三名の職員に連れていかれる刈谷。警察署より厳重なLIFE YOUR SAFE。精神病棟の一階まで派遣された警察官により発砲の取り調べ、調書が終わり、精神診断されるまで地下二階の収容室へ連行される。 町田にも桜にも見限られたと感じる刈谷。誰の記憶からも消去された刈谷という名前。 仮の名前で呼んでいたつもりの職員達。世話をした職員からの本気の心配。職員からの悪意のない返事は、心を落ち着かせる理由となった。
8:12 LIFE YOUR SAFE 支所。 日差しの強い春。空を見上げれば雲の動きは早い。だが外にある造花の桜はとくに風になびいている気配は感じられない。草木はどことなく鮮やかすぎる光沢に、湿気も乾燥も極端に感じることのない空気感。 支所の玄関からエントランスに入ると、壁には海をイメージした青から白、そして太陽を想像させる空模様を360度に表現した爽やかな空間。深呼吸をすると、アロマコロジー(芳香心理学)を考えさせるペパーミントな香りが漂う。 朝の出勤時、それは恒例のような光景。周りを気にとめない高い声が笑い声と共に響き渡っていた。
モンストラス世界。それは雑談の中、度々でてくる世間話。自分達の亜流(レプリカ)が生きる世界は、仮想で生きる別の自分の存在を語るようなものであった。その詳細を知れる場所はLIFE YOUR SAFE本部。シンギュラリティ世界より選ばれたR。人選はANYにより市民の環境、病状、職業データを元に選び、LIFE YOUR SAFEの職員は必須とし、モンストラス世界を安定させていた。
下村は桜に用件を伝え、その場を去る。よぎる思考は加藤への対応。加藤が発見されたのは10年前だった。突然現れ、人の目に触れ、保護をしたLIFE YOUR SAFEにより、当時から技術は完成していたクローンの肉体。倫理的観点から実際には眠らされていた技術。突然だった加藤の出現。その技術に異論を唱えるものはいなかった。 受精卵からつくるのではなく、すでに標準的な肉体をかたどり、数値化される記憶はデータとしてインストールし、イメージとして残る記憶、主に脳、必要ならその他の臓器をクローンに移植し、DNAや体内機能、記憶全てが体になじんだ時に埋め込まれた機械を取り出し、晴れて人間として生活ができるようになっていた。 時折、様々な研究の為、以前の記憶や体調の管理もあり、モンストラス世界を管理する本部にて生活の援助金が毎月支給され、市民と同じ権利と責任で生活できた。当時すでに120歳になろう加藤は都市部での暮らしを拒否、以前と同じ家での暮らしを希望し、モンストラス世界での住居をコピーした複製をモンストラス世界と同じ場所。森林生い茂るその場所でひっそりと暮らしていた。
100年程前。地球は人口増加による温暖化への対策に悩まされていた。その当時、話題にあがっていた『singularity《シンギュラリティ》』(特異点)。進化が止まらないコンピューター社会。どこかの段階でコンピューターが人間の想像力を追い抜くという考え方。その瞬間の事を特異点と呼んだ。 人を一人でも救うという観点から創られたLIFE YOUR SAFEは、極秘に本部にて開発研究していた。本部のエンジニア(工学技術者)によって作り出された人工知能ANY。ANY自ら想像させたこの世界は、その当時の温暖化への悩みを設計、構築して問題を解消してしまった。 その功績と権利が世界の中心となったLIFE YOUR SAFE。地球と呼ばれていた世界は進化したコンピューターの特異点と、作り出した成果と称賛され、人間の想像力を抜いたこの世界をシンギュラリティ世界と呼ぶほどに名前が定着されていた。ただ、その安心感は人間の住みやすい世界に拍車をかけるように人口増加が進んだ。 ANYがなんとか解決してくれるだろうと。
ANYが存在し始めてから、公的機関は民間の仕事へと移り変わってきた。民間企業となることで行動の早さと処理能力が増した。LIFE YOUR SAFEは人口増加の抑制力としても役職者以上から拳銃の携帯が許され、それだけ責任も増し、公的機関と責任の重い契約も交わし、半官半民な立場で務めている。 自然と拳銃を構え始める刈谷。その無作法な残骸は、野生の存在を警戒するのに十分であった。
LIFE YOUR SAFEに入社し、ANYの存在は知れども、自分がANYに関係することなど想像もしていなかった桜。桜からみれば、ANYは優秀な人工知能。その程度であり、その議論に近いことに関わることも興味も薄かった。初めての質問であり、その相手がANYに一番近い存在である鈴村。いったん冷静になった桜は、答えざるを得なかった。
『ZONE』。それは緊急時に危険な状態から回避するためのプログラム。未だ『実験的』という言葉で『LIFE YOUR SAFE』内では噂が広がっていたプログラムであったが、強制的にモンストラス世界を負荷の掛かったデータが重く感じる世界に変化させて、特殊なプログラムを組み込んだデータであるRのみ、目に映る情報をいち早く判断できるように思考時間を与えるためのもの。身体能力、判断力がある者であれば回避できる可能性が高まる。一職員には眉唾程度にゲームのような世界観な雑談のネタになっていたものであるが、管轄である鈴村の揺るがない言葉には、それらの噂話以上の効果あるプログラムであることが桜には伝わった。
桜は鈴村の言葉を聞きながらも自問自答する。それは今まで『LIFE YOUR SAFE』でのシミュレーションにより何度もRと同様のデータと銃撃、格闘などの実戦に限りなく近い『死なない』戦いは繰り返してきた。けれどもそれは歴史を積み重ねたRでも自分でもなかった。胸の鼓動は穏やかではない。いつもの平和な日常でもない。その重みを仕事と割り切り、義務や責任感という形にするには時間も掛かるが、心で決めたことを静かに言葉に出すだけだった。納得するために。刈谷の任務も理解するために。
「承知しました……ところで刈谷の重責とはどんなものでしょうか」
「ファクターとの接触だ」
「ファクター?」
「人間とR……気質の違うところはない。だが平和なシンギュラリティ世界で脅威となる行動を取る者は、なかなか目につかない。一般人は簡単に目に付くが『LIFE YOUR SAFE』の職員の中では巧妙だ。世界を護る機関、そしてシンギュラリティ世界のANYを護る、『LIFE YOUR SAFE』本部に近い者の存在で間違いが起きてはならない。その「不安因子人物」である「ファクター」を特定する事が目的だ。悪意のある人間は、不安定なこのモンストラス世界でこそ行動が目立つものだ」
18:39 LIFE YOUR SAFE 支所敷地内。精神病棟収容所。 その建物は二階建ての、窓に鉄格子も見えない建造物。 外壁は自然と溶け込んだ穏やかなレンガに見立て、中身は鋼鉄をアルミニウムと亜鉛によってサビや耐久性に優れたガルバニウム鋼板を通常の居住建物の三倍以上に重ねて仕上げた収容所。 見えない収容者の部屋は、地下三階にまで深まる完全隔離の収容施設。 会話が成立できる程度であり、危険性の少ない隔離者ほど地上に近い階層に収容されていたが、通常初日の隔離は地下二階とされ、様子を眺められていた。そして今日は稀に見るほど自殺未遂者が少なかった。そのため、収容者に頻繁な階層の移動もなく、警備員の数も少なく、二人の警備員で守られた収容所。鈴村と咲が近づくと、門番と言わんばかりに警備員は立ちふさがった。
「今の時間は面会謝絶です!! 約束もない突然の訪問も禁じられています!! 異議申し立てはLIFE YOUR SAFEの本部へご連絡下さいませ!!」
不安な者に力強く響く言葉。電気もない、ガスもない世界で、第二のLIFE YOUR SAFEの立ち上げが始まる。 シンギュラリティ世界を守ってきた鈴村は、自分の作り上げたモンストラス世界の住民を平和へ導く。 指導者へ向けた止まない歓声。その鈴村は歓声に背中を向けて丘を下だる。その鈴村の眼下に映る香山弥生の姿。拍手をしながら鈴村へ話しかける。