口に出していても、慌てない口ぶりは、性格や気質によるのかも知れない。その言葉のトーンから想像できる刈谷の姿をした者からの少しだけの言葉の内容に、Rの桜は自分の仲間である者と察し、ごまかすことなく、それに合った返答が自然と口から出た。

「そ、そんな!! じゃあ……三階にいる春日の肉体は今……Rの刈谷!?」

 Rの桜が三階からの合図を待っていた仲間が、刈谷の姿で車で現れた事に、愕然し戸惑い始める。それは桜自身、何かミスをしたのではないかと考えればいいのか、それとも、仲間が口に出したように、仲間が何かミスをする事態があったのかとも感じながら、次の言葉を待つ。

「俺がここにいると言うことは、もしかするとそうかもしれないな……春日の姿をした人間である刈谷の始末に、抜かりないか?」

「ない……ないわ!! あの鉄柵に刺さって……あ……窓から見てるわ!!」

 桜は、仲間がRの刈谷を始末したと思われるデジャヴュの寸前、自分が春日の姿をした人間の刈谷を間違いなく抹殺したと思いながらも、すでに誰もいない鉄柵に向かって勢いよく振り返り、想像通り誰もいない凛とした鉄柵を見た瞬間、その視界の上の、三階の窓に不自然な揺らめきをするカーテンの気配を感じる。
 その桜の挙動を背中で眺める刈谷の姿をした桜の仲間は、三階の気配を察し、桜へ静かに命令する。

「見るな。さっきまでと同じ動きをしろ」

その一言に、なるべく自然に体の向きを変えて振り返ろうとする桜。ひと時の戸惑いは、『桜よりも判断を優先できる仲間』の言葉に従うことの方が間違いないと感じる主従関係。
 その仲間は、予定通りに行くことを最優先するように、桜の混乱を防ぐためにも、再確認をするように目的を話し出す。

「防護服に着替えるんだ。予定通り俺が、ANYのバグを利用して、潜入する人間の刈谷に変わり、何事もなく半年間偽装潜入する事が目的だ。今度は俺が奴と『同時に』死ななければならない」

「わかりました」

 今にも頭を下げて了解の意を表現しそうなほど命令に従う桜。その言葉通り、二人は防護服に着替え始め、三階から監視されている事を意識しながら、鉄柵に近づかないように、なるべく自然に、警戒されないように、春日の姿をしていると思われるRの刈谷を目的に建物に向かう。
 横に並んでゆっくり歩く二人は、口元を大きく開かずに、これからの展開を話し出す。

「水谷、俺はまず加藤達哉の動きを封じる。また、邪魔をされないためにも」

「また? とは」

「あぁ……Rの刈谷を背中から撃ったあと、加藤は隠し持っていた拳銃で、俺と撃ち合った。今までは、お前がシンギュラリティ世界を理解するために、俺からRには直接手出しをしなかったが、お前もこの世界を理解して、人間の刈谷の存在も確認したお前が抹殺した今、加藤の存在も邪魔でしかない。だから邪魔が入らないように、地下の扉を上から塞ぎ、春日の姿をした者がいる三階に上がる」

「私は何をすれば?」

「お前は玄関ごしで、三階の窓から春日の姿をしたRの刈谷が降りないか監視してろ」

「わかりました」

 二人は館の玄関に触れられる距離まで近づき、桜は刈谷の姿をした者を護衛するかのように、ホルスターの拳銃を握りながら後ろを振り返り、三階の窓に目を光らせながら、次の言葉を待つ。

「お前がシンギュラリティ世界で人間として存在するために、刈谷のZOMBIEを使って『お前の本体を襲撃』させた。そして俺もこのままRとして、『本体の指示』を中心に生きていくつもりはない。『俺たちの神となるあの者』の言葉の元、俺達の利害は一致した」

「はい、その通りです。そして万一、人間の刈谷が生きていた場合、直ぐに始末致します」

Rの二人は、自分たちが望む形と世界を手に入れるため、存在を手に入れるため、館の玄関でお互いの計画を語り、行動しようとする。
桜は静かに玄関のドアを開きながら、監視体制をとる瞬間、開ききったドアの先、二人の目の前には、想像もしていなかった存在がいた。
油断が出来ない存在に、その存在から響く笑い声と一緒に、ノイズ(共感覚)が色めく景色に、刈谷と桜のRは同時に拳銃を構え、警戒体制をとる。
その空間で最初に言葉を放ったのは、桜の横に並ぶ、一番驚嘆したと思われる仲間である。

「だれだ!? 『俺の肉体』に……誰の意識が入った!? まさか……」

「は、は……ハハハハハハー!! ハハ……ハ……ハハ……アハハハハハー!!」

 高い声で笑うたびに、黒い色が矢のように鋭く広がり、散っていく。止まらない色の主は、二人の目の前で跪いており、階段の脇で、やや階段の影に入りながら、体を横に向けているシルエット。膝をついていても、稀に見るような高い身長を思わせる身形、何度も両手の拳を握り、体の機能を確認するように、まるで自分の目的を完遂した賛美のように、階段の影で高く笑う『鈴村の姿』が在った。
 黒くにじむノイズにより、更にかすむ表情。それでも、誰にでも認識できる笑みを浮かべながら、『Rの鈴村の肉体』を持った人格は、玄関で拳銃を構えるRの桜と、隣に並ぶ『Rの刈谷の肉体』に入っている鈴村へ、横顔のまま、聴こえるように語る。

「上手くいった……わしの……いや……俺の肉体から、同時に死んだ事により、意識だけを解離する事が出来た!! 死にたかった……あの『肉体だけ』を!! シンギュラリティ世界で何度もそれを考察したが、128年も経った『老体』をクローンで生まれ変わっただけでは身動き取れんかった……春日に変わった人間の刈谷の姿を見て、奇跡が起きるこの世、モンストラス世界なら、肉体のチェンジが可能だと思った!! シンギュラリティ世界で問題を起こせば、人間の鈴村がこの世に再び送るのではないかと踏んでな!! 上手くいった!! ハハハハハ!! お前……見た目は刈谷だが、中身はRの鈴村……だろう?」

「か……加藤? そんな」

 鈴村より先に、桜から零れる名前。
横顔から、真っ直ぐ桜と刈谷の姿へ顔を向ける『鈴村の姿をした加藤』。
鈴村。それはモンストラス世界の管轄であるR。本体である鈴村に謀反をたくらむ者。その計画をシンギュラリティ世界で『ある者』に聞かされたRである桜。
言葉を一番失うのは、本体を裏切ったファクターであるRの鈴村であった。

「無言は答えだな!! 鈴村!! お前のお陰だ!! お前がRの刈谷を背中から撃った後、俺は人間の刈谷より貰っていた拳銃で、お前を撃った。そしてお前も老体の俺を撃った。先に撃たれたRの刈谷が、死に絶えるまでのカウントダウンが終わる間際に、うまい具合に俺たち三人は、同時に死んだ!! Rの刈谷、Rの鈴村、そして、クローンとなり、それでも変わらず老体だった、この加藤達哉が!!」

「くそ、加藤達哉……水谷!! 加藤は俺が抑える……春日の姿をしたRの刈谷の確保を優先しろ」

「は、はい! あ……か、管轄!! 春日の姿をした者が……三階の窓に足を!! 飛び降りるかも知れません!!」

 玄関ごしから春日の姿をしたRの刈谷を確認した桜。
 その頃、三階の窓際で自分の意識と戦う春日の姿をしたRの刈谷は、自分に唱えていた。

「ハァ! ハァ! ハァ! この世界を……自分で理解……しろって……事……かぁ!? 加藤さんよ!! ハァ! ハァ!」

加藤によりこの世の理を聞かされたRの刈谷は、自分自身の姿に捕まる事や、ややこしい尋問に合うことも避け、三階から目で見てしまった自分の姿への世界のあり方の答えを見つけられるような気分で、レミングのように新しい世界へと飛び込もうとしている。そして、つじつまの合わない現象のエクスチェンジが起きたことも知らず、加藤と鈴村と桜のやり取りにより世界がひび割れるような空に舞う共感覚現象を三階で目の当たりにしながら、飛び込んだ。
一階では鬼気迫る空間。鈴村が桜へ命令を発する余裕を与える前に、加藤が咆哮する。

「俺は自由だ!! 目的は達成した!! デジャヴュは起こさせん!! 死なない程度に相手してやる!! ぐがぁぁぁあああああ!!」

「刈谷が!! 飛び降りた!!」

 黒いノイズを吐きながら、Rの鈴村に向かい突進する加藤。
鉄柵に向かい飛び降りる刈谷を確認した桜。
その刹那、無駄に言葉を発しないRの鈴村に『ZONE』世界が発動する。

――加藤の能力……monstrous時代の産物。フェム……聴いた話だけなら、残忍で狂暴。それだけなら、それ以上の暴力で押し潰せる。monstrous時代の記憶情報が本体の鈴村からは少ない。何故モンスターとまで呼ばれる? 人を喰らうのか? だがな、このスローモーション世界となったこの空間では、こっちのフィールドだ!!

 鈴村がZONEであるスローモーション空間の最中考察していると、すでに加藤は最初の地点より、鈴村まで半分の距離まで来ていた。

――速い……異常に筋力が発達するのか? しかし、それだけでは、この空間では無意味だ。今、加藤を殺してしまったとして、もしデジャヴュの戻る時間が、すでに肉体解離後の世界なら、俺の姿のままの加藤を逃がしてしまう。確実に加藤を戦闘不能にし、ここで抑えなければ。加藤が襲いかかってくる体の角度……ここに届くまでの踏み込む足、利き腕……余裕を持って右側に回り込み……足を払い、上から叩き、押さえ込む。

 鈴村が『ZONE』空間の中、加藤の行動全てを想像して、加藤が回避しづらいであろう行動を、長い思考時間で、丁寧に押さえ込む方法を計算し、それを積み重ねることで、加藤の能力がそれほど脅威とは感じなかった。
 つまり、Rの鈴村は知らなかった。monstrous時代の脅威を。
 なぜ、寿命が伸びるのか。
 なぜ、常人では考えられない反射神経があるのか。
 なぜ、意識が無くなるほどの獣な人格となるのか。
 なぜ、人を喰うのか。
 Fortune(幸運)Electro-Magneticwave(電磁波)という、言葉の話を先人より聞いていたFEM(フェム)とは何か。
 それら全ては、『なぜ』と思ってわかるものでもない。それを体験することで、味わうことで、襲われることで、少なくとも、一度は衝突しないとわからないものだった。そして相手は、老体の加藤ではなく、若い肉体を取り戻した、狡猾な歴史をもつ全盛期のmonstrous(奇怪で恐るべき怪物のような存在)である。
加藤は鈴村と対称的に、突然床を蹴り、鈴村が回り込む先に、ショートカットするように軌道を合わせる。

――ばかな!! 俺が行動する前に!! こいつの能力……先が読めるのか!?

 軌道を合わされ、すでに目の前にいる鈴村の姿をした加藤。そして加藤は、鈴村の顔で形相を見せる。その顔を目の当たりにする刈谷の姿をした鈴村。鈴村本人であれば、このように思うであろうか。自分にはこのような顔をすることが出来たのかと、自分の元の体に何が起きているのだろうと、毎日鏡を見てきた自分の姿が、今まで見たこともない顔つきで迫ってくるような気持ちであろうか。
体より顔が、前に前に突出したかのような自分の姿に威嚇されている鈴村。
鈴村の中では、加藤が走り出してから一分は経過しているのであろうか。加藤からすれば一秒か二秒のことであろうか。数秒、自分の姿に怯え、数秒、加藤の能力の分析に追われ、数秒、これからの攻撃方法を考え、それらを含めて、鈴村は完全に『ZONE』の世界に自分を油断させていた。
明らかな突出してくる首に、鈴村は加藤の喉を狙い、硬く握った拳を下から突き上げる。しかし、すでに加藤は姿はそこにはない。そして鈴村も、それが当たらないことは長い空間の中、理解していた。
鈴村が力を込め、叩き込もうとする前の、助走のような行動は、加藤にとって、次の行動へ移れる時間。
勢いを持って振り上げた拳は、その勢いに体を持っていかれる。それは遠心力のように、どれだけ時間があっても避けられない自分自身の所作。

――駄目だ!! 読まれてる!!

 その固く握って天に突き出した拳を、加藤より大きく軌道から外している間、見えていながら見失いそうな、無駄な動きがなく、当たり前のように、鈴村の懐に入り込んでいる加藤は、腹部に狙いを定め、両手で掴もうとする。

――クッ!! 離れなければ!このまま体を掴まれたら勝ち目がない!! くそ、なんだこれは!? 何故動きを読まれる。monstrous時代は全員がこうだったのか!? 『ZONE』空間でも先に読まれる方が早いなら、かなう者がいるはずがない!!

 ゆっくりと口元が笑みに変わる、鈴村の容姿をした加藤。振り上げた拳を防御に廻す姿勢に間に合わない、刈谷の姿をしたRの鈴村。壁際に攻められた体は足を使って逃げる事を躊躇(ちゅうちょ)する。逃げる道が既に読まれているだろうという疑念。
 加藤より数十倍の思考時間があるにも係わらず、monstrous時代の産物である加藤の怪物的な能力を軽んじた油断により、その永い時間は自分を戒(いまし)める皮肉な時間と変わる。
その戒めの時間に、加藤の笑みは喜びに変わり、懐に居る狂気の怪物は、刈谷の姿をした鈴村の防護服をスーツごと引き裂く。その引き裂く腕力に、鈴村の心は覚悟する。
 見当たらない弱点。理解出来ない程の先読み。普通の時間の流れよりも1/50(一秒経過するまでに50秒)で進む『ZONE』空間の脆弱。
鈴村は考える。普通の人間より何倍の身体能力があるのかと。別の部屋にあった残骸、やはり喰うのかと。そしてこの空間でゆっくりと、予感する次の攻撃。引き裂かれる勢い、だが死ねば発動するデジャヴュ。死なない程度と言った加藤。どこまでいたぶられるものかと。
 Rの鈴村の心は、人間の鈴村である本体と同じようにみえて、環境により変わる思考なのか。信念の弱い思考なのか。心で認めた敗北。
鈴村が諦めそうな刹那、加藤の姿勢が変わる。永遠と感じさせる恐怖の怪物は、突然、想像よりも体を低く構え、態勢の変化のあとに確認するかのような目線、それは桜のいる玄関に向けられた。その加藤の目線を感じた鈴村の目の前には、狙いの集中した銃弾が加藤の頭の上と、鈴村の目線のすぐ下を通過する。
その銃弾の軌道元は、人間の鈴村がANYを用い、設定していた、『ZONE』の許可をもらっていたRの桜が、この『ZONE』空間を認識しており、消音機のついた拳銃を構えて発砲が終わった様子。
その桜の目線は、飛び降りているRの刈谷と思われる春日の体が、鉄柵に刺さる瞬間を目撃していた。そして『ZONE』現象は終わる。

「加藤!! 私達を倒すのは無意味よ!! 今、刈谷のRが飛び降り自殺をした!! デジャヴュが始まるわ!! あなたの自由は終わりよ」

 言い放つ桜の言葉に、余裕に溢れていた加藤は、顔を歪ませる。

「水谷!!」

「はい!!」

「どの結果に転ぶか予想不可能だ!! Rの刈谷に怪しまれるな!! そして、予定通り、世界を一つにするぞ!!」

「わかりました!! そして、加藤達哉……終わりよ」

 加藤は隙を見せた。それは『ZONE』が解かれてからの矢継ぎ早な桜と鈴村の会話と、飛び降りた刈谷によるデジャヴュの可能性、それに対して立ち回る優先順位の思考が一瞬遅かった。
鉄柵に刺さったRの刈谷が死ぬ前に、デジャヴュにより肉体が戻らないと想像できる最低30分以上は、刈谷を生かせるように手当をするべきか、そのために目の前の桜と鈴村を戦闘不能とするか。
そのような面倒を全て省くかのように、加藤の野望を崩したと確信した桜の冷たい口元の笑みと同時に、桜が立つ玄関の真左にある、大量に積まれた爆薬に向かって、発砲する。

「ぐがぁぁぁあああ!! 俺は!! あんな体に戻らんぞおぉぉぉ!!」

 木魂(こだま)するような加藤の叫びと同時に、monstrous時代の戦慄のモンスターは、モンストラス世界より陰を潜める。
館は一瞬で爆発した。飛び散る木片に激しい黒煙。その爆発と同時に、Rの桜と鈴村と刈谷の意識は飛ぶ。その飛んだ意識は消滅せず、揺らぎ、くすぶり……違う場所で目覚める。

「ん! 俺……生きて……いるのか?」

 刈谷はゆっくり起き上がる。そして辺りを見ると館は原形がなく、頭から血を流した桜と、門に串刺された春日の姿が見える。

「春日……俺があそこに……墜ちた……意識が……入れ代わった!? チーフは!?」

 三階から飛び降りたRの刈谷は自分の体に戻り、それまでの『ZONE』空間の出来事も知らず、気絶しているとみえる桜に駆け寄る。

「チーフ!! チーフ!! 大丈夫ですか!?」

 意識がゆっくり戻る桜。頭に響く音は聞きなれた同僚の声と雰囲気。デジャヴュが起きた事を認識しながら自分の立ち位置を考えながら慎重に返答をする。

――この雰囲気は……Rの刈谷。姿も元に戻ったか。「ん……お前……か……もう一人は?」

「良かった!! 頭以外の怪我はないですね。春日は……残念です」

「ん? ………春……日?」

 桜は起き上がる。そして串刺しになった者を見た瞬間、名前を叫ぶ。

――刈谷の姿で春日を春日と言った。この世界の認識は……おそらく逆転したままだろうか……刈谷への世間の認識は、まだ春日? く、一貫性を保たなければ。「か、か……刈谷ー!!」

「はぁ!? 刈谷?」

 刈谷に抱きかかえられた手を払いのけた桜は春日に向かって走り出す。

「刈谷!! なんてことに!!」

 刈谷よりいち早く春日の遺体と思われる鉄柵に近づく。桜にとって、現在の鈴村と加藤の認識の所在がどこにあるかなどの心配もあったが、刈谷に眺められている手前、今、目の前で起きている惨事に対応するしかなかった。
 しかし、骸と思っていた春日に触れ、大きく取り乱したかった桜であるが、その凄惨な体躯の右手は微かに反応していた。

「ぅう……」

――これは……春日は生きてる? いや、息を吹き返した? それに……誰の認識?

 大きくわざと春日の体を揺らし、微妙な春日の生を刈谷に悟らせないよう芝居をする桜。しかし、鉄柵に刺さった春日から、続けて微かな呻きが春日から聴こえる。

「ぅぅう……く」

――息を吹き返した!? くそ……どちらにしても助からない。生きていると認識されてないレベルなら……いや、一度は死んだと認識されて生き返ったなら、もしかしてデジャヴュは起きないかもしれない……それでも、デジャヴュがおこる覚悟で。

 刈谷に背を向けた桜は、痙攣を見られない様に体を揺さ振りながら、誰の意識のRか確認する前に、力強く、力強く、刈谷に背中を向けながら、春日の口を塞ぐ。

「おい春日!! 刈谷の体をここから抜く!! 手伝えー!!」

 その言葉の裏に、掴んだ腕から、脈拍が感じられなくなった時、春日と呼ばれているRの刈谷は、困惑しながら近づく。

「ちょっ、あの……彼は残念ですけどぉ、刈谷は俺です!!」

 桜は刈谷に顔を向け睨みながら近寄る。その口を塞いだ手は力強く握られている。

「ぐぁ!! ………チーフ」

 桜は刈谷の顔を殴る。殴る気配を感じていた刈谷もまた、桜の行動を見極めるために、甘んじてその拳を受ける。

――刈谷に様子を探られてる。やり通す!! 「おい!! ふざけた事言ってんじゃねえぞ!! 早くしろ!!」

「くそ!! どうなってやがる……チーフ!! おかしくなっちゃったんすか!?」

「手伝わないなら帰れ!!」

 刈谷は桜の形相に押され、春日の体を二人で持ち上げて、門の囲いから抜く。そして丁寧に地面に置くと桜は、春日の顔を叩きながら声を掛ける。

「おい!! 刈谷!! おい!! あ゛あ゛あ゛ー!!」

 うなだれる桜に刈谷は声を掛ける。

「チーフ……俺……何がなんだか……俺は……春日じゃ…ない」

 桜は少しずつ顔を上げ、執拗に訴える刈谷に向かい疑念を尋ねる。

「おい!! その根拠はなんだ!! お前が・カ・リ・ヤ・と言う根拠は!!」

「それは……支所に帰ればわかりますしぃ、全ての報告書とかで証明出来ますよ!!」

 自分への疑念を晴らす為にも、刈谷は桜の目を真っ直ぐ見つめ訴える。

「じゃあ確認してやる!! おかしな事を言っている奴と仕事は出来ないわ!! ここで待ってろ!!」

 桜は携帯電話を出し操作しながら車に向かう。どのようにこの場を切り抜けるか考えながら、まずは明らかな人物へ連絡を取りたかった。その桜の背中を眺める刈谷は、自分の存在を疑うことなく、それまでの自分が知り得た情報と老体である加藤の所在を心配する。

「はぁ……何が起きてる!? あの地下室はどうなってる!?」

 刈谷はまだ煙の立ち込める館に近付き、階段付近を眺める。

「駄目か!! 瓦礫をどけないと確認出来ない!!」

 瓦礫をひとつひとつ退ける刈谷を見ながら桜は、右手に持つハンカチで、頭の傷口を抑えながら電話を掛ける。その番号は、あくまでも記憶の中で知っている番号。繋がれば、今の状況のほとんどが整理できる相手だった。

「管轄……ですか?」

「水谷か……どうやらお互い、自分の肉体に落ち着いたようだな」

「はい……Rの刈谷も自分の肉体に戻ってますが、この世の認識はどうなってますか?」

「今、俺は見慣れない森林の中にいる……一番刈谷に近いお前なら、わかるはずだ。調べるのに一番良いと思える方法は、何だと思う?」

「そうですね……私の声では知られているため難しいですが、匿名や顧客を装って支所の刈谷や春日の名前を呼び出すのはどうでしょう。不在と言われると思いますので、その時に、例えば体格のいい体型の人物だったか、スマートな体型かなどと、あやふやに特徴を伝えて一致しているか尋ねると、返答がくると思います」

「いいだろう……俺が確認する。かけ直す」

 桜は着信音をサイレントに変え、Rの鈴村からの返事を待つ。Rの刈谷を観察しながら。電話を掛けているフリをしながら耳にあて、バイブレーションの着信を待つ。そして着信は、想像よりも早く掛かってきた。

「はい……」

「水谷……刈谷という者は支所に存在しない」

「そ、それじゃあ、なら……あの刈谷は……自分を刈谷と信じている春日ですか?」

「春日の特徴を尋ねたところ、細身の体格と言われた」

「細身……刈谷は春日の認識。では、どうします?」

「春日を、刈谷にしてしまうんだ」

「え!?……どういう形にするんですか?」

「支所全体で、春日が爆発事故により、ショックにより別の人格が現れたとして、解離性同一性障害が起きた事にする」

「解離性……多重人格ですか!?」

「そうだ。皆の意識を刈谷に集中させろ。我々への意識を隠す為にも、本来シンギュラリティ世界からの監視役と思われた人間の刈谷がいたが、Rの刈谷を人間の刈谷だと思わせるんだ。そして我々の管理下に置く。職務不能だと思われる判断でも、半年間の保護義務を利用しろ。そして、俺はシンギュラリティ世界に行き、あえて存在しない者の葬式を職員や本人の記憶として作る。このRの世界なら記憶操作もできるはずだ。そして、暫くして……刈谷が春日の話を露骨に始めた時、お前がチーフとして、様子を見てきた結果、治らず、心身喪失扱いで病院送りにすればいい。本人は刈谷と言い張るだろう。自分で首を絞める事となる」

「管轄……大胆な発想ですが、可能ですか?」

「さっき言った通り、我々は世界を一つにするために、すでに大胆な事をしている。それに比べれば、大した事ではない。そして同時に、シンギュラリティ世界の様子を見なければ。まずは本体の刈谷とお前の生存の有無」

「管轄!! 私の本体はZOMBIEが!! 刈谷の本体は私が始末しました!!」

「始末したはずだが、加藤達哉の件もある。今の刈谷が本体という可能性もある。慎重に事を運ぶんだ」

「わかりました。支所は私がまとめます。シンギュラリティ世界はお任せ致します」

「よし……あと、お前がシンギュラリティ世界に行ける手段は残っているか?」

「いえ……思ったより時間が戻ってしまいまして、鉄柵に刺さったのは葉巻を持っていないRの春日でした」

「葉巻か……わかった。話は以上だ」

 認識の解離を体験したことから生まれた発想か、それを元に桜と鈴村は策略を練り、混沌の先にある、Rでなく、人間としての存在の為に、あざむき、実行する。そして桜の言葉を待つ刈谷は、この世界の根本を語った、加藤達哉の消息を確かめるため、瓦礫を掻き分け続ける。

「ハァッ! ハァッ! くそ! 加藤達哉! まだ生きてるよな!! ハァッ! ハァッ!」

 策略を終え、亡霊のようなものを追っている刈谷に近づく桜。

「おい、確認が取れた……お前は確かに書類上は『刈谷』だ!! だけど私の今までの記憶は違う。お前……このことは誰にも言うな!! いや……言わないで欲しい。私は……このままだと……心身喪失者扱いだ。仕事を失う訳にはいかない。殴った事は謝る。思い出すまで普通に接してくれないか? ……刈谷」

「あ、いやぁ……もう大丈夫ですよぉ。気にしないで下さぃ。それと……内密……了解しましたぁ。きっと頭を打ったせいで一時的なものだと思いますねぇ」

「すまない……そして刈谷。お前が無事で良かった」

 刈谷は桜の言い分を快諾すると、瓦礫(がれき)の撤去を進める。

「刈谷、何を捜しているの?」

「はぃ! この階段の地下室に加藤達哉がいるんですよぉ! もしかして生きているかも知れません」

「二人の効率は日が暮れるわ! 今、職員に要請出す。その方が早い」

「そうですねぇ……解りました!」

 瓦礫の量を見て諦めのついた刈谷は、桜の指示の元、職員の到着を待つ。

――どうする……すでに支所への連絡が滞ったことで、要請を出さなくても、応援として職員が多分向かってきている。職員が到着して瓦礫を撤去する。刈谷はきっと見届ける。私が帰れと言えば、疑念が生まれる。万が一……加藤達哉が生きていた場合、私達の策略を刈谷に伝えた時、Rの管轄と私の計画が邪魔される可能性がある。けれど……鉄柵に刺さった春日の肉体に入っていた意識……すでに春日の意識は消滅したはず。春日でなければ加藤しか有り得ない。なら……意識のない加藤の肉体はある? ………わからない……理想は肉体が消滅してること。けれど……意識がなければ問題ないわ。ここは……やり通せる。そして、新天地へ向かうわ。

 未来への希望と策略の先に待つ、自分の新天地を夢見る桜。展開を整理した桜は、平静さを取り戻し、きな臭い館の前でたたずむ。
 その桜を森林に紛れて眺める鈴村の姿。意味の深そうな笑みと共に歯を見せながら、その二人の様子を確かめるように、深い森林に身を潜めた。






 【バタフライ・エフェクト】


〜蝶の羽ばたきは惑星終焉序曲〜


「どうだ? あれでも助かるか?」

「不思議ですね……あれだけの出血で命を取り留めているなんて」

13:51 シンギュラリティ世界。LIFE YOUR SAFE本部。救急治療室。
モンストラス世界よりリンクしてきた鈴村は、救急診断と治療の経緯である患部状態を尋ねる。

「何があったんでしょうか? 無意識の中でありながら、見た目からは想像出来ない筋肉の質量と収縮による止血。一言……有り得ない事例です」

常駐医である『香山弥生(カヤマヤヨイ)』は、未知な回復症状に、鈴村への答えを遠回しに出来事の真相と興味を尋ねる。通常であれば、医師に詳細を伝えることは義務でもあり、治療にあたって聞くべきでもあるが、シンギュラリティ世界とモンストラス世界を行き来する鈴村へ、出過ぎた言葉や、鈴村本人が伝えてこない事は、全てが差し出がましいと思うのが普通であった。それは支所の職員と違い、噂以上にモンストラス世界へのリンクを慣行している事を知っている本部職員であるがゆえ、鈴村の職務は、混乱を防ぐために『言えないこと』の方が多いからである。

「あ、すいません……余計な事を言いました。まず、命は取り留めました。ただ……傷ついた臓器は……すぐに手術して人工臓器を使用する事になるでしょう。他の臓器への負担を減らすためにも広い範囲で……」

「人間と言える範疇か?」

「はい! 人間です! 男女生殖機能の肉体構造があるか、寿命もあり、遺伝細胞がある限り、どれだけ臓器を人工的にしても、シンギュラリティ世界の定義では人間です。ただし、もしこの方がRの場合は……」

「Rの場合は?」

「はい……ご存知の通り、毎週シンギュラリティ内を、周波数をRに合わせた『EMP』により、人間とシンギュラリティ世界のANY以外の、意思を持ったRが拡散しないよう、その場で機能停止とされるでしょう」

EMP。高エネルギーであるサージ電流が発生して、通常以上の電流が伝わる現象。Rの機能停止のみに考えて作られており、都市を包むドームの路線より規則的に放射されている。シンギュラリティ世界では本部内の職員のみ、日程を認識しており、鈴村が知らない訳が無いこともわかっている上で、弥生は日程の認識確認をされているのかと感じながらも、素直に鈴村へ伝える。

「次の予定は?」

「はい……確か、今夜……ですね」

「一応聞いてみたが問題ない。こいつは、人間だ」

「そうですか! 安心しました。必要ならクローンの肉体にと思いましたが……鈴村管轄がその点を踏まえていない訳がないと思いますので……余計な事を言いました」

「いや、いいんだ。細かいシステムを見直さなければならない時期もあると思うから、再確認したかった」

「重責は理解しております」

「では任せるぞ」

「はい! あ……この方のお名前は」

「特別任務中だ……救急と言えど、今、個人情報は開示出来ない」

「先程は……いえ、管轄がおっしゃるなら」

言葉を続けたかった弥生。しかし鈴村をこれ以上わずらわせる事も出過ぎた言葉と感じ、聞きたいことがあれば鈴村から漏れなく聞いてくるだろうという意識に切り替えた。
 そのまま鈴村は弥生に聞こえない程度の息をつき、処置室を退室する。

「さぁ……始めるわよ」

弥生の上部天井から患者体内の構造が映るモニターが天井と平行してゆっくり下がってくる。手術代の下、内側から弥生をサポートする関節の多く長く伸びた鉗子(かんし)やゾンデや剪刀(せんとう)が触手のように伸び上がる。
その中のひとつ、ボイスレコーダとして機能している触手が、弥生の口元に近づき、弥生も顎を近づけ、これからの展開とボイスレコーダーに吹き込む。

「14:00……本日2件目の緊急手術……Aさん……男性」

14:06 LIFE YOUR SAFE 本部管轄室。
その部屋は、応接する為の部屋として使われることのない、完全に閉鎖された空間。厳重な壁と、多重に開閉される交差する扉。光沢あるドアに黒い影が近づく。

「鈴村だ」

手のひらを扉にヒタリと密着させ、振れないように真っ直ぐ扉に映る自分をほんの数秒眺めていると、指紋、網膜、声紋の全てが一致と判断され、一枚、二枚、三枚と交差に開く扉。鈴村は認証されると、静かに頭から入室する。
入室と同時に点灯する照明。壁一面のモニターは、本部内全ての監視映像が一望できる。その空間に佇む鈴村は、特に何かに触れるような気配も出さない。ただ、聞き耳をたてる。

<モンストラス-誤差-現在-ゼロ日。更新-調整完了。モンストラス-誤差-現在……>

「わかった……ANY! 『180日』進めてくれ! 時間はシンギュラリティ世界と同期しろ」

<モンストラス-180日-advance(進行)-了解-準備完了-約20分-準備完了後-自動更新予定>

180日。それは刈谷の任務期間を意味する。刈谷や桜にとっては長い半年間であっても、鈴村にとってはモンストラス世界の進化を強制的に進ませて、結果だけを見ることができる。モンストラス世界という惑星自体が若いままの変わらない星であっても、Rにとっては、その半年間は『確実にあった出来事』であり、早送りで進む世界でも、体感できない。それは太陽を中心に周る星たちが、さらに自転という星独自で回転していても気づかないものと同じであり、一秒で数千キロメートルで自転する星でも、その星で地に足をつける者には一切体感できないものである。
鈴村の言葉を的確に認識して、その問いに答えるANY。わざと人間らしくない言葉にしてあるのか、それはとても機械的な音声であり、単語を並べたような返答。そして無駄がなく、人間と機械を区別したかのような声が広すぎない反響しそうな部屋の中で響く。
鈴村は監視映像モニターを眺める。外のモニターには、普段着陸している向きと逆の方向にヘリコプターが止まっているのが確認できる。ヘリコプターのロゴには『LYS』と表記されているが、本部使用のヘリコプターではなかった。

――支所から誰か来たか。俺に係わることであれば入口で一旦止められるが……警備員……モニター上、特に問題ないな。

警備室やその他のモニターを眺めても、警備員の挙動に問題が無いことで、意識を切り替える鈴村。

――まずは潜入開始した刈谷を確認したところで『ZONE』をインストールしなければ。いや、万全を期すなら新プログラムの『シンクロ』を試す手もある。すでにRの水谷には急遽優先して更新と共に『ZONE』適応してるはずだ。「モンストラス更新情報を教えてくれ」

<更新回数128>
<R強制消去回数6>
<予想更新との誤差+54>

更新。それはデジャヴュがモンストラス世界全体で行われた回数であり、同時にデータの劣化により強制消去されたRの人数。
デジャヴュがモンストラス世界で開始するまでに集めていた自殺者の統計情報により予想された人数は、この2時間ほどで74人だった。その数よりも54人の誤差、予想より大きく上回った合計128回ものデジャヴュ。
各国ごとに更新地域を定めており、デジャヴュによりさかのぼる時間は更新された地区を中心とした一定地域だけだった。その他の地域は微調整させるように時間が緩やかとなり、全ての地域は数分から数十分で時系列を同期させていた。モンストラス世界のRがデジャヴュに違和感を持つには早すぎる短時間。そこに鈴村は違和感を持つ。

「54? ……モンストラスLIFE YOUR SAFE所属、春日雄二のR生存情報を教えろ」

<モンストラス-LIFE YOUR SAFE-R-春日雄二-行動中-データ-14%劣化>

――劣化の統計が取れていないが、今のところ問題ないだろう。刈谷は春日として潜入が始まったな。問題はその後の誤差の原因だ。「春日雄二のRにプログラム『ZONE』適応だ」

<春日雄二-プログラム『ZONE』-インストール-了解-更新完了>

「新しいプログラムの『シンクロ』は準備できたか?」

<プログラム『シンクロ』-現在-使用不能-可能時間-計算開始>

「計算はあとでいい。予想更新の誤差原因や認識不明Rはいるか?」

<計算停止-モンストラス-R-認識不明-行動不能-肉体基礎-春日雄二>

――何故春日が残る……54回のデジャヴュのバグか? 混乱が起きるとまずいな。「認識不明Rを削除しろ! その後の環境や削除は自動で任せる」

<モンストラス-認識不明R-削除-了解-15分以内-更新予定>
【next-selections(慎重に選択して下さい)】-
【自動更新(デジャヴュ)-advance(進行)-自動削除(劣化R自動削除)】-
【命令が3種類重複しました】-
【ANYの自動環境保全に不安がある場合、『自動更新環境』を解除し、その都度、『命令更新環境』に、しますか? しませんか?】

モンストラス世界を管理しているANY。ANYの判断よりも、直接の命令が増える場合、ANYの判断に不安がある可能性を考慮して、三種類の命令を受けるたびに命令する者へ確認をするANY。
その声は、今までの機械的な音声とは違い、人間に対して柔らかく確認する人間らしい声。単純な音声では誤解が生まれる可能性もある。
モンストラス世界を人間が管理するか、ANYが管理するかどうかの選択。それは自動的にデジャヴュを行うかどうかでもある。人間の命令を優先するように作られたゆえの機能ではあるが、鈴村が常にこの管轄室に居るわけにもいかなかった。

――この確認機能はそのうち無効にするべきだな。不死現象が始まった今、命令更新にするとデジャヴュが起きない。「更新命令は以上だ! 自動更新環境は続行してくれ」

<自動更新環境-続行-了解>

「モンストラス管理室には入室者はあったか?」

<モンストラス-管理室-本日-入室人数-0>
<52時間34分前-1>

「最後の入室者は誰だ」

<モンストラス-管理室-最終入室者-不明>

――やはり、何度確認しても、今から52時間前の認識されない入室者……これを発見したのは俺のR。モンストラス世界で突然現れて、管理室の存在と侵入を俺のRに予告したファクター。俺のRは今どこまで知っている……ファクターはなぜ侵入出来た!? ここに入れるのは、俺だけだ。ZOMBIEを作り出した者は、この星でハッキングでなければ……まさか……「モンストラスR! 鈴村和明情報を出せ」

<モンストラス-LIFE YOUR SAFE-R-鈴村和明-モンストラス-不在>

「なに!? どこにいる」

<R-鈴村和明-シンギュラリティ-63分前-リンク完了>

――どこに居る。「R鈴村和明! 携帯電話位置情報!」

<R-鈴村和明-携帯電話-位置情報-現在-不明》

――これでは居場所がわからない。それより……まずは異常がないかモンストラス管理室を確認するべきだな。「モンストラス管理室に入る! 専用エレベーター」

<モンストラス-管理室-エレベーター-機能開始>

モニターの向かいに面する壁が、一部分、縦横に開き、三人は入れないほど狭く、一人で昇降することを考えられた管理室へのスペースが現れる。そのスペースに侵入して後ろを振り向いた鈴村は、見送りも存在しない管轄室に一言告げる。

「俺以外、入室させるな」

<入室制限-鈴村和明-了解>

エレベーターの扉が閉まると同時に、壁も痕跡なく元に戻る。
鈴村の懸念するファクターの存在。Rの鈴村に対する疑念。モンストラス管理室の安全確認など、多様な不安要素を排除するべく、管理業務を粛々と進める。
Rの鈴村の行動は90分ほど前に始まった。

     ◆◆◆

12:38 モンストラス世界。
桜との電話を切り、森林の中たたずんでいたRの鈴村は、遠目で桜と刈谷を眺めながらしばらくたたずんでいると、少しずつ響いてくる馬力を感じる音。応援が到着したと感じた鈴村は館より遠ざかり、それと同時に震える携帯電話の着信に耳にあて、誰かともわからない相手と連絡をとっていた。

『管轄!! 間もなく到着致します!! 連絡により、いち早く応援に駆けつけましたので、荷台に職員は数名いますが、このトラックの室内は私ひとりです!! 私のような一職員に、ご命令いただきありがとうございます!! よろしければ直属の上司である田村に、このことを伝達致しようとも考えておりますが』

『それはあとでいい。君の名前は確か……』

『はい!! 職員の田崎健太(タサキケンタ)と申します!!』

『そう、君が先ほど電話に出てくれたのがひとつの縁だ。やはり直前に話した者の方が話しやすいものだ。そして、先ほど話したように、春日という者が現場の事故で心神喪失気味な様子となっているが、それは水谷桜の指示通りに動いてくれ。それと……』

『はい!! しっかり頭に入れました!! 春日に関しては水谷チーフの指示通りにします!! そして別件でのご指示、わたくし田崎健太は!! 確実に『見つけて』確実にお届け致します!!』

モンストラス世界の絶対的存在である鈴村と直接会話が出来ているという感動や興奮からか、復唱を先走る田崎。鈴村が刈谷の存在を確認するために支所へ電話したときに、受付係から取り次いだ職員。
鈴村は桜との電話のあと、すぐに支所へ電話を掛けなおし、少し不器用にも感じる雰囲気と実直な性格に何かの利用価値を感じたか、何かを捜索する命令を下していた。

『そうか、それでは宜しく頼むぞ。君のことは覚えておく。そして、探し物の『二つ』のうち一つは……』

『はい!! それはすぐにお届けします!! そして、もし『死体』があった場合は田村と内々に埋葬することで良いでしょうか?』

『そうだ、事故の影響を考えて、なるべく水谷と春日には目に触れないようにしてくれ。事故に遭遇した二人の精神状態を見ていきたい。そして、この電話での命令の復唱は不要だ』

『はい!! 復唱いたしません!!』

『俺のいる場所は伝えた通りだ。俺から連絡がない限り電話はするな。静かに行動しろ』

『はい!! 連絡いたし……』

田崎の復唱を確認する間もなく、通話を切断する鈴村。秘密裏に動きたい鈴村にとって、田崎の生真面目さの難をみせる対応に不安も感じつつも、身動きがとれないのか、森林の中、少なからず周りの鳥の鳴き声や草むらの揺らぎの気配に神経を傾ける聞き耳と視野を用いて、とくに行動を始める初動もなく、その場でたたずむ。
その表情は、先ほどまでの電話をしていた表情とは違い、力を抜いた穏やかさを感じる。木々の揺れる葉からまばらに降り注ぐ日差し。あまりにも自然を感じられる空気感。その殺意も悪意も感じない『違和感のない』一人だけの無限と感じる時間に、目を閉じながらも深い呼吸を味わっているかのようでもある。
自然の静けさから耳に入ってくる異音。鈴村から見て館の方向には話し声が聴こえる。桜の指示により館への瓦礫撤去による顧客捜索が開始したと思われる。
館の玄関付近は完全に吹き飛び、中央の階段が剥き出しに正面にそびえている。どこから捜索を始めるか迷うほどの中、先ほどまで鈴村と会話をしていた田崎は、誰よりも先に階段の正面へ向かい、体を低く屈めながら左右を見渡す。一見瓦礫の様子を眺めているだけの自然な振る舞いにも見えたが、階段の一番下の段でバランスをとるように寄りかかっている左手は、細かい動きをしていた。そして突然立ち上がると、桜へ振り向き、はっきりとした声で自分の行動の許可を求めた。

『水谷チーフ!! わたくし田崎は、爆発によって森林に火種が飛んでいないか簡単に見て回りたいと思います!!』

うなずくだけで了解をした桜が違和感を持つことなく、田崎は館を背にして、アナログ時計で言えば短針が9時の方向へ、迷うことなく向かった。
けもの道も感じない森林への入口には草の低いと思えるところから足を踏み入れ、数秒で館の前で思案する職員には、田崎の姿は確認できないほどの茂みへと入っていた。
田崎が森林へ侵入すること約2分、田崎の右手側より静かに鈴村は現れた。

『あ、あの……もしかいたしますと……』

『ああ、鈴村だ……見つかったか?』

『あ!! お!! お疲れ様です!! わたくし!! し、支所職員の!!』

『もう挨拶は十分と電話で聴いた。もしあるなら見せてもらえないか?』

『は!! はい!! こちらになります!!』

極度に慌てながら作業用のズボンの左側ポケットから、鈴村が求めていた葉巻がでてくる。震える左手から自分に向けられた葉巻を丁寧につまみながら引き抜く鈴村は、静かに葉巻を両手の指でつかみ、潰れない程度の力加減で感触を確認していた。その感触に何かを感じたのか、言葉を待つ田崎に伝えた。

『良くやった。君は実に職員として優秀な存在だと感じるよ』

『は!! はい!! 恐縮であります!!』

『その調子でもう一つの捜索も上手くやって欲しい。そして田崎、君の功績は頭にしっかり入れておくから、何か進言したいことがあったときはしっかり耳に入れよう』

『は!! はい!! ありがとうございます!!』

『あと、君の支所の所長の名は……』

『はい!! 町田です!!』

『そうか……では、その町田には、俺はしばらく支所を周ることはしないと伝えておいてくれ。個人的な調べ物があってな……そして、半年後には、これから世間で起こる現象の会議を行うと言ってくれればいい』

『現象、ですか? どのような』

『まだ詳細は言えないが、その確認にしばらく時間が掛かる。君にもその現象が理解出来たとき、半年後、君からもその現象の感想を聞きたいものだ』

『は!! はい!! 了解いたしました!! 町田にはそのように伝えておきます!!』

『ああ、もう一つの捜索は信用できる人間と、上手くやっておいてくれ。そのうち写真や映像で確認できればいい。そして、話はこれで終わりだ』

『はい!! ご命令いただき!! ありがとうございました!!』

田崎に背中を向けた鈴村は、振り返ることなく、更に森林深く、そして田崎は目で確認できなくなると、鈴村の方向に一礼して、瓦礫の館に戻る。
鈴村が森林を少しの時間巡っていると、森林がひらけた空間に出る。静かに目だけを辺りに泳がせると、岩石が埋まっているであろう草木の生えないところに目を止め、静かにそこの上に立つ。
田崎から受け取った葉巻を取り出して、一度は使用したと思われる先が黒く焦げた葉巻を両手に持ち、巻かれている、茶黒な葉をはがし始める。丁寧に、中に潜む、壊れてはならないものを無事に確認するため、落ち着いて広げていくと、葉巻の中からは、虹色に輝く粒子が積もるカプセルを手にする。片手の指でつまみながら、覗くようにその輝きを眺めていると、目をつむり、意を決したように両手の指でつまみ直し、自らの体にまんべんなく広がるように振り撒いた。光に包まれたRの鈴村は、誰に知られることもなく、モンストラス世界より姿を消した。

     ◆◆◆

13:08 人間の鈴村が管轄室に入室する58分前。
Rの鈴村は、リンクソースの光により形が形成され、シンギュラリティ世界に現れる。モンストラス世界と同じような岩石の上でたたずみ、どことなく周りの景色は違うが、その場所だけは草木がない。その場所に選んだ理由は、鈴村がほかの物体と同化してしまうような不穏な可能性を最低限防ぎたかったからである。
館の近くでリンクを始めた事で、モンストラス世界と同じ付近にリンクされた鈴村は、すでに無くなっている館に向かって歩きだす。

――シンギュラリティ世界か。携帯電話は破棄した。俺の位置の全ては把握されないはず。本体に気づかれる前に接近……水谷桜に言ったように、まず世界をひとつに……そして…monstrous時代はモンストラス世界ではもう起きないだろう。

館の有無を確認したかった理由もあり、そして自分の所在地を確認したかったため、まずは館の場所まで歩く鈴村。今後の考えを巡らせながら、目的の場所に踏み入れると、やはり館は消失しており、不自然なくらい鮮やかな芝生がその一帯に生えていた。しかし、目に触れたものに、多少なりとも驚きを隠せなかった。

――この星を……ん、こいつは……まさか!?

近づき、様子を眺めて、それに手を触れる。そこに感じた未来への予想図に更なるスパイスが加わったかのように、想像以上の期待と、予想の出来ない展開のユーモアからか、逆光に暗くした表情の口元は、白い歯が少しずつ大きく広がってみえる。

「ハハハハハ!! 予想外かもな! 鈴村にとっても! 桜にとっても! 俺にもな!」

すでに館が無くなっている綺麗な芝生の上でたたずみ、甲高く笑うRの鈴村。その目にした出来事や背景を想像しての事か、自身への自負心からか、両手を広く上げ、陶酔な笑みを浮かべながら、予見する未来を語る。

「一つの小さな出来事は! 世界を狂わす!! 蝶の羽ばたき一つで! 世界は壊れる!! CHAOS(混沌)はモンストラス世界だけでなく! シンギュラリティ世界でも起きる事だろう!!」

叫ぶ鈴村の足元には、ジャケットの背中が破れ、そこを中心に血を滲ませた春日雄二がうつぶせに倒れている。一見すれば生を感じない凄惨な状態であり、なぜここに春日がいるのかも不明な状況。それでもRの鈴村には、それがひとつの導きであるかのように、春日を肩にかつぎ、辺りを見回す。

――奴らが乗ったヘリがあるはずだな……着陸可能な地点は……。

重いあしどりで進む鈴村。すでに場所が予想出来る事からか、迷いなく確実に進む道。森林の中、微かに道らしき道を進むと、先に見えるのは道の終わりを知らせる光。その向かった先には『LYS』のロゴが入ったヘリコプターがある。それは人間の刈谷と桜が、館に向かう際に使用したものである。

――アナログなタイプならいいが……よし! キーも付いたままだ。

落ち着いて操作するRの鈴村。エンジンを始動させ、ドームの路線を眺めながら上昇させる。

――予定通り進むか!? 今までの流れは全て危うかった……確実ではなかった。だが、すでに計画は別行動に進んでいる。俺の存在が本体に見つかる前に。いや……見つかるのはいい……目的を果たせればいい。邪魔はさせない。

シンギュラリティ世界のドームの外は追いかけるような雷雲により雨が降り始めた。都市部に侵入した時点で影響を受けないドーム内、斑(まだら)な雲の隙間、これから雷雲により見えなくなりそうに漏れる太陽の光、鈴村はその隙間から漏れる光の下、眩しく目を薄めながら、ヘリコプターを一定時間停滞させてつぶやく。

「陽の光……人間の為に造られた世界。この世界よりまだモンストラス世界の方が、生物の生きるべき世界。自然と言う言葉の驚異はどこに……この星はすでに、人間だけのものではない」

そのつぶやきが終わると同時に、陽の光は暗闇に覆われた。
13:40 Rの鈴村はLIFE YOUR SAFE本部に到着する。

――ヘリコプターの接近で気付かれたかもな……だが構わない。自然に振る舞えばいい。ここはすでに調査したという情報を『あいつから』聞いた。

本部の四方八方は別の建造物を認めない孤立した建物。隙の見えない頑丈さを感じられる緊張感の塊。Rの鈴村はヘリコプターを着陸させ、重々しいあしどりで入館する。

「管轄! お疲れ様です!」

「あぁ……治療室へ向かう」

「はい……先ほども患者を搬送していましたが、何かほかにもお手伝いできることは……」

「極秘任務中だ。それが言えればとっくに連絡している」

「は!! あ、失礼致しました!!」

「取り急ぎこいつを診せる。救急治療室に行く。案内しろ」

「わかりました!!」

警備職員の誘導により鈴村は治療室へ向かう。そこでは人間の鈴村によって運ばれた、もうひとりの患者が治療を受けていた。

「ふぅ……終わったわぁ……桜さん」

治療室の隣。手術室では手術が終わったばかりの桜が横たわっている。落ち着いた事で息をつく弥生。そのまま桜を個室病床へ運ぶ手続きを取ろうと看護職員に連絡をしようとした時、連絡もなく突然、手術室の扉が開く。

「救急患者だ!!」

「ちょっとお! 突然入室は……か、管轄……また、ですか?」

弥生にとっては、同じように運んできた鈴村の再来。何が起こっているのか確認したいところではあったが、鈴村に対しては余計な質問をしない通例があり、それでも弥生には気にせずにはいられなかった。それは鈴村が患者を運んできたこと以外でも、患者が本来助かる見込みが少ない状態で命を取り留められた驚きでもある。鈴村に訪ねたい点は多々ある弥生ではあるが、静かに看護職員への入室を要請するボタンを押し、鈴村が運んできた春日を寝かせる手術台へ誘導する。

「こちらに寝かせて頂けますでしょうか」

「ああ、それと、先に連れてきた者の容態は?」

「水谷桜さんは、手術成功です!」

「そ、そうか……成功だな」

口ごもりながらも手術の成功にオウム返しをするRの鈴村。連絡を受けて入室してきた看護職員によって、桜は個室病床へ運ばれていく。Rの鈴村は、人の気配がするたびに警戒するように目に触れる人間の顔を確認し、大胆に本部へ侵入していることが人間の鈴村へどのように映るのか試しているようでもある。
まだRの鈴村が本部へ侵入していることに気づいていない人間の鈴村は、桜を救急治療室に運んだあと、モンストラス世界の状況をエンジニアと会議室で協議をしていた。モンストラス世界を半年間進めること、新プログラム『シンクロ』の完成。モンストラス世界で死者を出さない自動更新(デジャヴュ)の安全性などを綿密に話し合い、安全性を確認したところで管轄室へ向かう。それは手術室からRの鈴村が退室した頃と同じころであった。

     ◆◆◆

14:10 人間の鈴村は、管轄室より専用エレベーターを利用してモンストラス管理室に入る。
薄暗く、無数のライトで照らされた物体。そこには楕円形の巨大な物体が三つ。その内の一つは、機械的な轟音を響かせながら、物体を安定しようとしている何重にも機械に包まれた惑星。惑星と呼ぶには小さすぎる世界。
ブラックホールの全てを引き込む引力のしくみを利用して、重力を惑星の中心核として配置し、その引力を永遠とするためにも環境に合わせて計算された水素とヘリウムをモンストラス世界の周りに送り込み、モンストラス世界を飲み込ませないためにも、海や山より中心核へ通じる入気口を無数に作られていた。遠心力を利用して、強制的に惑星を自転させ、宇宙に放り出されても機能させるための準備としてオゾン層を生成している。
モンストラス世界のソフトな部分であるRや更新を繊細に管理しているANY。その他ハードな部分を管理しているのは、ANYの一部の機能を有した『リトルANY』である。

「リトルANY モンストラス管理に問題はないか!」

<EARTH-1-生物生息可能惑星-未確認>
<異常なし>
<EARTH-2-生物生息可能惑星-未確認>
<異常なし>
<EARTH-3-生物生息可能天体-確認済>
<EARTH-3-確認済名称 -モンストラス>
<異常なし>
<全惑星-問題-見付かりません>

――『惑星』。成功したのはこの一つだけ。シンギュラリティ世界の限界が来る前にモンストラス世界を発展させ、シンギュラリティ世界の人類全てを移住させなければ。新天地へのファクターを排除し、この世界の機能を持ち込む為には……モンストラス世界が同じ進歩を果たさなくては。だが……まだシンギュラリティ世界のANYが作られるような特異点が起きない。それはmonstrous時代により人口減少による発展の失速。フェムという能力が生存のためにもたらした、能力を有する者だけが生き残るための進化。皮肉にもその能力は『Rを排除する事こそが能力が生存できる』という進化になったがな。

モンストラス世界を第二のシンギュラリティ世界と考える鈴村。
人類の平和には、人口増加が必要と考えられる経済的な惑星であるシンギュラリティ世界。
人類の平和には、限られた数の人口だけが必要と考えられる生存的な惑星であるモンストラス世界。
惑星の優先度は、モンストラス世界を作り上げたシンギュラリティ世界の都合が優先である。いくつもの惑星を作り上げることで、シンギュラリティ世界の人口がどれだけ増加しても、モンストラス世界のような移住可能な惑星を無限に作ることで、人類の平和を永遠にすることが鈴村の使命である。
鈴村は、この小さすぎて、目前には巨大すぎる惑星への期待を考えるたびに、鈴村の決意と信念を思い出させてくれる夢の国である。轟音は生きている証であり、その反響する音は、ひと時の雑念をかき消す神聖なものでもあった。
気配に気づかないほどの。

「モンストラス世界は……失敗だ」

「な!? 誰だ!!」

鈴村の後ろから、神聖なひと時を壊される雑念の声。体ごと振り返り一歩下がって警戒する鈴村。そこには、エレベーター前の壁に背中をつけて横目で鈴村を見る、居るはずのない人物がたたずんでいた。ライトがいくつも照らされている空間ではあるが、薄暗く、影に入っている男。それでも目の前にいる鈴村には、男の表情は確認できている。

「まさか……どうなってる!? なぜ入る事が出来た!? お前は……」

「入る事が出来た? 三日前からいたんだよ……管轄」

「三日前?」

 理解が出来ない。そして知っている者への出会いに戸惑う鈴村。さらに理解できないことは、自分以外に伝えた言葉である。

「リトルANY……リンク……鈴村和明……モンストラス世界」

<リンク-鈴村和明-了解>

その男が発する言葉にリトルANYは反応する。壁から現れたリンクの筒が、ソースである鈴村を取り囲む。それはモンストラス世界へリンクさせるための準備。なぜこの男がリトルANYを作動させることが出来るのか。そして、この空間で三日間の滞在の理由と、滞在自体の可能性の難しさと、目の前の男は、居るはずのない人物だということに鈴村は動揺を隠せないのか、取り押さえることも躊躇している。

「ばかな!? 何故作動する!! リトルANY!! 解除だ!!」

「鈴村……命令にも優先順位があるからな」

「優先だと!?」

「リトルANY……鈴村和明……リンク時にEMPだ」

<鈴村和明-EMP-了解>

「何が目的だ!! か……」

「君は自分の夢の国で、夢を見るがいい」

名前を叫ぶ前に強制リンクされる鈴村。同時にEMPを放射されたことにより、鈴村がシンギュラリティ世界に戻る可能性を失わせた。男は鈴村の気配が消えた事で、次の指示をだす。

「リトルANY。全惑星……強制進化に対応する準備をせよ」

<全惑星-進化準備-了解>

全ての惑星が、サビが極度にこすれたような重さでゆっくりと摩擦の味をだしながら、更なる轟音を響かせ、モンストラス世界同様に発達可能の準備を開始する。

「後は……見届けるだけだな。どうなるか見物だ」

男は専用エレベーターに乗り込む。

「リトルANY……俺が昇ったあと、エレベーターの扉はロックしろ。誰も利用させるな」

<ロック-了解>

     ◆◆◆

 14:22 モンストラス世界。加藤達哉の館。

「水谷チーフ!! コーヒーです!! お疲れ様です!! 一息ついて下さい!!」

「ありがとう……」

 先の展開を考え込んでいたRの桜。耳に響く声で元気に語りかける田崎の気配りでコーヒーが入ったカップを見ようともせず受け取ろうとする。

「あ!」

 受け取ろうとした桜は手を滑らせ、カップを落とす。次々に増員されて瓦礫の撤去に取り掛かっている職員の数にひとりひとり気にかける事も難しくなり、職員が何かを発見する報告を待つような状態。そこに加藤達哉の骸はあるのか。桜にとって都合の悪い何かが埋まっていないか。色々な可能性を払拭する手段を考察する桜にとって、落ち着ききれない心境があった。

「すまない……折角の気遣い。落としてしまって……代わりは平気よ」

「え? 何のことでしょうか?」

「え!?」

「必要でしたら、飲み終わった後にまたお持ちしますね!」

「い……今……」

 その瞬間の違和感に小さな疑念が生まれた桜。その時、ちょうど車のエンジンを始動させて、瓦礫の館よりRの春日の肉体を運ぶために車が出ようとしていた。桜は『手に持っている』カップを置き、車に向かって走り出す。

「待って!!」

「はい?」

「死体を確認させて!」

「死体……ですか?」

 車の後部を開き、そこに乗っている物体を確認する桜。そこには振動を圧縮するためのスポンジを詰め込んだ、両手で抱えられるくらいの頑丈な箱がいくつも積んであった。桜の想像していた春日の死体が積んでいる形跡もなく、突然起こった違和感に今の状態を整理したかった。

「な、ない……」

「チーフ! 今積んだのは、不発だった爆弾を処理した物を運ぶところでしたので……死体などは」

――やはりデジャヴュが起きた……『落ちたはず』のカップは『落ちてなかった』。

 ほんの一瞬、カップを落としたと感じる一瞬のタイミングで、世界の認識が変わっていた。大きく時間がさかのぼらないデジャヴュに、ほんのわずかな変化で職員全員の認識が変わったのだと思えることに、この場ではわからない何かがシンギュラリティ世界で起きているのではないかと考える桜の元に、刈谷が駆けつけてくる。

「チーフ!」

「なんだ……刈谷」

「刈谷? 春日さんですよね……」

 桜に聞こえる程度の声で、職員が困惑な目で桜と刈谷を見るが、桜はその問いに反応を見せない。
桜は刈谷には報告書をすぐに書くよう指示を出していた。記憶が新しいうちに綿密な報告書を仕上げているうちに、加藤達哉の死体は大人数で捜索するという流れ。細かい内容で書かれた報告書は、後に刈谷を精神疾患で失脚させる材料にしたいとも考えていた。
そして、加藤の死体があるとしても、なるべく第一発見者が刈谷であることを避けていた。発見の報告があり次第、桜自身の目で確認して、生きていた場合、早いうちに言葉を語れない存在とするため、刈谷は現場から遠ざけたかったが、報告が細かい田崎の、都合が悪い報告により、刈谷が先に聞くこととなった。

「職員の田崎から聞いたのですが、加藤達哉の死体が……ありませんでした」

     ◆◆◆

 14:23 モンストラス世界。本部会議会場。

――くっ……モンストラスか!!

 シンギュラリティ世界より強制リンクさせられた鈴村。シンギュラリティ世界ではモンストラス世界を中心とした新惑星管理室であるが、モンストラス世界の同じ場所では重要会議会場として使われている。そこはステージの演台の前。所々で会場の設置をしている職員が目につく。

――葉巻は!?

 鈴村は葉巻を割りカプセルを眺める。それは、いつもは虹色に輝き一粒一粒がANYと繋がったリンク方法ではあったが、その粒は黒く、カプセルの内側全体をくすませていた。手首に近い部分に埋め込まれていた同じリンク機能をもつ最終手段も、反応がなく、完全に機能しなくなっている。

――くそっ! 機能していない! 俺のもつリンク手段は壊されたか!!

 広すぎる会議会場。人目につくことを避け、ステージの裏へ身を隠そうと、緞帳幕(どんちょうまく)に身を隠し、裏口から外に出ようとしたとき、緞帳幕裏側にある控え室のドアから、簡単なノック音が聞こえる。外開きのドアで誰かがぶつからないためにドアの外に人がいないか気を遣いながらゆっくりドアを開いたとき、裏口のドアの前にいた鈴村に気づき声を掛けてきた。

「あ! お疲れ様です管轄! 今回は長い出張だったんですね! 支所の町田から突然調査で姿を消すって聞いて驚いたんですよ? 秘書の意味がないじゃないですか! 半年ぶりですが、珍しくお早めな出勤ですね!」

 笑顔でユーモアをこぼす爽やかな言葉で久々に顔を合わせたと感じさせるモンストラス世界の管轄秘書が声を掛ける。

「あぁ……今日の会議の主題はなんだ」

「え!? 管轄、面白い事おっしゃいますね。もしかして準備が早すぎましたか? 管轄が半年後にある現象の会議と聞いていたので、きっと話題となっている不死現象の会議かと想像していましたが……」

「不死現象……そうか……モンストラス世界は半年経ったか」

「だ、大丈夫ですか?」

「すまない……」

「え!?」

 秘書に拳銃を向ける鈴村。硬直して動けない秘書。きっと拳銃を構える理由を話し出すはずの期待。当たり前のように秘書は訪ね始める。

「な、何の、冗談です……がぁ!!」

 鳴り響く銃声。理由も告げられない別れ。それは不死現象であるデジャヴュの特性を利用した迷いなき判断。デジャヴュはモンストラス世界の環境を過去に戻す。それはつまり鈴村はこの世界にはいない理屈。過去に存在していない鈴村は、ANYのバグともいえる特性を利用して、本来自分がいた世界へ。

     ◆◆◆

14:24 シンギュラリティ世界。モンストラス管理室。
 モンストラス世界は過去に戻るが、シンギュラリティ世界ではモンストラス世界の時と変わらない時間。すでに鈴村をモンストラス世界に飛ばした者の気配は感じられず、その空間は先程よりも轟音が鳴り響き、モンストラス世界以外も稼働している様子。再びモンストラス世界に飛ばされないためにも、辺りを警戒し、様子を探る。

――戻れた……危なかった……そして、あいつはどこに行った!!

     ◆◆◆

 14:31 シンギュラリティ世界。本部屋上。
男の目線には、上昇気流により、少し風を感じる事で深く息をつくRの鈴村の後ろ姿。その姿を眺めながら近づく、本体の鈴村をモンストラス世界に送り込んだ男。一度振り返るRの鈴村は、なんの警戒もなく、再び空を覆うドームを眺め、その外は雨が滴っている様子がわかりつつも、ドームの内側は世界の情報が文字とモニターできらびやかに表示されている。不自然な世界を見飽きたRの鈴村は男に振り返り、警戒なく必然的な対面と感じる笑み。

「元気そうな姿で安心だ。上手く行ったな。モンストラス世界の管轄よ」

「ふっ、管轄か。ああ……お陰様だ。上手くいくかは正直不安だった。Rの桜も俺の言葉に耳を貸す」

「そうか、Rの桜を取り込むことで、モンストラス世界の本部と、主要な支所を掌握させた訳だが、未来はあるか?」

「未来は……宇宙の判断に任せる。この世界を見れば、嫌でも決心がつく」

 冷ややかな眼差しでドームに包まれた世界を眺めるRの鈴村。語りかけた男が本体の鈴村をモンストラス世界へリンクさせること自体が作戦の一部。本体の鈴村からすれば、不安因子であるファクターの密会。それは正義のためだとするものなのか。目的への倫理観やスケールの大きさを感じていた計画に、ここにきて決心を伝えた。

「不死現象……どうだ! 少し体験しただろ?」

「無理があるな、あれは……Rを減らす能力に、Rを殺さない機械との小競り合い。どれだけ倫理を失う。何度も更新を繰り返せば、Rを劣化させ、皆、口を揃えてきっと言う。『目覚めた』と……」

「はっはっはっはっはー!! 『目覚めた』って!! 悟りを開いたと勘違いするようなもんだよ!!」

「お前は、なぜ俺にやらせようと思った? 俺は、お前が来ていれば、お前を殺すつもりだったんだぞ?」

「だろうね。想像はしていた。それを恐れていたわけじゃないが、交代したいという奴がいてね。平和ボケをしたこの世界の中で貴重じゃないか。野望に燃えるって、人間らしくて。おかげで二日以上こもることができた。つまり運命は、まだ俺を必要としているらしい。実際今なら君もこれで良かったと思っているはずだよ。なぜ君を選んだか? 君は一番、過去を知り……やはり人間らしかったからだな。そして本来の地球の姿を渇望する者。『我々』は……地球を支配した人間が、本当に必要か見たかったんだ」

「館に来るのがお前と聞いていて、飛びかかったが、そいつはとんだとばっちりだ。最後は何を望む?」

「君の好きにすればいい。止めるのも君次第だが、今の君が望むような未来への下準備はしておいたよ。失敗、いや、運命に必要とされていないなら、全て『0』だよ。『1』もない」

「わかった。俺はもう少し、風にあたる」

「ああ、俺の仕事はもう、ほとんどないんだ。あとは芽生えた感情の精算か、進化か、次の待ち人と話をしてくるよ。楽しみだ。君も、全ての結果も。俺が迎えに来るときに、また会おう」

 Rの鈴村の方から話は終わったことを告げると、口数の多いその男は、屋上のドアから建物に入り、急ぐこともない足取りで待ち人に向かう。
 計画通りにするために人はもがく。計画通りにしないためにも人はもがく。後者は轟音が響く中で、一心不乱にもがいていた。

     ◆◆◆

 14:35 シンギュラリティ世界。モンストラス管理室。

「リトルANY!! モンストラス世界以外の惑星を止めろ!!」

【命令された時の声紋が一致しません。認証されません】

「管轄室へのエレベーターを作動させろ!!」

【命令された時の声紋が一致しません。認証されません】

「駄目か!!」

 モンストラス世界からバグを利用して帰還した本体の鈴村は、セキュリティの最も厳重なモンストラスを含む惑星管理室において、『管轄以上と認証された者』の命令をくつがえせず悪戦苦闘する。

――せめて管轄室に行ければ……いや、俺がここに戻ったことがバレない方がいいのかもな。このままだとモンストラス世界に居るのと変わらないな。だが、俺に惑星を停止させる事を防ぐ程度の制限だろう。ならば、「リトルANY!! ZOMBIEの準備だ!! Rソース! 前日のシンギュラリティ世界の鈴村和明!!」

<ZOMBIE-シンギュラリティ-鈴村和明-1日前-了解-更新予定-約60分>
【please pay attention(注意して下さい)】
【ZOMBIEは管理下に置き、非常事態に備える為、最大24時間で自動消去となります】-【それでは更新場所を指定して下さい】

「モンストラス世界!! 本部!! 会議室!!」

<モンストラス-本部-会議室-検索結果>
【複数見つかりました。候補1は第一会議室……】

「地下だ!! 会議会場!! 演説壇上!!」

<地下-会議会場-演説壇上-了解>
【命令できます。そのままZOMBIEにインストールします。どうぞ】

「そこでリンクしろ!! その後モンストラス世界へ戻り、不死現象の演説を実行!!  以上!!」

【完了致しました。命令は、ANYのサーバーからZOMBIEが命令確認後、自動消去いたします】

 自分のZOMBIEを生成した鈴村。モンストラス管理室からのロックを解除できなくても、命令されていない内容への権限は生きていると思い、発した内容。ZOMBIEが作られるまで身動きができない鈴村。邪魔であった本体の鈴村を外に弾こうとした男は、本部の玄関に向かっていた。

     ◆◆◆

 14:46 シンギュラリティ世界本部入口。警備室前。

「お疲れ様です。退館ですか?」

「ああ、そうだよ」

「入館したのは……」

「三日くらい前だね」

「二日以上駐在した記録が……お名前は?」

 名前を訪ねながらトランシーバーに触れる警備職員。その様子が見えていたかどうかの瞬間、警備職員の頭を右手で抑える男。その行動に戸惑い、危険も感じ、払いのけようとするが、大きな体格のその男の腕が払えない。もがく警備職員に、攻撃するわけでもなく、やわらかい口調で、頭を抑えながら語りだす。

「実はね、本体の鈴村は……もうこの世に居ないんだよ」

「は!? どういう……」

「俺か? もし君たちの祖先が昔、尊び、崇高した存在。『神』という存在があるとするならば、人知を超えた存在を『神』と言うならば……そんなに間違いじゃないよ」

「何を!?」

「じっとしていようよ……」

「がぁ!」

 自分を神と比喩する男は、指先から微かに火花を発火させたと感じる程度のエネルギーを流し、外傷なく、男に倒れ込もうとする体を支え、静かに床へ横たわらせる。

「君は運がいい。俺に会えるなんて。きっと天国では、いい存在になるよ」

 警備職員を気絶させ、本来警備職員の開錠により開く入口の扉。開錠操作なく自動に開く扉から退館する男。その足で本部の駐車場に向かう。最初に目についた車の鍵穴に触れると、全てのドアの鍵は解除されエンジンが始動する。

「自己操作か……進化も遅いなあ」

 愚痴をこぼしながら適当に選んだ車に乗り込み、支所の方向へ車を走らせる。そして呟く。

「愛? 優しさ? 人間の感情は理解したよ。どれだけ複雑かと思えば、取るに足らないものかも。もういいだろ。恋愛ごっこは終わりだね。最後に……哀しい別れを、体験してみるかな」

 海沿いの人工的な並木道を軽快に走行する男。途中、目に付いた薔薇の花畑。車を停車させ、薔薇の花畑に仰向けに倒れこみ、空を眺める。

「こんな感じだったのかなあ……これが欲しいのかなあ……こっちよりあっちかなあ……」

 零すような言葉。黄昏には早い時間。空には沢山の情報が流れていた。Rの鈴村が見ていた景色と同じドームの空。室内と変わらない動きのない空気感。寝転がりながらつまむ薔薇の花びらは、人工的に香りを出すように計算された造花。

「退屈だなあ……あっちの世界の方が楽しいかなあ……支所に、突然トラックが突っ込むとか」

横顔で見ても笑顔がわかるほど無邪気に笑う男。ふいに指を立てる仕草から光の細いラインが飛んでいく。
土に色を似せた弾力ある板より、刺さった薔薇を一本引き抜くと、鼻のそばに置いて眠り始めた。

     ◆◆◆

 15:36 シンギュラリティ世界。本部治療室。
 本体の鈴村が運んだ桜に続き、Rの鈴村が運んできた男の緊急手術が手術が終わり、再び個室病床へ運ぶために看護職員を呼ぶ弥生。続いた手術のために疲労困憊となったため、すぐにやってきた看護職員に後のことは引き継いだ。

「じゃあ、ちょっと私には横になるわね」

「はい! お疲れ様でした」

 弥生から引き継がれ、患者を安静させるため、病床用の服を着せる。様子をみつつ個室病床の準備をするため治療室から退室する看護職員。
人の気配がなくなったことを察したのか、いつから起きていたのか、その手術が終わったばかりの男は、ゆっくり起き上がり、周りを見回す。目に触れるものがないのか、慌てる様子もなく、床に足をつけ、扉に近づく。近づいても開かない扉。開かない扉をまさぐり、近くで触れられるもの全てに触れ始め、ふと、低い位置に穴があることに気づき指を入れると本来足を入れることで開く医療用の扉が開き、治療室は無人となった。

     ◆◆◆

 15:44 モンストラス世界。本部会議会場。
壇上に現れる鈴村。それは本体の鈴村から命令を受けて現れたZOMBIE。そして自分が鈴村のZOMBIEである自覚は生成された時点で備えており、一人になる空間を探すと、緞帳幕(どんちょうまく)より現れる管轄秘書。鈴村を見つけるなり、笑顔と久しぶりとなる驚きの表情を交互に浮かべ、話しかけてくる。

「あ! お疲れ様です管轄! 今回は長い出張でしたね! 驚きましたよ! 支所の町田から突然調査で姿を消すって聞いて、秘書の意味がないじゃないかと思いました! あ、不死現象会議……今日されるんでしたら、早いうちでしたら手配出来ると思いますので」

「ああ……少し考えさせてくれ」

 デジャヴュしたことで何事もなく話しかけてくる管轄秘書。無駄に会話しない鈴村のZOMBIEは、秘書が少し遠ざかった事を確認して、回りに聴こえない程度に口ずさむ。

「命令レコーダー……ダウンロード」

 ANYに記録させない脳に直接響くシークレットレコーダーを、ZOMBIEは、義務的で機械的にダウンロードさせ再生する。

【そこでリンクしろ!! その後モンストラス世界へ戻り、不死現象の演説を実行!!  以上!!】

「了解」

 会場にいる者に見られないように確認し、緞帳幕へ身を隠し、ZOMBIEは胸から葉巻を取り出すと、葉巻を割り、カプセルの粒子を自分に振り掛ける。
光るZOMBIEに近づく足音。支所より緊急連絡を受けて鈴村を探す秘書。それは支所で暴走したトラックが破壊活動を行っているという連絡。爆発も発生したことで増員の依頼も含めて管轄の判断も確認するために、すぐに鈴村の姿を探したが、ZOMBIEはすでにリンクされ、そこには割れた葉巻の半分が落ちているだけだった。

     ◆◆◆

15:46 シンギュラリティ世界。モンストラス惑星管理室。

「来たか!」

 鈴村はZOMBIEに近付く。目的のものを手に入れるため、そして、この空間から脱出するため、ANYの機能をフル活用させてZOMBIEを作り上げた本体の鈴村。ここにZOMBIEがリンクできたことで、心配の半分は解決した。

「持っている葉巻を全部貰おうか」

「わかりました」

 ZOMBIEから葉巻を受け取る鈴村。そしてすぐさまANYに指示する。

「鈴村和明のZOMBIEをリンクしろ!!」

<鈴村和明-ZOMBIE-リンク-了解>

 リンクソースが現れ、ZOMBIEの鈴村を光で取り囲む。ZOMBIEが間もなく消える間際、人間の鈴村はZOMBIEに伝える。

「俺を確認するまで一旦会場の外に出てるんだ」

「わかりました」

 鈴村自身が動くことが可能となったひとつの解決。そして鈴村を閉じ込めた人物を見つけ出し、企んでいることを捜索する行動に出る。その男の捜索は別のところでも行われていた。

     ◆◆◆

 16:17 シンギュラリティ世界。本部警備室。

「おい! どうした!」

「あ……あぁ、チーフ……いえ……あの」

「誰かにやられたのか!?」

「あ! はい!! 支所の制服を着た男です!! 突然頭を掴まれて……名前も言わず……神がどうとか言っていて……目立つくらい体格の良い男……多分……出て行きました」

 本部のチーフはトランシーバーを使い、職員に指令する。

【全職員!! 館内で暴行が発生した!! 支所の制服!! 目立つ大柄な男性!! 心当たりある者!! 又は不信人物を捜索しろ! 俺は管轄に報告する! 以上だ!】

 本部チーフは職員に指示し、管轄室に内線連絡をしようとする。意識がまだ朦朧(もうろう)としている警備職員。思い出したかのように本部チーフへ伝える。

「あ、あと……こうも言ってました」

「なんだ!?」

「管轄は……この世にいないと」

「な!? ばかな!」

 言葉の真意を知りたい本部チーフ。それはモンストラス世界へ行っているという意味なのか、それとも鈴村の身に何かあったのかと思考を巡らせながらも、状況が全てはまだ把握できていない中で、今できる最善を考えて管轄室へ何度も内線を鳴らす。そこへトランシーバーからひとつの連絡が入る。

【チーフ!】

【なんだ!!】

【先程緊急手術した人物が行方不明です!!】

【手術をした時間はいつだ!!】

【14:00から15:30くらいと思われます!】

 警備職員は口を挟む。

「別の人物です!! 私が倒れたのは15:00前です!」

【そいつを捜せ!! まだ中に居る可能性がある!!】

【了解です! 看護職員だけで捜索していたようですので、香山先生にも報告致します!】

「何が起きてるんだ……」

 警備職員を倒した男。行方不明の重傷者。管轄である鈴村の安否。突然起きた問題に何から対処して良いか悩む本部チーフであるが、今できることは館内にいるかもしれない重傷者と鈴村への連絡であった。
 そのような騒動を知らない者もいた。それは凄惨な状況から助け出された現状を理解しない者。

     ◆◆◆

 16:28 シンギュラリティ世界。本部個室病床。

「ここは……ん! はぁ……体が」

 ベッドが一つだけの個室。無駄の無い空間の窓際。起き上がってはいけない痛みの認識と違和感を感じる本体の桜。自分は死んだものだと思っていた加藤の館での出来事。その後の状況がわからず、刈谷の安否の心配。なぜここにいるのかという理由など、考えることが沢山ある中、味わったことのない痛みが走る体の現時点での状態も理解したかった。

――私はあの館で……死んだかと……恭介は!? 「ん!! あああ!!」

「桜さん! まだ無理よ!! 寝てなさい!!」

静かに開いた扉。起き上がろうとする桜を瞬時に見た弥生は、命令口調に言葉を発する。

「私はどうやってここに……いえ、あの! ここは! シンギュラリティ世界でしょ!?」

「そうよぉ。管轄に運ばれて緊急手術を施したのよ。何があったのぉ? 今の技術がなきゃ……いえ……すでに手遅れに見える斬撃(ざんげき)の痕跡よ?」

「それは……任務中での事ですので……あの、私は、いつ起き上がれますか!?」

「手術は完璧よ。抵抗力を落とさない為にも、明日には立ち上がって貰うわ! けれど様子は見ないと」

「あの……管轄は」

「多分、その任務の処理でバタバタしてるんじゃないかしら……二人運んでくるぐらいだから」

「二人?」

「失礼します!」

 突然扉が開き、慌てた口調で男性看護職員が入ってきた。その藪から棒にも感じる入室に弥生は憤りをぶつける。直後に気づくのは、それも考えられないほどの狼狽(ろうばい)であった。

「ちょっとお! レディの個室よぉ? ノックしなさいよぉ!! ……どうしたの?」

「すみません! あの!! 先程手術した患者が見当たりません!!」

「え!? すぐ行くわ! 桜さん! 休んでなさい!」

「え!! あの! その男性って、もしかして……」

 桜の言葉に返答なく退室する弥生。鈴村が運んできたというもう一人の人物。桜からすれば、それが刈谷であってほしい気持ちが強い。見当たらないということは、生きているという人物。それが刈谷でなければ、誰かということを考えながらも、無理に動いてはいけない予感がする体を起き上がらせず、布団に潜りながら刈谷の無事を祈った。

     ◆◆◆

 16:31 シンギュラリティ世界。本部。
 走り回る職員。縦横無尽に捜索する。それは病室から抜け出したと思われる包帯を巻いた者。その上から病床用の服を着せられた者。どこまで歩ける状態か、手術が終わったばかりの縫われた傷が開きやすい状態。探し回る職員から隠れるように身を隠す男の姿がある。

「ハァッ! ハァッ! ハァッ!」

 治療室より抜け出した男は出口を求める。そのあしどりは着実に『本人も理解してない道を迷いなく』進む。
 男が通った道をすぐに横切る本部職員。すぐ近くにいるのにもかかわらず見つけられない男。いるはずだと信じて捜索する職員。十も数えないうちにすれ違う職員同士、捜索の近況を語る。

「そっちは!?」

「いや! 見当たらない!!」

「手術したばかりだ! 遠くには行けないはずだ!!」

 遠い方から消去法に捜索する職員。少しずつ出口に近づく男。その呼吸は痛みか、走り回った肺活量からか、追われる緊張からか。

「ハァッ……ハァッ……ハァッ」

 本部職員は、唯一の脱出方法である出口付近を重点に捜索する。屋上からの可能性は地上からの目視により塞がれ、不審人物があればすぐにトランシーバーを用いて連絡が届く。発見の連絡が届かない。見つからない。

「いない!! 出口を固めろ!! ここを固めれば必ず中にいる!!」

 出口に向かい、走る職員。全ての道を通過する数。必ず誰かに接触する通路に立つ男は、一人の職員と目が合った。

「あ、抜け出したのはあなたですね!? ふぅ!? がぁ! ぐぅっ!」

「ハァッ! ハァッ! ハァッ!」

 発見された男。近付いてきた職員の口を瞬時に塞ぐ機敏さ。それと同時に意識を飛ばすほどの男の膝は、職員の腹部にめり込む。起き上がる様子を感じない職員。自分の服を眺める男。職員の風貌をよく眺め、自分との違いを確認すると、本部職員用の制服を職員より脱がし、帽子を深く被り、息を殺し、自分が倒れた職員と同じ風貌になったことを確認すると、誘われるように出口へ向かい、集まる職員と混ざる。
男を発見出来なかった職員が出口に集まり、どこを探そうかと雑談を始める中、本部チーフがやってくる。雑談を止め、チーフの言葉を待つ職員。まだ捜索しきれていない可能性も考え、そして病床よりも上階に行った可能性も考え、再び集まった職員を散らすと、ランダムに職員の肩を叩き、その叩かれた者へ指示を出す。

「お前ら三人は出口に立ってろ!! 動くなよ!!」

「はいチーフ!!」

「はい! チーフ!」

「はい……ちいふ」

 それは簡単な判断だった。下をうつむいた、行動が乏しい者を待機させ、機動力を優先した判断。

「あ、チーフ! さっき管轄を見かけました! 多分管轄室へ向かうところです!」

「なんで伝えない! とにかくわかった」

 鈴村の安否が確認できてホッとする本部チーフ。管轄室に向かって歩き出す。ほかの職員もあとを追うように各階に向かって走り出した。
玄関で待機する三人。身を隠した男は、ほかの人間の真似をしているだけだった。服も言葉も立ち方も。腕を後ろに組み、足を広げ、一見威圧的に立つ三人。その中で無言が苦手な者が話しかける。

「なんで逃げるかねぇ……お前どこ探した?」

「ぐ……ぅ」

「ん!? お前……口から……血! 動くなぁ!!」

 出口で発見された男。それでもトランシーバーへの報告は確認されない。
看護職員から報告を受けた弥生も同様に捜索していた。男性職員より少し遅れて出口に到着する弥生は、何かの声に気付く。その声は明らかな叫び声。駆けつける弥生。

「見付かっ!? 何が……起きたの」

 二人の職員は倒れている。一人は玄関から十メートル以上離れた場所に。もう一人は、玄関の前に倒れ、その職員の真上は、天井が上に凹んでいた。まるで天井に叩き付けられたかのように。

     ◆◆◆

 16:43 シンギュラリティ世界。支所敷地内 職員専用ハイツ。
同じ造りの建物が並ぶ集合住宅エリア。各々が同じ二階建ての造りであり、居住者の個性により特徴的に彩られている。自由に人工簡易ペイントが出来る外壁。今はシンギュラリティ世界に生息しない動物のペイントをふさぐように、車が停車する。ドアのチャイムの反応にすぐに中から開くドア

「やっと来たわね〜!」

「ああ、待たせたかな……咲。ほら、これ見付けるの大変だったんだよ」

「嘘!? 薔薇!? 凄い!! どこで見付けたの!?」

 束ねた薔薇。簡単に透明フィルムで包んだ光沢の強い赤や白。

「残念ながら、造花! 薔薇は珍しかったから持ってきたんだ」

「なんだぁ〜……でも嬉しい!! 相変わらず優しいんだから! 雄二は!」

「ハハハ! 咲を喜ばせる為なら、本物を見付けて来るよ」

「あはぁ! 本当に捜しそうだから大丈夫よ! ありがとう! でも、最近連絡が出来なかったけど、あれ? 本部からの指令受けてたって言ってた件、今日だった? あ、車乗る? 変えたの?」

 本体の桜と仲良しである受付係の咲。交代制による早い帰宅。会う約束だった今日、交際相手である春日雄二を自宅で待っていた。エスコートするように車へ誘導する春日。助手席を開け、咲が乗り込むと、静かに車のドアを閉める。

「実はそうだったんだ。でも交代したから、もう大丈夫なんだよ。車は借りたんだ。今日は……いつも通り、仲良しの水谷専任と一緒に居たの?」

「ん〜……所長から突然指令受けて……えっと……加藤達哉さん? 確か、雄二が補佐してたって聴いてたけど、聞いてない?……チーフの田村さんも見当たらなくて」

「知ってるよ……田村チーフと交代したんだ。もう……全て……終わりにしたくてね」

「雄二?」

「咲……なんだかこの世界、住み心地悪いだろ?」

「どうしたの?」

「永遠な世界に、連れてくよ……咲」

 意味深な言葉を咲に伝える春日。来た道を戻るように走る車。無言となる咲はキョトンとした表情で、軽く笑みを浮かべた春日の横顔を眺めながら、雷雨の去った夕暮れに向かって走る。

     ◆◆◆

 16:47 シンギュラリティ世界。管轄室。

「鈴村だ!」

 再び開く強固な扉。入室するRの鈴村はゆっくりと周りを眺める。響き渡る機械的な声。繰り返される更新情報。最低限鈴村に対して必要な情報を、開錠と共に繰り返される。

<モンストラス-誤差-180日-完了済>
<プログラム-『シンクロ』-使用可能>
<警備室より-内線履歴7件>
<モンストラス-誤差-180日-完了済>
<プログラム-『シンクロ』-使用可能>
<警備室より-内線履歴7件>


「ほぅ……便利なもんだ。『聞いていた』通りだな。ANY! モンストラス世界、刈谷恭介情報!」

<モンストラス-R-刈谷恭介-都市部-存在未確認>
<モンストラス-R-刈谷恭介-最新更新情報>
<モンストラス-R-刈谷恭介-データ消去-バックアップ-春日雄二- データ-58%劣化>

――やはり春日雄二への認識となったか……今のモンストラス世界の刈谷はR。「ANY! モンストラス世界、春日雄二に記憶をインストールしろ! 支所全体で春日雄二の葬式を行った記憶だ!」

<モンストラス-春日雄二-記憶インストール>
<記憶の種類を選んで下さい>

 モニターに表示された記憶インストールの一覧。カデゴリと検索により選択可能な記憶。 Rの鈴村は丁寧に冠婚葬祭のカテゴリより選択し、情景を選ぶ。その情景やカテゴリに合わせて、モンストラス世界では瞬時にRである春日雄二、つまりRである刈谷恭介へインストールされる。

<入力完了-記憶インストール-開始>

――こんなことで記憶が塗り替えられるのか……人間の鈴村の思うがままだな。「鈴村はどこだ」

<鈴村和明-現在-管轄室>

「シンギュラリティ世界の鈴村和明だ」

<シンギュラリティ-鈴村和明 -モンストラス-強制リンク-EMP放射-実行完了済>

「ハハハハハハハー! いいぞ! 進んだな!!」

<advance(進行)-全惑星-準備完了>
<advance-命令待機>
<advance-命令待機>

 Rの鈴村の言葉に反応するANY。些細な言葉の語尾に、現在関係性のある言葉を見つけ、伝える。それはRの鈴村にとっても、次に尋ねる内容だったため、その進行を尋ねる言葉に、目的の言葉を付け加える。

「ああ……全惑星……500億年……advance(進行)だ」

<全惑星-500億年-advance-了解-6時間以内-準備完了後-更新予定>
【next-selections(慎重に選択して下さい)】-
【強制記憶インストール-強制EMP-強制advance(進行)】-
【命令が3種類重複しました】-
【ANYの自動環境保全に不安がある場合、『自動更新環境』を解除し、その都度、『命令更新環境』に、しますか? しませんか?】

「それは、Rは死ぬのか?」

【命令更新環境の場合、Rが死亡した時、命令があるまでRは復元されません】

「命令更新環境だ」

<命令更新環境-了解-データメモリ最適化-120分以内-完了予定>

「もう一つ、Rの水谷桜の意識に『シンクロ』をインストールさせろ」

<モンストラス-水谷桜-シンクロ-範囲-指定待機>
<モンストラス-水谷桜-シンクロ-範囲-指定待機>

「モンストラス世界の意識を全てだ」

【モンストラス-水谷桜。新システム-シンクロ。意識。世界の全てが対象。了解です。水谷桜の意識を監視致します。必然性に合わせてリンク致します】

「いいぞ! 思った以上だ! 神の気分ってやつだな! ハハハハハハハハー!!」

 甲高く笑う鈴村。笑い声とは比例しない違和感のある目。次にはその目に比例する言葉を発する。

「ここで……全ての歴史が造られていた訳だ! 『monstrous』時代の元凶! 正に神をも恐れぬ技! 悲惨な歴史! 何故……何故! 何故俺を……知らなくていい事がある! これが正にそうだ!!」

 固く握った拳を真横の壁にたたき付ける鈴村。うつむいた表情は、歯を食いしばり、自分の存在を愁い、見上げる表情は、決意の再確認が完了したと思わせる。しかし、それでもまだ迷い、戸惑い、最後の可能性も視野に入れる。

「我が故郷……さよならだ! 全てを過去に!! 本来の地球に!! く……おい!! ANY!! 今日のEMPは解除出来るか!?」

【next-selections(慎重に選択して下さい)】-
【定期EMP-解除には、世界各国承認必要です。承認通知しますか? しませんか?】

「EMPが制限時間……承認……不要だ……ハハハ……ハハハハハハハ!! なんでもいい!! 音楽を鳴らせ!!」

 ゆっくりと、耳障りにならない管弦楽による交響曲が流れる管轄室。両手を広げ、開き直ったかのように足元を中心に回りだすRの鈴村。手を羽ばたかせ、舞うように、合奏の指揮者のように揺らがせる両手。鈴村の言葉ひとつで世界の環境を変化させるANY。それはシンギュラリティ世界だけでなく、言葉ひとつ、指ひとつで世界の様相が変化してしまうCHAOS(混沌)。
 事態の見えていないシンギュラリティ世界とモンストラス世界の、それぞれの最善で行動する人格たち。神の定義は世界の掌握か、崇められる存在か。それとも、自分が神と思うことでも、誰かには事実となるのかもしれない。






 【神隠し】


〜多重する意識同期は別世界からの悪戯〜


 16:58 モンストラス世界。本部会議会場。
管轄秘書から急遽連絡を受けた各機関の重役。世界に違和感を覚える一般人も含める数百人が会場に集まっている。簡易的な折りたたみの椅子を碁盤の目に並べられた会場は、職員の誘導により前から順に埋められていく。その入り具合を見た管轄秘書は緞帳幕の裏に控える鈴村へ声を掛ける。

「管轄! 間もなく始まりますが準備は宜しいですか?」

「すぐ戻る」

「え!? もう始まりますが……では進行の順番を変え……」

「問題ない……五分程度だ」

「わかりました。あと、お伝えそびれてましたが、先ほど支所で起きた事件の詳細が届いておりました」

「わかった。目を通しておく」

渡された資料を眺めながら、鈴村は控室付近の裏口から外へ出る。
ひと気のない裏口周辺。樹木が立ち並ぶ周辺には一見すると誰の気配もなく、そして外に出た理由を見せない鈴村は、手元の資料を眺めながら静かにたたずむ。すると樹木の裏側から静かに体を半分出してきた人物。それは命令を受けて先に外へ出て待機していた鈴村のZOMBIE。それをわかっていて命令をした人間の鈴村も自然と近づき、すれ違いならが一言伝える。

「任せたぞ」

「わかりました」

すれ違った鈴村二人。ZOMBIEは会場の裏口から入館し、本体が目線を伸ばす先には社用の車が並んでいる。

――まずは支所に向かい、刈谷の様子を探る。ん?……な!! なんだ!? このクオリアは!

これからの展開を想像した鈴村におきた異変。突然身体にまとわり付くような違和感を感じる。それは形容の難しい感覚質であり、痛みがあるわけでもなく、それでいて優しさも感じない。まるで自分に吸い込まれるような感覚。目に映る景色が見えているのか、見えていないのかも錯覚させられていそうな強制的な違和感の瞬間、今まで目にしていた風景は一転する。最初に聴こえたのは銃声だった。

――こ、ここは……銃声……どこだ。

固い壁に囲まれた階段の踊り場に立つ鈴村。顔を動かせばすぐに外を眺められる窓があることに気づき、地面との高さから一階ではないことがわかる。鈴村がどこの建物かと意識ながら聴こえた銃声に反応し、建物の窓から地上を眺める。

――ここは……支所か! あいつは……刈谷。なぜ、刈谷の姿のままだ……多勢な職員に水谷……何が起きている。

 17:02 モンストラス世界。支所駐車場。
職員に囲まれた刈谷と、一定の距離を空けて説得しようとしている町田の姿。それは自分の事を刈谷と訴える春日と認識されている者。

「俺が刈谷だー!!」

「すぐに春日を拘束しろ! 容赦するな!!」

「ふっ! ざけんな!! あああー!!」

響く銃声。刈谷は手錠を掛けられた両手が握った拳銃で空を撃つ。その瞬間に、すぐ近くの建物の内部に現れた鈴村。窓から眺めた光景と同時にうろたえる刈谷の姿があり、刈谷に面と向かって立ち並ぶ職員の真ん中に軽蔑の意味を表現したような口角を上げた桜の姿がある。

「近付くなー!!」

――フフ……刈谷……どうする? 私が半年間監視してわかった事、あなたは間違いなくR! 不安因子とされる私と管轄は気配を消し、あなたは心神喪失な目で見られてる……フフ……きっとこちらのRである管轄は、Rとしての私の存在を、シンギュラリティ世界にリンクするために準備をしてるはず。もう十分待ったわ。もしもRの管轄が裏切れば、私がこの世界の真実を混乱と共に広める。今、刈谷が逃亡でもすれば、ファクターは刈谷だと言っても納得するはず。あぁ……春日としてだったわね。けれど、シンギュラリティ世界の本体の管轄はどうなってる? 上手く丸め込んだか、殺害したか、けれど会っていない人間のことなんかわからないわ。ここのどこかに現れでもすれば、私の手で闇に葬る。その前にまずは、目の前で混乱した心神喪失気味の刈谷の始末ね。

直接会ったこともない人間の鈴村の事を強く考えながらも目の前にいる邪魔者である刈谷との距離を縮めたい桜。威嚇をしながら刈谷は車に近付き、背中をドアに付け乗り込もうとする。そんな時、刈谷の目に止まるものがある。

――色! 景色……なぜ今共感覚が!?

刈谷の泳ぐ目と同時に桜は眉間にしわを寄せる。それはまるで刈谷の目線の先に見えるものを目で追うようである。そして町田は刈谷の後ろに目線を向ける。刈谷が背をあてる車に飛び乗る音。それはあまりにも静かな着地であり、気づくのが遅れた刈谷以外の者は、全て刈谷から目線を外すほどであった。

「誰だ!」

建物の二階から飛び降りてきた鈴村は、叫ぶ刈谷が振り向くと同時に拳銃を蹴り、喉を叩く。

「がは! !」

「拘束しろ!」

「う゛っぐぞ! は! 離せ゛ー!」

町田の声と同時に、数人の職員に取り押さえられた刈谷は拘束され、社用の護送車に向かって運ばれる。

「管轄! 本部から来られてたんですか!」

葉巻を取り出し、火をつける鈴村。そのわずかな時間に鈴村は考えたかった。
 鈴村からすれば緊急事態に対応しただけであったが、自分がここに突然現れた理由や、春日でなく、刈谷の姿をした存在の意味を頭で整理するべく、ほんのひと時考えたいため、葉巻に火をつけ、一息するまでは声は発さずにすみそうな、ほんの数秒に状況を整理したかった。

「ふぅ〜町田……あの刈谷と名乗る春日雄二を、この半年間監視して何かわかったのか?」

「本人から聞いた限りは掴みどころのない話ばかりでした……ただ」

「ただ?」

「今起きているこの不死現象のヒントがあるかと感じたのですが、その本人『加藤達哉』の消息が在りません」

「あの春日は会ったと言っているのか?」

「はい……けれどあの建物の地下には誰の気配もありませんでした。恐らく加藤達哉は爆発で吹き飛んだものと思われます」

「ボイスレコーダーには残したか?」

「はい! これです」

――基本的な業務方法は同じだな。町田も顔と名前は一致し、『シンギュラリティ世界と同様に』、仕事に忠実で機転もきく人間だろう。水谷と刈谷の様子から、半年前の頃から認識が変わって、今になって春日であるという事を告げられ、混乱した刈谷を拘束したというところだろう。

 整理した考えが的を得ていた事に話のつじつまを合わせられた鈴村。町田から静かにボイスレコーダーを受け取ると胸のポケットにしまう。

「後で聴いておく……水谷!」

「はい!」

「お前はあの建物には春日以外は居なかったんだな?」

「はい! 間違いありません!」

自信を持って鈴村へ答える桜。その言葉だけであれば、疑う者はいないと感じるほどの真っ直ぐな言葉。それだけに言葉を用意していたとも勘ぐってしまう鈴村。

「じゃあ刈谷恭介とは……どこから現れた名前だ?」

「架空……としか申し上げられません!」

「わかった! 順次専任を交代させ顧客を護るように!」

「わかりました! 即対応致します!」

 鈴村が背中を見せると同時に、町田は義務的な業務をこの場で報告するためか、桜が担当した接客による原因の罰則を伝えるために引き止める。

「管轄! 水谷は先程の所内の事で謹慎と減給を申し上げるところでしたが」

 所内の事件。それは支所にトラックが衝突してきた出来事。その資料を本部で受け取っていた鈴村はすぐに桜の立場を考えた。ここで職務を縛ることに、鈴村が知りたい答えは見つからないと。

「あの犯人の動機は確認した……自営の仕事依頼がなく、自殺願望が元々あり、そのキッカケを探すか家族の為に生きるかの瀬戸際に断られた暴挙だ! だが今チーフ不在に何もいい事はない! 俺の判断で不処分とする! 以上だ!」

「はい!」

「はい! ありがとうございます!」

 町田と桜は声を合わし返事をすると鈴村は振り返り、葉巻の甘い匂いを残しその場を去る。その鈴村の堂々とした背中からは想像出来ないほど、鈴村自身は眉間にシワをよせ、拭いきれない疑念を思考する。

――水谷……お前は誰だ? それに、刈谷の姿で認識は春日……春日か……どうやらファクターが見えてきたな。刈谷と水谷に起きた出来事。本体の水谷の記憶をRの水谷にインストールしたはずだが……感じられない。刈谷に対しての慕情。予想と違った54回のクロニック・デジャヴュ。そして俺をモンストラス本部からこの支所に飛ばされた現象は……誰の仕業だ?

 支所の周りを取り囲む高台に移動し、遠目に町田と桜を眺める鈴村。手に持ったボイスレコーダーを聴きながら、支所全体も眺める

――なるほどな……刈谷はこの世界では存在しない。本来潜入させる本体の刈谷がR春日となり、元々いたRの刈谷は触れずにそのままの予定だったが、手違いのデジャヴュによりRの刈谷に対しての世間からの認識だけが刈谷を春日としたわけか。ならRの水谷は……本体の水谷の記憶がない元から存在した単純なR? 俺に起きたこの瞬間移動は、恐らく、開発したばかりの新プログラムの『シンクロ』。『ZONE』に代わり、モンストラス世界を安全に監視するために作られたプログラム。もしもRが使用すれば神になれる技。ならば、誰かがシンギュラリティ世界でANYに命令したはずだ。……可能性は二人。シンギュラリティ世界にリンクした俺のRか……俺を強制リンクさせた『春日』か! 春日……何者だ! 本体は加藤の館で無惨な姿になったはず!! ん? あの屋上……いつ……あいつらは現れた!?

 考察する鈴村が眺める支所の屋上に職員数名が突然現れる。その職員の中心に歓喜の笑顔で両手を広げる田村。田村の指示によって、職員は屋上の端に立ち並ぶ、集団心理を思わせるその姿に気付いた桜と町田。その狂気な行動を止めようとする二人の様が鈴村に見て取れる。そして、その突然の出現は、あまりにも不自然であり、それはまるで鈴村自身が体験した現象が田村を含める職員たちまで影響を受けたものではないかと想像する。

――シンクロか!?

 田村と桜の様子を凝視する鈴村。新プログラムの影響であるのか、それともタイミングの良い偶然であるのか。その答えはハッキリとした声を聴いていない鈴村にとっては断言できない。けれどわかることは、田村を含める職員が『すでに死ぬ意思がある』ということだった。それは何度か『死への経験値』を感じるものである。

――田村は……すでにRが劣化してるようだな。デジャヴュを意識出来てるようだ

 桜は携帯電話で叫ぶ。町田を横にして声を荒げる桜の真意は、常に逆の意識との戦いである。

【おい! 田村お前何してる!?】――なぜこのタイミングで現れるの!? 確かに私は刈谷の補佐のお前と取り巻きを頭に浮かべた!

「桜! スピーカーにしろ!」

 町田は桜に携帯をスピーカーにして一緒に聴き入る。

【チーフ……私どもは……ここは違うと思うんですよ】

【ここ? どこの事だ!】

【はい……きっと、更に目覚めた時……自分に戻れるはずです……きっと……きっと】

【自分? おい! お前何を言ってるのかわかってるか?】

【はい……自殺者の気持ちわかるんですよ……何かが違うこの世界に】

【わかった! お前の言うことは間違ってないわ!】 ――まずい! ファクターが複数と怪しまれると話が難しい!
【だから! 今は止めろ!】 ――早く墜ちて! デジャヴュが起きれば後で黙らせる事が出来る!
【私がお前達の話をちゃんと聴く!】――何人が目覚めてるの!? きっと今墜ちたら目覚める者も出るかもしれないわね。

【ありがとうございます……目覚めましたら……どこかで】

 口に出す言葉と真意が違う桜の願いが通じたように田村が羽ばたく。
 墜ちる瞬間まで桜の様子を見つめる鈴村。瞬く程度に予想通りの更新(デジャヴュ)を感じる。

――デジャヴュが起きたな……町田は何が起きたかわからないはずだ。水谷はどうだ。

 鈴村が監視する先には何もなかったようにその場を去る町田。そして桜は、何もなかったはずの支所の屋上を眺め、息をつく。それはデジャヴュ前の記憶から屋上の確認をしたかのように。その様子は、鈴村から見ればデジャヴュ前の出来事を知っている者にしか出来ないたたずまいに見える。

――やはり目覚めているな……水谷! お前はこの世界を理解している! そして、持つはずがない力を得ている!

 確信を持って立ち上がる鈴村。支所を囲む高台から駆け下りるように、そして行動に出る。その様子を知らない桜は町田と話した通りにRの刈谷の代わりに専任として田村へ昇格を伝えなければならなかった。

――田村を止めなければ……けれど、どうする? 口を塞ぐにも不死の世界……なら……こっち側に引き込むか。それに、さっきの鈴村は……私の仲間のR? そうでなとしたら、本体? でも、本体が無事にここにいるということは、計画はどうなってるの? 私はシンギュラリティ世界に行けるの?

 田村を押さえ込むために支所の裏口に向かう桜。それは田村の口をふさぐか、利用するために動き出した狂気と策略の心。だが、そのことに集中できないほど、先ほど目の前に現れた鈴村の『中身』が気になる。
 町田が罰則を与える気持ちで鈴村へ進言した事に対しての不処分の決定。それは桜にとって有利で動きやすい形。けれど初めてみせた葉巻をくわえる姿。鈴村がRか本体かどうかによって、桜自身の身の振り方が変わる焦り。
 もくろみと懸念で頭を支配している桜は覚悟を決めて支所に入ろうとする。その間際に感じる気配に気付かないほど、桜には周りが見えなかった。
 突然の腕力は、支所への入口のドアで桜をはさみ、押さえつける。

「ん!? ぐぅ……ぅ……ぅう!!」

「静かにしろ……水谷」

 左手で桜の口を塞ぎ、右手で首を掴む鈴村。壁に押し付け、いつでも首に力を込められる気配がある力加減で桜を押さえ付ける。そして、ゆっくり塞いだ左手を外す

「答えろ!! お前は何をたくらんでいる!」

「か、管轄……な、何をおっしゃってるのか私には」

「お前がこの世界を理解しているのはわかっている!! だが……誰の誘導で動いてる!」

 更に力が入る鈴村。顔が歪む桜。桜は確信する。この男はモンストラス世界のRの鈴村ではなく、本物の鈴村だと。

「言わないと……消えるぞ?」

     ◆◆◆

 17:28 シンギュラリティ世界。本部病室。
 桜は本部で起きている事態が気になる一方、モンストラス世界にいるのかどうかわからない、そばから離れた刈谷の安否の不安がよぎる。

――恭介は今どうしてるの? 私は殺す標的を言い切れなかった……もし違うRを殺した場合はどうなるの? 知っているのは……管轄! 寝てる場合じゃないわ! 行かなきゃ! くぅ!!

 無理矢理起き上がる桜。地に足を付けた時、ドアをノックする音がする

「は! はい!」

 条件反射のように声を上げた桜。その声を確認したように入室してきた男。それはRの鈴村である。

「水谷……もう起きれるのか?」

「か、管轄! あの、今ちょうど管轄に会いに行こうと」

「刈谷の件か?」

「はい! あれからどうなりました? どのくらい時間が経ちました? 無事ですか!?」

 執拗に質問する桜。言葉を整理させようと質問にすぐ答えずに間を空けるRの鈴村。

「水谷……まず落ち着くんだ」

「はい……すみません。あの、助けていただき、ありがとうございました」

「それはいい、俺から聞きたい事がある……ちゃんと任務は果たしたか?」

「いえ、私はZOMBIEに殺されたと思いました……目を覚ました恭介にも、殺す相手を伝えきれませんでした」

「そうだろうな……だからモンストラス世界では、本体の刈谷の存在があいまいだ」

「ど!? どういう事ですか!?」

「それを整理したい。そしてモンストラス世界はすでに半年経っている」

     ◆◆◆

 17:30 モンストラス世界。支所裏口。
首を抑えられて硬直するRの桜。生唾を飲み込む感触が本体の鈴村の手に伝わる。

「水谷……全てを言え!! そしてお前の狙いや期待はなんだ! シンギュラリティ世界とモンストラス世界全てを仕切っている俺に話して協力するのが、今のお前にとって得だと思わないか?」

 目線を下げる桜。それは抵抗する様子もなく、いいわけを返すわけでもなく、鈴村の放った言葉に全て頭に入れた結果、理解して、観念した様子。その様子を見て首から手を離す鈴村。桜の体から圧力が無くなったと同時に、桜は静かに話し出す。

「私は……この世界で生まれ、育ち、自分の世界が全てであることを疑わなかった……そうしたら何!? シンギュラリティ世界!? あっちが本物でこっちが偽物!? 私は何故わたし……知らなきゃよかった……私の望みは、あの世界で人間として生きること!! そのためには……本体の私が邪魔だった!!」

 桜は自分の目的を語り、下を向いたまま、立ちながら、両膝を両手でつかみながら告白する。

「いいだろう」

「え!?」

「Rのままだとシンギュラリティ世界では定期的に強制消滅するようになっている。クローンに意識を入れてやろう。人間としてシンギュラリティ世界で暮らすことができる」

「本当ですか!?」

「あぁ……ただし、別の人間として生きてもらうぞ」

「別の人間? なぜですか?」

「水谷桜……本体は生きている」

「ど! どう……して……本体はZOMBIEが」

「確かに、俺も見た時は、致命傷のはずだった。しかし、俺が体に触れた時に鼓動を感じた。シンギュラリティ世界に戻り、救急治療により、おそらくは生き延びたはずだ」

「じゃあ……私は! 私はどうしたら……」

 頭を抱え、うなだれ、腰を落とす桜。その姿を見た鈴村は、優しさのつもりでもなく、希望と理解を求めて、真実と期待となる言葉をこぼした。

「お前らはシンギュラリティ世界を新天地と考えたのだろうが……逆だ」

「逆?」

「シンギュラリティ世界はもう、もたない……俺は新天地として、新しい惑星、モンストラス世界を創造した。人として生きたいのなら、しばらくはこの世界で様子を見る事だ」

「じゃあ! このRとしての肉体は!?」

「今起きている事態が収拾された時、どちらにしろ人間の肉体を与えよう。その為にもまず! ファクターは誰だ!! 教えるんだ」

 その鈴村の問に対する答えは早かった。選択肢の無くなった桜は顔を上げ、抵抗なく口を開き告げる。

「Rの管轄が……仲間よ」

「やはりそうか!! あいつが黒幕か?」

「違う……わね。おそらくは……シンギュラリティ世界に飛んだ時……全てを教えてくれたのは……春日雄二よ」

     ◆◆◆

 17:40 シンギュラリティ世界。林道。
 咲を車に乗せ、走り続ける春日雄二。それは本部への方向へ進む道。本部に向かうわけではない春日の考えている答えはまだ決まっていなかった。

「雄二……どこに行くの?」

「どこでもいいんだよ……本当は」

「え、どうしたの? なんか変よ?」

「安心して……きっと、すぐだから」

 質問をはぐらかす春日に咲は不安がありながらも、目に止まった光景に、不安は思い出と変わる。

「クスッ……ねぇ、雄二……覚えてる?」

「覚えてるって……何?」

「あの擬似森林だけど、あの林の先にある崖であなたと遭ったわね」

「あぁ……そうだね」

「可笑しかったぁ〜アハハ! 私が崖で風を感じたくて立っていたら突然現れた雄二が……『君は何がしたい! 人間は貴重だ! まだ駄目だ! またにしよう!』って! アハハァ! 雄二、あなたどこにいたのぉ? だって突然だったんだもん! 驚いて落ちるとこだったわょ!」

「そっかぁ……そうだったね……場所が決まったよ」

「え?」

 目的が決まりハンドルをきる春日。動揺する咲を気にしない素振りで走る先。春日は目に映った出来事に、それまで余裕を持っていた表情から、その日初めて顔つきを変える。

「雄二……何?」

     ◆◆◆

 17:43 モンストラス世界。支所裏口

「そうか……春日か」

「管轄! 春日は本当は何者ですか!?」

 鈴村はその問いには返そうとしない。そして桜自身も元々見知っていた春日とは全く違う性格を感じる別人のような春日の正体も理解したかった。そして、それを分析できるのは、実際に春日と語った自分しかいないと感じたのか、出来事を語りだした。

「私は、春日の姿をした人間の刈谷から、葉巻に入ったカプセルを奪ってシンギュラリティ世界に飛んだわ。見回すとおそらく加藤達哉の館の周辺だった。けれど館の形跡はなく、私に近付いて来たのは春日。その時に私は、自分の部下に接するように話し掛けたわ」

 Rの桜はいまだに正体不明な春日との会話を思い出すように語りだす。その第一声は、すでに上司である桜に話し出す言葉には聴こえなかった。

     ◆◆◆

 半年前のシンギュラリティ世界。加藤達哉の館跡。
 葉巻のカプセルを利用してシンギュラリティ世界にリンクした桜が見回した光景は、一見すると見慣れない森林の中。館がすでに消失してはいたが、ひらけた芝生が広がる空間は、ここに館があったのではないかと連想した。状況がわからないままたたずんでいると、いつ現れたのか目線を動かした瞬間に春日の姿を目に止めた。その春日はそれまで知っていた者と違う静かさを感じる雰囲気を持ったまま、次元の違う言葉を発してきた。

「お前は、モンストラス世界の水谷桜だね」

「か!? 春日? お前……どういうことだ! ここは何!?」

「落ち着くんだ……ここは人間の世界……シンギュラリティ世界だよ」

 Rの桜にとって初めて耳にする世界の話。鼻で笑うこともできた。激怒して叱咤することもできた。けれどしなかった。それは春日の後ろに見えるものが、都市を囲むドームの滑車が空を駆けていたからだった。

「な、ここは……くっ! シンギュラリティ世界? 何のつもりだ! 説明しろ!」

「百聞は一見に如かず……か。見せてあげるね」

 桜の肩に触れる春日。桜の見ていた景色はぼやけ、目まぐるしく変化し、目を疑う景色にとまどう。春日の馴れ馴れしい接近に腹を立てればいいのか、役職者としてのプライドが掻き立てられるか。様々な感情に桜は戸惑う。

「何を!? ふ!! はぁ……こ、ここは」

 ビルの屋上に現れる春日と桜。空を見上げれば直前までの中途半端なドームと違い、そこから見える光景は未来的な景色であり、電子的な文字が空を走るドームに完全に包まれた世界であり、桜は興味の絶えない鳥肌が立つような魅力を感じる。

「ここはシンギュラリティ世界中心都市、お前が担当している地区本来の姿なんだ」

「この……世界は」

「お前は……人間ではないよ。この世界が創り上げたモンストラスという世界の住人なんだ。モンストラス世界で起きる出来事は全てこの世界で管理されているよ。お前は……偽物」

「私が……偽物?」

「うん、お前の本体はこの世界で、幸せな顔で、お前と同じ仕事と地位を持ち、刈谷恭介との結婚生活を送っているんだ」

 何を言っているのか、ひと時理解が出来なかった。それは願っている事と願ってもいない事が混じるような内容。少なくとも、Rの桜には、幸せそうな地位を持つ『本当の自分』に対して、嫉妬した。

「有り得ない……刈谷と? ふぅ……まさか」

「この世界は平和だ。ANYという人工知能の機械が人間以上の知恵と、人間以上の正しい判断力で、犯罪も少なく、安心に包まれ、そして泡のようにブクブク膨れて飽和(ほうわ)する人間。お前らは、研究の為のモルモットなんだよ。あっちの世界は、人が、ぁあごめん。モルモットが死ねない世界をつくった。そのうちモンストラス世界のモルモットはこの世界を求め、混沌と破滅の第二の『monstrous』時代な世界となるだろうね。そこでね……先に、俺が渡してやろうかなと思って……ここへの市民権を」

 話の途中までは怒りどころを探していた桜。けれど、この都市の住人となれる自分をすぐに想像した。じわじわと高ぶる感情は、目を見開かせ、震わせながら笑みを浮かべる様子となる桜。その様子を見るだけで春日には桜の答えはわかった。

「どうすれば……この世界へ」

「お前は運がいい。あ、目覚めてここに来れた事の意味ね。面倒が省けたよ。お前の本体は、複製した感情のないZOMBIEと呼ばれるRによって、モンストラス世界で始末させたよ」

「え? もう、死んでるの!? Rってなに?」

「あぁ、きっと死んでいる。普通ならね。あ、Rって、亜流(ありゅう)っていう言葉が変化した俗語だよ。簡単に言えばレプリカだね。まぁそれはいいよ。それに、まだ本体の刈谷が残っているから。あいつは、俺たちが世界を一つにする活動を暴き、鳥かごの世界を安定させるべく送り込まれたスパイなんだよ」

「スパイ? 俺達? 他に仲間がいるの!?」

「モンストラス世界の管轄……Rの鈴村和明だよ」

「管轄が!?」

「仲間に不足ないでしょ? お前に求める仕事は、春日の姿をした本体の刈谷を殺すこと。本体はRよりも先に死んだら生き返る事が出来ないんだ。そしてRの鈴村をスパイの代役に。これが条件だよ。後の流れはRの鈴村から聞くんだね。また来てよ。ここにRの鈴村呼んどくから」

「えっ、どうやって」

 その話の直後、デジャヴュによりモンストラス世界へRの桜は修正されるように戻された。そして、何度も葉巻を春日の姿をした刈谷から奪っていた。Rの鈴村と別の世界で密会するために。

     ◆◆◆

 17:44 シンギュラリティ世界。本部病室。
 本体の桜に会いに来たRの鈴村。すでにモンストラス世界が半年経ったことを告げて、言葉を待つ。

「本当……ですか? もう半年?」

「ああ、モンストラス世界の時系列はシンギュラリティ世界で全て制御している。ANYに命令して、数時間ですでにモンストラス世界は半年後の世界だ」

 桜はまばたきを繰り返し、人間の鈴村が伝えてきた任務を思い出しながら頭を整理する。

「だから、簡単に大それた任務を実行したんですね」

 そして、目の前にいるのが、それらの計画を伝えてきた鈴村と信じて尋ねるように返す。

「ああ、お前はその大それた任務の犠牲者になるところだった」

「すいません! 管轄、それは私が選んだ行動ですので……で、でも、恭介の存在があいまいなのはどうして?」

「刈谷は、殺す相手を間違えたな」

 本来はRの春日と桜を殺害する任務だった。けれど、本体の刈谷はRの春日と刈谷を爆発させていた。

「殺す相手……では、私でなく、自分のRを!?」

「まあ、そうだな……そして、それをきっかけにお前のRは暴走した」

「え、どういう意味ですか?」

「お前のRはモンストラス世界の神にでもなるつもりだぞ?」

 神。それはRの桜にも伝えていなかった能力である『シンクロ』。それをRの桜へインストールしたRの鈴村自身の口から伝えられる悪い出来事という口ぶり。

「え? 神?」

「神として……お前のRには特殊な力を備わった」

「私のR……私のRは私の記憶が入ってるはず!!」

「入ってない!!」

「え! どうして……そんな」

 全ての予定が狂っていると感じる桜。けれど、そのように心を誘導している目の前にいる鈴村は他人事のように言葉を返す。

「俺がモンストラス世界にいる間に、隙を見て、『俺のR』が仕組んだんだろう」

「か、管轄を、Rが裏切ったという事ですか!?」

「そういうことだ。お前はこの星が故郷で在りたいか!?」

「はい……けれどそれは刈谷恭介が一緒であるならば……恭介が居ないなら」

「モンストラス世界に行け」

「え?」

「そして刈谷を撃つんだ」

     ◆◆◆

 17:46 モンストラス世界。支所裏口。
 Rの桜が告白した出来事を全て理解した本体の鈴村。

「なるほどな……水谷、お前がシンギュラリティ世界に魅力を感じた気持ちはわかった。自分が本物じゃないと悟った落胆……元々知らなければいい事だな。そして、春日が何者かはまだわからない……そしてお前に『シンクロ』をインストールした理由もな」

「シンクロ? なんですか!? それは」

 桜は理解していない。それがハッキリわかる反応。少し目を桜から離して考える鈴村。伝えなければ、他の誰かであるRの鈴村か春日に利用される恐れ。鈴村にとっては、『この世界の神』として理解させることを優先した。

「『神隠し』はわかるか?」

「神隠し? 昔から伝えられるお伽話のような……突然人が消えては、突拍子もないところで現れる……あれですか?」

「まぁ……そんなとこだ。奴らの目的は不明だが……お前は今、この世界の『神』だ」

 鈴村の現実味のない言葉に桜は苦笑いをする。あまりにも当たり前に、それはシンギュラリティ世界を目にした時よりも突拍子もない話に、真面目な顔をして話す管轄である鈴村に対してもユーモアに返すような笑みを返す。

「ハハ……フフ、管轄、ご冗談を……人間でもなく、本体でもない偽物の私が……『神』!? 何もされてないわ。それでいて実感もないです。フフ、もう少しマシな冗談を……」

「水谷……モンストラス世界では色んな不可思議な現象が伝えられてる。神隠し、ドッペルゲンガー、妖怪、幽霊、輪廻転生、予知夢、地上絵、UFO……死者への礼儀に弔う気持ちで過去の称賛はするが……これらは全て、シンギュラリティ世界では、『言葉すら存在しない現象』だ」

「え!?」

「なぜかわかるか?」

 言葉さえも存在しない現象。受け止め方に悩む桜。自分は今まで世界に騙されていたと考える桜にとって、簡単に思いつく答えを返す。

「全ては……シンギュラリティ世界の……仕業……だからですか?」

「その通りだ」

「じゃ、じゃあ……私達は……それを体験したっていう人は、全て『見せられて』いたんですか!?」

 当たり前に耳にしてきた言葉。それは世界によっては当たり前であり、違う世界では認識のない言葉。
 目覚めた者。それを繰り返すとRとしてのデータが劣化していき、デジャヴュの瞬間に消えた者。それを幽霊と思う者。データのエラーやバグにより自分と同じ者を見れば、怪奇的な現象と思う者。
 目覚めるとは、何度も死の淵から生還したR。ある瞬間に、突然自害されると、そしてモンストラス世界の平穏を脅かすと思われる事態には、何も無かった様に世界を更新し、そのRの死も無かった事にする。
 Rの死は、更新を繰り返す事によりRが劣化し、その者の更新の瞬間に、データが雑になったRが断片的にデジャヴュで消える者を見る事が出来る。この世では、目覚めた者は霊感が強いとでも言われる現象。全てはモンストラス世界の中でしかおこり得ない事。シンギュラリティ世界を見た者にしか、信じられない真実。
 見せられていたと考える桜。見せるつもりがなくても防ぎきれない瞬間的な出来事。それはシンギュラリティ世界からの悪戯(いたずら)のようにも受け止められる。

「ああ……似た様なものだ。例えば、お前と刈谷に備わった『ZONE』空間。これはシンギュラリティ世界では有り得ない」

「『ZONE』?」

「今日、もしかして起こらなかったか? トラックが暴走した時」

「あ、あれが?」

「本人の意識以外全ての時間を緩やかにする技。重要人物とされる者には備わっている」

「では……『シンクロ』というのも」

「このモンストラス世界だけ有効だ」

     ◆◆◆

 17:48 シンギュラリティ世界。林道
 春日の意味深な言葉の返事を待つように春日を横に見つめていた咲。返事を期待できない様子に正面を向こうとする瞬間、春日は突然急ブレーキを踏み、素早く手を咲に伸ばし、左手を咲の頭に軽く触れると、咲は意識を失った。

「雄!? んん……」

「あいつは」

 それは咲には見られない方が良いと判断したこと。けれどそれは目的地の事ではなく、目の前ですれ違う人物を咲に見られてしまう事を避けたかった。
 車を降りる春日。それは無視することの出来ない疑念を感じた。車の20メートル先から気怠く歩いてくる本部職員の制服を着た男へ歩み寄る。本部から逃げ出した男は、前を見るというより、やや下を向き、無駄に目をちらつかせる様子もなく、呼吸だけ整えていた。
 作られた林道に並ぶ樹木から、まるで本物のような軌道ではらりと落ちていく葉っぱ。

「フゥ……フゥ……フゥ……」

 男の頭へ静かにこすりながら落ちていく葉っぱは、口元で荒い呼吸により一瞬浮かぶ。その呼吸が聴こえそうなほど近づく春日は話しかけた。

「なぁ……お前……誰だ?」

 男に声を掛ける春日。その男はゆっくり顔を上げ、そして理解できないものを見たような驚愕の表情で目を見開き、警戒をしつつも、自分が今まで自然と導かれた足どりを見失ったように、その場で立ち止まったまま言葉こぼした。

「なぁ? お前? 誰だ?」

 それは言葉を真似ている様子。更に一歩近付く春日。その一歩は男にとって防衛本能が反応する距離感。考えた事なのか、無意識の事なのか、突然踏み込んだ足は、明らかに攻撃をする意思を感じるような雄叫びを上げた。

「ぐがああぁぁあぁあー!!」

「ほう……あはは、『背景放射』を浴びた者か……じゃあ、ZONE発動……50いや、1/100-MODE」

 あと1秒あれば接触したと考えられる距離感。防御態勢をしない春日。防御の代わりに春日の口ずさみと同時に発動するZONE空間。
 道路沿いにそびえる樹木から、葉っぱが春日の目の前を横切るはずだった。その空間は葉の動きも静止して見える静寂。春日に向かって来る男は固まらせた形相と、春日を掴むか引き裂く為の両手。跳躍力を感じる一歩。お互い同じ動きしか出来ないはずだった。全ては静止しているように見えるはずの空間。その中で、春日は1/100の動きで進む世界で、当たり前のように片手を上げ、空に指を指す。

――墜ちろ。

 細く鋭い雷火。男の肩をすり抜ける。直撃を避けた攻撃。気絶を狙った攻撃。シンギュラリティ世界で発動したZONE。それにまだ気づかない男。春日は一歩横にそれて、男の攻撃目標を見失わせた。

「ZONEは解除するよ」

     ◆◆◆

 17:52 モンストラス世界。支所裏口。
 考え込む桜。ふに落ちない表情で鈴村に質問をする。

「春日は……シンギュラリティ世界で私を瞬間移動させたわ! どうして向こうでそれが出来るの?」

「おそらく、リンクを利用したんだろう。この世の物体をモンストラス世界に移動する時に使う技術。奴はANYの権限が強い」

「リンク? ……そんな難しい様には……では春日には管轄も敵わないのでは」

「春日の正体も、接触が可能なら見極める事も可能だ」

「それは、どうやって」

「それもお前の技が磨ければ……だな」

 鈴村の告白するこの世の『仕組み』を理解せずにはいられない桜は、薄暗い空を眺め、右手で頭を抱えながら壁にもたれる。神と言われる実感のない自分。その説明を自分から聴く気分にもなれない非現実。それでも、信じられなくても、鈴村の判断に委ねたい気分でもあった。

「管轄……私にどうしろと」

「先ずは『シンクロ』を使いこなしてもらう。そして精神病棟に留置されているRの刈谷に、シンギュラリティ世界への道の選択をさせるんだ」

「選択?」

「すでに渦中であるRの刈谷を放っては置けない。シンギュラリティ世界への道をチラつかせたあと、お前と同じ肉体を持つか、Rとして生きるか選ばせよう。混乱を覚悟で、Rの刈谷に対して、あえて人間として語り……この世界の真実を伝えろ」

「真実……それはシンギュラリティ世界を語るという事ですか?」

「そうだ。あえて人間であると思わせて、シンギュラリティ世界に向かう意思があるか探れ」

「それは……突然言われるそんな突拍子もない事なら、普通は確かめずにはいられないと思います。そんな時、連れていけと言われても……私には手段が」

「刈谷以外の『人間』が必要だとでも言え。それは、つまり俺の事だ」

「管轄に誘導すればいいのですね。けれどそれなら最初から管轄が会えば……」

「先にな、刈谷に正常な判断が出来るように、刈谷の訴えが真実だという根拠がいる。今は刈谷自身、頭がどうかなったかと混乱しているかもしれない。その疑念を払拭するための証言が必要だ」

「証言?」

「それをお前に捜してもらう。『シンクロ』を活用してもらうぞ」

 繰り返して言葉を返すたびに突き当たる『シンクロ』という技。桜にとって神という言葉が馴染まない響きの技。まだ理解しようとも理解したいとも思わない桜であったが、聞かずにはいられないと思い、素直な気持ちを伝えた。

「どうすれば……私にはそんな力の自覚がありません」

「先ずは……目をつむれ」

 桜はユックリ目を閉じる。闇の視界で立ちくらみそうな気分を支えるように支所の裏口で壁に手をあてて体を支える。

「深呼吸しろ……そして、先ず俺の存在を暗闇の中で認識するんだ」

 鈴村に言われるがまま暗闇の自分だけの空間。深い息をつき、その中で目の前に居る鈴村を認識しようと思考する。そこに見えたものに、初めて何かの可能性を感じた。

「み……見えるわ! 赤く……」

「見えただろう…俺の姿と認識色が」

「はい……ハッキリわかります! ほかにも……青? 青……無数の青い存在が!」

 目をつむる桜に見えている存在。星の如く遠くで無数に散らばる青。中には赤と青が交互に斑(まだら)する存在。その中でも、目の前に居る鈴村はハッキリと赤に認識出来る

「これは……まさか」

「もうわかるな。今のお前にはおそらく、世界中、全ての者を認識する事が出来る」

「管轄の赤は、もしかして」

「そう、人間の証。青はR。そして斑する者は」

「目覚めた者ね……凄いわ」

「もう、目を開けても認識出来るはずだ」

「ええ、わかるわ……時折滲む色」

「お前は世界中の者を認識し、ここへ呼び寄せる事が出来る。お前が向かうことも。これが神の技だ」

「これがつまり『神隠し』ね……理解したわ!」

 桜はシンギュラリティ世界の光景を観た時のような感動と興奮を覚える。

「無意識にお前は俺を強く想像したはずだ。その結果お前から確認出来る距離まで俺や田村は呼び寄せられた。その力を活用させてもらうぞ」

 神が無意識に念じた事により呼び寄せられた鈴村。神が無意識に念じた事により、期待感から別の世界に羽ばたこうと屋上から踏みだした田村。神が意識的に念じたとき、それを想像したモンストラス世界に今生まれた神は、自分の能力の限界を知りたいことを強く念じる。

「使ってみたいわ! この力を! 自分の意思で!」

 赤と青の星々に囲まれた桜が特別な存在であると実感した気持ちを、素直に声高に思いを鈴村へ伝える歓喜。
 知る事ができた自分の能力。その能力を与えたRの鈴村が望む世界。それは故郷だったモンストラス世界である惑星の未来を願ったことなのか、それとも混乱だけを求めるか。
 それぞれが行動する先に待ち受けるモンストラス世界の未来と自分たちが住む世界の選択。神が自分の意思で、能力を誰のために使うかによって、世界の常識と惑星の環境は一変する。





 【四次元】


〜次元を超えた殺意は背信の神〜


 17:53 シンギュラリティ世界。本部病室。
 本体の鈴村と偽るRの鈴村から言われた言葉。それは愛する者からモンストラス世界にいる刈谷へ向ける銃口。

「撃つ? 恭介を? どういう……それに、やっぱりモンストラス世界に恭介はいるんですね!」

「はっきりはしていない。お前が自分の目で確認することだ。見ればお前は自覚するだろう。真実を知るには、モンストラス世界が不死の世界であるうちに、刈谷がお前の想う存在であるかを確認することだ」

「私が想う存在? 不死の世界……では、恭介は撃たれても死なないんですね?」

「ああ、色々な事がおきた。モンストラス世界で刈谷の姿はどうなっていると思う?」

 Rの鈴村の問いにモンストラス世界での計画を思い出す桜。そして自信を持って鈴村へ答える。

「それは……春日の姿です。シンギュラリティ世界の記憶のない」

「春日の肉体は、すでにモンストラス世界では存在しない」

「え!? どういうことですか?」

「モンストラス世界では、刈谷の姿が春日と呼ばれている。そして、刈谷の姿の男は自分が刈谷と言い張っているはずだ。もしかすると、心神喪失扱いにされて精神病棟に収容されている可能性もある」

「そ、そんな! 意味がわかりません! 何が起きたんですか!?」

 モンストラス世界で鈴村と語った計画や予定が全て狂っている現実を受け止めきれない桜は両手で握っていた毛布を強く握り、足元へ叩きつける。

「それを確認するために、お前が刈谷を撃つんだ……それだけでわかることがある。データが更新されることで、モンストラス世界の刈谷のデータを分析することができる」

 深い分析方法など想像もつかない桜。それでも、再び刈谷に会えて、言葉を交わせる事で明るい未来に繋がる事を願い、想像する。

「恭介は……死なないんですよね」

「ああ、まだ大丈夫だ。急いで着替えるんだ。モンストラス世界が不死であるうちに」

     ◆◆◆

 17:58 モンストラス世界。支所裏口。
 新たな能力に目覚めたRの桜。使いきれていない能力の底が見えない可能性に、鈴村からの次なる扱い方を待つ。

「水谷、お前には斑(まだら)な認識色のある者を見つけてもらいたい」

「斑……その人物は私の知らない者ですか?」

「ああ……名前は『風間 咲(カザマサキ)』という女だ。本来モンストラス世界の任務を与える予定だった。そのために春日の基本的な環境は調べていた。けれど俺も対面した事はない」

「知らない私がどうやってその者を」

「おそらく大丈夫だ。お前にシンクロの意識範囲が全てインストールされているのであれば、モンストラス世界、全てのRはお前に入っている」

「私に、この世界全てのRが、ですか?」

「目をつむり、呼吸を整え、風間咲という名を頭で唱え、ここを中心とした地域を想像しろ。見えてきたら、認識色を教えてくれ」

 鈴村の言葉通りに目をつむり、呼吸を整え、頭の中で風間咲の名を巡らせる桜。その桜の表情は、難しい表情から、顔の力が緩む表情に。何かを見つけたと察することのできる表情に鈴村は、安堵からか一息つけるタイミングを失わないようにジッポで葉巻に火を付け、桜からの言葉を待つ。
 桜は自分の居場所を中心に都市全体を想像する。それはまるで自分の影が浮遊し、ビルとビルの間を鳥のように滑り流れるような縛りのない空間。鈴村の前で立っている自分ではなく、別の空間で実際に人と景色と動きを観察し、一瞬で認識色を判別して、都市全体を一息で包み込むような支配感。鈴村からの命令がなければ、どれだけ自分の影で世界を見渡すことが出来るのかと期待しながらも、今確実に与えられた義務感を忠実に遂行する。

「都市全体でみれば……三人見えるわ……けれど、斑な者は一名。一番近い距離よ」

「それだ。次に、俺をその者のそばに飛ばすんだ」

「すぐそばにですか? その人は、そんなに重要人物なんですか?」

「ああ、シンギュラリティ世界での春日の恋人だ。つまり今回、春日に関わる人物で一番近い存在だ。この世に存在しないRである春日の肉体に、存在しないRである刈谷の認識の影響。その中で風間咲が何も影響を受けていないとは思えない。風間咲が斑な認識色であるならば、説得して、刈谷と対面させ、刈谷の信用を得られ、モンストラス世界を落ち着かせる事に繋がるかもしれない」

「わかりました。やってみます」

 目をつむり、自分の影を先ほど確認した風間咲の認識色を再び影で追う桜。影の目線で空から認識色を確認する。そして近づき、おそらくは風間咲がいる室内。住居が並ぶある一室であり、透き通るように同じ空間に入った桜の影は、すでに目の前で立ち並ぶほどの接近を感じる。

「風間咲に意識を集中し過ぎるな。お前が飛んでしまう。そしてまだ連れてくるのは早い。お前がその場にいる気持ちで俺をすぐ近くへ置くイメージだ」

「わかりまし……あ!」

「水谷!!」

「はあ! はあ! か……管轄!! え……ここは」

「キャアー!!」

 桜が目を開けて見た光景。それは住居空間の部屋。生活感のある家具に電化製品が目に映る。桜が後ずさりしたその手に触れたものはキッチンの冷たいシンク。突然現れた桜に、存在の意味を確認する前に悲鳴となって表現した女性。風間咲。その表情を確認した桜にとっても、その場を取り繕う余裕もなく、逃げる事もできず、声も出せずに混乱する桜は、まだ名前を確認することもできない女性の前で苦い顔をしながらたたずむ。

     ◆◆◆

 18:00 シンギュラリティ世界。林道。
 春日と対峙した形相のまま地に堕ちる男。おそらく事態が把握出来ていない程の一瞬。造林の葉が自然と男に舞い落ちる。春日は近づき、独り言に近い言葉をこぼす。

「どこで能力を得たのかな? お前の発した言葉は、まるで全てが初めて知る言葉のオウム返し……そっか……ジャメヴュ(未視感)かあ。無意識の怪物……不完全な能力……理解したよ! お前の正体! ……きっとRの鈴村が連れてきたんだね。いいだろ! あいつの気まぐれに付き合ってやろう! 咲には『永遠』か『無』か……お前が時間稼ぎしてくれそうだね」

 車通りの見えない林道も都合良しと判断した春日は、男の服を掴み、剥ぎ取り、同時に自分の服を脱ぎ始める

「治療の跡か……邪魔だなあ」

 手術が終わって数時間しか経っていない男の包帯を解き、男が着ていた『本部』の服を着る春日。そして自分の着ていた『支所』の服を男に着させる

「お前はツイてるのかな? 生への執着かな? 連れてきたあいつの悪戯は理解出来ないけど……最後は同じなんだ。変わりようがない。どっちを選ぶかなんて、どっちでもいいし。あいつには必要な事は伝えたし。でも、あいつ、全てを活用する気なの? 面白い! モンストラス世界でも見に行ってみようかな! 人間の醍醐味のはずだよ! カオスを奇跡と思い込みたい野次馬な習性! ハハハ! ねえ……お前に見せられなくて残念だよ。見てもわからないかな? じゃあ、咲をしばらく頼むよ……あっちの春日雄二くん」

     ◆◆◆

 18:07 モンストラス世界。風間咲の自宅。
 目を離せない桜とひとりの女性。すでに眉間をいっぱいにシワを寄せて叫ぶ声を溜めている様子がわかる桜は名前を尋ねようと言葉をこぼし始める。

「ちょっ、あの、あなたは風間……」

「キャーー!! 誰!? 誰なの!!」

 桜の突然の出現により混乱が増す咲は、部屋の奥へ後ずさり両手を前に構えて、手のひらで壁を作りながら桜を凝視する。その姿を見た桜も説明ができない現象の説明を後回しに考えて、自分の素性を明かす

「あの、突然の事ですみません……私はLIFE YOUR SAFEのチーフをしてます水谷桜と申しますが……風間咲さんでよろしいでしょうか」

「し、知らない間に勝手に訪問されたんですか!? どっから現れたのよ!!」

 咲からの常識的に攻める声に気まずくなり、言葉につまる桜。それでも鈴村より聞いていた情報により少しでも会話に歩み寄りたい気持ちもある。咲に近づこうとするが、警戒した咲は助けを呼ぶためか、携帯電話を操作しようとする。

「お、お話を聞いていただきたいのですが……あ……これは」

 桜が話しながら近づこうとする傍らに見えた本棚に、ある写真立てが目に付いた。人に見せる角度ではない横向きであり、おそらく咲と写っているだろう二人写真。本と本棚の間に挟まれた写真立て。本棚の板に咲が隠れてしまい、見えたのは一人の男性。その男性の顔、刈谷の顔が桜に見えた。桜が一歩本棚に近づくと、ビクッと反応して警戒する咲の挙動を気にせずに、写真立てを手に取る。

「か、刈谷とは……親しいご関係だったのでしょうか」

 携帯電話の操作の手が止まり、桜の手にある写真たてを見る咲。表情は変わり、目が泳ぐ困惑と悲しみを滲ませて、口元は何かを語ろうと感じられる

「そ、その人の事……私……知りません……面識が全くないんです」

「え……面識がない? ではなぜここに」

「私の……私の恋人と……写真が入れ替わったんです!」

     ◆◆◆

 18:10 シンギュラリティ世界。管轄室。
 ひとりで管轄室にたたずむRの鈴村。病室で桜との会話を切り上げ、その続きをする空間は病室ではふさわしくなかった。そして待ち人が入室しやすいように、管轄室の厳重な三重のドアを簡易に一枚のドアで待つ。

「水谷です」

 管轄室のドアが簡単に開く。病室で着替え終わった桜はRの鈴村に呼ばれ普段管轄以外入室禁止の管轄室へ入室を許される。入室すると同時にRの鈴村は桜の体をねぎらうと同時に、ANYの報告も部屋に響く。

「水谷。体は持ちそうか?」

<モンストラス世界-更新-下村敦>

「はい。思ったより大丈夫です。ここで……モンストラス世界を操作しているんですね」

「そうだ。モンストラス世界の時系列はここで操作できる。ただし、大きく過去に戻る事ができるわけではない」

<モンストラス世界-更新-下村敦>

 同じ者がモンストラス世界で自殺を図る。桜にとってはANYの報告する言葉の意味はまだピンとこない響きではあるが、それだけここではモンストラス世界のデータが手に取るようにわかることから刈谷を救うことにも繋がると感じる。

「けれど、先ほど言われた、死なない世界というのは」

<モンストラス世界-更新-下村敦>

「死んだ事をなかったことにする程度に過去にデータをさかのぼる事ができる」

 デジャヴュ(更新)。
 それは常に毎秒過去60分のモンストラス世界全体のRを記録し、最大60分までにさかのぼれる程度のもの。
 それ以上の過去をデータとして記録するのは膨大な容量がシンギュラリティ世界のANYへの負担が必要になる。その負担が最低限影響なく保てるボーダーラインを定めて60分とANYは計算した。その中で死の影響がない過去までさかのぼり、回避させられてきた。

「それを繰り返し、同じ死への行動をすると、先の未来にいけないのでは」

「それが問題だ。今報告が部屋へ流れているように、一度自殺をしたものは何度も同じ行動をする」

 自らを殺める者。それを続けると、Rの世界では劣化が始まり、ANYはその者と他のANYを護るために、その者のRの記憶を削除する。自殺をする理由も忘れるように。

<モンストラス世界-下村敦-R劣化-強制記憶削除-開始>

「恭介がそれを繰り返すと」

「今、強制記憶削除の情報が聞こえているように、お前との記憶が蘇る保障はないだろう」

「わかりました。ところで、管轄のRは……今、どうしているのですか?」

 Rの鈴村のことを聞かれ、まゆ一つ変化させないRの鈴村は、自分の事ではないように言葉を切り替えした。

「シンギュラリティ世界を乗っ取るつもりだ」

     ◆◆◆

 18:11 モンストラス世界。風間咲の自宅。
 やっと会話ができるかと言葉を聞き入るRの桜。深く、そして自然な会話になるように丁寧に話を進めていきたい。けれど、モンストラス世界でおきるデジャヴュは、目覚めている者にとって、強制的にも時間が戻される。

「あなたの恋人は……は!!」

 18:06 モンストラス世界。支所裏口
 Rの咲と会話している最中に5分前の鈴村との対話した時間まで戻される。

「水谷、デジャヴュが起きたぞ」

「か、管轄……誰か死んだのでしょうか」

 突然のデジャヴュ。それは目覚めたと言われる者にとって共通の出来事。
 そのデジャヴュの発端は、データの刈谷と同じ精神病棟に収容された男。下村敦。モンストラス世界の朝。女性と崖から心中しようとした男である。

「ここでは誰が原因だかわからないな。お前は会ったか? 風間咲に」

「はい、会いました。彼女の持っていた写真立ては刈谷の写真でした」

「面識は刈谷とありそうか?」

「いえ……最後に言っていた言葉では、知らない人物と言ってました」

「どうやら今までも……う!」
 
 18:06 モンストラス世界。支所裏口。
 繰り返される下村敦の自害。

「管轄! 同じ者の仕業でしょうか!? まさか、刈谷が?」

「田村の可能性もある。あまり続くと……く!!」

 18:03 モンストラス世界。支所裏口
 下村敦の考え通りに少しずつ過去に戻る時間。

「こ、これは……私や管轄には影響は! あ!!」

 17:56 モンストラス世界。支所裏口。
 すでに日が暮れていたモンストラス世界は繰り返されるデジャヴュにより夕日が再び目にすることになる。

「自害しなければ、大して影響はないはずだ! 映画を巻き戻されたようなものだ……だが、俺たちみたいに事情をしらない者にとっては、つまり風間咲にとっては精神的ダメージが大きいはずだ!」

「はい……半年前から今日までに、何度同じ体験をしたか……知らなければ、誰にも理解されず、自分の精神を疑う事でしょう」

「すぐに風間咲の元に戻るんだ! 落ち着かせて! そして、ここに連れてこい!」

「わかりました! ハァ……ハァ」

「水谷……体力はあるか?」

「少し……疲れやすくなってます……ハァ……ハァ」

「気をつけろ……体力が低くなると、能力が発揮しづらくなる」

「わかりました……ハァ……『シンクロ』」

 17:58 モンストラス世界。風間咲の自宅。

「ハァ! ハァ! 風間さん! 大丈夫ですか!?」

「あ、あなた……こそ、大丈夫ですか」

「ハァ……ハァ…………」

「キャッ!! チーフさん!? チーフさん!?」

 慣れないシンクロの多用により、倒れこむ桜は気を失う。
 そして咲にとってこの世界の理解者であろう桜の体を支え、優しく横に寝かせると、すぐ濡らしたタオルで顔を拭き、意識が戻るのを待つ。

     ◆◆◆

 18:13 シンギュラリティ世界。林道

「ん……んん……雄……二」

 春日に眠らされた咲は目を覚ます。そして運転席にいない春日に気づき、車の中で辺りを見回す。すると咲は後部座席に気配を感じる。
 支所の服を着た男。車のシートにしがみつきながら咲は男の顔を確認する。

「雄……二。雄二! どうしたの? なんで後ろで寝てるのよ! もう!」

 その男は春日。服を着替えさせた者も春日。咲が眠っている間に、二人の春日が対面と対峙、そして争い。それを理解しているのは、その場にいない春日。
 出来事を知るよしもない咲。目を覚まさない春日にため息をつく咲は、運転席に移動し来た道を戻ろうと車を動かす

「もう! どこに連れて行ってくれるつもりだったの!? 急に眠るなんて!」

 反応がない春日に腹を立てながら、起きていれば聞こえている程度の口調で独り言に似た責め言葉をこぼす

「珍しくすごくときめく事言ってたのに寝ちゃうの!? 薔薇を用意して永遠の世界とか! 場所が決まったとか! 楽しみにしてたんだからね! ねえ! 聴いてる? 雄……あ」

 言葉責めを繰り返していた最中、バックミラーに起き上がる春日が映り、その様子を察した咲はにこやかな表情を浮かべながら優しく語りだす

「やっと起きた、寝坊助さん! ねえ! どこに行こうとしてたの? まだ間に合う? もう暗くなってきたけど」

「くらく……なってきた?」

「雄二? 目が開いてないの? 外を見て、外。」

「そと」

 春日同士での出来事にあった形相はなくなり、落ち着いた表情で外を眺める春日。まだ林道の途中、街灯が目に映っては消え映っては消える。
 咲の言葉を真似、力の入っていない目は時折泳がせる

「どうしたの? どうかした?」

「どう……か、い、いえ、どうしたかと……いえば」

「あはははは! 雄二どうしたの! 面白い言葉の返し方! まるで言葉を忘れた人みたい!」

「ことばを……わすれ……いえ、なんと…なく、ことばはわかり……ます」

 二人の乗った車は突然止まる。そして咲は後部座席に振り向く。
 咲の眼差しに春日は特に挙動を変えず、咲の目をずっと見て、それは言葉を待つ子供のように素朴な印象を受ける春日の顔を凝視しながら話しかける

「ねえ、雄二? 変だよ。何かあったのかな……私、眠ってたみたいで何があったかわからないんだけど」

「ぼ、ぼくが……いました」

     ◆◆◆

 18:16 モンストラス世界。咲の自宅
 倒れた桜は咲に介抱され、10分ほどで意識を取り戻した。その様子に咲にも笑顔が溢れて、用意していたコップに入れた水を桜に飲ませる。

「もう大丈夫よ……ありがとう。そして、あなたの恋人は、春日……雄二ね」

 意識を取り戻すと、すぐに桜からでてくる春日の名前。その名前を聞いて、まばたきを忘れた咲にとっても春日に関係した理由があってここに現れたと思われるには十分だった。
 咲の見開く目を見る桜にとっても、ここに現れた理由の話が早くなると感じ、一呼吸つき、確信にせまった言葉を話し出す

「咲さん、あなたはこの世界が、何かおかしい景色に見えたりしませんか? ふと、気づくと同じ時間を何度も繰り返すような」

「先ほどのように……半年くらい前から、何かおかしいんです。恋人だった春日雄二の消息がなくなり、一緒に撮った写真が知らない男性に……私は以前、何度も自分をこの世界から消えてしまいたいと思ってました。けれど雄二に何度も止められて……彼が消えてから! 私はやっぱり見捨てられたと思ったんです! 何度も! 何度も! 私は……やっと死ねたと思ったんです! おかしいですよね! 死んだつもりなのに死ねたと思うなんて……戻るんです。死ぬ前に」

 桜が加藤達哉の館で、春日と現場にいた時に生じた爆発によるデジャヴュ。それは春日の姿をした人間の刈谷による、予定と異なった者を道連れにした爆発の誤算の結果。同時に死んだ事による肉体と精神が正常に戻らなかったANYのバグ。そんな理由を説明しきれないと考える桜。誤解と説明の放棄をするために思いつくところは、それを上手く説明できる鈴村の存在だった。

「あなたの気持ちはわかるわ。私も体験してる。それでね、咲さん。私が来た理由は、それを説明してくれる可能性がある方に会ってほしいの。いいかしら」

「え! ホントですか!? お願いします! どうすればいいですか? どこに行けば!」

 躊躇する桜。覚えたてのシンクロでうまく鈴村の元へ飛ぶことが出来るか。不安がありながらも自分の影を咲に近づかせる。けれど、触れればいいのか、抱きしめてみれば良いのか、少し悩みながらも、咲の見つめる目が落ち着いて考えられなくなる。

「えと、その……ちょっと……目をつむってくれるかしら?」

「え? 何するんですか! 怖いことしないで下さい!」

「い、いえ、そういうことではないんですが……わかりました。そのままでいて下さい」

 シンギュラリティ世界では親友だった桜と咲。モンストラス世界では面識もない関係性。
 桜の生きてきた環境の違いからか咲の反応に調子が狂う桜。混乱をなるべく防ごうと、咲にひと時の視界を無くしてもらおうと考えたが、更なる混乱を覚悟して、そのままの状態でシンクロを試そうとする。目をつむり、感じる。自分の存在と、咲の存在と、鈴村の存在。
 桜は自分と咲が鈴村のそばにいるようなイメージをつくり、慎重に行くべき位置を決める。自分と咲を認識色の世界で見る。同時に鈴村の位置を確認する。咲の部屋から自分の咲の認識色を駒を配置するように移動させる。けれど実際の世界はまだ移動していない。少しずつRと認識色の違いを理解しながら、同時に何か感じるものがある。

――何か音がする……ジッポ? 「叫ばないでね……『シンクロ』」

     ◆◆◆

 18:19 シンギュラリティ世界。管轄室

「シンギュラリティ世界を乗っ取る? モンストラス世界をどうするつもりなんですか!?」

 自分が本体の鈴村と思わせるRの鈴村。
 本体の桜の前にいるRの鈴村は春日と手を組み、本体の鈴村からすればファクターと呼ばれる不安因子。モンストラス世界の管轄として君臨していたが、春日のささやきにより、本体に背く行動に走り、本当の世界の住民であることを願い、支所の幹部であるRの桜を取り込み、「世界を一つ」にするという目的で動いている。
 不可解な行動が続くRの鈴村。加藤達哉の館跡で見つけた負傷の春日雄二を治療させた理由。管轄室を乗っ取り、モンストラス世界の成長を500億年進ませる事で待ち受けることは、惑星が完全に寿命を終わらせる事ができる年数を眺めることができる。その後に待つものは惑星の死。EMP放射によりRの鈴村自身、長くはいられないシンギュラリティ世界。加えて、Rの桜に与えた『シンクロ』。目に浮かぶ混乱と破滅の数時間後までに本体の桜をモンストラス世界の刈谷と接触させる不可解な狙い。
 人間の鈴村の本来の目的。
 ANYにより制御されたこの世界。人の住める世界は、惑星を包むようにオゾン層が存在する。
 酸素の原子が三つ結合することによってできる分子。それは酸素より軽く、上空に舞い上がり、生物を太陽光線から守る。
 すでにシンギュラリティ世界は温暖化、人口増加により、人間が優先されて住みやすく作られてきた。しかし、必ずしも生物の生きられる世界になっているわけではなかった。
 人間が陸で生活できる世界より昔。その頃はオゾン層が薄かった。しかし海の生物は紫外線から保護された。次第にオゾン層は厚みを増し、陸に生物が生息できるほどに時間を掛けて作られた惑星。
 シンギュラリティ世界は、惑星が誕生して四十六億年。今まさにオゾン層に隙間が空き、ドームで世界をおおう限界が迫り、人類以外の動物、植物、全てが危険にさらされていた。
 そして、モンストラス世界は、シンギュラリティ世界の技術により、オゾン層が一番厚い世界に成長させられた一万年ほど若く新しい地球。データの記憶をコントロールし、進化させた世界。
 人類があふれたシンギュラリティ世界の住民をモンストラス世界に移す。それがシンギュラリティ世界人類を護る責任が課せられた鈴村の最重要任務であった

「モンストラス世界という惑星は、元々この世界から移住する新天地として作られた環境のいい世界だ。あっちの鈴村は何も知らず、この世界の機能を支配するつもりだ。だから、刈谷の現在のデータ更新のため、お前との記憶を呼び戻すために、刈谷に自害をされる前に、お前が刈谷を撃つんだ」

「Rの鈴村がファクターね。わかったわ。すぐにモンストラス世界に行かせて下さい。私は、恭介を救います!」

「よし、水谷。そのリンクルームに入るんだ。刈谷のすぐそばに転送する」

 Rである鈴村の言葉に納得した桜は、管轄室に設置されたモンストラス世界へのリンクルームに素直に入り、拳銃の有無を確認し、目をつむる。

「ANY! リンクルームから転送だ! モンストラス世界! 春日雄二のそばへ飛ばせ!」

<リンクルーム-モンストラス-目標-春日雄二-目標-ロック-転送開始>

     ◆◆◆

 18:23 モンストラス世界。支所裏口。
 本体の鈴村がひとりたたずみ、ゆっくりまばたきをした瞬間、Rの桜のシンクロにより鈴村の前に現れるRの咲。その一瞬の出来事に咲はとまどい、辺りを見回す。葉巻を吸いながらその場で待っていた鈴村。影もぼやけてくるほど薄暗くなってきた時間。それでも裏口の蛍光灯により人相の確認ができる。桜の様子に、咲への問いかけよりも桜の体調を確認したくなる様子だった。

「大丈夫か、水谷」

「ハァ……ハァ……管轄、風間咲です」

「え! 何!? どうなってるの!? え……和明!!」

「和明? 咲さん、あなた……管轄を知っているの?」

 咲が目を泳がせ、目の前に立った鈴村を直視した時、咲に湧き上がった感情は、初対面では表現できない憎しみであった

「なんのつもり!? もう関わらないって言ってたでしょ!!」

「風間咲さん……私に会ったことがあるようですね」

「会ったことがある!? 私を捨てて!! 私は!! 私は…………自殺したのよ」

 咲の告白にその背景を察する鈴村と桜。Rの鈴村との間にあった関係。払拭する必要のある誤解と説明。シンギュラリティ世界の春日との繋がりがないかヒントが欲しい鈴村。意を決して慎重に話し出す

「わかりました。風間さん……混乱するかもしれませんが、私は、あなたと違う世界で生きている人間です」

「何を言ってるの!?」

「風間さん。あなたは、春日の行方不明とこの世界の違和感に、悩まされていませんか? そして、私があなたの知っている鈴村と……同じに見えますか?」

 鈴村の落ち着いた口調に、咲は表情を見定め、隣に立つ桜の軽いうなずきと、この場にシンクロによって突然飛ばされた不可思議に、咲にとって計り知れない出来事が起きていると察する。そして感情的な言葉を抑え、鈴村に質問をする。

「あなたは……何者ですか?」

「春日と、もう一人の私の事以外、全てのことを知る者です。あなたに何があったか教えていただけますか?」

 咲は語る。Rの鈴村との関係。偽物呼ばわりされ、突然の破局。
 Rの鈴村との別れにより自殺を図った事。それを助けたRの春日。支えられた心。
 突然の破局による強引な振り方に、Rの春日も、Rの鈴村を憎んだ。しかし天地の差がある役職に、面と向かって文句のひとつも言えなかった春日。
 ちょうど半年前、Rの春日から咲に電話があった。その日から連絡が途絶えたRの春日。
 最後に電話があった時間。加藤達哉の館に向かった 12:08 そして咲に伝えた電話の内容。

「刈谷という人物の存在を抹消する事が始まりだと言ってました」

     ◆◆◆

 18:28 シンギュラリティ世界。林道。

「どうしちゃったの……雄二」

 咲は思う。咲の心配する表情が、自分に向けられた感情と読み取ることが出来ていないと思えるほど素朴な印象を受ける春日の表情。
 咲の目の前にいるのは、Rの鈴村に運ばれて、本部の病室で起き上がった春日。その後の道のりは、この春日にとって意識的な目的ではなかった。引き寄せられる感覚。終わりの見えない引力。その見えない終点に向かうために、進みたい道の障害を無事に乗り越えるために自然と歩んだ道。けれど、その道に立ちはだかった同じ姿の者。冷静ではなかった自分。飛び掛かる事しかできなかった体。そんな記憶はある。理由はわからない。何か大事な、忘れてはいけない記憶。それがなければ導かれない自分。感じるのは上半身の痛み。
 目的は、場所なのか、人物なのか。

「わかり……ません」

 咲にとっては涙を流したい感情。けれど、何に涙を流せばいいのかわからないもどかしさ。小刻みに震える表情と気持ちを春日に伝えたい咲。どこに走ればいいのか。どこまで質問すればいいのか。
 意識を失っていた時間は、咲にとってなにかを壊された落胆。それでも、記憶にない者でも、人間的に感情を読み取るクオリアは感じられた。

「かなしい……の……ですか?」

 感情をくみ取った春日に、希望を感じた咲。理由を知りたい。そんな気持ちが湧き上がった時、冷静になった咲は、車の室内ライトをつけて春日に語る。

「あなた……雄二じゃないわ」

 意識を確かにして春日を見る咲。
 眉毛の伸び方。髪の長さ。装飾品。少しずつ近づいて、唯一感じられるのは、匂いの残った制服。
 そのシャツの胸から見えた違和感は、ゆっくり広げるほどわかってきた大きな傷跡。

「新しい傷……それに縫合された跡。ねえ!! あなたはどこから来て、どこに行こうとしたの!?」

「この……まま、まっすぐ……なぜか……いきたいです……このまま」

     ◆◆◆

 18:34 モンストラス世界、支所裏口。
 Rの咲の言葉に、桜は復唱する。

「刈谷を……抹消?」

「雄二は言ってました。止めなければならないって! もしかして、やっぱり雄二は何かに巻き込まれたの!? あの人達に!!」

 半年前。加藤達哉での爆発後、刈谷の存在を認識する唯一の存在である咲。貴重な情報は、人間の鈴村が探していたファクターのひとりであるRの鈴村の存在。
 消息が見えなくなった春日。存在が認識されなくなった刈谷。咲からの貴重な情報。桜の知らない出来事に、複数と感じるファクターの特定される人物に、桜は息をのむ。
 咲からの情報。それは半年前、加藤達哉の館である現場に春日が遅刻をした理由は、想像をしなかった何者かとの接触。元々、本部の受付係をしていた咲。一年程前、Rの鈴村との破局をきっかけに退社したが、職員にも備わっている半年間の保護義務適用により、専任の研修として咲の担当にあてられていた。
 Rの鈴村との破局のショックで、何度も自殺を図り、何度も春日に止められた。春日は、咲の一途さと、咲の心を支えるうちに、咲に恋をした。けれど、職務規約により、保護対象との恋愛を禁止している。
 保護期間が終わり、春日は咲に好意と交際の告白をした。それは婚約を前提とした本気の告白。咲との半年間の保護交流により積み重ねた信頼。春日の真心に、咲も心を救われる。そして、交際を承諾したひと月後、春日は消息を絶った。それは咲の知らない加藤達哉の館で。
 立ち直れない咲が必然的に行動した自害。それは半年前のデジャヴュの開始から、何度試みても、無意識に死ねない世界。次第にデータ劣化により目覚め、他人のデジャヴュを何度も体験し、写真立ての刈谷を見て、震えていた。自分は異常者になったと。
 そんな精神状態で、春日が直前に教えてくれた者達には、立ち向かえなかった。誰にも言えなかった。

「あの人達、と呼ばれる人の……名前は言ってましたか?」

「はい、その協力者を教えてくれました。雄二は言ってました。弱みを握ったと。私、怖くて」

「教えていただけますか」

「それは……怖いです」

「あそこに見える建物はわかりますか?」

「なんでしょうか……知りません」

「あそこには、この世で春日雄二と呼ばれている、刈谷恭介という人物が収容されている精神病棟です。刈谷を救えるのは、あなたしかいません」

「刈谷さんが……雄二。あの……会えますか?」

 鈴村はうなずき、案内をしようとうながす。
 後をついてくる桜に、鈴村は伝える。

「水谷……お前は今、刈谷をあそこに閉じ込めた張本人になっている。順番が代わったが、今は俺から慎重に話したい」

「わかりました。私も自殺を図った田村の様子を見るところでしたので、ここで失礼いたします」

 鈴村と咲は、自殺未遂者が主に収容される精神病棟に向かう。その背中を見送る桜。
 桜は知りたかった。鈴村が追いつめたいファクター。咲が刈谷に会う理由は何か。Rの春日からの警告か、それとも、鈴村と桜の言葉の裏付けか。刈谷が咲から得る情報は、自分にとって不利益にならないか。
 桜自身、一番求めているものは、自分の存在意義か、人間の肉体か、神の力か。それとも、『鈴村に伝えていない』シンギュラリティ世界で聞いた、春日の目的と、別の存在者か。
 咲に伝わった、Rの春日からの情報は、桜を不安にした。その不安は、追いかけずにはいられなかった。
 Rの桜は追い始めた。別の次元から、自分だけの世界から。鈴村から見えない影の世界で鈴村のそばを歩く。鈴村から見えない世界で監視する。桜から見える世界は、赤の鈴村と、斑の咲。二人の姿を中心に、モノクロに映し出される周辺の草花、建造物、風景。
 二人の跡をつけることが可能だと感じた理由。桜は思い出した。咲の家から、鈴村の目の前にシンクロするとき、自分だけの世界で赤い鈴村の姿を発見して、自分と咲の斑に映る影で鈴村の前に立つイメージを集中したとき、鈴村がジッポで葉巻に火を付ける『音』がした。その場にいなくても、自分の影を近づけられれば聞こえると。
 精神病棟に向かって歩く赤と斑の二人。その二人の後ろに、一緒に歩く斑の桜。
 モンストラス世界において、唯一『四次元空間』を歩ける桜。真後ろの斑の影は、その場にいるように声を拾う。その『四次元の声』は、こもるように響くが、理解できる程度には聞こえた。

『ほかの 収容者の 声は 無視して くだ さい』

『はい わかり ました』

『刈谷 に 会ったら 何が 聞きたい ですか』

『伝え たい だけで す。狙う 者と 狙われ る 理由。運命の 保有者 である「キャリア」 という 存在 を』

『キャ リ ア?』

――キャリア……言葉遊びなの? 保有者はキャリア、別の発音でキャリヤ、カリヤ?

 桜だけでなく、簡単に連想できる名前。聞き間違いでも起こり得るほど似た名前。故意か、遊び心か、悪意の誘導か。
 桜にとって、Rの刈谷に知られる事は良い事か。別のファクターの名前が出た場合、それを収容所で知った本体の鈴村とRの刈谷はどう判断するのか。

『刈谷 さん に、全て お話 します』

 18:39 LIFE YOUR SAFE 支所敷地内。精神病棟収容所。
 その建物は二階建ての、窓に鉄格子も見えない建造物。
 外壁は自然と溶け込んだ穏やかなレンガに見立て、中身は鋼鉄をアルミニウムと亜鉛によってサビや耐久性に優れたガルバニウム鋼板を通常の居住建物の三倍以上に重ねて仕上げた収容所。
 見えない収容者の部屋は、地下三階にまで深まる完全隔離の収容施設。
 会話が成立できる程度であり、危険性の少ない隔離者ほど地上に近い階層に収容されていたが、通常初日の隔離は地下二階とされ、様子を眺められていた。そして今日は稀に見るほど自殺未遂者が少なかった。そのため、収容者に頻繁な階層の移動もなく、警備員の数も少なく、二人の警備員で守られた収容所。鈴村と咲が近づくと、門番と言わんばかりに警備員は立ちふさがった。

「今の時間は面会謝絶です!! 約束もない突然の訪問も禁じられています!! 異議申し立てはLIFE YOUR SAFEの本部へご連絡下さいませ!!」

「管轄の鈴村だ。指紋と静脈を照合しろ」

「失礼致しました!!!! こちらに手のひらをかざして下さいませ!! お付添いの方もお願い致します!!」

 生体認証の読み取り機に手を入れる鈴村と咲。すでに保存データに登録されている二人と、鈴村の最高責任者としての実権の有効性により、容易に入館する。
 当直の医師であり、本体であれば本部常駐医をしているが、Rである香山弥生。警備室からの連絡により地下収容所への入口内部で弥生が鈴村と立ち会う。

「春日雄二は、おとなしくしているか?」

「あ、はい。管轄、お久しぶりです。えと、連行した職員によればですね、暴れないにしろ、言葉で自分が刈谷恭介と訴え続けて、あきらめたのか、せめて食事をしっかりした物を出すようにと言っていたようです。自分自身の認識を除けば普通の会話はできると思いますね。今まで黙認されていたくらいですので」

「そうか、突然ですまないが、面会をさせてもらうぞ」

「わかりました。階層毎に守衛がいますので、私から地下二階に連絡しておきます。あ、あと、春日さんの隣にいた収容者が突然、統合失調か記憶喪失とみられる症状が出ました。そのため地下三階に移しましたので、今、地下二階は春日さんだけですね」

 下村の度重なるデジャヴュによりデータが劣化。シンギュラリティ世界から安全対策により復元処理とされたケース。想像しやすい現象に軽くうなずく鈴村は咲と共に、地下二階へ向かう。

「厳重ですね」

「自殺未遂者が増えましたからね」

 初めて入館する咲にとって、外観からは想像できないほどに厳重な収容所。階層の間にも無人でロックされた扉があったが、遠隔操作により開錠される扉。一階、地下一階、地下二階、刈谷の階層までに五回もの扉を開錠されて入室する地下二階。
 守衛からは刈谷の姿は見えないその階層はコの字に廊下が繋がっていた。刈谷が収容されているのは、守衛がいる場所から角を二回曲がる部屋。明らかに叫べば声が響く気密性を知っている守衛は、春日と呼ばれる刈谷が静かにしていることを鈴村に説明した。
 廊下を静かに歩く二人。けれどその視界は三人で眺めていた。

――ここが刈谷のいる収容所……見えるわ。けれど、二人の声が聞こえづらい。もう少し近づかなければ

『ここに いれば、刈谷 さん は 安心 ですね』

『は い、部屋 は プライバシー保護 のため映りま せんが、廊下は監視カメ ラで見られ ています』

『キャッ!!』

『どうか しま したか?』

『今、肩に何か 触れた ような』

 咲の肩に触れた違和感。それは四次元で近づく桜が、二人の前に出ようと狭い廊下で追い抜こうとした時。桜にも予想外の出来事を知ることができた
 
――触れられる!! この世界でも!! なんてすごい世界なの!! 私はやはり神の力を得たのよ! 肩が触れれば相手にも感じられる。けれど私にはなにも感じない。それは……無敵よ。

 支所の裏口の回りに植えられた樹木の陰でシンクロを操る桜。新しい発見の連続に、もっと対象を変えて試したい気分でもあった。その時、裏口より外にでてくる集団を桜は目撃した。それは専任補佐である田村が、自分の率いる職員十名ほどを連れてどこかに向かおうとする姿。

――田村……どこにいくの? ついさっき支所の屋上で飛び降りたばかり……まさか。

「お前ら!! 今管轄は、本部で不死現象会議の真っただ中だ!! この世界のカラクリを示すいいチャンスだ!! 発見者の我々を中心に世界が動くぞ!!」

 Rの桜は鈴村と咲への意識を置きつつ、自分の場所を含めて地図を見るように視野を拡大する。集中して、頭の中でいくつもの目を持つような気持ちで、それぞれの様子が途切れないように監視する。
 駐車場で三つのグループに分かれる集団。田村が率いる三人を眺めると、田村を含めた四名は赤と青が交互に重なった斑に見える。

――目覚めた四人か。他の集団はまだ目覚めてない。公表する気? 政治家や一般人や職員たち数百人の集まる会議の最中に実演……その中で目覚めた有力者からの恩恵を受ける気? させないわ……神は私だけよ。

 支所の駐車場に向かって歩く集団。田村率いる職員三名の四人は、職員所有する車である一台に全員が乗り込もうと近づく。
 桜を中心にモノクロな世界が広がる。最初は見えなかった風景は、慣れた四次元の目によって鮮明に。斑の桜は田村達の周辺を自分の目の前に世界を動かすイメージで、その場に五人で行動しているように、触れないように、離れないように、今できる足止めを考えながら様子を見る。

――私の能力を、開花させてもらうわ。

 三次元空間には見ることのできない四次元空間。
 次元とは、空間の集まり。
 もしも四つ目の空間を『時間』とするならば、地球上の生物は『三次元空間の四次元時空(時間と空間)』で生きている。
 もしも、『一次元の人類』がいるならば、その次元の者は、『前と後ろ』にしか歩けない。もしも、前と後ろに障害物があるならば、一次元の者は動けない。それを見た『二次元の人類』は言う。『右か左』に逃げればいいと。
 『二次元の人類』がいるならば、一次元に加えて『右と左』にも歩ける。もしも、前後と左右に障害物があるならば、二次元の者は動けない。それを見た『三次元の人類』は言う。『上か下』に逃げればいいと。
 『三次元に生きている人類』は、二次元に加えて『上と下』も認識できる。もしも、前後、左右、上下に障害物があるならば、つまり、『箱の中』にいるならば、三次元の者は動けない。それを見た『四次元の人類』は言う。『あちらから』逃げればいいと。
 箱の中にいても『あちらから』逃げることができる『四次元空間の五次元時空』で行動出来る桜。自分の未知なる力に興奮する者。その力は、誰かを対象に試される。
 運転席から乗り込もうとする職員。車のロックが解除されるのを待つ三人。
 職員の頭部に近づく影。三次元空間には見えない四次元空間。車のドアを開けた時、影の手は両手で斑の頭をつかんだ。

「ぅぐあぁ!!」

「どうした!!」

 ドアを開けた車体の上部に頭部を打ちつけられた職員。それを真後ろで見ていた田村。一瞬の出来事だが、田村は違和感を拭えない。
 職員本人の意思を感じられなかった出来事は、目覚めた思考は柔軟に『なにか』を感じた。

「何かいるぞ!! 警戒しろ!!」

 田村の声に左右を素早く振り向く職員。別の車に乗り込もうとした職員も田村の声に反応して走って近づいてくる。

「頭を!! つかまれました!! ぁあ! ああぁ!!」

「職員!! この車を囲め!! 目覚めを理解させてやる!!」

 気絶までには至らず、真後ろにいた田村を疑わずに痛みに叫ぶ職員。車を囲む職員達。中途半端な職員への攻撃をしてしまったことに苦い顔をする桜。四次元の世界で桜が今感じられる五感は聴覚と視覚。それ以外をまだ開発できていない桜には力加減がわからなかった。
 次第に桜の表情が変わった。それは桜にとってひとつの目的を果たすため芽生えた殺意。もしも、全力で力を込めるイメージをしたらどうなるか。加減が無限ならどうなるか。Rを人と感じられなくなった桜。その野望は本人も想像できないほど膨らんでいた。

――こんな奴らはどうでもいい! 私が運命の保有者となるわ!

 桜の視野が移動する。桜の野望の優先順位が変わった。その目線は再び収容所へ移り、鈴村と咲に接近する。
 その時鈴村は一室の前。すでに刈谷と鈴村が接触していた。

「さっき言った通り、肩書を気にせず話をしたい。手荒な事をした。悪かったな。あの場を収めるためだった」

「あ、あの、いやぁ……謝らないで下さい! それは頭冷えて理解してます……えと、どんな御用ですか?」

「町田との会話をボイスレコーダーで聴いた。お前は正直どう思う? この世界」

「あのぉ……自分は取り調べと所長に話した通りですがぁ……強いて言うならぁ……まるで造られた世界ですか? という印象です」

「そうか、お前はどうしたい。もしこの世がお前の言う、造られた世界であったなら、抜け出したいか?」

「難しい質問ですねぇ……けど、今自分が不自由しているのは……自分の『身元』であって、それ以外は都合悪くありませんがぁ」

 ゆっくりと語りかける鈴村。直前に無理やり拘束したことを詫び、役職を外した会話を求める鈴村。その低い腰に気を取り戻す刈谷。桜のような野望を持たない刈谷は自分の存在を求めた。自分自身が刈谷でありたいことを、それだけ戻ればこの世界で困ることはないと。

「そうか。会わせたい人がいる」

 鈴村のうなずきに気づき、廊下の角から現れた咲。そして真後ろには、影の姿で咲の後ろから歩くRの桜。
 今から聞ける情報より、まずは鈴村の行動を制限させたかった。それが自分の安心感に繋がると桜は本気で感じた。

「私は……春日雄二の婚約者です」

「春日の!! どおりで! 俺の記憶じゃ春日は婚約指輪をしてた! じゃあ!」

「あなたも春日雄二らしいですね」

「私の担当は春日でした……何度も自殺を止められて、彼の真っ直ぐな心に惹かれ、彼も私を愛してくれてました。」

 春日に惹かれ、愛し合った咲。ひきこもった心と生活は、春日の無念を伝えたい気持ちが高まり、咲を刈谷の前にまで足を動かした。

「ですが、半年前から異変が起きました。私と彼の写真が……全てあなたとの思い出になってるんです!」

 恐怖だった。咲が自分の知らないところで想像もつかない事態が起きて、自分はきっと巻き込まれているかもしれないと。普段から感じるデジャヴュに自分も死ねない恐怖に、苦しんで、泣き崩れて、絶望していた。

「私はあなたを知らない!! 周りも私の知っている春日雄二の存在を知らない!」

 誰の記憶にも存在しなくなった春日。咲自身、半年前までの記憶と存在が嘘でないという真実が欲しかった。それを証明できるのは、この世で春日と呼ばれている刈谷ひとり。それは咲にとって勇気となった。心の強さを取り戻せる要素でもあった。
 咲だけでなく、咲の言葉に、自分の存在が間違いないと、自分を取り戻せる刈谷でもあった。味方は誰もいないと思った。
 隣の収容室で何度も違う世界と感じ、何度も自殺を図った下村。ひとり、またひとりと、自分の存在理由を見つけるため、抜け出すために一歩を踏み込んだ。
 咲は世間的に見られると、自殺志願者。その行動と言葉に、精神を疑う世間の評価では、刈谷の存在証明を確かなものにしないかもしれない。刈谷の認識が春日になった事で、交際相手のひいき目だと、先入観にとらわれた色眼鏡に目を曇らせる者もいるかもしれない。それでも組織のトップである鈴村からの後押しと、確実に増える違和感の世界を感じる者。それはこの世界しか知らない者達の救いと存在意義となった。
 期待する刈谷と、刈谷に伝えたい咲と、その先にファクターの正体を知ることができる鈴村。四次元空間の、この場にいるRの桜の存在は、咲の首元に忍び寄る影の手は、誰にも、温もりも感じられなかった。

「これはいったい……な………ん……な……あ……あ……たす……けて……きゃぁ……りぃ……ぁあ……さ」

 締め付けられる首。自分で首に手を当てても、何も触れない首回り。異変に気付く鈴村と刈谷。誰の目に見ても、『ひとりで苦しんでいる』ようにしか見えない。四次元の目を持つ者には、おぞましくも、後ろから首を締める桜の影。邪魔する相手もなく、影へ触れられる存在もなく、桜の思うがままに、首は締まっていく。
 深い話を聞く前に、ファクター全ての名前が鈴村へ聞かれる前に、狂気の神となった背信の桜。影である桜の両手の指が、根本まで絡み合ったとき、ここまでの出来事を全てふりだしへ戻した。





 【PERFORM】


〜心臓の太鼓が教える抹殺への罪悪感〜


 18:07 モンストラス世界。支所裏口。

「馬鹿な!!」

「か、管轄。どういたしました? 何が起こったんでしょうか」

 鈴村と桜の二人しかいない支所裏口。桜が目を落とした腕時計は一時間近くモンストラス世界はさかのぼっていた。原因の張本人である桜。鈴村に悟られまいと、何が起きたかわからない雰囲気で接する。
 鈴村にとって、絶対的な原因が特定できない状況。収容室の前で突然苦しんだ咲。それは刈谷に助けを求めた最後。なぜ咲が突然苦しんだのか。何か発作を患っていたのか。誰かが自殺をして時間が戻っただけか。可能性を考えた。その中でも、モンストラス世界でおきる可能性を熟知している鈴村は、桜に備わった、覚えたてのシンクロの可能性も頭に浮かんだ。もしかして、裏切ったのではないかと。それならなぜ裏切ったのか。
 桜は咲から暴かれるファクターの正体を知りたかった。だが、鈴村には知られたくなかった。鈴村の知らないところで、咲から聞き出すためにも、口を封じるためにも、桜は鈴村と咲を引き離したかった。
 そもそも鈴村が恐れるファクター。それは移住する予定のモンストラス世界を操作される恐れや壊される恐れ。大気が安定した世界を護りたかった。その不安なファクター達を、主に誰が仕切っているのか。春日か、Rの鈴村か。Rの桜は春日から誘われた。それを鈴村は肉体を与える条件でRの桜を寝返らせた。そしてRの鈴村の行方。
 咲が刈谷に伝えようとした人物は誰か。この世しか知らない咲。その咲から、春日の事がファクターのリーダーだという言葉が出るとは考えられない。昔の恋人だったRの鈴村とも思えなかった。刈谷の存在を確認して、その後伝えようとした人物は誰だったのか。

「水谷……今すぐ俺を咲のところに飛ばすんだ!」

 予想していた桜。この場で再びシンクロを使う事は、まだ確認できていない咲の精神状態の不確かな危険性。万が一、首を絞めた感触や雰囲気が、桜のイメージで固められていた場合、それを鈴村に知られた時、自分にとってどんな不利益を受けるかと桜は心配になった。今、鈴村を咲に合わす事は出来ない。自分の証拠さえ見当たらなければ、しばらくは大丈夫だと。

「管轄……すいません……試してみましたが、体力が戻ってないようです」

「水谷……場所はわかるだろう。どこだ」

 直接咲の自宅に向かおうと考えた鈴村。
 表情から感情を読まれたくない桜。下手に息継ぎをすれば芝居と思われるかもしれない。目を泳がせても、直視しすぎても疑われそうな今、冷や汗のひとつでも掻く前に、自然な言葉を探した。

「管轄、それでは今、所内より地図を持ってきますが、お待ちいただけますか?」

「わかった。車も貸してくれ」

 少しでも時間を稼ぎ、これからの計画を立てたい桜。それは鈴村を遠ざける方法。そして、今だ待ち続けている『指示』。最後に電話で話したRの鈴村との内容は、刈谷を精神病棟へ隔離することによって、Rの桜が出来る全てのことは達成された。精神病棟へ隔離することは桜にとっても待ち続けていた出来事。保護期間の終了までの半年待った今日。180日経った今日。Rの桜は何かを期待せずにはいられなかった。本体の鈴村が今日突然現れたことは、シンギュラリティ世界でその何かが起こる前触れとも感じていた。
 地図と車の鍵を取りに行くため、支所内の共同職員室に向かう最中、ひとつの大義名分な理由が見つかる。その職員室の途中、聞こえてくる先ほど聞いた声。想像通りに熱気高く、数十人の職員に語る田村。先ほどの駐車場での出来事もあり、屋上での出来事もあり、鈴村に対して言い訳をつくるには具合がよかった。

「職員諸君! 私に続いて数人の職員は目覚めた! この不死現象を裏付ける確かな証拠だ! まだ疑う者もいるだろう……だが疑う者に尋ねたい! 不死現象を説明出来るか!! いないだろう……それは我々は! この世のカラクリに仕組まれているからだ!!」

「田村専任! カラクリとはどんなものですか?」

「ハハハ! 専任と呼ぶにはまだ早いが、間もなくだ! そして俺はそのうちチーフとなる人間! 壊れた春日さんより、俺の方が適任だろう」

「はい! 田村さんは自分の葬式の話を所長に話したりしませんので! きっと隔離されてた下村にも刈谷さん病がうつったんでしょう!!」

「ハハハハハハ!!」

 刈谷が町田に語った話題に、笑いが飛び交う研修室。町田が刈谷を緊急的に拘束した理由は、春日の葬式話が決定的だった。収容室に連行した新人職員も混ざり、重症患者となった下村の出来事も話題に上がっていた。

「同じ職員ならあいつがどんなに嘘を言わない人間か、知ってるだろう……目覚めていない職員には信じがたいだろう。だが、お前達は見たはずだ!! 俺の死体を!!」

 田村が熱弁を奮う職員の研修室前。鈴村と支所の裏口で別れたRの桜は、聞こうとしなくても聴こえてくるその大きく太い声の響く研修室のドアの外で静かにたたずみ、様子を耳で感じていた。

――きっとデジャヴュ前の駐車場での一件を含めて、この世界の違和感をわかる者だけで分かち合っているのね。わからない者には田村と目覚めた職員の神秘に惹かれているほどの熱……仲間に引き込むには危なっかすぎるわ。けれどどうする? 粛清したくても、死なない世界。何度も時間が戻るのは鈴村にまた会わなければならない気まずさもあるわ。Rの鈴村はどうしてるの? このまま本体の鈴村の味方をしているのも、もう、もたないわ。


「この世界は違う! お前らの家族に違和感はないか! 我々は今世界に騙されている! 騙されるな!」

「そうだ!」

「俺は騙されねえ!」

「俺もさっき目覚めた!」

「この世界から抜け出すには自分をこの世から消す事だけだ! 何度か目を覚ました時! お前らは本当の世界で目覚める! 俺についてこい! 今は本部で不死現象会議が始まっている! 今が! その時だ!!」

「田村。あなた……なにしてるの?」

「チーフ……いや、私は……この仕事への団結力を上げようと皆を導いて」

――考えている時間はないわ。少しでも時間を稼いで、もしもRの鈴村が何もアクションを起こしてこないなら……次に本体の鈴村を見た瞬間、人間である鈴村の息の根を止めるわ。簡単よ。今の私なら! 怖がることはないわ! 今の鈴村は無力! シンクロの能力はきっとRの鈴村がそのために私へ備わせた能力! この馬鹿どもの大将を気取っている田村にも、力の差をわからせておいてやる!

 目の前にバツの悪そうな田村を睨みながら思考する桜。田村へ能力を駆使して服従させて、自分の手足として動かそうと企むと同時に、もしも時間が戻った刹那には、本体の鈴村をこの世界で刈谷同様に存在を終わらせようと考える。本体であれば、二度と復活することの出来ないという不利な環境を利用して、今であれば本体の鈴村からの影響力におびえず、誰にも知られずに抹消できると。
 田村を前にしても緊迫感なく笑みが出てきそうな気分の桜は、その表情を殺しつつ、上司としての当たり前な指導をぶつける。

「この支所では集団自殺に追い込むような講習過程はないわ!! あなたたち! 田村の言葉は忘れなさい! そしてここで待ちなさい! 田村! ちょっと来なさい!」

 職員からすれば叱咤されている自分たちの神。桜からすれば、すでに自分には誰も想像が出来ないほどの能力を身につけた神。その通じ合わない思考は桜には想像もつかないほど、田村のプライドという逆鱗に触れていた。

「皆!! 現れたぞ!! 我々の心を操り! 人類の未来を妨害する! 世界の元凶のひとりが!! 拘束しろ!!」

「おお!!」

「捕まえるんだ!!」

「正体を暴け!!」

 18:14 モンストラス世界。支所裏口。
 葉巻をふかしながら、そしてつかむ葉巻の中にあるカプセルの感触を確かめながらRの桜を待つ鈴村。再び沈む夕日を眺めながら疑念を拭えないでいた。

――Rの桜が裏切っていた場合、すぐに考えられることは、俺の抹殺。自分が神と認識した慢心から、すでに重要度が薄くなった俺への反逆。それは可能だ。人間である俺を殺すことは可能だろう。ならば、すぐにシンギュラリティ世界へリンクするカプセルを使うべきか。だが、まだファクターのメンバーの確信が持てていない。それが確認できればシンギュラリティ世界の『エンジニア』の力を借りて一時期はモンストラス世界を行き来できるだろう。次にRの桜が顔を見せる時に、その判断を……。

 Rの桜に対する疑念への対処。それは桜と同じタイミングで判断を下す紙一重な思考。油断を見せられない現状の立場は、いつ桜に狙われてもおかしくない立ち位置を悟られないように、警戒心をあらわにしないたたずまいで桜を待った。
 Rの咲が知っているファクターのメンバー。そして、そのメンバーが密談していた内容を知る唯一の存在である咲の安否は、田村を相手に時間稼ぎをしている桜によって伸ばされている。
 田村との立会いの現状を知らない鈴村の目の前。すでに陽は落ちていたが、建物の影から近づく、ひとりの何者かが近づいているのがわかった。

「なんだ、ここにいたんだ」

 悪寒がよぎる鈴村。その声はシンギュラリティ世界で聴いた声。馴れ馴れしくも感じるその声は、鈴村にとって桜よりも葉巻に巻かれた葉をねじり折る理由を強くした。その者は、言葉を返さない様子の鈴村へ、もう一言、言葉を投げた。

「今、ANYに聞いたよ。ねえ、やっぱりお前、邪魔かもしれない……シンクロ」

 18:15 モンストラス世界。職員研修室。
 田村の率いる職員に囲まれたRの桜。明らかなチーフである桜に対しての謀反をあらわにした田村に対して、拳銃を構えながらどのような方法でこの場を治めるか考える。

――ハッ……面倒ね。どうする? どこかに飛ばす? 撃つ? 私が飛ぶ? 選択肢がありすぎるわ。でも、ここでこいつらを飛ばしたら、私の能力を知られる可能性がある! それなら……。

「撃たせるな! チーフを止めろ!」

 自分の頭に拳銃を向ける桜。その瞬間、桜の影が四次元を浮遊する。20本の手が桜に近づく中、田村より後方で、目覚めてもいない、この世界を理解していない、どうして良いかわからずにたじろいでいる職員の目の前に桜の影が立つ。

「田村……また近いうちに会うだろう」

 桜の持つ拳銃の引き金は引かれなかった。桜の影は、誰も注目していない職員の口を塞ぎながら、その職員の持つ拳銃を奪い、胸に当て、引き金を引いた。その拳銃の衝撃の反響音を、桜の拳銃ではないとは、誰も思わなかった。撃たれた職員は再び新しい世界には目覚めなかった。自分を傷つけるリスクを負わず、職員をひと時殺める罪悪感もなく、緊張もなく、鈴村へ出会っても時間を稼ぐ理由を持ったまま、時間をさかのぼる。

「お前ら、俺は見えた……この世界の敵が! 水谷桜!! チーフをさらえ!! その先に我々の進む道が見える!!!!」

「おおー!!」

「俺も見たぞ!!」

「覚えてる! やはり俺は目覚めたー!!」

 18:10 モンストラス世界。支所内廊下。
 すでにRの桜と鈴村が別れた直後の立ち位置。桜は職員研修室へ向かう途中の廊下にデジャヴュすると、すぐに振り返り、田村の謀反という大義名分を持って鈴村の元へ走り出す。

――これで車や地図に近づけなくなった理由を作れた。体力の回復を理由に時間を少し作って、鈴村を……暗殺する!

 支所の裏口へ走り向かうRの桜。その走りは職員研修室から逃げる姿を思わせながらも、顔は笑みで歪んでいた。
 裏口のドアが見える。そして勢いよくドアを開けた。それはほんの一瞬だった。鈴村が七色の光に包まれて、このモンストラス世界から消える直前の姿。

「え! か、管轄!!」

 鈴村も、Rの桜が勢いよく支所の裏口から出てくる瞬間だけは確認していた。そしてお互いがまばたきをした一瞬、桜の前から鈴村は消えた。

     ◆◆◆

 18:42 シンギュラリティ世界。海岸沿いの森林。
 春日雄二の姿をした者の誘導により車で走行する咲。ほとんど車の進行方向を見ていない男は導かれるように「こっちです」「あっちです」という声と顔の向きで意思を咲へ伝える。

「ここ、もう進めないわぁ! どうするの?」

「お、降ります」

 車の鍵も解除せずに何度もドアのノブを引っ張るように開けようとする。それを見た咲は軽くため息をつくとすぐに作ったような笑顔で後部座席に振り向き、思いを伝えた。

「もう! わかったわよ! 一緒に行くから! 雄二とそっくりな怪我人をひとりで行かせられるわけないでしょ!」

 そのように言葉を伝えると、男からの答えを待たずにドアの鍵を解除して、後部座席のドアを外から開けるために運転席から出る。

「だいじょうぶ……です。ありがとう……ござい……ました」

 自分でドアを開け、咲に目も合わさずに森林の中に進む男。咲も放っておく事が出来ない。後ろからついて行くように、森林へ入っていく。
 その森林は人工的な部分が大部分であったが、ドームより外であり、日陰で湿度が保たれ、天然の草や花も所々あった。砂漠化していくことを防ぐため、太陽の直射日光を避けるためにも大掛かりな工事により人工樹木を増やしていく工事はシンギュラリティ世界において終わる事のない作業ではあったが、二人の迷いこんだ森林は必要以上に人の侵入を拒むかのように茂らせていた。男の歩みは道を知っているかのように止まる事を知らず、ほんの数分が数十分も歩いた気分にさせるほど帰路を不安にさせた。

「ちょっ! どこまで行くわけ!? もう! 死んじゃうわよ?」

「ハァ……ハァ……ハァ」

「もう! 私帰るわよ!?」

「ハァ……ハァ……ハァ」

 うなだれそうな姿勢で、今にも前に倒れそうな足取りで進む男。耳を貸さない男に対して帰る意思を伝えた咲も、言葉を投げるだけで帰ろうとはしない。帰路の心配と、春日の姿をした男の心配と、その男の怪我の心配や目的地への興味が入り混じる状態で、咲はすでに後ろからではなく、ほぼ真横に付いて歩いていた。

「ハァ……ハァ」

「え……ここ」

 森林の中、草木のない場所。それでも周りの樹木が内側に垂れ下がり上空からの確認は出来ないような空間。その空間の真ん中には地下への階段があるのであろう片手分のノブが付いた扉が一つ。一見して頑丈だと感じる古くない扉を守る厚みを感じるような10秒程度で一周できそうな外壁に守られてそびえていた。

「え、これ、入っていいのかしら……普通に鍵が掛かって……」

 無用心である意味を感じないほど立派な扉。それは開けられる代物ではなかった。内側から開錠されない限り。そのように思わせた扉は、音にして5回の開錠音と共に、ゆっくりと扉が開いた。

     ◆◆◆

 18:46 シンギュラリティ世界。林道。
 眠っている咲と別れた林道で頭を掻きながらたたずむ春日の姿がある。

「あれ〜。めんどくさいなぁ〜。デジャヴュで戻されちゃったよ……せっかく鈴村を『あそこ』へ連れて行ったのに逃げられちゃった」

 同じ時間。18:46 シンギュラリティ世界。支所。
 モンストラス世界は何度かのデジャヴュにより時間の差が生じているシンギュラリティ世界に現れる鈴村。

「ハァ、ハァ……なんとか逃れられたか」

 シンギュラリティ世界にリンクした鈴村。
 モンストラス世界で春日と突然出くわした鈴村は、春日がシンクロを操り、ある場所へ飛ばされた矢先、Rの桜が起こしたデジャヴュにより時間がさかのぼる。その瞬間を逃さず、葉巻の中にあるカプセルを割り、シンギュラリティ世界に逃げ込んだ。そのリンクした場所はモンストラス世界と同じ支所の裏口ではあったが、人口が飽和した世界では、たたずむ鈴村を避けるように支所の職員が行き交い、立ち尽くす鈴村に声を掛けようとする職員もいた。

「あの、大丈夫ですか? 助けが要りますか?」

 鈴村の顔を知らない職員は親切心で声を掛けるが、目立つことを避けたい鈴村は声を返さずに軽く手を上げて心配ない様子を伝える。そしてすぐに声を掛けた職員には背中を向け、目的を持って歩き始める。

――誰の起こしたデジャヴュか知らんが、助かった。水谷が一度戻ってきたが、ここではその理由がわからない。とにかく、今はこの支所では駄目だ。助けがいる。あいつは、春日は、『あの場所』へ俺を放り込もうとした! シンクロを使いこなしている春日! お前は……まさか……ANYの一部なのか!?

 鈴村をモンストラス世界へ放り込み、ANYへの権限も鈴村より高く、モンストラス世界でシンクロを操る春日。その自由な行動力に鈴村はANYの化身ではないかと思考する。何が原因でどのようにすればそのようになったのかもわからない状態ではあった。けれど、一番納得しやすい理由でもあった。
 今の鈴村が一番求める場所へ走る。それはシンギュラリティ世界の支所と本部のおおよそ間にある研究施設。しかし、本部の重要施設であるため、おおやけには公開していない場所。本部の職員にも悟られないために秘密裏に開発を行っている『エンジニア』のための地下施設。本部にも戻れない鈴村。そしてANYに対してまで疑念を持ち始めた状態で命令を発動することも出来ない今、明らかにその原因がわかると想像できる、ANYを開発したエンジニアに直接尋ねるしかなくなった。
 人口の飽和の原因から住宅地の飽和へとなり公道は狭まり、縮小され、自動車によるハイヤーは需要が無くなり、ほとんどが3人乗りのハイウェイスクーターハイヤーとなっている都市部。スクーターの座席が指紋認証による料金体系のハイヤーの座席に断りもなく乗り込むと、たまにいる強引な客だと認識した運転手は耳を傾け、「進ませろ」と聴こえた矢先に低速で走り出した。備えてあるヘルメットの内蔵マイクとスピーカーにより直接運転手へある程度の道のりを伝えると、加速を始め、軽快に細い道を走り抜ける。その先はドームの外へ出る道のり。運転手の操作により座席の上で光る収納口。その中には強い紫外線を避けるためのコートを着用される事を義務付けられている。ひと時の停車時に、マントにフードが付いた銀色のコートを羽織ると、それを確認した運転手はまたスクーターを発進させる。
 ANYからの通信を遮断している地下施設。それでもネットワーク経由で侵入できなくもない危険性もあるが、そのセキュリティだけは破られないような施設であることを前提に考えて作られた空間。唯一のANYに対抗する手段でもある。

――ANYが誰の味方か確認しなければ。春日がもしもANYの化身であるならば、すでに味方は有り得ないか……しかし、正体がわかれば対応は出来る。

 考察する鈴村。その目的地だけは悟られたくない最後の砦。ほんの数十分で到着する道のりだけは邪魔が入って欲しくなかった。
 ハイウェイスクーターハイヤーは三人乗り。乗客は二人まで可能だった。それぞれに備えられたヘルメットは乗客同士会話することができ、運転手には、乗客から任意で通話ボタンを押さない限り、乗客の会話は運転手には届かない。鈴村が被るヘルメットには、運転手の声ではないものが聴こえてきた。

【逃げられると思った?】

     ◆◆◆

 18:11 モンストラス世界。支所裏口。
 鈴村が消えたあとに残されたRの桜は影で四次元を漂う。

――鈴村は、いない。どこにも感じない。あれは、やはりシンギュラリティ世界へのカプセル。どうして? 私の考えを見破られたの? 警戒された? まずいわ……もしも、鈴村がシンギュラリティ世界で人工知能に私の消去でも命令されたら……いえ、きっとそこまでバレてないはず。きっと、何か別の理由よ。そして、見つけたわ。風間咲。やっぱり家で震えていたのね。いい子にしててね。すぐに向かうから。

 震えているRの咲。それは影で眺めるRの桜からでも様子がわかった。膝と肘を床につけ、這いつくばりながら両指を絡めて自宅の床で震える咲。それはもう、誰にも関わりたくない構え。誰にも干渉されたくない願い。その震える咲の真横で笑みを浮かべる桜の影。撫でるように、それでいて触れない程度に髪から背中のラインに平行して影の手のひらを滑らし、いつでもその願いを断ち切れるかのように、握った両手の指の上で指を大きく広げて鷲掴みできるような構え。角度を変えて下から表情を眺めれば、瞑った目の周りのまつ毛は小さく光り、鼻や口に向かって滴っていた。

【あなたの知っている秘密はなんだ】

「キャー!! イヤー!!」

【あなたの知っている秘密はなんだ】

「いや……私は何も知らない……いや……イヤーーー!!!!」

【話せば……あなたは自由……】

 咲は自宅に誰もいない事を確認しながら、それがこの部屋から聴こえるのに、その存在が見えないことから、いつ、また苦しめられるだろうという恐怖と、気を失いそうなほどの混乱は髪をかき乱し、耳をふさぐ。
 四次元の声を伝える桜。支所の裏口から瞬間移動をせず、触れることもなく、言葉だけで目的の情報を手に入れたい桜。姿を見せれば更に混乱する可能性。情報と共に存在を抹消するには弱すぎる存在。情報次第では、生かせられ、存在を遠くへ置き去りにすることもできる。けれど、その状況を本体の鈴村に知られた時、Rの桜の裏切りが明らかになる可能性。万が一にも鈴村への言い訳を作れる可能性が、シンクロを利用した神の声だった。なるべく桜のような口調ではなく、女と思われない事を願いながら。

【あなたは大事な秘密を……ひとりで抱えすぎた】

「いや……いや」

【話せば……苦しみはもう無くなる】

 苦しみは終わらない。咲はそう思った。けれど、言わなければ、結局、苦しみは終わらない。誰も助けてはくれない。この世界では、もう味方はいない。視野は狭く、逃げられない距離からの見えない声。桜の仕業と思った。けれど、それさえもどうでもよかった。春日がいなくなってから、世界に味方はいないと心から思えたから。本体の鈴村の存在を前にした時からはっきりと理解できた。自分の知らないところで、違う世界があるのだろうと。それまでは、交際していた春日の残した言葉の真意が受け止められなかった。けれど、別の世界があると感じられた今、春日の残した言葉は、言葉通りであると理解できた。

「ゲ……ゲームよ!!」

【ゲーム……どういうことだ】

「刈谷さんを殺した人が……殺した人が、運命の保有者っていう……」

【それは……誰もが想像できること。運命の保有者とは、どのようなものだ】

「わ、わからないわ!! ただ、刈谷さんを殺した人が……その、体に入れたキャリアっていう物質が手に入るって、そして、手に入れた人が、好きな世界に行けるって……残った世界は壊れる……それだけよ!! バカバカしい話よ!! こんなのゲームだわ!!」

【そうだ。世界はひとつでいい。そして、いらない世界は、無くなればいい……そのゲームに参加している者の名は誰だ】

「雄二が言っていた人は……和明以外には、マチダとカヤマって呼んでいたわ。雄二は、和明……管轄としての立場で人を殺す計画をしているという弱みを握ったと……」

【そこまで聴いていない。もうわかった……だから】

「桜さんでしょ? ねえ」

 言葉につまる桜。『だから、もうおとなしくしていろ』という言葉を言い切れなかった。そして、桜ではないと否定すれば良いか。やはり咲の存在を遠くにするべきか。桜と知ることで、どのような不都合をぶつけてくるか静かに言葉を待った。罪悪感を持たない桜。心臓の鼓動も感じない。そして、その言葉に、影を遠ざけた。

「ねえ……お願い、殺して」

【もうすぐ……死ねるわ、きっと】

     ◆◆◆

 18:46 シンギュラリティ世界。
 ハイウェイスクーターに乗車している最中、ヘルメットのスピーカーから聴こえる声。それは直前まで鈴村が逃れようとしたファクターである春日の声。逃れられないと予告した春日の言葉。その言葉だけで、鈴村はこれより先に進むことが出来ず、逃げることの意味がどこまであるかわからない。それでも、この世界ではモンストラス世界のような能力は使用出来ないと考え、ヘルメットのトランシーバーへ周波数を合わせられて都市の監視カメラから常時監視しているものだと推測する。

【お前の作った世界は、俺の望むものには遠すぎるよ】

 春日が鈴村へ語る主観。それはモンストラス世界が春日にとって失敗作と思わせる言葉。それはANYの意思なのか、代弁者といて現れた存在なのか。すでに鈴村の存在をロックして言葉を投げている春日。目的地まで知られてしまっているのか、下手に進路変更をしてごまかすか、それでも鈴村からすれば、春日の意思ひとつで自分の行動を制限させられたくはなかった。

【春日……お前は、何者だ】

【俺か? ひとつのゲームと、確実な真実を、もう一度知りたいだけだよ】

【真実? お前は何が知りたい】

【お前には想像の出来ない、光や次元を超えたものを、再び届けるためだよ。必要なものを、選んでもうためのね】

【光や次元を超えたもの? それは、情報のことか?】

 光を超える存在。それを聴いて鈴村に浮かぶもの。それは出来事や物事を伝える『情報』。情報とは、その情報を利用して、何かを判断するための材料。光を超える情報は、中身のわからない二つの箱の中にある、色の違う物体を確実に認識するようなもの。
 二つの色、赤色と青色の物体を別々の箱に入れると、入れた者でなければ、どちらが赤色か、どちらが青色かわからない。箱に入れていない者に、箱を渡して、どちらかひとつの箱だけを持って、世界の反対側で開けた場合、それが赤色であったとき、その瞬間に、世界の反対側にあるもう一つの箱に入っている物体の色が青色であると理解できる情報。その理屈はどれだけ距離が離れていようと、遠い彼方の情報が手元に入るもの。光や次元を超えたものと耳にした鈴村が思う唯一の言葉は、『情報』であった。

【さすがだよ鈴村! あはは! 良くわかっているじゃないか!】

【その情報をどこに届ける!】

【そうだなぁ〜。とりあえず、お前はさっきの場所に入ってもらうよ】

 鈴村を乗せるハイウェイスクーターの運転手は、聴こえていないその言葉と同時にサイドミラーを覗き込む。それはスクーターに負荷する重量の変化から。そして、サイドミラーの角度を変えて見えたのは乗客の足の数。誰かが突然乗り込んでいる。それは速度を落とす理由となり、停車した瞬間に振り向くと、ハイウェイスクーターには誰も乗客がいなくなっていた。
 18:54 シンギュラリティ世界。本部管轄室。
 管轄室では、情報が響いている。それは、通常のデジャヴュであれば一度で終わるANYのアナウンス。2時間前にRの鈴村が『自動更新を解除する』を実行したため、鈴村の声紋で命令待ちをしているANYのアナウンスが続いている。それを聴いているのは、拳銃を握り締めた桜ただ一人だった。

<モンストラス-自動更新不能-田村龍平>

<シンギュラリティ-鈴村和明-リンク-モンストラス>

<シンギュラリティ-鈴村和明-モンストラス-LIFE YOUR SAFE-特別病棟>

<モンストラス-自動更新不能-春日雄二>

<自動更新解除-命令更新環境-継続中>

「今、管轄がモンストラス世界にリンクしたの? 春日雄二? それって、恭介のこと!? 恭介を更新して!! いや、春日雄二を!!」

【命令された時の声紋が一致しません。認証されません】

「刈谷恭介をシンギュラリティ世界に戻して!!」

【命令された時の声紋が一致しません。認証されません】

「管轄は!! Rの鈴村はどこ!!」

<R-鈴村和明-モンストラス-LIFE YOUR SAFE-特別病棟>

 桜がひとりたたずむ管轄室。Rの刈谷がいる精神病棟から戻された時は管轄室にいたRの鈴村。その時にRの鈴村は桜に伝えていた。「モンストラス世界の鈴村が精神病棟にいる。刈谷を危険な目に合わせないように、俺が見張っている」と。それから20分程待っていても現れないRの鈴村。それどころか、ついさっきモンストラス世界にリンクしたという報告アナウンス。さらに響き渡るのは、田村龍平と春日雄二がデジャヴュされていないという報告アナウンス。
 アナウンスに流れる春日雄二とは、認識がRの春日雄二となった白い鉄格子の中にいるRの刈谷恭介。直前まで、管轄室からモンストラス世界へリンクしてRの刈谷恭介と精神病棟で会話していた桜。桜自身がRの刈谷を拳銃で発砲した事実と、発砲したその後は鈴村からデジャヴュにより時間がさかのぼると聞いていた桜は、それが今になってデジャヴュがされていないアナウンスの報告に混乱する。
 Rの鈴村によってデジャヴュの自動更新は2時間前の命令により準備が終わったANYによってほんの数分前に解除され、命令更新とされている。それを解除できるのも命令した鈴村。本体の鈴村と思って接していた桜は、本体の鈴村が今になってモンストラス世界にリンクしていることを知り、混乱が増す。

「どうして!! どうして恭介は戻ってないの!! 鈴村!! どうして!? 私が恭介を殺したの!? いや、イヤーーーー!!!!」

 管轄室に発砲音が反響と共に轟く。何度も撃ち続ける桜。ANYのスクリーンモニターへ、スピーカーへ、監視モニターへ。銃弾が跳弾として壁を跳ねる。頬をこすり、太ももに埋まり、痛みを感じさせない奇声を繰り返し、全てを否定する。

<モンストラス-自動更新不能-春日……>

「嘘だ!! 嘘だ!! 嘘だ!! イヤあああー!! 恭介!! 私が!! 私が殺した!! 鈴村!!!! どこだあああ!! あぁぁ……はあぁ……ハァ……助けて……恭介ぇぇ……苦しぃょぉ……」

 刈谷の本体とRの区別がつかない桜。刈谷を殺したと感じている桜。鈴村に裏切られたと感じる桜。どちらの鈴村が正義なのか、悪なのか、理解ができない。
 広くない空間である管轄室に独り。思い出すことは、工場に閉じ込められた苦い思い出と、初めて刈谷と出会って救われた輝かしい思い出。
 狭く孤独とも認識してしまったこの場所で、その気持ちを忘れられる瞬間は刈谷と一緒にいるか、銃撃をしている時だけだった。苦しみを忘れたい桜。拳銃の残響音に耳の機能は一時的に奪われて、頭に直接響く衝撃音。銃弾を発火させるための雷管へ衝撃を伝える撃鉄はすでに感触が柔らかかった。跳弾される元からはすでに火を噴く事はなく、ただ引き金を引き続けている桜。心の苦しみと、実感してゆく体中に熱く燃えるような傷の痛みだけが走る。血が体中を巡る感触がする。傷口を駆け回る鈍痛。続いて、殴られたのか、焼かれたのか区別もつかない激痛が交互に伝わる。伝わる痛みと同時に冷静が戻ってくる。膝をついて顔を下にうつむかせて、言葉を失う。少しずつ、再び耳に入ってくる情報。雑音が混じったアナウンスは詳細を知ることが出来ない。それはふさいでいない耳に耳鳴りと交互に桜へ認識させる。頬から伝わる心臓の鼓動。肩から教える心臓の鼓動。太ももに伝わる高ぶる血脈は心臓の鼓動。体中に伝わる心臓の鼓動を感じさせる太鼓は、うつむきながらも眼肉に力が寄り、切れ長にすわり始めた眼光は自分に対しての罪悪感を銃弾として吐き出し、決意に変わる。

<……ル-鈴村……明-モンス……ス>

「ゆる……さない……す、鈴村ぁぁぁあああ!!!!」

     ◆◆◆

 18:18 モンストラス世界。支所裏口。
 シンギュラリティ世界より時間が遅れているモンストラス世界。すでに終わった時間。自動的に調整され、少しずつシンギュラリティ世界の時間に近づく。
 咲より聞けるだけの情報を聞き出したRの桜にとって、この世界で必要なものと不必要なものが何かを考える。

――咲からは予想通りの情報。いや、知らなかった名前もある。すでに本体の鈴村から言われたクローンの話は問題じゃないわ。キャリアを持っているかどうかが鍵なのよ。私が望めばモンストラス世界が唯一の星にもなれる。本体の鈴村が私を消滅させるかは、きっと対面するまで判断しないはず。次に対面した瞬間、鈴村は私が抹殺するわ。だけど、この星って、どうやってシンギュラリティ世界で管理されているの? 宇宙空間に? シンギュラリティ世界の中に? 仮想空間? わからないわ……けれど、確実に要らないものは、刈谷恭介……あなたよ。けど、まだ人を殺めることができないモンストラス世界。しばらくは、本体の鈴村が言っていたように、この世の真実を教えてあげる。

 精神病棟へ隔離されているRの刈谷。キャリアというものがどのようなものかわからない桜。キャリアを抱える刈谷の体を乗っ取るか抹殺することが条件とされる春日の発案したゲーム。本体の刈谷を加藤達哉の館で殺害したと信じている桜にとって、まだキャリアを保有している実感が沸かない。それならば、可能性として、Rの刈谷も抹殺すれば、消去法のように実感へ近づけると考える。
 Rの桜が知らないモンストラス世界の位置。シンギュラリティ世界の地下に実際の惑星として、地上は仮想データとして作られたモンストラス世界。移住が可能となった時点で宇宙に打ち上げられる予定であるモンストラス世界。それは鈴村の最高傑作であり、人類の生存のためだと考えて作られている。
 精神病棟へゆっくり進むRの桜。その収容所の前に立ちふさがる二人の警備員。暗がりの中から現れた桜に気づいた警備員はチーフである桜へ丁重に話しかける。

「水谷チーフ! お疲れ様です! 収容者との面会でしょうか」

「見回りよ。裏へ回るわ」

「あ、それはご苦労様です」

 精神病棟の裏側に回り込む桜。桜自身は回り込み、入口付近に影を残した。警備員から精神病棟の入口の鍵を持ち上げると、警備員が気づかないうちに扉の鍵を開錠する。そして開錠の音と共に、影を室内へ潜り込ませる。その影が見た認識色は青。連絡がなく開錠される精神病棟の入口前で、散弾銃を構えながら入口の脇に隠れている弥生の姿。

――居たわね。予想通り警戒心が強いわ。けれど、香山は目覚めていない認識色。どうやってこの世界を理解しているの?

 香山がかがんでいる真横に影を近づける桜。外の様子が理解できない弥生。真横の存在に気づかないまま、散弾銃は宙に浮かび、床に投げられる。

「え! だ、誰かいるの!?」

 弥生の目には何も映らない。映っていないはずだった。目の前には少しずつ対面する建物のレンガの壁が見えづらくなる。それは影と外にいた桜が同化していく過程。透明な影は形をつくり、立体的に浮かび上がるように、桜の顔を認識できるまで姿をはっきりと現した。

「チ、チーフ……」

「香山弥生、あなた、知っているでしょ?」

「な、何をですか? チーフ、あなたは一体」

 理解が出来ない様子の弥生。そして、その空間には桜と弥生の二人だけのはずだった。二人以外の声が、レンガの壁に反響してこもるように響く。

「俺たちはこのゲームを共有した仲間ということだ」

 振り返る桜。そこには、壁を背もたれにたたずんでいる鈴村の姿。その一瞬、桜と弥生の二人は躊躇する。その鈴村が本体であるのか、Rであるのか。

「水谷。半年ぶりだな」

「か、管轄! こちらの世界の管轄ですね!」

 うなずく鈴村の様子に、その言葉を聴いた弥生は理解する。知らないところでチーフである桜も自分たちの仲間だと。

「管轄、お久しぶりです。今日がその時なんですね。チーフも仲間だとは知りませんでしたよ」

 桜よりも先にファクターとなっていた弥生。しかし、認識色は青。それは目覚めていない証。デジャヴュが実行されても記憶が残らない者。元々は恋人として交際している者からの誘いによる協力者。幾度となく世界が更新されても、世界に目覚めている恋人からの言葉を信用できなかった。

「お前の恋人は、監視を続けているのか?」

「はい、管轄。町田から最初に話を聴いた時は、頭を疑いましたよ。けれど、専任補佐の田村が自分の死体を半年前に加藤達哉の館から持ってきたことで確信が持てました。もう一つの世界があると理解できましたわ」

 弥生の恋人である町田。それはRの桜と同様、この世界の目覚めた人間を監視する役目。それはファクター同士が裏切っていないか監視する役割でもある。どのような事態でも、お互いがこの世界を唯一だと認識しているフリを続けなければならない。仲間だと聴いていても、知らないフリを続けることで、シンギュラリティ世界からのANYや鈴村からの監視による情報の漏洩を防いでいた。桜は所長である町田に対しての懸念を鈴村へ伝える。

「所長は危なっかしいわ。今朝は崖の上でカマをかけるような質問をしてきたり、加藤達哉は存在しないっていうことで通してきたのに、本体の管轄へ加藤達哉は爆発で飛んだと言っていたわ。そのせいで、私は本体の管轄に疑われて尋問されたわ」

「あ、わかるわ。彼はね、危なっかしい事をわざと言って試す性格なの。だから何も知らなかった私なんかを引き込むのよ。基本は真面目で機転も利くから上手くかわしてるつもりみたいだけどね」

 桜と弥生の愚痴ともとらえられる言葉に、鈴村はその不安や懸念を払拭しやすい言葉を掛ける。

「いいだろう。それなら、昇格と称して、本部へ向かわせよう。そして水谷、あっちの鈴村との会話を教えてくれ」

 ここまでの経緯を伝える桜。ファクターの密会と言うものか、初めて自分たちが同じ目的を持つ仲間として、自分たちの知っている情報や懸念を共有し合う。その情報を元に、Rの鈴村は判断を伝える。

「水谷、本体の鈴村が言うように、確かにシンギュラリティ世界はもうもたない。あっちの世界よりもモンストラス世界の方が未来がある」

「それなら、この世界に居ろと?」

「都合は悪くないだろう。向こうの人工知能であるANYからお前の情報は得ていたが、お前はこの世界で神となるシンクロを使いこなしているはずだ。本体がいなくなればいいだけの話だ。世界はそれで一つになる。そして、もうすぐでデジャヴュは起こらなくなる」

 Rの桜にとって悪く感じない条件。すでにシンギュラリティ世界で未来を感じなくなった今、それでも桜自身は超越した力を保有した存在。その世界の中で、本体の存在がなければ桜自身は唯一の存在になれる。そして、運命のキャリアというものを手に入れた時、自分が絶対的な存在になると。そのような野心を口にせず、今するべき事を伝える。

「本体の鈴村が言っていたように、刈谷へ対しての信用を少し回復してきます」

「そうか。こちらは人工知能ANYへの必要な命令は全て終わらせた。更新待ちだ。この世界がまとまるのも時間の問題だ。あとな、本体の水谷を誘導して、先にリンクさせておいた」

「え? 私の本体ですか?」

「俺を本体の鈴村と信じて、死なない世界という理由で、データを分析するために刈谷を銃撃するように言ってある。出くわしたら、うまく誤魔化せ。デジャヴュが発動すれば、いったん俺もシンギュラリティ世界に戻されるだろう」

 Rの桜はうなずくと同時に、影の意識を地下二階の階層へ飛ばす。
 18:28 モンストラス世界。精神病棟。地下二階。
 収容されているRの刈谷。直前まで鈴村と咲が現れて、自分の存在を確認できる証拠が見つかったと感じていた。その歓喜を味わうまでもなく、突然苦しみだした咲。再び時間がさかのぼったRの刈谷の前に、シンギュラリティ世界の桜が現れる。

「き……恭介?」

「誰だ!?」

「恭介……逢いたかった」

「チ、チーフ!?」

 両手を握ってくる桜の行動と表情に混乱するRの刈谷。チーフとして、同僚として接していた上司からの近い接近。目を丸くして聴くことしか出来ない刈谷に対して、桜は言葉を続ける。

「恭介……もう少しよ」

「ちょっ! チーフ! どうしたんですか!? 恭介って」

「私に見付かると話がおかしくなるけれど、この世であなたの味方は私だけよ」

「私に見付かる? 私って、あんた……誰だ? どこから現れた」

 管轄室より刈谷を目掛けてリンクしてきた桜。桜の刈谷への愛情を利用して誘導したRの鈴村は、桜がリンクした直後に、同じ精神病棟へリンクしてきた。その情報をRの桜へ伝えるために、そして全ての指示をANYへ命令してきたRの鈴村は、桜と刈谷のこの面会が、最後の対面であることを知っていた。それを疑わない桜の眼差しは、自分の期待と刈谷の希望を乗せて、言葉を伝える。

「今説明は難しいわ。けれど、モンストラス世界からシンギュラリティ世界に帰れれば!  あなたは自我を壊されなくてすむわ!」

「シンギュラリティ世界!?」

「そう、そして自分から死ぬ真似はしないで。壊されるから」

「壊される? 誰に!」

 その瞬間、鉄格子が開く音が刈谷の収容室まで響く。それは守衛室の前の鉄格子の扉だと判断できる距離感。刈谷からすれば、再び本体の鈴村と名前を聴いていない咲の二人が現れたとも考えられるが、予定よりも早い事に、そのままを口ずさむ。

「管轄か? 予定より早い」

「管轄……鈴村。まずいわ! それじゃあ……無事でいてね! 愛してるわ!」

 Rの鈴村がファクターと意識を刷り込まれている桜。本物の鈴村と偽っているRの鈴村に言われた通り、刈谷に銃口を向け、刈谷のデータをシンギュラリティ世界で分析するという目的のため、疑いもなく引き金に力を込める。

「言ってる事とやってる事が違うじゃねえかぁ!」

 刈谷を直視することが苦しくなる桜。何人も刈谷のZOMBIEを銃撃してきた。それでも発砲したくない。心臓は高鳴り、それでも、確実に一発で目の前の刈谷を絶命させないと、刈谷を苦しめてしまう責任感。心臓の太鼓が邪魔に感じる。思考の刹那は、遠ざかる刈谷との生活。二人の生活。データの産物と思えない刈谷の存在。そこに勇気を感じた目に映るもの。それは刈谷の白い収容室に見え隠れしてきた共感覚の紫なノイズが、この世界は本物ではないと納得させてくれる現象と感じられた。
 その時、Rの桜が影として移動していた場所は、守衛室と刈谷の収容室の間ほどの位置。守衛室前を肉体で通過していないRの桜にとって、守衛室の方から聴こえる扉の開閉する音は理解できなかった。誰かが階段を通過しているのか気になるRの桜。けれど、わからない誰かに邪魔をされる前に、Rの刈谷と面会して、少しでも油断させるための信用をされるために、急いで現れた雰囲気を出しつつ、走りながら名前を呼ぶ。

――誰か後ろから来た? いや違う。それよりも……「刈谷!!」

 最後の角を曲がったと同時刈谷の名を叫ぶRの桜。刈谷の姿と、もう一人である本体の桜。一見は自分だとわからなく、髪型も違う本体の桜の背中を眺めた瞬間、本体の桜の握る引き金は、発砲音の反響が轟きながら、跳ね返る共感覚のグレイな色のノイズと共に時間が戻る。

――私の本体ね。まだこの世界は時間がさかのぼるわ。

 18:25 それはほんの少しのデジャヴュ。目の前には世界が更新された事を知らない弥生。Rの桜が弥生の目の前に戻る。

「彼はね、危なっかしい事をわざと言って試す性格なの。だから何も知らなかった私なんかを引き込むのよ。基本は真面目で機転も利くから上手くかわしてるつもりみたいだけど……あれ? 聴いてます? チーフ……管轄もいない」

「記憶がないのね。一度時間は進んだのよ。その先の内容はね……」

 目覚めていない弥生には、この数分間の事実はなく、会話をしている最中に戻っていた。Rの鈴村が桜と弥生に伝えていた事の記憶を弥生に説明すると、再びRの鈴村が現れた。

「シンギュラリティ世界に本体の桜は戻った。遅くともあと30分以内には不死の世界は終わりだ。水谷、不死現象が終わったと思えた時、刈谷の存在も終わらせるんだ」

「わかりました。誰かを使って試してみます。あと管轄、ほかにもこの精神病棟を動いている者がいます」

 地下二階で感じた気配。Rの桜にとっては守衛室前の扉ではなく、階段途中の鉄格子の音と判断していた。
 その時、地下へ続く鉄格子が開錠する。開錠する音に反応する三人。地下から誰が上がってきたのか、そして、話を聞かれたのかと警戒する。影を置いてこの場から離れようとする桜。ゆっくりと開く鉄格子。地下の階層ごとにいる守衛であるならば、一瞬で終わらせようと。

「ああ、みんな集まってたんだ。あとね、本体の鈴村は地下三階だよ」

     ◆◆◆

 18:57 シンギュラリティ世界。森林の扉。
 春日の姿をした者と咲の前で開かれた扉。それは二人がこの場にいることを知っているかのような招き。意味がわからず男に同行した咲は警戒するが、男はその扉へ近づいてゆく。

「ちょっ! ちょっと! なんか変だよここ!」

「ハァ……ハァ」

 咲の言葉に対しての答えはなく、十分に開いた扉から覗ける階段。男は地下へ歩めるその階段を警戒することもなく、急ぐこともなく、一歩ずつ降りる。
 歩むたびに左右のライトが照らされる。横道もないその下るだけの階段は、まだその到着する気配が見えない深さで続いている。

「ちょっとー! いいの入って!? もう! ……待ってよ!」

 追いかけるように同じ階段を下っていく咲。壁に片手を持たれながら、それでいて頼りない足の運び方を不安に感じた咲は、男がつまずかないように一歩前を先に下りながら体を半分、男の胸側から支える。

「あ、ここから段差が無くなって……真っ直ぐ歩けるみたいね!」

 階段が終わり、目の前の道を真っ直ぐ進む二人。支えていた手は背中から腰を持つ形に変わり、左右のライトは到着地点まで全てが照らされた。
 その道の突き当たりは、一見扉とは感じない、左右のライトがUターンするように折り返しているだけの壁だった。

「あれ? この先は?」

 突き当たりまで到着した二人。ノブもなければボタン一つもない突き当たり。ライトも壁とフラットに面している壁は、凹凸なく、何か発見できる特徴もない。

「もぉ〜! 何なのこれ!」

 一定時間突き当たりでたたずむ二人。咲は振り返り、帰路に足取りを進めようとしたとき、床は左右に一本の線が引かれた。

「え? あ、これって」

 上昇する。それはエレベーターとして機能を始め、早すぎず、そして遅さも感じない程度の、上から下に移動する壁に触れても爪を引っ掻く程度に怪我をしない速度で上昇する。それはほぼ地上に近い場所であろうか、もう地上が見えるのではないかという感覚まで上昇すると、ひとつの空間で停止した。それは天井を見上げれば、森林に囲まれた先ほどの入口が一番奥にそびえ、その入口から階段の形にいったん床まで続き、地下へ潜っている。そこからおおよそ直径が50mほどであろう外の様子がその広い部屋から見える。一見は外かと感じるほどの開けた空間に思えたが、メートル単位に碁盤の目に縦横の直線が張り巡らされていることから広大なモニターだと判断できる。

<モンストラス-自動更新不能-田村龍平>

<モンストラス-自動更新不能-春日雄二>

<自動更新解除-命令更新環境-継続中>

 響き渡るアナウンス。それは管轄室で流れるANYの報告と同じもの。壁は全て巨大なモニターが並べられており、その空間の真ん中には一人の男を中心に円形なデスクが囲んでいる。山積みされた書物や電子機器の束の中心にいる男は、アンティークなネルシャツをデニムの中に半分しまい、ベルトで固定した服装の者。大きな体に伸びきった髪。髪をのれんを開けるよう耳に掛け、咲と春日の姿をした男に目を向けた。咲からは資料の山に隠れて見えない男に気づかず、いまだに鮮明に映る外の景色を、まるでハイキングに来た気分で傍観する。

「え! 何ここ! さっき入ってきた入口が下から丸見え! デニム履いてて良かったぁ」

「おお! 来たか! すぐにモンストラス世界に行ってもらうよ!」

「は? あ、すみません、お邪魔して……あの、どういうことですか?」

 円形なデスクから唐突な声。何から言葉を発して良いかわからない咲は言えるだけの事を口から慌てて発すると同時に説明を求めた。隣りに立つ春日の姿をした男はその場から動きもなく、話すこともなく、何かを待っている。

「ああ、心配いらん! 大丈夫だよ! 君らのレントゲンや筋肉量を含めた身体能力はあの階段を下っている最中に解析は終わっているからリンクしても問題ないから!」

 一方的な言葉を投げる男。その言葉は、この場所まで来るまでに全ての体内環境を調べ終わった結論だけを伝えてきた。

「はい? ちょっと、意味が……」

「そうそう! ついでになるべく安全な環境になるように、『ZONE』と『シンクロ』と『フェム』は備えておくから! ああ、あんたの連れはすでに天然装備してるようだからフェムは君だけね」

「え、あの……なんですか? それ」

「ああ、いいんだよ、知らなくて。全部モンストラス世界に入ったら業務内容をインストールしておくから、じゃあリンクするからね!」

 咲と男が立っている床が光りだす。それは七色の光が床から二人の頭部まで飛び上がり、二人を包む。そして七色の膜が体中を覆う。目を隠し、鼻を隠し、口を隠し、体のラインに沿って全身全てを覆う。全身の七色の光は一定した場所にとどまらず、常に体の表面を移動している。咲も男も、何もものを言わず、抵抗もなく、両腕をハの字に広げて堂々と胸を張ったままのたたずまいでシンギュラリティ世界から消えた。

【インストール-ZONE-シンクロ-フェム-performミッション】

【インストール開始】

【ZONE-完了】

【シンクロ-完了】

【フェム-完了】

【フェム-second-time+10(秒)】

【ミッション-R-水谷 桜-削除】

【ミッション-R-加藤 達哉-削除】

【ミッション-S-春日 雄二-削除】

【ミッション完了-自動リンク】

【エンジニア-町田 仁(まちだじん)】

【perform-member(任務遂行者)】

【風間 咲】

【了解】

【刈谷 恭介】

【了解】

「perform(パフォーム) の factor(ファクター)退治だ!! さあ! 二人で片付けてくれ!! あいつらは、俺と管轄で作り上げた世界を全て滅ぼそうとしている!! 特にRの鈴村! いや、加藤達哉!!」

<全惑星-500億年-準備進行中-完了再計算-1時間以内-準備完了後-更新予定>

<モンストラス-全R人類-シンクロ-インストール完了>

 19:13 町田が叫ぶファクター。Rの鈴村がANYへ命令した全てのアナウンスが流れるエンジニアの施設。リンクさせられた二人。命令を削除するための優先順位を下げる最終手段は虹色にリンクソースへ流れていく。運命に誘われた偶然の戦士。その偶然を必然と察することのできる能力を備えて、それぞれの者が見たい未来を思い浮かべながら、意味のある偶然の一致が始まる。





 【EARTH 地球】





未来の姿か


誰が望んだ世界か

その世界は


輝いていた


野に咲く輝く草花


花畑にふわりふわりと不規則に飛び交う蝶たち


山は色鮮やかに光り輝き


土には動物の足あとが丁寧に残る


風に吹かれる木々は


高い音がきしみながら


何年経っても


一片の姿かたちも変わらず


悠々とそびえていた


そして優しげな声が飛び交う


<おはよう>


<おはよう>


<今日もいい天気ですね>


<そうですね>


<平和ですね>


<平和です>


<永遠に変わりませんね>


<変わりませんよ>


<変わるわけありませんね>


<地球ですからね>


全ては輝いていた


様々な材料で

特殊な塗料で


特殊な精密機械で


木は


石に話しかける


石は


土に話しかける


土はドウブツに話しかける


ドウブツは


草に話しかける


そこは


輝きと話し声が止まない


永遠の世界





 【シンクロニシティ】


〜意味のある偶然の一致は想いが同調した必然の願い〜


 18:26 モンストラス世界。精神病棟。
 鈴村と桜と弥生の前に現れた春日。その春日に向かって鈴村が話し出す。

「手間を掛けさせたな。だが、もうあいつには何も出来ない」

「中々諦めてないよ、あいつ賢いからね」

 春日は目の前にある事務用のデスクの上に葉巻を3本転がす。それは本体の鈴村がZOMBIEより受け取ったリンク用の葉巻である。

「君たちにあげるよ。でも、無くしても知らないからね」

「え、これって何なんでしょうか?」

 鈴村と桜は葉巻をデスクから拾い、胸の内ポケットへしまう。そして桜が弥生へ答えを伝える。

「町田にでもあげればいいわ。貰っておきなさい。使い道がない人には持っていても意味ないわ」

 冷たさも混じる言葉に、一先ずは受け取っておこうと白衣のポケットにしまう。

「じゃあ、まあ、あとは君たちに任せているから、好きにすればいいよ。ANYから情報は聴いたし、管轄がどうしたいのかわかった気がするから、みんな仲良く頑張ってね」

 気のない雰囲気で、今にもあくびでもするのではないかと、これからの出来事に興味を持たない春日。それを聴いた桜は、今しか聞けないと思える事を問い出す。

「あの、キャリアってどんなものなの?」

 その言葉を聞いた春日は、頭を掻きながら鈴村へ向かって話し出す。

「なんだ、結構みんな本当に仲がいいんだぁ! 俺は、目の前の鈴村くんにしか言ってなかったのに、水谷くんまで知ってるなんて! 今さら、そんなに意味のないゲームのつもりだったんだけどね! まぁいいけど、あれはねぇ、宇宙の答えかな」

 雲を掴むような語り口調で答える春日。皮肉を込めたような名指しで鈴村を見るが、鈴村は動じない。その具体性を持たない答えに桜は言葉を返す。

「ただの遊びなの? 意味がないの?」

「意味を作れる環境も、もう鈴村くんがやってくれてるよ。じゃあ、どうなるか眺めさせてもらうよ。まだ刈谷くんが保有してるみたいだから」

「え? それって」

 三人の前からシンクロにより姿を消す春日。その言葉を聞いて、今必要な事を考える桜。それは、もしも地下二階にいる刈谷に備わっているものならば、デジャヴュが無くなる今、桜にとってチャンスであり、その正体がわかる可能性。けれど、もしも鈴村も狙っているのであれば、どのように奪えば良いかと頭によぎる。そんな思考が桜を支配している時、鈴村は桜に伝える。

「お前が刈谷を殺ればいい。奪うつもりはない。世界をひとつにすることだけが俺の目的だ」

 その言葉を聞いた桜は、心を読まれたような気分を隠すように自分の行動を話し出す。

「それでは、とにかく刈谷の所に戻ります。そして、自分がオリジナルの世界にします」

「ああ、そっちは任せた。弥生、尋ねたい事がある」

「は、はい。どんなことでしょう」

 Rの鈴村が弥生に尋ねる話に興味がない素振りで、春日が入ってきた地下への階段に向かい駆け出す桜。その時、桜の影は別の所いた。
 職員研修室で熱弁を振るっていた田村。すでに主要な目覚めている職員を残して、それ以外の職員はチーフである桜を探していた。

「また時間が戻りましたね田村さん!」

「ああ、これを本部の不死会議で実証できれば、俺たちは本部の職員となれるぞ! 所長になるまで待ってなんて老けるような事は飛び越すんだ!」

「僕の最大級のコネできっと管轄も聞いてくれますよ!」

 田村を含めた四人。その中にいる田崎。半年前に管轄に見込まれた事を自負する田崎は、普通なら対面も難しい管轄である鈴村との対面は可能である事を強く発言する。

「おお! 今すぐ俺たちの存在を、重要会議の顔として知らしめるぞ!」

「はい! 行きましょう!」

「そうですよ! さっきの駐車場で起きた不可思議な材料も言ってやりましょう!」

「さっきより早い時間なら邪魔されないかも知れません!」

 動き出す田村と取り巻き。意気揚々と四人で本部へと向かおうとした瞬間、その後ろに歩く五人目の桜の影は、その四人に見えている景色を変える。

「お? おい、ここは……お前らどこに見える」

「こ、ここは、さ、さっき来ました! ここは!」

「シッ! 静かにしろ……精神病棟か?」

「はい……そうです」

 声が響く広くない廊下。小声で話し出す田村と職員三人。守衛が気絶している様子と、開錠された扉から階段を覗けば、全ての鉄格子が開錠されているのがわかる。

「この階層は、刈谷と偽った春日がいる所か?」

「そうです。この階層の奥です。あ、声が」

 耳を澄ます四人。それは地下二階の階層の奥から響いてきた。それはRの桜がRの刈谷と、この世界について語り合っている声。

「じゃあ……さっき見たチーフは」

「さっきの私は、きっと人間……私はRよ。加藤達哉の館が爆発した時から、私は何度も時間が戻り、目覚め、理解した。意識が目覚めてからシンギュラリティ世界に行ったから」

「なんなんですか? シンギュラリティ世界ってとこは……え、チーフ!!」

 銃声が響く収容所。横から腕を撃たれた桜。その衝撃に、白い天井を見上げながら、刈谷の目の前で倒れこむ。しかし、その様子を桜は知っていた。影で田村の様子を監視していた桜。この階層にシンクロさせ、想像通りにこの階層の事を調べ、そして声を張り上げる自分の声の元に近づき、この話に興味を持つことを。

「あああ!!」

「春日さん……俺もそこんとこ気になるんですよ〜」

「田村!? お前……何してる!!」

 即座に職員によって囲まれ、行動を制限させられる桜は、自分が緊迫した状況であることを演出する。

「くぅ……田村! 私を殺せ!」

「チーーーフ! 近いうちに会えましたね。そんな事したらまた逃がしちゃうだけでしょ〜! さぁ! 俺の話をちゃんと聴いてもらえますか〜? こ・こ・に 導かれた理由も含めて! そして、シンギュラリティ世界〜? なんですか〜? その興味の絶えない世界は〜! そこが俺達の求める世界なんでしょ〜? ず るいなぁ〜……拘束しろ!!」

 桜にとって悪人としての演出を期待以上に天然でこなしてくれる田村の言動に、下をうつむいた桜は、微笑みが止まない表情を長い髪で上手に隠す。
 刈谷を助けたかった全てを知っている上司が、真実を伝えるタイミングを見て、今やっと伝え始めた時に現れた田村という悪人。体を張って守りたいが、後ろ手に手錠をされて猿ぐつわにより発言力もない無力な自分。あとは、いつ刈谷が収容されている白い鉄格子の鍵を開錠しようかタイミングを図っていた。それは田村と刈谷で同士討ちとなる可能性。

「春日さん。あんたも拘束したいが……あんたはあなどれない。ちょっと厄介だ。しばらく留置されててよ! 用があるときに来るからさ〜! ハハハハハ!!」

「チーフ!! てめえ田村ー! かかってこいよ!!」

「耳付いてんのかい? カ・リ・ヤ・さん! ハハハハハ! 壊れたあんたから聞いても役立たないでしょ! 撤収するぞ! ん? なんだ?」

 気配を感じない田村の取り巻き。それは息を殺したようなものか。振り向けば突然の暴力により声をあげる職員。

「がぁ!」

「ぎゃ!!」

「おい! 職員! 誰だ〜? あんた!」

 桜に放った田村の銃声が耳に入ったRの鈴村。その経過を眺めに来た地下二階。そこに立ちふさがった田村の取り巻きである三人。一番後ろから構えていた職員の田崎は後ずさり、言葉も出せず口を何度も開閉させると、戦意を失ったように廊下へ腰を落としていた。その様子を知らない職員は立ち向かい、一声を発すると同時に廊下へ沈んだ。

「鈴村管轄!!」

「か! 管轄!?」

 田村が一番に対面したかった管轄である鈴村。その人物が目の前に現れるということ自体が世界に対して疑いの止まない田村にとって、それを受け止める気持ちの余裕はなかった。

「か、管轄〜? は! なんでこんなタイミングで……俺は騙されねえよ! 今日の全体業務は確認してる! 管轄は本部の不死現象会議の真っ只中だ!」

「あぁ……出席してるさ……俺が」

 Rの鈴村からすれば真実。本体の鈴村がZOMBIEを利用したことはANYで確認していた。この世のわずかな理(ことわり)だけしか体験していない田村にとってZOMBIEの存在は知るよしもなかった。そして、それを丁寧に話して理解してもらう気も、鈴村にはなかった。

「は!? 馬鹿な……ん……俺は目がおかしいのか!? 色が……とりあえず、もう上下関係なんてどうでもいい! あんたも倒れときなあ!」

 それはZONEを備えていない腰を落とした田崎から見れば、1秒を数えたかどうかの一瞬。神と崇めていた田村が世界のトップである鈴村にまばたきの間に倒される瞬間。現実を理解しきれない田村にとっても、それは次元が違う強さであり、悔しさの言葉だけを残し、心も折られる瞬間でもあった。

「がぁ! う゛がぁ! ご、ごの化け物があ゛!!」

「刈谷!」

「え!?」

 収容室の鍵を投げられた刈谷。それは刈谷からすれば隔離の必要性が無くなった事を伝える行動。

「か、管轄!」

「お前は身元だけ自分に戻れれば問題ないのだろう? 戻してやる……そして今日からお前がこの支所のチーフだ」

 突然伝えられる昇格。それは現チーフである桜の身を案じる。

「管轄、けれど……それでは水谷チーフが」

「いいの……あなたが無事であるなら。私は春日が死んだのを確認した時に芝居をした。あなたが春日であることに否定を続けると、壊されてしまう可能性を感じたから」

 芝居を何度も繰り返すRの桜。全ては刈谷のために動いた芝居であり、その答えが今明かされた事を誠実に伝える言葉の裏には、刈谷からの完全な油断を誘う。

「水谷。余計な事はしない事だ! だがお前は賢い女だ……二度同じ事はしないだろう。お前にはこの支所の所長に任命する!! 町田は本部への転属。事実上の昇格だ。皆でここの秩序を護ってくれ。田村は職員のマインドコントロールによる職務妨害により警察に連行! その他共謀した職員は追って処分を下す!  以上だ!!」

 全ては直前に決まっていた筋書き。一切の隙も与えない言葉。善意の者は誰も犠牲にならず、悪意の者は制裁を受ける決定。その静まり返る空間で、唯一納得のいかない無知なる悪意は立ち上がる。

「はぁ……はぁ……こんな茶番……俺がリセットしてやる!! ハハハハハ!! もう失敗はしねえ! あばよ」

「くっ!! 田村!!」

 その銃弾の反響音が無くなったとき、Rの鈴村と桜は理解した。予定通りにデジャヴュは終わり、この世の不死現象が終わった事を。

「どういう事だ? 戻らない……管轄、これは」

「田村はこの世の歯車から外された。誰にも、田村を落ち着かせる場所が見当たらなかったんだろう……タイミングでもあるのかもな」

「管轄……春日の婚約者は」

「壊されてなければ、どこかにいるだろう……大丈夫だ。もし消えたとしても、消えたのはRであり、本体は生きているはずだ」

 Rの桜から聞いていた直前までの出来事。刈谷にとっても、それを疑う理由はどこにもなかった。いまだに部屋で震える咲の姿は、桜の影にしか見られていなかった。

「この世界は……造られた世界なんですか?」

「この世界の住人である限り気にする事はない。余計な詮索は本体ごと消えるぞ。ここは戦争の頃から呼ばれ始めたモンストラス世界という地球。事の大きさで勝手に呼ばれてきたが、そのうち……いや、とにかく今の秩序を保ってくれ」

「え……はぃ! 職務は全うします!」

 平和であることが全てである刈谷。自分の存在を認められれば、不都合のない世界。期待を込めた昇格とは別の思考で、鈴村と桜は目を合わし、これから起こることの合図でもあった。
 田村の死体を残したまま、すぐに立ち去る田崎を含めた職員三人。その目撃証言として十分な役割として、見られて良い全てのことは完了した。

「水谷、次するべき事はわかっているな? 後の事は任せる」

「はい、承知してます。お任せ下さい」

 事態が収まり、居る理由が無くなった鈴村は走り去った職員の後ろから続いて歩き出す。鈴村の足音が聴こえなくなった時は、倒れた田村を含めた三人しかいなくなった収容室前。

「チーフ……いゃ、所長。ここから消える理由がないんじゃないですかぁ?」

「ふぅ……綺麗にまとめられたものね。立場も処分も目覚めた者の混乱も、全てを静めた……あれが鈴村和明……モンストラス世界の管理者として適任ね」

「はぃ……まあ、悪くないですねぇ……ん……共感覚が消えた。これって、何か意味があるんですかねぇ」

「本体とRが同じ世界に現れる時、本来あってはならない情報が近い場所にいることで、同じ情報があるために、この世界に負荷がかかる」

「じゃあ、管轄はこの世界に2人?」

「そうね……そして、負荷が掛かり過ぎると何かを削除、又は最適化され存在の一貫性を保つ事になるのよ」

「昔から、ドッペルゲンガーを見るとぉ、早死にするっていう理屈な訳ねぇ」

「管轄以外で見えはじめた時には、何かある時よ。用心しなければ」

「ありましたよねぇ、共感覚見えた事。あの館で。そしてぇ、これで平穏なんですよね。今まで通り、自分の世界でいられるんですよね」

「そうね……そして、さよならよ刈谷」

 桜からすれば、田村を利用することで確認が終わった最後の作業。その一発の銃弾は、桜の野望が詰まった未来への期待。春日の言い放ったキャリアが手に入る期待。田村を追いかけるように、田村の上へ覆いかぶさる刈谷。支所の中でも非凡な身体能力を持つ二人は桜の野望という眼下に沈む。
 銃弾がかすかに聴こえたRの鈴村。ひとつの節目が終わった事を理解した。Rの鈴村は振り返ることなく、地下一階にある倉庫へ向かって歩く。Rの弥生から預かっていた鍵を使って開錠すると、そこには、焦げ臭い動物性の皮のような匂いが漂っていた。それは、加藤達哉の館の倉庫に固めてあった品々。
 各々の目的にたどり着き、先に進もうとするRの鈴村と桜。デジャヴュの存在しない新しい時間が進みだす。

「やっと……殺せた。始まるわ、私の新天地」

     ◆◆◆

 18:59 シンギュラリティ世界。管轄室。
 ノイズ混じりなANYの報告アナウンス。拳銃に銃弾を装填する桜。壁中のモニターは割れ、破損し、どれだけの機能を有しているのかわからない管轄室。それはすでに緊急事態と判断された空間。外部の音が遮断されていた管轄室のドアは緊急解除され、救急セットの鞄を持ちながら、すでに管轄室の外まで来ていた弥生は室内の様子に驚き、桜へ近づいた。

「桜さん!? あなた大丈夫? ひどい傷じゃない! 病室から消えていたから探していたのよ!」

 無言でゆっくり立ち上がる桜。弥生の声を一切耳に入れない様子と管轄室の破損状況を見て、続けて話しかける。

「これ、あなたの仕業なの!? どういうつもりなの? 管轄は? いったい何があったの!!」

 その言葉にも反応を見せない桜は、静かにリンクルームへ近づく。そして、ANYに言葉を放つ。

「ANY。聴こえてるでしょ? 私をRの鈴村和明まで運んで」

<モ……ト……-LI……YO……FE-R-鈴……明-……ス……ス-不在>

 ノイズが酷く、聞き取れないアナウンス。その空間の中でも、ノイズが混じっていないスピーカーの音が聴こえてきた。それは今から入室しようとするリンクルームのスピーカーである。

「ANY……Rの鈴村のところへ連れていって」

<モンストラス-R-鈴村和明-ロック不能>

「どういうこと?」

<R-鈴村和明-認識データ不足>

「ANY……それなら、人間の鈴村和明のところへ連れて行って」

<リンクルーム-モンストラス-目標-鈴村和明-目標-ロック-転送開始>

「ちょっと!! 桜さん! どこに行くつもり!?」

 本部の職員のほとんどは管轄である鈴村の行方を追っていた。桜の暴挙に、すぐに見つけられない職員を探して助けを呼べばいいか、拘束すれば良いか悩む弥生はリンクルームの桜に駆け寄る。すぐにリンクルームのドアを閉めようとする桜。しかし、破片がスライドドアの途中に挟まり、勢いよく閉めることが出来ない。その破片を先に拾う弥生。そして、自分の行動を投げかける。

「桜さん! 私は医者よ!? どんな気持ちであなたを治療したと思ってるの! 怪我人を一人で放っておくことなんか出来ないわ!」

「早く閉めないと、あなた死ぬわよ?」

 リンクルームはすでに作動している。その空間に一歩足を踏み入れている弥生。体の半分をリンクさせられる可能性と桜と一人にさせられない事に、桜の入室しているリンクルームへ入り込む。

     ◆◆◆

 19:03 モンストラス世界。精神病棟。地下三階。
 白い鉄格子が並ぶ地下三階。そこは一人部屋の存在しない共同収容室。1部屋に10人は収容できるその空間では鉄格子にしがみつきながら叫ぶ声が階層に響く。

「おいおいー! メシはまだかよぉー! 食わせる気がねーなら最初から助けてんじゃねーよ!!」

「あはははぁぁあぁははあ……これ、白って言うんだぜぇ……白って知ってるかい? 白だぜぇ白! 白!! あははははあ!!」

「本当だぜぇ!! 屋上で地割れが起きたんだぜ!? 地割れ!! 割れたんだよ!! 俺は頭おかしくねーぞ!!」

 自殺を繰り返し行った者の収容室。改善が見込まれる者は地下二階の階層へ上げられるが、自分は真実を言っていると言えば言うほど、改善の見込みがないと判断され、長期に渡って収容されている。ほとんどは叫び、自分の真実を訴える者。中には収容者へ暴行を繰り返し、中には自殺を繰り返し、中には、繰り返した自殺により、自我を失った者が集団生活をしていた。
 その収容者が鉄格子に立ち並ぶ奥に一人、片膝を立てながら座りこむ銀色のフードコートを被った男がいた。その男は、長身な体は座っていても存在感がある鈴村。そして、鈴村に対して話しかける者がいる。

「なあ、あんた、いつからここ居る? 俺も今日入れられた者だけど、あんた、居なかったと思うんだよな」

 フードを深く被った鈴村が少し見上げると、その話しかける男に見覚えがあった。それは、ファイルの写真の男。本部で渡された支所でトラックを暴走させた男である。

「なんだ、無口な奴だな。俺は『出浦(いでうら)』って言うんだけどな、俺は、なんでやっちまったのか、よくわからないんだよ」

 まるで自分の意思とは無関係にやってしまった暴挙だと独り言のように話す出浦。まともな話し相手が見つからない地下三階の収容室では、言葉を発さない鈴村が一方的な話を聞いてくれるような相手に思えた。

「なんだろうなぁ……確かにここの審査に落ちてムカついてはいたけどさ、俺には大事な家族がいる。あんな事、考えもしなかったんだぜ? なんていうか、やらなきゃいけないって思ったんだよ、て言っても、実際やっちまったからなぁ、まあ死人が出なくて良かったよ」

――ここの収容者たち。中には目覚めて死を繰り返した者もいれば、自殺をする直前に幻覚のような物を見せられ躊躇したもの。確かに自殺を実行する前には、それを食い止めるための緊急処置プログラムは用意していた。しかし、シンギュラリティ世界の物体がモンストラス世界に強制リンクを繰り返すバグが度々発生したため、プログラム停止をしていた。それに、今話しかけているこの出浦は、明らかに自分の意思とは違う。春日の仕業か。

 自殺者に対して行っていた緊急処置プログラム。それは自殺を躊躇させるためにデータを作り出し、それを具現化させるもの。しかしそれは目覚めた者にとって、この世界に対して疑問をもたれることにもなり、狂信者を作り出す材料にもなった。それが再び作動した理由を考えたとき、それはANYに潜伏していた春日の存在が頭に浮かんだ。

――春日が俺をシンギュラリティ世界から遠ざける理由。それはANYに対しての命令を防ぐため。ANYに命令をした場合、命令をした者にしか解除できない。声帯が同じなRの鈴村の命令であれば、俺の声で解除できる。それを防ぐため。それ以外で解除するには、命令の優先順位が高い者から、死亡が確認された時のみ。俺を殺したいが、殺せない、というところだろう。

 自分がここにいる状況を分析する鈴村。鈴村が生きている限り、Rの鈴村の命令はくつがえされない。その命令が完成するまで邪魔がされない精神病棟へ収容された本体の鈴村。そして、この階層の収容者が叫ぶ言葉にも一理あり、違和感があった。普段は収容者が騒げば守衛が見回りに来たり、定期的に食事を配給する。その様子が見えない事に、守衛の身に何かあったのではないかと想像する。それはすでに全ての階層にいる守衛を気絶させている春日の仕業。丁寧に地下三階から上階に向かってひとりひとりの意識を奪っていた。

――葉巻は全て奪われた。今俺が止めるすべは見つからない。可能性があるとすれば、シンギュラリティ世界のエンジニアである町田が全てに気づいていれば、何か対応をするかもしれない。今日も何度か潜入していたはずだ。しかし基本的には秘密の漏洩を防ぐため、町田が死亡しない限り代わりはいない地下施設。シンクロの開発報告以降、連絡はとっていない状況で、誰かを派遣させる可能性は不明だ。

「……ってどう思うあんた?」

 独り言のように話を続けていた出浦。何を話していたか耳に入っていなかった鈴村はゆっくり立ち上がり、それまで一度も言葉を返していない鈴村は出浦に発言する。

「出浦さんだったね。なあ、あんた、俺を殺せるかい?」

 出浦の目は仰天していた。それは、鈴村のこぼした言葉よりも、鈴村の向く方向の逆に立つ、桜の姿だった。

「私にはできるわ。鈴村―――!!」

 鈴村へ向かって地面を蹴り出す桜。その桜の脚力は一瞬で鈴村の懐まで飛び込む。両腕を交差して防いだ鈴村は、肩から突進してきた桜に弾かれるように吹き飛ばされる。鈴村より後方にたむろをしていた収容者たちは、その鈴村を支えることも出来ず巻き込まれるように飛ばされる。背中を鉄格子まで弾かれた鈴村は、意識を失わないようにすぐ立ち上がり、鉄格子に手を持たれながら話し出す。

「水谷……ハァ……ハァ……その力……は、まさか、加藤の……」

「があああああああ!!」

 再び鈴村へ突進する桜。その形相は鈴村が加藤達哉の館でみた加藤そのもの。横に避ける鈴村が着るコートの脇には桜が鷲掴みに突き出した右腕がコートを貫き、鉄格子の外へ肘まで抜き出ていた。鈴村はその腕を脇で挟み、問いかける。

「水谷!! しっかりしろ!! お前は、加藤の能力を受け継いだのか!?」

「ぅらぎり者があ!!!!」

「ぉおおーケンカだぞ!!」

「お? 女じゃねえか!! ハハハ!! 何の余興だ? 俺も混ぜろよ!!」

「裏切り者? 水谷!! お前はなぜ俺を狙う!!」

 別の収容室から野次を飛ばす声。それらが耳に入らない桜は腕を引き抜こうとする。しかし鈴村はそれを頑(かたく)なに離さず、問いの答えを待つ。

「鈴村!! お前は言った!! 恭介を助けるために撃てと!! なぜ恭介は死んだ!!」

「加藤の館で俺が言った話とは違うぞ!! 殺すのはお前と春日だと言った!! 何の話だ!!」

「お前は本部の病室と管轄室で!! 私にモンストラス世界にいる刈谷を殺せと言った!!」

「俺は治療室にお前を運んでからは、一度もお前と会っていない!! それは俺のRだ!!」

 桜の力が弱くなる。それは食い違う話。動きを止められた事で話を聴くことができた瞬間、お互いの認識が大きく違うことに鈴村を攻撃できなくなった。

「ど、どういうこと……私は……騙されたの?」

 腕を離す鈴村。そしてゆっくり語りだす。

「お前とは管轄室で会っていない。俺は、ファクターである春日と、Rの俺によって、ここに閉じ込められた……全ては、罠だ」

 桜からの言葉が返ってこない。初めて聞いたファクターの名前。聞き覚えが強い名前。呆然としたその背中には、桜の力によって弾き飛ばされていた収容者たちが立ち上がり、桜と鈴村を取り囲む。

「おい、あんたら一体なんなんだよ……何のつもりだあ? 殺すつもりかぁ? 殺せるもんなら殺してみろよぉ」

「へへ、あははぁ……女だぁ……あひゃひゃ、なんのサービスだぁ、これはぁ」

 拳銃を取り出そうとする桜。そして腕に付着した赤に気づく。その赤は、鈴村の脇から流れていた。

「水谷、俺は……しばらく動けそうにないが、お前の拳銃を貸してくれ。こいつらを抑える。お前の……今の力なら、ここからは出られるだろう」

 言葉を返せない桜。自分は何か大きな間違いを犯してしまったのではないか、そして我に返って気づく、自分にある不可思議な力。それが何か全く理解できなかった。どうして良いかわからず、そして収容者がジリジリと間合いを詰めてくる切迫に、ひとりの声が響く。

「ちょっと!! あんたたち!! 何してんのよ!!」

「ぃて!」

 鈴村と桜の前に立ちはだかり、近寄ろうとする男に突然平手打ちをする弥生。

「女囲んでいきがってんじゃないわよ!! だからあんた達モテないのよ!! それで、ここは何!? 刑務所? 違うわよね!! 鉄格子が白い刑務所なんて知らないわ! 精神病院かなんかなの!? 誰か答えてよ!」

 弥生の一喝によりたじろぐ収容者。その収容者によってできた人の壁の奥から、出浦が前に出てくる。

「気持ちのいい啖呵(たんか)だね、お姉さま。確かにここは精神病棟ですよ。自殺志願者が必ず閉じ込められる場所です」

「そう! じゃあ私が全員の話を聞いてあげるわ! 座りなさい!! ……早くしなさい!!」

 弥生の言葉に声も出ず、ひとり、またひとりと座りだす収容者。その気合に、桜の表情にも笑みがこぼれた。

「ハハ……弥生さん、すごいわ」

「桜さん、事情は知らないけどね、管轄と話さなきゃいけないことあるでしょ! 納得するまで話しなさい! これ、救急セット! 手当してあげてね。消毒と止血用のテープ使って!」

 弥生の指示を受けながら鈴村の治療をする桜。その間に、鈴村に起きた出来事を桜へ話した。弥生は横耳で聞きながらも、興奮していた収容者の話を聞いて落ち着かせようと、まずは最初に話し掛けてきた出浦の話から聴き始める。

「……というわけで、俺は、ここで審査に落とされて、なぜか誘導されるようにトラックでここの支所へ突っ込んだんですよ。そこの水谷っていう女性に向かって……なんか雰囲気違うけど」

「じゃあ、あなたは自分の意思じゃないわけね! 私は信じるわ! だってすでに今日はおかしいことばかり起きているんですからね! きっと何か理由があって、あなたは巻き込まれたのよ!」

「本当は、今日は息子連れて、家族で夜桜を見に行く予定だったんだ……それなのに、こんなことになって……ああ、息子に会いてえよ!!」

「え? あれ?」

 弥生が疑問を発するその収容室で、皆が息を飲んだ。目の前で起きた事態に、理解が出来なかった。
 19:11 モンストラス世界。本部会議会場。
 本部の職員が総動員で警護している会場。政治家だけでなく、自殺者ゼロという不可解な不死現象を疑問に思う一般人も含めて討論し、話し合う会議。代表的な要人が座る円卓の中の一人、鈴村のZOMBIEが熱弁を奮っていた。

「皆さま!! これがおかしい事とは思わないで下さい!! 我々LIFE YOUR SAFEは自殺者が未遂で終わるように完全なる監視の元!! 多発する自殺に対して要警護してきた結果が自殺者ゼロとなったにすぎません!! それが100年以上前から始まった我々の理想であり、価値でもあるのです!!」

 ZOMBIEの鈴村が放つ言葉に、一般人が手を上げる。その手はどの大人よりも低いところから伸びた手であり、目につかないその手を見つけた職員がマイクを持って近寄る。それは母親と一緒に訪れた男の子の手だった。年がふた桁になったかどうかの子供の手は震えながら、それでも鈴村へ伝えたい言葉を話した。

「ぼ、ぼくのお父さんは……今日、悪いことをして……捕まり……ました。けど、けど……僕のお父さんは……そんなこと……絶対しない……です。だって……今日は……山でのお仕事のあと……夜桜を見に連れて行ってくれる約束したんだ!! お父さんに! 会いたい!!」

 その言葉は会場中に響く、それは、父親を心から信じている子供の叫び。それは、この世界で何かおかしい事が起こっているという訴え。心に響く者。涙を流すもの。すでに目覚めて、この世界に疑問があると思いうなずく者。その中で叫び始めたのは、すでに目覚めている者だった。

「キャーーー!!」

「どうかいたしました?」

「消えたわ!! 子供が消えたわ!!」

 マイクを持ちながら叫び始めた女性に近づく職員。叫ぶ女性が目を疑うように直視する位置。そこは直前まで発言した子供と、その母親の座っていた席。すでに二人の姿はなく、それは最初からその場にはいなかったように、その席は別の人物で埋まっていた。けれど、目覚めている者にとっては、それは直前まで確実にあった事実であり、注目されたその子供を何度も目を配っていたはずであった。
 目覚めていない者たちからすれば、突然取り乱した女性の精神を疑ってしまう光景。左右の者とざわめき始めながら苦笑混じりに理解を求める。これが何か蔓延した病気か何かではないのかと、腕を組み、この会議の意味を再認識しながらうなずく者や、哀れな目で心配しながら心を痛める者もいる。その中で、その取り乱す女性を後押しするように、発言する者も現れてきた。

「俺も聴いていたぞ!! 姿は見えなかったが、確かに父親に会いたい気持ちを語っていたぞ!!」

「私もよ! 確かにその辺りで、勇気を振り絞って、発言してたわ!! どうしてみんな! それを忘れてしまっているの!?」

 数百人が眺める広大な会議会場を傍観する者の中で、すでに目覚めた者からの発言は、あまりにも弱かった。見間違え程度や聴き間違え程度にあしらわれる雰囲気。再び、鈴村を含めた中心人物だけの会議となり、それまでのことは風のように流される。
 19:12 モンストラス世界の本部と支所の間にある川を挟んだ陸と陸をつなぐ陸橋がそびえる付近には、桜一色に咲き乱れていた。川沿いの歩道を歩く三人の家族がいる。それは母親と父親に挟まれて手をつなぐ満面の笑みを浮かべた子供の姿。

「予定通りに桜が見れて良かったわね」

「ああ、まだまだ仕事を頑張るからな! 父さんは出浦家の柱なんだから、こいつが大きくなるまでは父さん頑張るぞ!」

「うん! お父さん! 頑張って!」

 本部の会議会場にいた事を知らない子供。そして、その日にあったトラックの暴挙も知らない出浦。強く願った想いは、目覚めていない者たちには、それが間違いのない現実。それは世界で、相次いで発生していた。
 19:13 モンストラス世界。精神病棟。地下二階。
 シンギュラリティ世界と時間が自動調整され同期した現在。
 目の前に倒れている田村と刈谷の亡骸を眺めながら、壁にもたれて座り込むRの桜。すでに最後の会話から20分ほどその場で考え込んでいた桜は、立ち上がり、倒れた刈谷を見ながら独り言を漏らす。

「なんなの? 何にも感じないわ。私は二人の刈谷を殺したのよ? どうして実感が沸かないの? キャリア? ふざけないでよ! 無駄ね」

 二人の亡骸に背を向けて階段へ向かう桜。歩きながら目を細めて、自分の野望の成就を想像しながらも、刈谷の亡骸の隠滅をするために自分の影だけを振り返らせた時、それは影の視界で二人の亡骸を見た瞬間、見たこともない認識色が見えた。

「な、なんなの!?」

 振り返る桜。そこには虹色に光り輝く二人の亡骸。それは亡骸のはずだった。
 デジャヴュが起こらない世界。時間が戻らない世界では、刈谷と田村が動き出す事は起こり得ないはずだった。喜怒哀楽を感じず、恨みも疑問も感じられない表情で、桜に正面を向かせながら立ち上がる刈谷。続いて刈谷の背中で横を向きながら立ち上がる田村。二人に感じるクオリアは、本人以外の誰かだった。
 胸を張りながらハの字に両腕を広げ、媒介(ばいかい)したパフォームが確認をする。

【媒体(ばいたい)R-田村龍平-完了】

【媒体R-刈谷恭介-完了】

【ミッション-開始】

 19:14 精神病棟。地下三階。
 収容室の中では歓声が上がっていた。それは弥生を取り囲み、目覚めている者も、目覚めていない者も、目の前で起きたその事実に弥生を崇める。

「神だ!! あんたは俺たちを救いに来たんだ!!」

「あんたは俺たちを新しい世界に導いてくれるために現れたんだ!!」

「俺もあんたに懺悔する!! 願いを聞いてくれ!!」

 収容者であった出浦の想いを聞いていた弥生。その最中に、強く家族に対しての願いを念じた出浦は、その日に行う予定だった家族との夜桜を楽しんでいる。息子に会いたいと願った出浦。それを強く弥生に懇願した結果、その場から消えた事実は、願いを受け止めたと錯覚させた。

「ちょっと……え、どうしよ」

「あははぁはあぁ……神、かみ、あはははぁ、神っているんだなぁ」

 自我を失っていた下村敦。地下二階から地下三階へ収容された男。少しずつ言葉の認識を取り戻しつつ、収容室の男たちの間を這いずるように弥生へ近づく。

「神……さまぁ……俺……俺……だいじな……人、いた、はず……思い……出せない……逢い……たい」

 デジャヴュを繰り返していた下村。記憶がほとんど壊されながらも、欠落した記憶に、温かい感情が残り、目からは涙を流していた。その悲痛な声は、桜にも痛いほど伝わる。大事な存在を失う気持ち。その気持ちはこの世界の被害者だと感じ、弥生の後ろより言葉をこぼす。

「きっと思い出せるわ。強く、強く思い出して。大事な人の思い出は、きっと苦しくないはず」

「そうよ、そんなに逢いたいなら、相手も願っているはずよ」

「死ぬ……前に、一度でも……思い……出し……たい」

 下村へ期待の言葉を投げる桜と弥生。記憶では思い出せない下村は、その感情だけを強く感じて、感情が逃げないように、大事に心を保つ。
 19:16 モンストラス世界。郊外。
 一片の灯りも見えない場所。そこは風が強く、波の音が響いた。そこに激しく光る二つ。車のヘッドライトに照らされた先には、柵のない眼前の崖。ひとりの女性が乗車していた。簡単に稼働するエンジン音。ギアをDに合わせる。女性は強くまぶたを閉じるとブレーキから足を離し、着実に前進する車。強く瞑ったまぶたを見開くと、アクセルに足を踏み変えた。

「え!!」

 その時、ボンネットに柔らかい衝撃と共に、何かが墜ちてきた。誰の存在も感じないはずだった。むくりとうごめくその物体は、明らかに人である様子を形どっていた。サイドブレーキを上げ、運転席から外に出る女性。ライトに映し出す前に、女性には誰であるか察しがついた。

「敦!! 敦でしょ!? どうして、あなた……私を止めに?」

「うぅう……神さま……に、助けられた……俺、逢った……ことある……君に逢ったことが……ある」

「あなた……私が……わからないの? 精神状態が悪化したって聞いて……もう、何も理解できる力がないって聞いて……わたし」

 精神病棟の地下一階から半日で解放されていた下村の妻。その時に聞かされた夫である下村敦が完全に自我が崩壊して、無期限で長期な入院を強制させられた事をRの弥生から伝えられた。それを知って向かった先が今朝訪れたこの崖だった。一人では未来が見えないこの世界。今朝、二人で飛び立とうとした別の世界。自殺願望のある夫。バグにより娘が妻となった混沌の世界。目覚めていない妻。同じように心が壊れることが出来ないのであれば、先に無になろうとしていた。

「俺は……あなた……を思い出せない……けれど……あなたが……大切」

「私も、あなたがいればいいわ。あなたは、私の一部よ」

 ボンネットの上で抱きしめ合う二人。空では、人工的に作られた流れ星が、まばたきを二回できるほどゆっくりとした時間を二人へ運んだ。
 全てが混沌であり、けれど、最後には繋がる『意味のある偶然の一致』。
 目覚めていないものには、それは日常的に、予定通りに、当たり前に訪れた再会。
 目覚めた者には、試練の果てに見ることのできた『神に与えられた必然的な願い』。
 実際は、お互いを想いあい、願った『必然的な想い』がシンクロニシティを生み出した。

     ◆◆◆

 19:18 シンギュラリティ世界。地下施設。
 町田は壁全面にいくつものモニターが360度に張り巡らし、眺めることのできる広大な部屋で、モンストラス世界におけるシンクロの状況を眺めていた。

「んー。中々いい話だなあ。気持ちが同調した人間は、全てが偶然で運命的に思える奇跡、かぁ」

 傍観者としてシンクロが発生した現場を眺める町田。全てのモニターには、全て違うシチュエーションでお互いを想い合う者同士の出来事。近くで、または離れた場所で奇跡の体験をする。
 遠く離れた地域で親友の愛用する眼鏡を偶然見つければ、もう一人の想われている親友は、遠い地で眼鏡を偶然見つけた親友の愛用するコートを見つける。お互いの記憶は都合よく、そして直前の日に交代するように遠い地へ訪れた話となる。それはお互いが相手への友情や愛情を強く同調した時に、相手に関係するものを見つけたいという気持ちがシンクロにより結果だけを体験させる。
 想い合う者同士が、いつも意識していれば、それが想像もしなかった場所で出会い、発見し、伝わる奇跡。目覚めていない者には、直前の記憶は、つじつまの合う記憶としてインストールされ、目覚めている者は、自分に備わる未知なる能力に酔う。
 Rの鈴村が最後にANYへ命令した『全R人類へのシンクロ』は、すでに再会を諦めていた者は出会い、すでに生還を諦めていたものは助かり、すでに見つからない大事なものが見つかるという奇跡を運んだ。それは時には感動を呼び、時には悲しい結果にも繋がる。強く願う目的は、強く願えば達成できるという全ての可能性をモンストラス世界の全人類に備わせた。それはRの鈴村にとって、追悼の記念品を配るかのように。
 Rの鈴村の真意がわからない町田。そしてモニターには、町田の目に映る桜の姿がある。

「Rの水谷桜か。桜ちゃんじゃぁ、P(パフォーム)には勝てないよ。逃げることしかできないだろうな。見届けるよ、ここで最後まで」

     ◆◆◆

 19:19 モンストラス世界。精神病棟。地下二階。

「くぅ!!」

 自由がきかないように垂れ下がった左腕。右手で拳銃を握りしめ、狙いながらも後退を続けるRの桜。地下二階の収容室の鉄格子は曲がり、白い壁や床は所々ひび割れ、砕けている。近づくことを避けるRの桜は完璧に拳銃で照準を合わせ、防ぎきれないという自信を持って田村へ発砲する。

【フェム-second-time+10(秒)-確認済】

 それはRの桜が発砲する10秒前の田村の視界。目を使って見るものではない世界。Rの桜の影が見るR人類の認識色のように、P(パフォーム)には光を放つ認識できるラインが見える。そのラインは光り輝き、その光が強いほど、その波のように揺らぐ波長が緩やかなほど、田村を媒体として活動するPの『行動すれば良い方向』がわかる。それは常に10秒先を同時に観察している。
 モンストラス世界はシンギュラリティ世界の操作により、近い未来へ進ませることができる。そして大きく影響のない数秒は過去へ戻ることもできる。それはレコーダーの早送りと巻き戻しを常に繰り返すように、パフォーム自身が災難に合わない運命となる道を選ぶ。どこにいれば自分が無事でいられるか。どこから攻めれば良い10秒先の運命が待っているか、それが見えている。

――当たらない!! 全然命中する気がしない!! なぜ!! どうして!! 何なのこいつらは!!

【シンクロ】

 ほんの数歩の距離をシンクロで足元まで接近するP田村。田村が過去に災難が降りかかった右手のV度熱傷のただれ固まった腕がRの桜の左足を掴む。

――しまった!!

【EMP(電磁パルス)-放射】

 放射される電磁波(でんじは)。それはRの機能停止に合わされた通常電流以上であるサージ電流。シンギュラリティ世界で作られたデータであるRの桜は、その一瞬触れられたサージ電流を流された瞬間、直前に同じ攻撃を受けた左腕同様に動かす事ができなくなる。その理由がわからず、拳銃を固く握った右手でP田村の頭を横から殴る。その暴力に悲鳴を上げたのはRの桜である。

「あああ!!」

 痺れる右手、動かない左腕、動かない左足。距離を空けるために放った右手に流れる衝撃、それはPの田村に触れただけで自分に降りかかる。
 全身が対R用に開発され、周波数をRの消滅に合わせたサージ電流を帯びたパフォームは、Rが触れることも許さなかった。

――駄目!! やられるわ!! くそ!! シンクロ!!

【ZONE-1/1000】

 パフォームの刈谷のZONEにより時間が緩やかになる。それは誰にも見つからない場所へ退避しようとした桜のシンクロに対して千分の一秒の速度で世界が進む。刈谷が虹色の影となる。その影は桜の影を四次元で追う。漆黒な海の真ん中にシンクロした桜。影と同化させ、宙へと留まる。シンクロを使いこなしている桜。集中力が必要な影との空中同化。考える時間が欲しい。そして、きっと振り向けば、Pの刈谷が空中でたたずんでいる事も気づいた。

「くっ!!」

 真っ黒な海へ潜る桜。その瞬間、影を都市部へ飛ばす。桜が探したい人物は春日。この事態に一番長けていると感じるファクター。刈谷が、海に沈んでいくRの桜とシンクロする影、どちらを追うのかは一瞬判断が遅れていた。
 シンギュラリティ世界でその様子を眺める町田。

「海かあ……いいところ逃げたね桜ちゃん。ちょっと海は予想不可能性があるからパフォームは行かせられないな。そして、やっぱパフォームはシンクロで影を追い始めたみたいだね」

 月の光が揺らめく波。町田が眺めるパフォームの刈谷の視界に映るモニターの横には、パフォームの田村が別のファクターを追っていた。
 19:19 精神病棟。地下三階。
 出浦に続き下村も自分が想う居場所へシンクロした収容室。鈴村の応急処置が完了し、桜と共にRの鈴村を探しに向かおうと立ち上がる二人に対し、弥生は思うことを伝える。

「桜さん。あなたが救急処置で運ばれたあと、再び管轄が現れて、一人の男性の処置をしたわ。その人は、今のあなたの能力と同じ影響なのか、筋肉の伸縮や回復が普通じゃ有り得なかったのよ。多分、ここにいる管轄に身に覚えがなければ、その管轄は、モンストラス世界の管轄。その管轄が連れてくる人って、どういう人だと思う?」

 シンギュラリティ世界の病室で桜の脳裏によぎった人物。本部を抜け出し、さまよい歩き始めた何者か。名前も明かされず、人間だと伝えられた人物。

「弥生さん、ありがとう。希望が見えてきたわ」

 振り向く弥生に感謝する桜。その弥生が再び正面を向けば、自分の願いを聴いて欲しい収容者が期待に目を輝かし、弥生が聴いてくれるのを待っている。

「じゃあ、桜さん、管轄、私はここでみんなの心のケアをしなきゃいけないから、二人がこの世界を落ち着かせてくれるのを待ってるわ!」

 うなずく桜は収容室の鍵がついた鉄格子に近づく。能力により、桜には想像以上の力を身につけたと実感した桜と鈴村であったが、どれだけ強く念じて鉄格子を曲げる事を試しても動かない。それはまだ、能力の扱い方の理解が及ばず、緊急事態のみに、自分が無意識に近い状態の時だけ発揮できた不安定なフェムの能力。

「管轄、どういたしましょう」

「仕方ない、皆を離れさせて、拳銃で……」

 その時、守衛室から近づいてくる足音が聴こえた。足取りの悪い足音。それに加えて引きずる音が聴こえる。

「誰か近づいてくるわ」

 その這いずる足あとに加えて、細い金属がぶつかり合う音が聴こえた。見えてきた人物は二人。それは直前にシンクロをした下村敦とその妻だった。

「神……さま、ここ、出たいですよね。俺……出します。鍵……見つけました」

「夫を助けてくれて、本当にありがとうございます」

 世界に目覚めている下村と目覚めていない妻は、下村のシンクロにより二人で精神病棟へ戻ってきた。その現象に下村の妻はすでに見た奇跡の出会いを体験した事で抵抗なく笑顔で現れ、信じる夫の言葉通り、鍵を探し、収容室までやってきた。

「助かるわ! ありがとう」

 弥生の言葉に照れを表現する下村。そして収容室の鍵が開錠した音と共に、下村と、その妻は、笑顔で向き合いながら収容室の前から消えた。

「弥生さん、行ってくるわ。そして、外よりここの方が安全だと思うから、なるべく外に出ないようにね」

「わかったわ。気をつけて」

 掛け走る桜。負傷しながらも桜に遅れをとらない鈴村。地下二階、地下一階と上がり、地上一階の事務室まで上がった。すでに職員が不在の精神病棟。Rの弥生も含めて、地下二階で起きた銃撃音や、地下三階の騒動に恐れた守衛もいったん精神病棟から逃げ出していた。そして、桜と鈴村が耳にしたのは、巨大なスピーカーから流れる音なのか、それでも生々しい生き物の悲鳴と、存在感の証明と言わんばかりの胸に響いてくる何かが外の空気を占領していた。
 19:24 支所屋上。モンストラス世界を四次元の世界で眺める春日がひとり。そこに映る認識色の変化に言葉を発する。

「Rの鈴村くんは、滅ぼしたかったんだね。シンギュラリティ世界も、モンストラス世界も。てっきりモンストラス世界は残すのかと思ったけど……『1』より『0』を選んだんだね。もしかして『3』より『1』の意味かな。ふふ、だからいい。誰もが今まで、どちらかの惑星を残そうと考えたよ。だから、宇宙の運命が見えなくなった。今回こそは、俺がキャリアを保有してみようと思ったんだけどね……まあ、鈴村くんの事はもういいよ。どうしてもシンギュラリティ世界の君が交代したいって言ってたから、この世界へ潜入する役を譲ったのに、殺されちゃうだなんて、間抜けだったね、田村くん」

 気配を感じ取っていた春日。屋上で春日が振り向いた先にいるパフォームの田村。言葉が通じる相手に感じないたたずまいで春日と向き合う。
 シンギュラリティ世界で加藤達哉に惨殺された本体の田村。本来は重要任務でANYに選ばれ、そして『ANYに選ばせた』春日が潜入する予定だった。二番候補の刈谷。三番候補の田村。その田村は昇格を狙い、春日に懇願して叶った潜入の権利。そして加藤達哉の館で一時的なジャメヴュ状態の加藤に理由もわからず惨殺された。その死体をモンストラス世界で田村の取り巻きが見つけ、別の世界があることを疑わなかったRの田村。二つの世界で生きたそれぞれの田村の願いは叶わず、野望の下に倒れた。それでも肉体をパフォームの器(うつわ)として選ばれた田村。それはパフォームの動きにも耐えられる身体能力を兼ね備えていた人物である証拠。そして、器は、死に直面した者にしか、同化することが出来なかった。命令更新によるデジャヴュの制限時間は最大でも60分以内。可能性が残っていた器は、田村の意識がないところで活用された。

【ミッション-開始】

「笑わせないでね。田村くん」

 支所の屋上に突然ヒビが入り、人が簡単に吸い込まれそうな地割れが起きる。地割れの先には立っていた田村の姿は居なかった。すでに見えていた事なのか、うろたえる事なく田村は地割れから逃れている。
 深い地割れ。それは屋上だけでなく、一階まで破壊されていた。地割れの奥、裂け目の奥深く、高い声が聴こえる。

「仁!! 仁!! そんなぁ!!」

 Rの弥生が叫ぶ声。精神病棟からすぐに向かった先。それは所長室で恋人である町田と対面していた二人。突然の屋上からの地割れにより崩れた天井に埋まる町田。一階の所長室から助けを呼びに走り出したRの弥生の頭上には晴れた夜空が見える。稲妻と共に。そこでは田村と春日による戦いが続いている。

【フェム-second-time+10(秒)-確認済】

「墜ちろ」

 煌々と照る月に雲が少ない夜空から墜ちてくる稲妻。それは春日を守る壁のように隙間なく二人の間に堕ちる。

【シンクロ】

 虹色の影が稲妻をすり抜ける。それはすでに春日の背後。田村の影が振り向いた時には、すでに春日は30メートル離れた屋上の端までシンクロしていた。

「面白くない奴だな。もっとアナログな自然災害を楽しもうよ」

 満面の笑みを浮かべながら春日は両手をかざし、田村に向かって振り下ろす。
 その動作から現れた生き物。全長15メートルを超える10トン近い太古の生物。手足に比べ、頭部が異常に大きく、歯と顎だけを武器とした最大の生物。その鳴き声が聴こえていれば、直視した直後には絶望だけが待ち受ける最強の生物。ティラノサウルス。
 地割れに足を挟まれながらも、頭部はすでに春日の眼前。支所の屋上から飛び降りるように、開いた口から田村へ倒れこむ。

【ZONE-1/1000】

「させないよ」

 田村の後ろへシンクロしていた春日は、その背中をティラノサウルスに向かって蹴り込む。
 精神病棟の外へと駆け出した桜と鈴村。その轟音の元を直視したとき、拳銃を握ればいいのか、逃げればいいのか、太刀打ちの出来ない恐竜の存在に立ちすくむ。
 二人は動けない。動けない理由は、目を薄めた先に見えるティラノサウルスの目の前に居る人物が春日と田村であると確認できた事を含めて、助けられる距離でも敵う相手もでないことに。そして、食べる事だけを優位に進化した太古のティラノサウルスに、下半身を外に残した状態で噛まれる瞬間だった。

「あ、あれは……何!? どうなってるの!?」

「水谷!! あれはきっとデータで作り出したRの生物だ!! 春日の仕業か!」

     ◆◆◆

 19:26 シンギュラリティ世界。地下施設。
 モニターに映るティラノサウルス。
 パフォームの田村が噛まれた瞬間、その巨躯な肉食動物は、口元から虹色の光を放ち徐々に体、手足に侵食してひび割れが一瞬見てとれたと同時に、割れて細かく弾けた。それをシンギュラリティ世界のモニターで見ている町田は円卓に両手の平を乗せ、立ち上がり、弱音を零す。

「あれは、まずいな。触れたと同時にEMPは放たれたが、衝撃も同時に……フェムに守られていても、本体の生命力が深刻だ。そして世界の寿命もな」

<全惑星-500億年-準備進行中-完了再計算-10分以内-準備完了後-更新予定>

     ◆◆◆

 Fortune(幸運)Electro-Magneticwave(電磁波)。FEM(フェム)、それは自らを守るプログラム。先の未来を察して、それを視覚的に、自分を守る道を導いてくれる『幸運の道を見せる電磁波』。死に直面した意識の薄い器を必要とし、自らを守るため、肉体を限界以上に強靭とする。それは防衛プログラムとして活用していきたかったが、いったん本体の生命力が弱まると、プログラムの主導権の認識は混乱し、自我が崩壊し、理性を失った動物的な本能のジャメヴュ(未視感)となる。
 腹を一瞬裂かれたパフォームの田村。意識レベルは低下し、ミッションの重要性よりも、自分の身の危険を優先する。

【ミッション-停止-防衛mode-開始】「ぐるらあああぁぁああああ!!!!」

 降下しながら叫ぶ田村。身の危険を優先されたパフォームは、自分に災いをもたらす可能性がある者を察する。それは精密な分析ではなく、野生的なものだった。
 豹変しながら地面へ落ちていく田村を空中で見下し眺める春日。パフォームの機能を弱めたフェムだけに支配された田村を驚異とは思わなくなっていた。それは春日が見せる油断でもある。

「ああなれば、ただの猫だね。じゃらす気も起きないよ。そしてほかにもいるね」

 春日が確認したそれは、田村同様に送り込まれたパフォームの刈谷の虹色の影。それはRの桜の影を追いかけながらも、春日へ真っ直ぐ向かってきていた。

「君らじゃ俺に勝てない!! 俺を一瞬でも超えられる事ができると思う……あ、が、ぁ」

 向かってくる刈谷を影で眺めながら空中で待ち受ける春日の油断。それは自分の敵となる存在がパフォームと地にたたずむ鈴村しかいないと思っていた事。目の前に赤く光り輝く鋭利であり、終わりが見えない長さの物が自分の胸から伸びてくる。そして、春日の後ろに居る者が語りだす。

「お前に会ったら殺すつもりだったと言っただろう? それが変わったわけじゃない。お前は『我々』が人間の必要性があるか見たかったと言った。だがな、それは『我々』ではなく、お前だけだ」

 春日の胸から飛び出ている刀剣。それは生物を殺傷する為として一切の無駄がない。先端の切先(きっさき)から刃先(はさき)へ流れる赤は生き物である証拠を表し、物打(ものうち)にしたたる刃紋(はもん)の波は、元から赤だったのではないかと思えるほどしたたる鮮血が、月の照りに白い線を浮かべる。
 それと同時に、濡れた全身を重だるくさせながら地面へ沈むRの桜と、それを追いかけてきたパフォームの刈谷。
 春日の背中で語る男は、影から見ればらせん状に伸び上がる青い光の束の頂上で足を固め、刀剣を握る柄(つか)の終わりとなる頭(かしら)に平の手を当てながら、引き抜く事を考えない絶対の殺傷を狙った一撃を放っていた。
 パフォームの刈谷は目標をとらえる。それは春日とRの鈴村。

「す、鈴村……いや、加藤……き、さま」

「そうだ!! 加藤達哉だ!! お前から、地球と信じていたモンストラス世界の真実を120年前に聞かされ!! シンギュラリティ世界の進化を待ち!! 『monstrous時代』を生き抜き!!  お前にシンギュラリティ世界へ送り込まれ!! Rの鈴村の体を得て復活した加藤達哉だ!! 『EARTH(地球)』!! 惑星はお前の遊び道具じゃない!! この刀は!! シンギュラリティ世界で磨いた刀!! 崩れた館から、ここに運ばれた俺の刀!! 俺の怒りの塊だ!!」

 春日をEARTHと呼ぶ加藤達哉。モンストラス世界の住人。monstrous時代が始まったころ、加藤の父親の体を器として現れ、現在の春日の体に巣食う者。EARTH。
 130年前、フェムが世界を覆い、全ての者が狂い、襲い、食すmonstrous時代。世界の進化を遅らせるモンストラス世界は失敗作と判断したEARTH。それを作り出したシンギュラリティ世界をも滅ぼすか、それともどちらかを残すかを委ねられた加藤達哉。
 モンストラス世界の管轄である鈴村の肉体を奪い、加藤の館が爆発したデジャヴュ後も加藤としての存在を隠して、鈴村として活動していた加藤達哉。
 繰り返される惑星の破滅や破壊の対象となった生まれ故郷のモンストラス世界。その世界がまやかしであり、それを作り出したシンギュラリティ世界もまやかしであると伝えてきたEARTH。何度も人間の進化を見続けて、何度もそれを価値がないものと判断させられてきたEARTHは、それを終わらせる者を探していた。それが加藤達哉。それは、その現場を見る全ての者、本体の鈴村を含めて、皆、認識する。

「俺のRの肉体とエクスチェンジしていたのか。加藤達哉」

【ミッション-開始-目標-S春日雄二-R加藤達哉】

 シンクロでEARTHのすぐ目の前に現れる刈谷。その姿を目に止める事ができた本体の桜。

「恭介!!」

 パフォームの刈谷はEARTHの右腕と頭を鷲掴みしながらミッションを遂行する。

【電力-放射-10000V(ボルト)-5A(アンペア)】

 黄金色に輝く刈谷の両手。人間であれば確実に生きられない電流が流される。

「俺がRと同じ周波数や! 人間に有効な電力や! 物理的な攻撃で死ぬとでも思ったか!!」

 電力をまともに受けても変化のないEARTH。そのEARTHはまだ刀剣を胸に刺したまま、刈谷の肩をつかみ、パフォームに対応したEMPを放射する。

「EMP放射。周波数P(パフォーム)」

 それはシルバーの濃い色、薄い色、様々なメタリックな正方形がモザイクとして重なり合ったエネルギー。
 シンギュラリティ世界で作られた、対R用のパフォーム。加藤の刀剣。その周波数は刀剣をも砕き、消滅させ、パフォームの刈谷を機能停止とさせた。墜落する刈谷に対して、更に上空へ逃げる加藤。

「恭介―!!」

 パフォームの機能が無くなった刈谷が墜落する。それを受け止めようと掛け走る桜。しかし間に合わない距離。能力が発揮できない桜。
 桜が追いかける支所で茂る木々の裏側に墜落する刈谷。けれど、地面に叩きつけられる衝撃音は、桜に聴こえなかった。

「【シンギュラリティ世界の桜ちゃん。間に合ったよ】」

 木々を超えて目視した桜に映り、初めて耳にする者の声。それは刈谷を抱えた町田の姿があった。

「あなた、は……誰?」

「【こいつともう一人には、無理をさせたようだ。やはりシンギュラリティ世界の科学を超えた存在。さすがEARTHだ】」

 額から血を流し、引き裂かれたスーツで現れる町田。それは所長室で崩れた天井の下敷きとなったRの町田を媒体にしたパフォーム。シンギュラリティ世界の町田が媒介した存在。何度かRの町田の姿を借りて、パフォームを試験していた町田。
 その日、朝と夕方の二度、Rの町田の意識をほんのひと時パフォームとして潜入していた。朝にはRの桜に世界への違和感を訪ねたひと時、田村が屋上に現れたひと時、その度にモンストラス世界の認識を確認していた。
 残り時間が無い世界。間もなく500億年先の世界へ進むモンストラス世界。それは確実に惑星の寿命が終わる年数。その終わりを見届けにきた町田。刈谷を地面に横たわらせると、EARTHの方向へ歩き出す。
 その時、刈谷の体から抜ける認識色。それはパフォームとしての機能が消滅した虹色。そしてRの刈谷としての機能が終わり、本来の姿を現した者。それはデジャヴュのバグにより春日の姿に変えられていた、本体であり、シンギュラリティ世界が故郷である刈谷恭介の姿。

「恭介!! やっぱり、恭介だったのね!!」

 刈谷を抱きしめる桜。その体からは鼓動を感じる。

「生きてる!! 生きてるわ!! 恭介!!」

 更に刈谷の体から抜けるパフォームとは別の認識色がある。それは桜に見えない認識色。それを見ることが出来るのは、EARTHとRの桜だった。

「ここに来ていたんだね。キャリア」

 EARTHが零した言葉に反応するRの桜。刈谷の体中から終わりなく抜け続ける銀色の光。それが刈谷の体から出尽くすと、それは次第に肉眼で確認できるほどに上空へ集まる真球(しんきゅう)。時折歪み、形を自在に変化させながらも、一定の場所から動かない銀色の球。
 Rの桜が求めていたキャリア。EARTHがANYを経由して埋め込ませた成分。キャリアを備わせられていた刈谷。肉体を春日へと変化させ、パフォームを備わせ、Rの自分と同化して、全ての能力を使い果たしたあとに残る本来の姿。誰かに殺められた訳でもなく、誰かに奪われた訳でもなく、護りきった自分。護りきった体と、タイムリミットが終わった世界。その世界での人類に保有させる必要が無くなったかにも思えるキャリアは自ら外に出た。

「ゲームオーバー。誰も奪えなかったね」

 支所の屋上と高さが同じ空中で、うつむくように降下し始めるEARTH。そのEARTHの眼下でフェムの防衛modeで待ち受ける田村。地面に墜ちる前に、EARTHの眼前にシンクロしてくるパフォームの町田。EARTHの両腕を握りしめ、決着の言葉を放つ。

「【EARTH!! シンギュラリティ世界で分析させてもらっていたぞ!! 周波数E(EARTH)! これで! THE・ENDだ!!】」

「いや、終わりは、この世界だよ。もがいてごらん」

     ◆◆◆

 19:34 シンギュラリティ世界。地下施設。
 誰もいない地下施設で、加藤達哉がANYへ命令した最後の計画完了のアナウンスが鳴り響く。

<全惑星-500億年-準備完了-更新開始>

     ◆◆◆

 世界が蠢く。それを感じられるのは、目覚めている者。
 世界が泣く。屋上でたたずみながら、それを心で理解する加藤。
 世界が血を流す。それはマグマとして。
 その世界に浮かび上がるキャリア。それは逃げる事なく、何かと共鳴する。全人類の頭に鳴り響く。
 町田はEARTHの両肩を掴む。流し込まれる周波数は、EARTHの両腕の自由を奪う。そのまま全身に流れ込む電流。流され続けるEARTHである春日の表情は、何を恐れるわけでもなく、抵抗するわけでもなく、モンストラス世界の悲鳴を楽しんでいた。

「これがこの世界の消滅かあ……けれどあのキャリアの動き、もしかすると、宇宙の運命に情報が届いたのかもね。俺が見たかったものが再び……」

 EARTHが町田に漏らす言葉。科学者として、理解をしたい町田。弱める電流。
 動き始めた世界。それはシンギュラリティ世界の惑星管理室で動き出している。

     ◆◆◆

 19:35 シンギュラリティ世界。上空。
 その空は、包まれていた。曇った色よりも、鮮やかな銀色。白にも感じる世界の上空には、宇宙に散りばめられた成分が形を成し、巨大なキャリアである『宇宙の果てからの意思』が伝達された。
 宇宙の果て、それは誰もが見ることもできない神秘。常に宇宙に漂う電磁波。宇宙の誕生から、影響を受けずに宇宙の中を漂う電磁波。それは宇宙の果てから常に放射され続ける。
 いくつもの銀河の先、無数にある銀河を超えてもたどり着くことのできない宇宙の果て。
 宇宙に出現する惑星は、全てが奇跡であり、全てが限りなく可能性ゼロという確率で星々は誕生する。その誕生の確率は、『宇宙にとって』残す価値がある存在は残されるという『完璧を創造する宇宙の意思』。その一部を保有する者を、EARTHはキャリアと呼んでいた。それは人の体ではなく、モンストラス世界が保有した。
 シンギュラリティ世界に集まる意思であるキャリアの塊。それは無数の銀河から集められる。形と成し、そしてLIFE YOUR SAFEの本部、地下、惑星管理室へそれらは潜る。
 輝く白銀の意思の塊。シンギュラリティ世界とモンストラス世界を切り離し、持ち上げ、未完成な惑星も二つ包み込み、宇宙に向かって引き寄せる。

     ◆◆◆

 同じ時間。モンストラス世界。世界の外壁。
 引き寄せられながら、その惑星の壁はひとつひとつ剥ぎ取られ、見せかけの月は消え、見せかけの輝く星々も消え、モンストラス世界の住人が初めて目にする宇宙の星が顔をのぞかせる。
 宇宙に伝えた情報。光の速さで何億年宇宙の果てを目指しても届かない宇宙の果てへのメッセージ。それはモンストラス世界に存在した分身からのメッセージ。護られた宇宙の意思の一部が伝え、同調する宇宙のシンクロニシティ。新しい惑星として『YES』という意思が宇宙中に広がった。

「俺は、お前たちに感謝する。再び、宇宙の意思と遭えた。やはり、存在したんだよ。宇宙には意思が……」

「【これは……なんだ!? モンストラス世界が、独立したのか!?】」

 すでにEARTHを削除する目的を失っている町田。R人類から見れば、今まで信じていた空の景色は、全てシンギュラリティ世界から作られた壁のある空。剥がれていく外壁は白銀の宇宙の意思により引っ張られ、シンギュラリティ世界のANYからの命令は届かなくなった。中止される500億年の未来。宇宙の意思、それは、この世界は、『宇宙に必要』だと判断された。

「もう、俺は、満足だよ。自分の世界に戻る。でも、君たちは知りすぎた。この奇跡の意味を知る者は、俺以外、本当は居てはいけないんだよ」

 空に目を奪われるモンストラス世界の住人。桜、鈴村、加藤、町田、そこにいる全ての者が空を眺める中、田村に向かって降下するEARTHは自分を中心に磁場を発生させる。それは磁力がぶつかり合うEARTH独自のリンクワームホール。危険を察知して飛ぶように離れる田村。常に10秒後の自分の未来を眺めながら自分が無事にいられる立ち位置を測る。

「【EARTH!!】」

 そこにいる全ての者がEARTHへ振り返る。引き込む引力。見えないワームホールの先。拡大していく大きさに地面に伏せる者。木々に掴まる者。

「お前たち!! 続きはこの中だ!! お前たちがいる限り、この惑星にも未来はないぞ!! お前たちの知識や技術は! この惑星をダメにする!! そして、この先に、お前たちが知りたかった真実がある!!」

「くっ!! これ、は、もう……無理よ」

 Rの桜のあきらめ。右腕と右足だけで体を支える限界。
 台風が外から内側へと吸い込まれるような引力。ブラックホール。その先に待つEARTHの真実。それを知りたい者は、ここにはいなかった。
 木々が引っ張られる。刈谷を支える桜に激突してくる樹木。それは再会できたばかりの温もりが遠ざかる。地面に爪を立てながらブラックホールへ引きずられる桜。

「恭介ぇ―!!」

 耳に響いた大切な者の声。嵐のような現象でも樹木に叩きつけられても気づかない刈谷の耳に響いた桜の声。それはまぶたを開かせた。
 桜の耳に聴こえてくるEARTHの声。それは、決別への運命を語る。

「お前が刈谷と!! 間違いのない運命を築いていたのなら!! いずれ会うことができるだろうね!! けれど、それがないなら!! お前たち二人には!! シンクロニシティは起こらない!!」

 謎めいた言葉を桜へ投げるEARTH。それはEARTHにとって確実に存在する現象。桜にとって、二人以外に決められたくない運命。

「お前に……お前に運命を左右されてたまるか!!」

 ブラックホールの横に立つEARTHに向かって地面を蹴り出す桜。拳銃を握り、EARTHに向かって発砲する。

「がああああぁぁあああ!!!!」

 EARTHの背中に向かって地面を蹴り出す田村。

「ぐるらあぁぁああああ!!!!」

 最初にブラックホールへ吸い込まれたのは、鈴村だった。

「くぅ!! あああ!!」

「【シンクロ! 管轄!!】」

 ブラックホールから見えなくなりそうだった鈴村は、影と同化したパフォームの町田に支えられ、支所の屋上へシンクロする。その屋上では、真下に見えるブラックホールへ向かって体を落とそうとする鈴村の姿をした加藤がいた。

「加藤……」

「鈴村! 俺は世界をひとつにしたかった。シンギュラリティ世界でも、モンストラス世界でもない真実だけを!! だが! 全ては人間が考えるような代物ではないようだ! 俺は、奴の願いを叶えただけだ!!」

「加藤!! お前はまともな世界を作りたいか!!」

「まともな世界なんて存在しない!! 平和は!! ただのまやかしだ!!」

 世界をひとつにしたかった加藤。それはまやかしの無い真実の世界。裏切られた世界で暴走したフェムによるモンスターの世界で育った加藤には、平和は遠い存在だった。

「シンギュラリティ世界にリンクしろ!! 今なら間に合う!! そして、お前がシンギュラリティ世界を!! お前の思う平和を作れ!!」

 足が止まる加藤。その言葉の意味を一瞬理解が出来なかった。鈴村は続けて言葉を投げる。

「この惑星では!! 俺の平和を作り上げる!! それがこの惑星を作り上げた俺の責任だ!! 加藤!! お前はこの世界で見た良い部分を!! 自分で作り上げてみろ!! 行くんだ!! お前の世界を作った世界で!!」

「仁!! どうしてここにいるの!?」

 屋上の地割れ現場に上がってきていたRの弥生。恋人の町田を失い、轟音の止まないこの世界の終わりを眺めようとも考えた矢先、目の前にはすでに生き埋めとなったはずだった町田の姿。町田は、モニター画面でも、パフォームを利用してでも、自分のRの恋人が弥生であることは知っていた。その様子を鈴村は察する。

「町田。お前もリンクするんだ。お前がパフォームを利用出来ているということは、シンギュラリティ世界とはまだ繋がっている証拠だ!! 目の前にいる弥生も連れていけ!!」

「【で、でも管轄!! 向こうには本体の弥生さんが……】」

「弥生はこの世界の精神病棟の地下三階にいる!! 同じ世界に同じ二人を存在させるな!!」

「【で、でも】」

「早くしろ!! そして、加藤と平和を保ってくれ!!」

 鈴村に推されたシンギュラリティ世界の平穏。モンストラス世界は宇宙に出ようとしている。リンクを可能に出来る限界を過ぎようとしていた。

「【ああ!! か、管轄!! リンクする手段が!! 】」

 困惑する町田。パフォームでは本人以外リンクが出来ない決定的な事情。その町田の目の前に見せる葉巻。

「大丈夫だ。香山も葉巻は持っている。鈴村、お前の代わりをやってみよう」

 笑みを交わし合う鈴村の姿をした二人。葉巻を割り、カプセルを風上にする加藤。それを真似するように葉巻を割る弥生。

「鈴村!!」

 カプセルを割る加藤。鈴村の名前を叫び、顔を向ける。

「お前がモンストラス世界を見てくれていて良かったぞ!! ほかの奴なら、もっと酷かった!!」

 笑顔が虹色に消える瞬間、加藤本来の表情が映る。それを鈴村は眺めながら、加藤はモンストラス世界から消えた。そして鈴村は、町田に最後の指示を出す。

「地下施設の場所までシンクロしてからリンクしろ!! そして、一人のRをすぐに作ってくれ!!」

 轟音の中、町田にRの作成を指示する鈴村。それを聞き受けて、町田は別れを告げた。

「【管轄! さよならです! 出会えて良かったです!! 加藤とシンギュラリティ世界を再生してみせます!!】」

「これでさよならだ! 世話になったな!! 町田!」

 鈴村の目の前からシンクロで消える町田と弥生。屋上から下を眺めると、EARTHを中心に桜とパフォームの田村に挟まれた硬直状態が続く。
 自分を護る以外攻めに転じられない田村。パフォームである田村の能力は機能が消えかかっていた。
 EARTHに銃弾を命中させる事ができない桜。
 桜に備わった加藤の能力。それは何世代も続いたフェムの能力。進化したフェムは枝割れして、分け与える事もできた。その能力の意味を教わっていない桜。けれど、それは自然と理解していた。
 この引力の中、引き込まれる場所、引き込まれない場所、それらを体が教えてくれる光の道。常に選ぶ光る道。それが途切れなければ、最後には辿り着くEARTHの最後。

「恭介!! 私があなたを助ける!! 生きているだけでいいの!! 死んでいなかったから、あなたは生きていたんだから」

 ブラックホールとEARTHを前にして笑みを浮かべる桜。一瞬、踏み入れた道に、幸運へ繋がる光は無かった。

「あああああ!!」

「あああ!!」

 桜の横から飛んできた人物。それは自分を支える限界がきてブラックホールへ向かってきたRの桜。衝突する二人。その二人は、足場を失い、掴まる存在を失い、ブラックホールへ引き込まようとする。

「桜!!」

 目を覚ました刈谷。ブラックホールの引力に自分を飲みこせながら、吸い込まれる引力を利用して一人の桜の腕をつかむ刈谷。

「あああ!!」

 支所の地割れによって割れた壁の中に体を挟ませる刈谷。吸い込まれるもう一人の桜。
 パフォームの田村は、EARTHの背中の刀剣が刺されたところを目掛けて腕を埋める。突き出てくる手刀。再び貫かれるEARTH。それは、EARTHの誘いだった。

「アハハハハハハ!! 真実を見るのは、この二人で決まりだね」

 身を投げるようにブラックホールへ飛び込んだEARTH。その時、白銀の宇宙の意思はシンギュラリティ世界である惑星からモンストラス世界を宇宙へと連れ出した。
 大気は、初めてその意味を与えられた。
 オゾンは、初めて惑星を守る役目を与えられた。
 守られていたモンストラス世界。それは宇宙にでた時から、自分の活力で守る役割を与えられた。
 海底の火山は激しさを増し、黒煙が空の色を変え、溶岩は新しい大陸を作り出す。そこには『自然』というものが動き出した。
 データで作られたものは、姿を消し、当たり前にあった建物や森林、それも姿を消し、元々自然に存在していた木々が残った。
 川には橋もなく、電車もなく、飛行機も飛んでいない。それは与えられたものだったから。
 降り注ぐ白銀の霧雨。それはRに染み込み、土に染み込み、海に染み込み、それはRという言葉をこの世から消滅させた。そして、宇宙に存在を認められた。
 ブラックホールはすでに閉じていた。この世からEARTHの存在も無くなった。目覚めるという概念は無くなり、シンギュラリティ世界という概念は未来のものとなり、新しい惑星の、新しい銀河に向かう旅が始まった。
 それは川のように流される惑星の旅。
 モンストラス世界に付いてきていた二つの惑星は旅の途中で白銀の川から落とされた。
 惑星の予定だった未完成な星のひとつは衛星(えいせい)となり、新しい主人となる惑星の周りを回りだす。
 惑星の予定だった未完成な星のひとつは彗星(すいせい)となり、新しい主人の光り輝く恒星(こうせい)の周りを回りだす。
 新しい銀河への旅は、寒さとの戦いだった。知恵と技術は、簡単に光を作った。木々を燃やす技術、生き物を狩る技術、新しいものを作り出す技術。それを兼ね備えた人類には、生き残る知恵が十分に備わっていた。
 宇宙には星との均等な距離が必要だった。
 光り輝く太陽があれば良いわけでなく、静かな月があれば良いわけでなく、重力のバランスや距離。お互いを邪魔しない関係。それを得られる銀河に惑星の存在は重要だった。そしていつしか、その旅は終わり、そこに近づくほど、初めて見る光と、初めて見る夜に輝く星たち。
 惑星の裏側にいる住人は、惑星の回転である自転が追いついていない表側の人類より早く、その奇跡に気づいた。それはひとつの惑星が出来上がる物語。
 その惑星の中心となった表側。暗闇と濃霧が行く手の視界を奪う。見えない先を歩きつづける二人。女を支える男。女の歩幅に合わせて急がない道を進む。

「桜、大丈夫か?」

「ええ、大丈夫よ」

「きっと動き出すよ。左足も左腕も」

「あなたは、どうやって生きられたの?」

「桜に撃たれたあと、胸にあった葉巻を割ってから、なぜか覚えてないんだ」

 人類は生き続ける。そして、愛した者の代わりになる者はいない。それはお互いわかっている。守る者と、守られる者。その波長は少しでも足並みを揃えた時、それが元々寄り添わなかった者同士でも、一度は殺意を向けてきた者でも。二人で前に進む。





 【シンクロディピティ】


〜運命を超えた永遠の想いから繋がる幸福〜


 それは天国と呼ばれていた。EARTHから生み出された者が最終的に到達する世界。その世界には争いがなく、病気もなく、痛みもなく、永遠を約束された世界。この世界には、大気は存在しない。オゾン層もない。呼吸も必要ない。食べる事も、寝る事も、争う必要もない。完璧な世界。
 運命という時間のあった世界で、すでに運命を使い終わった世界。

<EARTHは永遠よ>

<EARTHが最後の場所>

<EARTHが全ての真実>

 EARTH。それは500億年以上前、『地球』と呼ばれていた。生命があり、有機物があり、寿命と呼ばれるものがあった。
 EARTHが作り出したもの。それは惑星。忘れ去られた生命というものを作るという使命。生物が地球を無機物としたのか、機械が地球から有機物を消滅させたのか。その答えを探す使命。
 宇宙がある限り無限と思える世界の中でEARTHは考えた。500億年以上前に存在していた『人間』を創造しようと。
 何度も作られる惑星。何度も失敗した惑星。それを数十億年ごとに繰り返す。
 自らの意思で考え、創造するように見える『人間』を作り上げた。人間は知恵を創り、技術を覚え、生活をして、異性と結ばれ、その歴史を続けようと励む。
 その人間は、『機械』を作り始めた。機械は正確で、精巧で、人間を助けた。人間はその機械を更に開発していった。その開発により、人間は豊かになり、増えていき、その惑星にある資源を使い切った。そして、機械が意思を持つ『人工知能』が発達した。ある一つのシンギュラリティ世界の始まりである。
 何度もEARTHは繰り返した。何度もシンギュラリティ世界を創り、ことごとく、人類は滅亡した。それでもEARTHは何度も惑星を創った。時間は宇宙が存在する限り無限であり、その滅亡した人類の意識は、EARTHの世界で草となり、木となり、石となりドウブツとなった。
 機械しか存在しないEARTHの世界に、無数なる人類が永遠に生きられる意識のひとつひとつが植えられ、自然を建造され、磨き上げられた。繰り返して滅亡する人類。その度に、EARTHは自然にあふれる宇宙にむき出しな緑の星となった。
 EARTHにも滅亡の危機はあった。それは昔『太陽』と呼ばれていた恒星の寿命である。それは当たり前のように大きさが数十倍に膨れ上がり、地球にはる地表の水分を蒸発する。更に膨張が止まらない太陽は、近くの惑星を飲み込み、すでに地球は生物が生息することが難しい環境となった。それでもEARTHは機能していた。
 時間という概念を『誰か』のために記録を続けていたある日。それは人類が滅亡してから70億年ほど経過していた頃、小惑星が地球へ衝突すると計算された。それは、地球の形が変わるというだけではすまなかった。それが地球の最後と考えた。
 その時だった。むき出しの地球を覆う存在があった。それはどこから現れたのか、最初から存在していたのか、電磁波が無数に集まり、具現化し、白銀の存在となり、地球を包んだ。
 白銀の川は、地球の住み慣れた位置から大きく離され、その長い旅の途中、EARTHは白銀の川から成分を採取した。いずれ川の流れが止まり、そこは地球を脅かす存在が、EARTHの計算上いつの未来にも可能性がない位置だった。
 それから地球はEARTHが完全に支配する惑星となった。『誰か』のために記録していた時間を止め、『誰か』のために環境を整えるのを止め、EARTHが見たい世界を作り始めた。
 何度も惑星を作り、何度も宇宙に打ち上げ、何度も消滅させた。その度に、何度も人類に採取した成分であるキャリアを注入して、争わせた。ゲームとして。
 初めて今までとは違う惑星が誕生した。それが鈴村和明が管理するシンギュラリティ世界だった。今までと違うところは、シンギュラリティ世界が新しい惑星を作り始めた事だった。それまで作られたシンギュラリティ世界に比べれば早い進化。EARTHよりも早い創造。EARTHよりも未熟なANYに鈴村の想像力が合わさったモンストラス世界。
 その早い創造に、EARTHは嫉妬した。何度も消滅させてきた惑星に自分の技術が抜かれる訳が無いと。
 EARTHの粗探しは、モンストラス世界の中でも混乱を極めた。宇宙の果てからの意思である『宇宙背景放射』の電磁波をモンストラス世界の人類に備えさせ、その混乱した世界を抑えられる能力があるかどうかをシンギュラリティ世界に対して試した。
 鈴村は町田とプログラムを開発し、モンストラス世界を抑え込み、その混乱をもたらすEARTHを含めたファクターの存在までを疑い始めた。EARTHにとって初めての敵が現れた。直接参加したくなったEARTH。EARTHは春日雄二という職員にパフォームした。そして、すでに人類の中で選抜していた者。加藤達哉。
 幼少期から何度も父親として加藤と接触し、加藤に世界の真実を伝え、未来に起きる現実を伝え、鈴村に対しての抵抗勢力を作り上げた。
 老体をクローンにして身動きを取るためにシンギュラリティ世界へリンクさせられた。EARTHから見れば脆弱(ぜいじゃく)な人工知能と評するANYのバグを利用して、モンストラス世界で若い肉体を手に入れる方法も聞いていた。それがデジャヴュという新プログラムを利用した方法。それを開発したという情報をEARTHから聞いた加藤は、実行するというその日に鈴村を呼び出し、モンストラス世界に再びリンクしなければいけない理由を作り上げた。それは誰かの死と、自分の死を覚悟して。
 EARTHは春日へパフォームして、初めての感情が芽生えた。
 人類の終わりまで、シンギュラリティ世界で目立つ死亡者を作りたくなかったEARTH。自殺志願者と思い、それを止めるため、不器用に話しかけた相手、風間咲。それは500億年以上機能していたEARTHにとって、初めての感情だった。
 必要のないものと考えながらも、切り捨てられない自分がいた。何度も悲しい別れを試そうと思った。それでも、自分に理由をつけて、別れを実行できない状態になっていた。咲は、EARTHにとって、特別だった。

<田村くん、どう? ここがEARTH。この惑星自体が俺なんだ。地球と呼ばれた最初の惑星>

「あああああああ!! ぐああぁぁああ!!」

<苦しいよね。お腹も裂かれて、空気もない。一緒にきた水谷くんはもう死んだかな?>

「あ……ああ……ぅああ!!」

 苦しみ、もがくパフォームの田村と桜。頭に響くEARTHの声。山より低い位置で常に輝き続ける照明に照らされた輝く芝生の上で転がり、吐き出す息に揺らめくほど鋭利な草に頬は切れ、服は裂け、絶命を待つだけの二人だった。
 閉じられたワームホール。出口の無くなった孤独な世界。むき出しの空に見える惑星たちは、自転と公転のバランスが完璧に均衡を保っている。何の干渉もない孤独な惑星たち。
 パフォームとしての機能が失われる田村。虹色の輝きは失われる。

<君たちの感想を聴きたいところだけど、言葉もないか。余裕があれば、頭で叫んでくれれば聞こえるよ。でもまぁ、元々は、俺がシンギュラリティ世界を作ったんだ。その世界から作られたモンストラス世界の住民も、最後にはここに来るんだよ。君たちの言うところの、天国だから>

 人類の墓場か、人類の天国か、EARTHによって創造されたデータ人類が共通して、死を迎えた最後に辿り着く世界。それが本当の地球。全ての生命の始まりの惑星。
 運命というものを左右する自分で決めて行動できる世界が終わると、運命というものが存在しなくなる世界。その地球に、人類が滅亡してから、初めて肉体を持って現れた田村と桜。

<そろそろ、春日としての俺の姿も終わるみたいだよ。そして春日くんは、この世界を照らす灯台として、ここにいるみんなを輝かせてもらおうかな>

 S(シンギュラリティ)の春日の姿をまとっていたEARTHの体の一片一片が剥がれ始める。その剥がれた部位は光を放ち、少しずつ、形を失っていく。同時にRの田村の体も剥がれ始める。そして、パフォームとして器を借りていた本体の姿が見えてくる。
 田村の顔は剥がれ、そこから見えてくる本体の目、口、鼻、それは風間咲の表情。

<さ、咲……>

「ゆう……じ」<やっと雄二に逢えた>

 咲が無意識に念じた言葉はEARTHに響く。頭で念じた言葉。それは紛れもない真実の気持ち。
 田村の体は完全に剥がれ落ち、田村はEARTHの世界のコンチュウとして姿を変える。

<苦しいよね、咲。すぐに苦しみは無くなるよ。咲はどんな姿になりたい?>

<お花……かな……薔薇よりも、カルミアの花が好きかも。ここって、緑ばかりだから、色が足りないわ。ここが、雄二が連れてきたかった場所なのね。素敵……よ。桜もいる。寂しく、ないわ>

 そして、苦しみの絶頂を迎える前に、EARTHは咲と桜の体から意識を取り出す。それはたんぽぽほどの大きさ程で弱い光を放つ意識。

<しばらくお花もいいかもね、咲。そして水谷桜。お前には、咲が寂しくならないように、ここで見守っていてもらうよ>

 咲と桜の体が消滅する。そして、咲はカルミアの花と変化する。そして今まで緑の草だった者の意識を変化させ、白、赤、ピンク、茶と、カルミアが惑星に咲き乱れた。
 カルミアの花を見守るように大きな桜の木が現れた。それは肉体が消滅した桜の意識。

<俺も綺麗なお花になったよ>

<雄二、とても綺麗ね。私はどう?>

<咲も綺麗だよ>

<ずっと綺麗でいらる永遠の世界ね>

<私は、恭介に逢いたい>

     ◆◆◆

 シンギュラリティ世界。地下施設。
 モンストラス世界から弥生とリンクした町田。その広大な施設に二人。モニターを眺めていた。

「もうモンストラス世界とは完全に切り離されたなあ! モニターに映らないや! でも、間に合って良かった! な、弥生ちゃん!」

「何が弥生ちゃんよ! 仁! あなたなんて不精者なカッコしてんの!? 髭剃りなさい! 髪切りなさい! 服が変!」

「しょ、しょうがないだろ、孤独な研究者なんだから!」

「いい!? これからはここで私と医療の研究も充実させて、衛生面もしっかりさせてもらいますからね!」

「はいはい、よろしくね、弥生!」

 シンギュラリティ世界。支所屋上。
 ドームを眺める鈴村の姿をした加藤は、風を感じられない屋上から世界の未来を呟く。

「人が飽和した世界。海で遊べない子供。ANYに判断される未来。まずは、ANYには眠ってもらおう。人間の世界は、人間で創る」

「あ! ここにいたんですか! 管轄!」

 振り向く加藤。それは本部から鈴村の安否を捜索していた本部のチーフ『広金(ひろかね)』。

「本部でチーフをしております広金です! 管轄が無事で良かったです!! 本部の職員総動員で探しておりました! あなたは我々にとって必要な存在です!! いなくなっては困るんです!」

――鈴村。いい人間を育てたな。「心配を掛けた! 本部へもどるぞ! そして、管轄室は封鎖する! これからは人間の力で! 人間を救うぞ!」

     ◆◆◆

 すでに数週間は経ったモンストラス世界。本部跡。
 世界の認識が変化したと訴える者、世界の終わりを唱える者。様々な想いで鈴村の前に集まるモンストラス世界の住人。小さな丘の真ん中に立つ鈴村を見上げる。暗闇の世界。そこに松明(たいまつ)を上げながら叫ぶ魂の声。

「火を絶やすな! この世界は今から造られる! お前たちは、孫の世代から誇られる伝説の世代となるひとりだ! 世界の良識は! ここから造られる! お前たちは! そんを世界に伝える語りべ達となる! この惑星はもう、モンストラス世界ではない! 宇宙で唯一となる人類の星! 地球だ! ここにいる者で人々を守るぞ!」

 不安な者に力強く響く言葉。電気もない、ガスもない世界で、第二のLIFE YOUR SAFEの立ち上げが始まる。
 シンギュラリティ世界を守ってきた鈴村は、自分の作り上げたモンストラス世界の住民を平和へ導く。
 指導者へ向けた止まない歓声。その鈴村は歓声に背中を向けて丘を下だる。その鈴村の眼下に映る香山弥生の姿。拍手をしながら鈴村へ話しかける。

「管轄、素晴らしいですわ!」

「香山。シンギュラリティ世界での技術を知る俺たち二人で、人が生きられる世界を造るぞ。この世界に、機械は必要ない。そして、その必要以上の技術は、俺たちの中で封印する」

 笑顔で答える弥生。そして振り向けば焚き火で暖をとる人々。その輪の中でかがり火に笑顔が揺らめく表情が絶えない風間咲。咲の隣りで笑顔を浮かべる春日雄二。その笑顔の二人を見ながら鈴村は弥生へ話す。

「風間咲はもう大丈夫か?」

「町田さんが間に合って良かったわ。あの子の心に私は必要ないわ。一番会いたかった人と出会えたんだから」

 町田に伝えた最後の言葉、それは、Rの春日を再び作り出すこと。

「そうだな……あの二人はどうしているかな」

 山道を歩く二人。松葉杖をつく女。それを支える男。
 モンストラス世界で育った水谷桜。
 シンギュラリティ世界で育った刈谷恭介。
 二人は暗闇の中生い茂る山道の頂を目指して歩き続ける。

「桜、どうしてこの頂上に行きたいんだ?」

 モンストラス世界に存在していたほとんどは作られたもの。その中で、確実に残っていた山岳。それはデータではなく、確実に存在していた本当の自然。世界の神の可能性を感じた桜。自分がオリジナルであることにこだわった世界。全ては最初の地球から始まった第三世界での住人。それを全て理解した桜の根本。最初の場所が真実であるかどうかの確認。

「私の育った場所。この頂にある孤児院よ」

monstrous時代。それは人が人でいられなくなる悪夢の時代。その悪夢の時代が終わり、人が人として交流を始めて、仕事が少しずつ増えて、それでも生活が楽ではない数十年。その中で、子供を捨てる事も珍しくなかった。
 その孤児院は、monstrous時代に作られた。危険な人里より、子供を守るため。
 その時代が終わっても、孤児院のある頂までに、息を切らしながら抱く子供との苦労を味わい、預ける考えを改めるためにも、その孤児院は頂にそびえ続けた。

「LIFE YOUR SAFEの審査で、この山を開拓して、崩していく男たちを、私はことごとく拒否をしていたわ」

 その審査の最後となった男は出浦。その山を削り、崩し、無くしていくための仕事を生業としていた。自分の育った唯一の場所を開拓する者たちを護る事は出来なかった桜。自分の存在が始まった山の頂。それも嘘にはしたくなかった。そして、その場所が、本当に存在していたか、確認せずにはいられなかった。

「桜の育った場所か。見てみたいな」

「あなた本当にわかっているの? 私は、あなたの世界であなたと生きた女じゃないの」

「わかってる。姿かたちは同じだけど、俺の知っている桜ではないのはわかっている。それでも、桜と居たいと思うんだ。お前は、間違いなく桜から存在が始まった人間。性格は違うけど、それは桜に見えていなかった一面なんだ。それをひっくるめて、俺は桜を愛している」

 言われ慣れない言葉を平気で伝えてくる刈谷の言葉に、反論もできず、同行を拒否することもせず、もうすぐ辿り着くであろう頂へと、光のない世界を歩き続ける。
 何度も登った事がある道。何度も下った事がある道。松明に照らされる山道は、刈谷から違いの見えない道。
 桜からは違いがわかる道。山道の湾曲や傾斜。目的地までの距離の目安となってくれる木々の集まる様子。登った記憶のある、なだらかに登りやすい大木。それは記憶に残る桜の遊び場。
 郷愁を感じながら、足を踏み入れた故郷は、覚えのある木々の環境に不安な心を撫でられ、松葉杖で支える力も強くなる。
 両足が健全であれば駆け走りたい。この湾曲をあともう一度曲がれば納得に至る。その期待は、想像通りの門が、想像通りの建物が、想像通りの遊具が、院内にあるという期待。

「あ……」

 そこは一面砂利と草に覆われていた。子供の頃に見上げた屋根の高さには物体の存在はなく、地面には朽ち果てた建物の残骸も見当たらない自然だけが従来の姿。思い出の遊具も、重く開けられなかった門も、星を眺めた二階の高さも、桜の幼少を証明する姿は見当たらなかった。

「ふふ……ハハ、そうよ! やっぱり、私には、全てが見せかけの人生だったのよ!」

「桜……」

「笑ってよ! フフ……私も作られた存在! 育った場所も作られた記憶! 何一つ実態がない世界だったのよ!? 私の人生は! 今さらシンギュラリティ世界と離されたからってなによ! 私には……何もない」

 片膝をつきそのまま横に倒れこむ桜。声を殺しても鼻をすする音は刈谷に沈黙を続けさせる。そして次の刹那、それは数ヵ月ぶりと感じる視覚へ映る色。
 山岳が並ぶ輪郭が理解できる。雲に透過する光は紫にも感じる。空気は青くも黄金色にも感じる。松明はその場の役目を終え、桜と刈谷にとってもモンストラス世界で初めての陽の光を浴びる事となる。それは同時に焚き火を囲んだ鈴村や弥生、咲と春日、世界の表面で生き抜いた全ての者の注目する光となる。始まる新しい本物の世界。
 500億年ほど前、地球は太陽を失い、太陽という存在を忘れた銀河系のひとつとなった。
 地球は新しい銀河へ優しく運ばれ、いくつもの惑星は太陽と共に惑星の生涯を終えた。
 太陽が位置した場所。そこには新しい塵が集まり、ガスが集まり、核融合が繰り返され、億年の時間を掛けて、新しい太陽が生まれていく。それは、その場所には、宇宙にとって太陽が必要だったから。
 かつて地球があった場所。そこに収められる運命の惑星は、地球がシンギュラリティ世界を創り、シンギュラリティ世界が作り上げたモンストラス世界に、宇宙の意思は必要と判断した。
 完璧なバランスを求める宇宙。その宇宙にとって、モンストラス世界は、完璧な宇宙の均衡を保つひとつと認められた。地球に代わり、新しい地球として。
 桜が眺める太陽から漏れてくる光。その美しさに皮肉にも感動した。自分の心境を洗い流されそうで油断しそうになる。その光で、刈谷に涙を見られることも避けたくなる。
 刈谷に背中を向けたまま立ち上がる桜。山々の輪郭に、記憶の中で見慣れたはずの景色に、息をすることを忘れる。

「ここ……違う! 私の見てきた景色じゃない!」

 山道は間違いないはずだった。湾曲する山道。遊んだ木々、場所。それは記憶の中で、自分が庭として遊び相手だった山。間違いないはずだった。
 モンストラス世界には、山脈と呼ばれるものは少なかった。それはシンギュラリティ世界にとって、彩りが足りなく思われていた。すでにあった完全な山々は、シンギュラリティ世界によって同じ山々を作り出された。同じ山道、同じ形のなだらかな木。モンストラス世界には、いくつもの同じ山が作られた。
 いくつものデータの山。それがシンギュラリティ世界と離れ、ひとつとなり、そのオリジナルの山の頂に、桜と刈谷は向かっていた。そして、桜が諦めていたその場所は、まだ頂ではなかった。

「あ……あれ!」

 自分の記憶で存在するはずだった孤児院の前で声を上げる桜。その山のオリジナルは桜が遊んだ山の記憶よりも標高は高く、立派な自然の産物であった。

「見えるよ桜。あれなんだね」

 光が注がれ、二人がたたずんでいる場所から上を見上げると、そこには桜の記憶にある孤児院が頂にそびえていた。それは、桜の育った場所が、データではなく、間違いなく存在していた。

「私の故郷は、実在してたのね」

 霧が晴れたような桜の表情。それは、刈谷が一番見慣れている、優しい桜の表情だった。その孤児院の背中から、初めて見る太陽が登る。
 桜は懐より、一本の葉巻を取り出す。それを二つに割ると、小さなカプセルが出てくる。そのカプセルを右手と、震える左手の指でつまみ、二つに折ると、桜の風下で風に撒かれた虹色の粉末は、空へ吸い込まれていった。

     ◆◆◆

 EARTH。カルミアの花が咲いてから50年の時が流れていた。

<おはよう>

<おはよう>

<今日もいい天気ですね>

<そうですね>

<平和ですね>

<平和です>

<永遠に変わりませんね>

<変わりませんよ>

<変わるわけありませんね>

<地球ですからね>

<夢の国への可能性もありますからね>

<きっと誰かが想ってくれますよ>

<そうですね。どこかの世界で、私を想って生涯を終えればいいわけですからね>

<あなたは何年待ってます?>

<私は300年くらいでしょうか>

<そうですか。私は2000年くらいです>

<誰か私の事、知っていますかね>

<きっといるでしょう。生きているうちに名を残していれば>

<そうですね。一度は国を代表したスポーツ選手でしたから……きっと>

<いいですね、記録にあるのは。私は新聞に載った事はあります>

<どのような功績です?>

<犯罪でした。誰かが私の新聞を抱いて死ぬことを願ってます>

 無限に続く会話。各々の姿で、各々の振り向く先に話しかける。その念話は地表に伝わり、不特定多数の意識と会話が続く。夢の国を期待して。
 肉体がある時期にだけ、運命というものが存在する。その世界で全てを掛けて生きた生涯、どれだけの人に影響を与えられたか。
 肉体のある者が生涯を追える瞬間、自分の心に強く残る者が、EARTHの一部となっていた場合、その者たちは夢の国へ行けるという。
 夢の国。正しい名称はない。そして、誰もがその国が存在しているかどうかはわからない。

 ある一本の鮮やかな松の木が話していた。知り合ったばかりだが、仲良く会話していた目の前の杉の木が、突然いなくなった。初めて目の前に現れてから三日程度だという。
 話を聞けば、家族を愛し、人を愛し、社会に貢献した男。その男は病に倒れ、愛する家族に看取られながら、幸せな最後を迎えたという。
 その時、妻は男に伝えたという。「私もすぐに追いかけます」と。その話を聞いた松の木。杉の木の妻だった人が亡くなれば、二人仲良く隣にでも並ぶのかなと想像した。
 500年の時を経た松の木は、その話を聴いて、そんな相手がいれば、永遠の世界の中でどれだけ楽しく有意義に過ごせるだろうと考えた。その話を聞いた翌日、目の前にいた杉の木はいなくなったという。
 松の木は思った。肉体を持っていたときに、自分を想ってくれる人がどれだけいただろうと。もしも有名になっていれば、もしも歴史に名を残していれば、もしも誰かに愛されていれば、自分は『この先の世界』に行けると。
 自分の個性や運命を終わらせて辿り着いた終着点であるEARTH。その期待は、草を、木を、土を、石を、幸せな気分にさせた。そして、自分を想ってくれる人は誰かと、自分の一生を想像した。『誰か』が自分を想ってくれている。『誰か』は自分をまだ必要としている。『誰か』は自分を尊敬している。山は、ドウブツは、花は、コンチュウは、『誰か』に期待した。

<キョウスケ>

<キョウスケさん>

<キョウスケちゃん>

 どの樹木よりも大きくどの花よりも煌びやかに咲き誇る桜があった。
 その桜は『キョウスケ』と呼ばれていた。
 いつも聴こえるその声。自分の名前を伝えているのではないかと思うほどに。
 周りの花は呼ぶ。

<キョウスケさんこんにちは>

 周りの土は呼ぶ。

<キョウスケちゃん。今日も綺麗に咲いてますね>

 その名前は50年ほど続いている。
 孤独な大木の桜の木。『キョウスケ』。
 『誰か』に期待しない桜の木。
 『誰にも』話しかけない桜の木。
 『誰も』相手をしなくなった桜の木。
 『キョウスケ』は、孤独を選んでいた。
 カルミアの花は無くなっていた。いつ消えたのだろうか。突然カルミアの花からの声も聴こえなくなっていた。
 唱え続ける『キョウスケ』。そんなある日、桜の木の中から声が聴こえた。

『きっと……もうすぐ、僕の人生は……終わるん……だね。でも……本当は……もぅ死んでるはず……だったし、良かったの……かな……こんな死に……かたで。意味が……あったの……かな…………僕は、この大木みたいに……雄大で……静寂で……穏やかな存在になりたい……僕は静かに生きたい……退屈でいい……同じ場所でいい……きっとそれが僕の理想の人生なんだ』

 桜の木の下には、大きな穴が空いていた。もしも肉体を持った者であれば、二人は入れるだろう穴。そこから響く声に、『キョウスケ』は答えた。

<いいわ、あなたが本当に望むなら>

 『キョウスケ』は静かになった。『キョウスケ』が『キョウスケ』と言わなくなった。
 何も言わない『キョウスケ』。その『キョウスケ』と呼ばれていた桜の木に、強く伝わる声がする。
 それは草の声でも、木の声でも、石の声でも、花の声でもなかった。

<元気かしら。あなたのお陰で私はここにいられる。あれから、ここにくるのは初めてよ。私は今のあなた。あなたが私に触れた時、あなたのように世界を意識した。いい? これはあなたが選んだ、運命の結果よ。あなたには私の声が、届いてるかしら。聞こえていても、何も出来ないわね。私も、同じだったから。あなたは私の中で、自分の人生を語り、泣き、叫び、私のような静寂に生きることを望んだ。あなたには 感謝してるわ……>

 『キョウスケ』とも呼ばれなくなった桜の木。それから、どれだけの時間が経ったのだろうか。
 もしも時間というものを意識していれば、どのような日数を伝えてくれるのだろうか。勇気を振り絞って、桜の木は隣りの木に挨拶をした。ここに来て3年だという。それからまた、静かに時を過ごした。
 ふと、隣りの木に再び挨拶をしてみた。ここに来て600年だと言う。
 ある日、その桜の木の下で、一羽のシジュウカラが元気なくさえずっていた。
 いつもはEARTHの世界の輝くトリが、隣りの木から木の実を食べる真似をしていた。
 最初はいつものトリかと思った。けれど、それはEARTHのイキモノの意識と違う。
 EARTHのイキモノは『誰か』に想われたい。桜の木である自分に強く伝わる意識。そのイキモノは、自分に対して強く想ってくれている。

『私はあなたが羨ましい。大きく、堂々として、みんなを風から守っている。素敵な花を咲かせる。私はあなたのような 雄大な存在になりたい。私はあなたに、なりたい』

 生涯が尽きる前に想う気持ちが連鎖する。その日、その時から、身動きの取れない桜の木だった意識は、別の世界で羽ばたく。
 意識は肉体を与えられ、自分が成りたい姿となる。そして、シジュウカラとなった桜の木だった者は羽ばたきだす。会いに来た人にもう一度会うため。それは自分だったのではないか。『僕』だったのではないかと。
 そのシジュウカラが想う人は、この夢の世界のような中、山の頂にある建物に入って行った。『僕』は追いかけた。建物の二階から覗く『僕』。それは『僕』ではなかった。
 その人はとても笑顔が素敵な人だと『僕』は感じる。もう一人、その笑顔を受け止めて、笑顔で返す男がいる。その男は笑顔が素敵な人に『キョウスケ』と呼ばれていた。そして『キョウスケ』は笑顔で伝える。

「今日で800回目の結婚記念日だね、桜」

 『僕』は羨ましく感じた。この人たちは幸せだ、と『僕』は強く思った。

『あなたのいる世界の住人に、なりたい』

「桜〜。遊びに来たよ〜」

 高い声に驚き、『僕』は再び飛び立った。
 ここはまだ、『僕』がくる世界ではないと思い、そして、もっと違う所からも呼ばれている気がした。
 咲と呼ばれている女と雄二と呼ばれている男は、笑顔で迎えられている。『僕』はここがどういう世界なんだろうと思った。もしも人に伝えるなら『夢の国』と伝えるだろうと。
 『僕』にはまだ肉体がある。『僕』はそこに戻らなければいけない気がした。必要とされているようだ。ここに来るのは、『僕』が運命を使い終わった時。
 『僕』はまたこの人たちともう一度会話をしたいと思った。この人たちは『僕』の事を知らない。その想いが伝わる相手と一緒に、この『夢の国』で、意味のある偶然を一致させるために。『僕』は生きる事を選んだ。

 運命を超えた永遠の想いから繋がる幸福。
 それが
 シンクロディピティsynchrodipity。

 世界は続く。
 世界はいくつもの可能性がある。
 ひとつの世界が終われば、それで全てが終わるのか。
 終わらない可能性は何か。
 いくつもあるひとつの世界への可能性。
 永遠に続く。

<Press any questions>

<何か質問して下さい>

「ANY……質問はもうなにもない。ご苦労だった。さよならだ。停止できないなら、この言葉を永遠と繰り返すんだ。さよならだ」

<さよなら-了解-さよなら-了解-さよなら-了解……繰り返します>

シンクロニシティ 〜synchronicity〜 END




ひとつの世界の可能性となる
セレンディピティ 〜serendipity〜 へ続く


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投稿日 : 2018/11/09(Fri) 20:03
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