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強制離婚 〜always break up〜 【恋愛】

強制離婚 〜always break up〜 【恋愛】
  著者 ェゼ

 何度同じ質問をされただろう。
 「まりあちゃん。パパとママ、どっちと一緒にいたい?」
 必ず離婚することになる制度。
 恋愛という言葉を使わない10代。
 私は、恋愛がしたい。



 恋愛





 強制離婚 〜always break up〜



 おばあちゃんが言ってた。おばあちゃんは恋愛で結婚したんだって。恋愛って何? おばさんがするものでしょ?

「あの……ずっと好きでした! け、け……結婚して下さい!」

 そう、告られている私。昼休みに呼び出してきたと思ったら、やっぱり結婚。大抵授業の合間の休憩時間じゃなく、昼休みに呼び出してくる時はほとんど求婚。

「ごめんなさい。私、結婚に興味ないんだ」

 屋上で目の前にいる同じクラスのほとんど話もしたことのない奴より後ろの奴らが気になる。通過しながらクスクス笑いをする同級生の女たち。聴いてないふりをしながらも、すぐに無くなるゴシップネタに、今にもスキップしながら誰かに報告に行く軽やかさ。それと違って、目の前のコイツは、マネキンのように固まっている。マネキンはパクパクした口を、少し感情も込めて言い返してきた。

「どうして駄目なの? だって! 結婚は早いうちに試した方が沢山家族を作れて安泰なんだよ?」

 そう……確かに安泰だよね。早いうちに結婚した方が、沢山親戚も出来て、誰かが助けてくれる。コイツの親は披露宴ホテルを経営してるって聞いた事がある。だからクラスの女たちはコイツに黄色い声を掛けながら距離を縮める。

「私、恋愛……っていうものに興味があるんだ」

 その声がどこまで聴こえたのかわからない。けれど、コイツを中心に半径20メートルの知っている奴や知らない奴が振り返る。そうだよね。言ってて恥ずかしいかもしれないけど、冗談程度で受け止めてほしいかも。

「ハ、ハハハハハハ!! か、開道(かいどう)さん。恋愛? それって、いつの言葉? だって、そういう……恋愛って、おっさんやおばさんになってからするもんじゃないか! ハハ、アハハハハ!!」

 言っててホント恥ずかしい。だって、私だっておばあちゃんから聴くまで、意識したことのない言葉だったから。周りの聴こえてないフリしてる奴らが顔真っ赤にして笑いを堪(こら)えてる以上に、私の方が赤面しているよ。

「もうすぐ、昼休み終わるから……これで」

 なんであんな事言ったんだろ……恋愛したいだなんて。そりゃそうだよね。三年結婚すれば、離婚できるんだから。

     ◆◆◆

「ほら! 開道さん! 聴いていますか?」

「あ、はい……すいません」

 そう、聴いてない。全く耳に入らない。生年月日順に並んでいるおかげで、五月生まれの私はいつも窓際で外を眺められる事が嬉しい。毎日の性教育はもううんざり。そりゃあ三年ごとに旦那様が変われば、その間に子孫繁栄するわけで、コンスタントに結婚すれば、平均年齢の90歳までに24回の結婚できるわけで、24人の旦那様と結婚できる。どちらかが不能じゃなければ、大抵は20人程度の子供ができるわけで、別れた旦那様がそれぞれ別の奥様と三年ごとに子供産めば親戚は数百人。もう聞き飽きた。それに、人間っていつからネズミになったの?

「はい、開道さん! レポートの続き読んで!」

 あ、えっと、どこだっけ。隣り席の子が指差してる……あ、わかった。

「はい……えと、今より50年前は、離婚率が80%を超え、政権交代と共に強制離婚制度が施行(せこう)された。それは長い間、少子化を、け、懸念(けねん)した政府が、婚姻後、満3年の時点で、婚姻を無効とするという……」

「開道さん、もういいわ! そう! あなた達が生まれるずっと前に決まった事なんです! これによって……」

 これによって、3年という歳月を持って、結婚は完全無効。つまり初婚はお試し期間。おばあちゃんの時代は、1年や2年で離婚してバツ1とかバツ3とかって言葉が流行っていたみたいだけど、今どき3年間で別れる夫婦は珍しい。だって、3年我慢すれば、正式に別れられて、次の3年後の離婚相手探して、子供が増えて、親戚が増えて、将来安泰。そして今の時代、一番生活が豊かになるのは冠婚葬祭系。3年ごとに離婚して、すぐに結婚。葬式は家族数百人に参列されて、銀行より潰れない企業。誰もがその一族と『3年だけ』の繋がりがあれば、生涯生活は約束されたようなもの。3年なら大抵我慢はできる。不安がない未来。そうね、そのチャンスの求婚をフルって、馬鹿だよね私。
 おばあちゃんは一目惚れだって言ってた。おばあちゃんが一目惚れしてすぐに結婚。一目惚れ……何に惚れるの? おじいちゃんの事を私は知らないから、その意味は理解できない。だって、さっき告ってきたあいつも、一目惚れしたから結婚申し込んできたんだろうし、それって今と変わらないんじゃない? とりあえず惚れて、結婚。何が違うの? それが恋愛なの? わかんない……お付き合いの時期が少ないとか。そもそも『お付き合い』って結婚って意味じゃないの? 結婚って……。

「まりあ! ねえ、まりあってば!」

「あ、呼んでた?」

 下校時間。ずっとぼぅっとしてた私。人がいなくなるまでずっと窓際で何を見るわけでもなく眺めるのが私の日課になっている。人の気配が少なくなっていく雰囲気が心地いい。今日は特に理由もなく、なんだかダルイ日。教室にひと気がないことを確認するように窓から目線を流すと、目の前に有華(ゆか)が机に頬(ほお)づえを付いて見つめられている事にも気づかなかった。

「まりあってば! もう噂になってたよ? 今日の昼休みに茂(しげる)の結婚断ったんだって?」

 そっか、あいつ茂って名前だっけ。高校に上がると結婚の申し込みは頻繁(ひんぱん)になる。中学からずっと有華が婚約を申し込まれている姿を見てきた。って言うか、16歳以上からじゃないと結婚できないから、ほとんど挨拶のように男子から申し込まれてた。
 有華は私が無言でも一人でしゃべってくれるから楽だ。口数少ない私にずっと話しかけてくるのは有華くらいだ。

「でね! まりあが今日茂をフッたの聴いてぇ、実は私もさっきアイツに結婚申し込まれたんだけど……フッちゃった!」

「え、どうして?」

「だって、まりあ……恋愛したいって言ってたもん!」

 そんな言葉まで広まる。そりゃそうかもしれないね。1クラス50人は下らない学校で、昼休みの屋上は1クラス分の人数がいる。一人に聴こえてれば、広まるのは下校までもたない。

「まりあ……恋愛したいんだよね?」

 有華に言われるとなんだか恥ずかしい。心を見られているようで。そんな誰も口にしない言葉を漏らした自分がなんだか……。

「まりあ、私も恋愛ってしてみたいんだ」

 恋愛っていう年配流行りなものに興味ある有華に少し驚きながらも、私の赤面している気分を見抜かれたくなかった。そんなに見つめないで。そんなに顔を近づけるとバレちゃう。そんな……。

「私のファーストキスだよぉ。これが恋愛なのかな?」

 私は、おばあちゃんの気持ちがわかった気がする。だって、こんなにセカンドキスを求めたくなるものなんだから。

     ◆◆◆

 大きな鞄(かばん)を持って登下校する生徒は少ない。昔は教科書っていう本人用の科目参考書があったみたいだけど、今はパンフレットみたいなレポートを毎回授業の初めに配られて読み合わせる。そのレポートからしか試験の問題は出ないから、毎日もらうその10枚足らずの紙を自宅に持って帰ればいいだけ。
 私の住む公営団地。古い団地はどんどん壊されて、大家族用の4LDKが主流の住居。同じ団地には2番目の母、『母2号』が住んでいる。日課のように外で『妹4号』と砂遊びをする母2号。無言で通り過ぎたい気分だけど、そうもいかない。

「あ、まりあちゃん! おかえりなさい」

「ただいま……」

 大抵は声を掛けてくれるから返事するだけで楽だけど、母2号も含めて、どうして大人はあっさりしてるのかな。旦那様が変わるとそんなに新鮮な気分でいられるのかな。今のママ『母3号』もそうだけど、今のパパ『父4号』はただの通過点だったの? でも、私がそんな事を思うのも自分に疑問がある。私は父4号の時点で、『本当の母』を選ばなかったから。
 3年ごとに子供には突然大きな選択をさせられる。

「まりあちゃん、パパとママ、どっちがいい?」

 それを生まれてから4回尋ねられた事がある。流石に記憶もない1歳の私には答えられなかっただろうけど。子供は母親に依存しやすいらしい。母親に愛されない子供が相次いで心の病気に掛かった事への解決法として、子供がどちらの親か決められない時は、母親と決まっている。それは母親の経済力よりも、母親が再び将来に結婚する可能性や意思がある場合に有効らしい。この制度ならではの有効性で、争いも少ない。二度、本当の母を指さして選んだ事がある。その時どうして本当の母は、悲しい顔をしたのだろう。4歳の私、7歳の私はそう思った。だから10歳の私は父4号を選んだ。その時、どうして本当の母は、あれだけ幸せそうな笑顔が出せたのだろう。

「ただいま」

 団地の私が今のところ住む玄関を開けると、『妹5号』と『弟1号』が玄関で座り込んでいる。妹5号は『姉3号』からもらったぬいぐるみを抱きながら見つめる先に、弟1号は『兄4号』からもらったミニカーでフローリングの板の間をレース場に見立てて遊んでいる。私がだいたい無口な性格だからか、弟1号と妹5号は猫のようにしばらく見つめるだけで、ただいまの反応はいつも少ない。今の時間なら部屋を占領できる気分ですぐに部屋へ入る私。右手の壁側にある二段ベッド。左手の壁側にある私のベッド。伝統で受け継がれているセーラー服を着替える事なく背中からベッドに沈ませる私。独りになれる時間が貴重だ。考えたいことがあったから。
 私に対しての雑音が無い中、考える事は、有華との2回のキス。2回目の唇が離れた時、私は有華とのそれに対して言葉を交わす事も出来ずに、私の名前を呼ぶ有華の声にも振り向かず帰ってしまった。
 私は2回目のキスは特に夢中だった。自分が男なんじゃないかって思うほど、有華の肩を両手で抱えて、欲しくて、欲しくて、有華に舌を絡めた。あの感情。おばあちゃんもおじいちゃんと感じたのかな。さっきまでの事を思い出すと、手のひらで顔を抑えてしまう私。無かった事にしたいっていう気分じゃなくて、すごく、欲しい。でも、恥ずかしい。その感情を認めている自分が、恥ずかしい。私は有華の香りと唇の感触と肩を抱いた感触が、恥ずかしい。恥ずかしいっていう言葉しか思いつかない。もっと他に例えられる言葉がありそうだけど、きっと、私は、有華を、愛おしい。
 壁にコツンとする音。その音にベッドで上半身を大げさに起き上がらせる私がいる。その合図に、私はどんな顔で窓の下を眺めればいいのかわからない。有華がきた。窓の下から少しずつ頭から目元まで登場させる私。その目に映る有華は花が開いたような笑顔でイキイキとジャンプを繰り返しながら手を振る姿がある。私は目から下の表情を見せたくない。すごく嬉しそうな顔をしている自分を見られたくないから。精一杯できることは、片手を上げて有華の手振りに答えること。
 いつも突然現れる有華。一眼レフカメラを首からぶら下げて、決まって散歩がてらに写真を撮る。そのいつもの事のはずなのに、私が考えたことは、どんなメイクをしようか、どんな服を着ようか、有華に見せるための彩りを考えている自分がいる。何に期待してるんだろう。いつも通りにすればいい。いつも通りに。いつも通りってどんなだっけ。部屋でウロウロしている私に弟1号がいつの間にかその様子を目で追っていた。

「着替えるから……ちょっとごめん」

 セーラー服を脱ぎ始めると妹5号に向かってテクテク歩き出す弟1号。私は開いたままの引き戸を閉める事なく、素早くいつもの服装を思い出しながら着替える。そう、いつものスウェットとパーカー。有華がカメラをぶら下げている時はいつも同じ。いつもと同じスタイルでいいのに、何を着ようかと悩んだ私は相当頭が湧いている。
 耳より高い位置で結ぶツインテールがよく似合う有華に対してテンパっている気持ちを抑えるためにもおさげ髪にする私。団地の階段を下りながら、どんな顔を見せようかとうつむきたくなる。階段の一段一段を踏みしめて、気を落ち着かせようと深呼吸を繰り返す私は自分の白いスニーカーばかりを見ている。そしてまだ下りきらない階段の途中の踊り場で白いスニーカーのすぐ先に視界に入ったピンクのスニーカー。顔を上げると有華の笑顔があった。

「もぅ、遅いよまりあ!」

 たぶん、私は真顔になっていたと思う。風が吹き抜けた踊り場で香ってくる有華の香り。まだリップを付けたばかりでテカる唇に、私の胸の奥で大きく高鳴る鼓動を感じる。これは今日、結婚の申し込みをして、フラレた時に固まった茂と同じ気分なのではないかと。怖い。怖い。有華が私に次どんな言葉を投げてくるのか、怖い。どうして怖いんだろう。告白したわけでもないのに、フラレるわけでもないのに、私は怖い。有華を失う事が。そんな気持ちが脳裏を駆け巡る。酸素が薄いのか、私が最後に呼吸したのはいつなのか、吐く息の匂いを嗅がれたくない気分。鼻を広げながら息を吸う姿を見られたくない。口を開けて息をしようと思ったら、また有華の口で自分の口をふさぎたくなる。視界の外側から白いフレームで私の視野を奪っていく。どうしよう。
 気が遠くなる私を支えてきたのは有華だった。肩の上と脇の下から背中で両手を混じらわせた。有華の唇の熱が私の耳を赤くする。

「まりあ、私を支えて……まりあを見てたら倒れそうになっちゃった」

 団地の踊り場は声が響く。けれど、有華は私の耳元に溜めていた息をこぼしながら、小さな吐息の混じった声で、私の気持ちを代わりにつぶやいてくれた。すごく嬉しい。すごく幸せ。すごく愛しい。たぶん、言葉にしたらそういうことだろう。有華は、私に必要な存在。いつ団地のドアが開いて、この姿を見られるかわからない。吹き抜けた踊り場の外から覗かれているかもしれない。けれど、私の開いた唇は、有華にふさいで欲しかった。3回目のキスで、はっきりと理解した。これは恋だと。
 有華といつもの散歩をする。いつも歩く道でも、有華が撮りたくなる光景は沢山見つかる。歩道の街路樹(がいろじゅ)の色の変わり、季節に変化して咲く花。川に流れる魚たち。大きく変化する光景ではないのに、有華を想う気持ちが加わり、一つの光景を見るたびに有華の笑顔は見る景色を変えさせてくれる。気持ち一つで景色が変わる道。ひと気のない道に入ると、隙(すき)を見つけては有華との唾液交換。お互いの一部を相手に与えて、相手から味わう行為に、私はひと気が無くなるたびに興奮した。
 いつも休憩するベンチがある。自販機でいつもは二つのボタンを押す。今日は一つ。それを二人で飲み合う行為の一つ一つに、お互いの愛情を確認している自分がいることに、そして、その行為を有華が笑顔で返してくれる事に、恋の繊細さを覚えた。
 有華の一挙一動が気になる。そして、笑顔が曇る瞬間も、私には感じられた。悲しそうな表情は、きっと有華に恋をしていなくても感じられただろう。

「まりあ、私……茂のプロポーズ受けるわ」

「え……」

 血の気が引く。初めて知った感情と熱の色がくすむ。空気が重い。

「私、お母さんと母子家庭で育ってから……」

 有華の家の事情は知ってる。お母さんは孤児院で育った。だから親戚もいない。一度結婚をした事はある。けれど、結婚中に夫は蒸発。それは土木業の事業が失敗。その失敗の借金を背負った母親。そしてすでにお腹の中にいた有華。婚活という言葉が40代から10代まで下がったこの頃では、そのような母親と結婚しようとする人が中々現れない。今の30代や40代は、すでに何度も結婚を繰り返して、自分の親戚が十分に増えたのち、自分の好きになった相手だけを探す恋愛活動の恋活(こいかつ)が流行りだ。おそらく有華は、そんな母親に強い親戚の繋がりがほしいという理由。それは、母親を想う有華からすれば、私との恋よりも、きっと優先されるだろう。

「だから、まりあ……私はまりあをずっと好きで……からかうつもりとかじゃなくって……」

「大丈夫、有華。私もあなたが笑ってくれるなら、応援する」

 そう、どんな相手でも、3年経てば、終わらせる事ができる。初めてこの制度に対してのありがたみを私は感じた。

     ◆◆◆

 茂にとっては、好みの女を片っ端から目を付けて、将来の離婚相手の候補を作っているだけかもしれない。3年間の一夫一妻。離婚後は次の結婚までに、今まで見つけた候補を渡り歩く。年を重ねれば、結婚相手がいなくても、今まで肌を重ねた相手との内縁の妻を見込んだ一夫多妻。その行いを悪く言う人はとても少ない。離婚しても、まだ一緒にいたいなら、同じ人と再婚すればいいだけだから。
 今は性教育の授業の真っ最中。時間帯はいつもバラバラだけど毎日の授業。
 江戸時代は人生が50年だと言ってる。だから初婚は15歳前後。平均寿命が90歳くらいの今でも、中学生が終わると求婚の真っ盛り。女が輝く時代を少しでも長くするためにも、若いうちから結婚話。若くないと相手されなくなる。そのように性教育の授業をしている女教師は、いつも言葉に皮肉が混じってる。周りは言ってる。公務員と一度は結婚したきり、その後の恋活が上手くいかないと。
 この授業が終わったら、昼休み。昼休みが終わるころ、有華に聞いてみよう。フラレた茂がまだ結婚の意思が残っていたかどうか。有華には幸せな人生であってほしい。私たちの人生はまだ長いから。
 昼休みも終わりに近づき、有華の教室に向かおうとする私。性教育の授業は男女別の教室だ。直前の授業からそのまま昼休みに入ったことで男子の数はまばらで、茂も教室へは戻ってなかった。きっと有華が呼び出していたはず。
 教室のドアを開けると同時に昼休みから帰ってきた茂が目の前。茂から直接聴くのも気が引ける。でも、何か話さないとまずいかな。えと……。

「あ、昨日はごめんなさい」

 私がそんな言葉を発したすぐ、茂の横に現れる茂の友人。少しずつ笑みを零しながら、茂に向かって口を開く。

「茂! ごめんなさいだってよ! なに2回もフラれてんだよ!」

「ぅるせぇな!」

 なんだかすごくまずい事言ったのかな。茂は私と目も合わせずに私の横を素通りする。その後ろを友人が冷やかし足りないのか、ちゃちゃを入れる。茂は友人に言い返しながら、少しだけ私と目を合わせると、すぐに視線を戻す。私が居ることが冷やかしを増やしているような気分になった。駆け足で有華の教室へ向かう私。そして有華の教室の前で私が見た笑顔のない有華の姿。窓際の一番前の席で両手を顔全面に当てて、歪んだ口元は泣いている姿を見せないためか。けれど、有華の教室にいる人は、たぶん全員が知っている気がした。有華を見て苦笑している。有華の周りに人がいない。そして、有華を見ながら黒板に目配せしている人。私は有華のいる教室に足を踏み込ませた。え……これって。

【有華ちゃんごめんなさいねー!! 財産目当てに告る女! お前は本命のお友達―!! By茂】

「なにこれ!!」

 教室の教卓まで踏み込む私。私は勢いよく右や左を見回した。黒板消しを探すために。けれど見つからない。私は両手でその文字を消す。消しながら有華の方を見る私。けれど、振り向いた時には有華の姿はなかった。すぐに教室から飛び出す私。突然の足音はきっと有華のものだ。廊下に出た時には、廊下にいる人が全員、有華の背中を眺めていた。私はすぐに追いかけたかった。けれど、私は明らかに、怒っていた。
 走り出したのは有華とは逆方向。それは自分の教室であり、教室の開いたドアの隙間から見える憎い男。私は茂が座る机の正面に立った。

「なんだよ……開道さんの友達なら……」

 コイツの言い訳なんて聞きたくない。コイツは私の一部を悲しませた。両手や制服が白や赤のチョークで薄汚れた右手で、私はコイツの顔を平手打ちしていた。目の前の男の左頬に移るチョークの粉。白い線と赤い線が四本は見える。すぐにもう一度、目の前の男の右頬にも、同じような三本の線が残った。本当は、今足に触れている椅子で、コイツを殴りたかった。茂の友人は、まるで自分が平手打ちを食らったかのように片目をつむり、痛そうに口を引きつっている。教室の空気は止まり、全員がその様を見届けた。
 私はすぐに教室から走り出した。今度こそ心を痛めた有華に会いにいく。いや、逢いたい。全部聞いてあげたい。有華の心は傷ついている。癒してあげたい。私の心も引き裂かれる気分。あんな男と結婚しなくて良かったんだよ。
 有華が行ったのはたぶん屋上。もうすぐ授業も始まるから、きっと人もいなくなる。授業はどうでもいい。今日はずっとそばにいてあげたい。屋上のドアが見える。私は勢いよくドアを開けた。

「有華!」

 屋上から景色を眺めているように、有華がフェンスに触れている。フェンスは低くない。間違っても飛び降りる事は難しい。

「有華……」

「まりあ! フフ、そうだよね……馬鹿だったよね私! 結局、茂を最初の離婚相手として利用しただけだもん! あんな風に書かれてもしょうがないよね!」

 背中を向けながら大きな声で私に伝える有華。

「有華……有華は悪くないよ。私がアイツを変なフリかたをしたから、きっと腹いせに……」

「私、茂には直接言ったんだ。そしたら、謝られちゃった」

「謝られた?」

「うん! 茂が私に結婚申し込んだこと。なんかね、本当にまりあの事好きだったみたいで、なんだかヤケになって、まりあに一番近い私なら、そのうち、まりあに近づけると思ったらしいよ!」

 私を好きだったという茂。けれどその感情は何も感じなかった私。親の七光りと感じていたあいつの言葉には、ほかの男と同じで、挨拶のように申し込んできたと思っていた。

「あとね、まりあ! 私、本当は茂の事、好きだったんだ! でも、恋愛したいっていうまりあの言葉に、簡単に結婚申し込んできた茂になんだかムカついて、私も、まりあと同じように恋愛したいって言って断ったの!」

 驚いた。茂の事を好きだったなんて。私の教室で同じ窓際の3つ前に座っている茂。授業中も顔やクセを見ることもなく、目に止めてなかった存在を、私の知らないところで有華は好意を持ってた。そんな茂に対して、私は恋愛がしたいからという言葉でフッた事に有華が影響されて、私のすぐあとに立て続けに結婚を申し込んだ軽い茂を同じようにフッた。

「有華……ごめん。本当ごめん、私……」

「あとね、あの黒板、茂の仕業じゃないよ。だって、茂に昼休み、さっきここでフラレた時、私から先に屋上から去って、教室に戻ったから、たぶん、それを聴いてた人がやったのよ。だから、茂を恨まないでね」

 あ、私、知らずに……あいつを殴った。どうしよう。

「有華! 私、あいつに謝らなきゃいけない事があるんだ! 落ち着いたら、ちゃんと教室に戻ってね! もう一度、ちゃんと放課後に話そう!」

「え?」

 私はすぐに屋上から階段を下りた。そして、すでに廊下には誰もいない。私は自分の教室に走る。そして、まだ先生が現れていない事で、私の教室の生徒はざわめいていたけど、私が教室に入った瞬間、全員が私を見た。私は茂を殴った場所まで再び戻った。そこには両頬を赤く腫らした茂が、少しにらみ気味に私と目を合わす。

「なんだよ」

「殴ってごめんなさい! 私の早とちりでした! 本当にごめんなさい!」

 私は生涯で、こんなにちゃんと謝った事がなかった。真っ直ぐ指先を伸ばして腰の横に下げ、しっかり頭も下げる。その最初がまさか茂だなんて思わなかった。周りは当たり前に静まる。そして茂の言葉を私と同じように待っている。

「もう……いいよ。俺がアイツに不真面目に結婚持ちかけたんだから」

「本当ごめんなさい。あと、もう一度、有華のこと、考えてあげられないかな……」

「え……それは、あの……俺は」

「本当に、私なんかよりすごくいい子で、私、自分の事のように大事な大好きな親友なの」

 周りがざわつく、これは正直賭けだった。みんなの前で謝るから、私が茂に恥を掻かせた誤解は解ける。それに、私が落ち着いたら、私はそんな事を言い出せない。今しか茂と話す事はないだろう。有華が茂の事をどうでもいい男と見ていたら、こんなことは言わない。けれど、有華は茂の事が好きだ。私の恋愛への憧れを有華に芽生えさせたのは私だ。どうか、私の願いに茂が有華に対しての可能性を残してほしい。

「恋愛……」

「え?」

「二人共、同じ事言ってたよね。恋愛したいって」

 そう、確かに私も有華も、恋愛したいっていう理由で茂をフッた。その言葉に一度だけうなずく私。

「俺と、高校生活中、付き合ってよ。えと、これって付き合うって言葉であっているのかな。結婚は関係なく、俺の、えっと、恋人? に、なろうよ。そしたら、有華ちゃんとすぐにでも婚約してもいいよ」

 え? 恋人? おばあちゃんが言ってた。結婚していなくても、お互いを『彼氏』とか『彼女』って呼んで付き合うって。結婚じゃないから、それは、仲のいい友達って事かな。それなら……。

「いいよ。高校卒業するまで、私はあなたの……えと、彼女になります」

 教室中が沸き立つ。結婚をしない付き合い。それはもう過去の産物か、結婚を繰り返した年配者がすることだった。それを50人の見ている前で公開宣言。まるで結婚式のように口を鳴らし、『おめでとう』と言われ、拍手するクラスメート。私は、大事な有華が心配だっただけ。有華の笑顔を取り戻したかっただけ。そして、茂にしっかりこのルールを改めて頭に入れてもらわなきゃいけない。

「あとこれは、有華が婚約を承諾した場合に限るからね」

「ああ、そうだよな」

 茂から差し出された手に握手をする私。まるで、サッカーの試合前のように、お互いひとつのゴールに向かって最後まで全力を尽くしてプレーするって気分。でも、男と恋愛って……どうやってするんだ?

「静かにしなさい!」

 周りの騒ぎに教室へ入ってくる審判こと先生。このフィールドで絶対の権力を持つ審判の一言により、全員が着席する。
 下校時間、いつも通りひと気が無くなるまで待つ私。いつもと違う事は、その空間に茂がいること。自分の席から動かない二人。その二人で、いつものように現れるはずの有華を待つ。

「なあ、有華ちゃん、来るかな」

「来るわよ。きっと、あと、5分待って」

 教室に人はいなくなった。あとは有華がいつも通り現れれば条件はそろう。5分経ったら私から探しに行こう。あのあと、ちゃんと教室に戻ったかは心配だった。けれど、恥ずかしさに耐えられなかったら、そのまま家に帰ったかもしれない。5分待つことなく、私は席を立った。

「あ、有華ちゃん」

 それは茂が気づいた。私から見えない教室のドアの裏の廊下。先に目に触れた茂は私に伝えてくれた。すぐにドアの裏からツインテールの片方が揺れて見える。たぶん茂の存在に気づいたから、余計気まずいのかもしれない。

「有華! 大丈夫、入ってきて」

 少し気まずそうな顔で教室に入ってくる有華。まるで三者面談。ちょうど正三角形ができそうな位置に有華が座る。

「えと、まりあ。このクラスの子から耳にしたんだけどぉ……」

「えっと、有華。聴いてくれる? あ……」

 私が話そうとしたとき、言葉を止めさせるように茂が右腕を私の前にだす。

「有華ちゃん。昨日のことを含めて、さっきは本当ごめん。それで、俺、考えたんだけど、俺、有華ちゃんと婚約しようと思ってる」

 すでに小耳に入れている有華。でも、それを知っていても来てくれたから、きっとわかってくれるはず。有華は茂の言葉にまだ答えを返そうとしない。

「有華ちゃん……それでね、俺は有華ちゃんに、自分の気持ちを伝えた。有華ちゃんも俺に伝えた。開道さんも、恋愛したいっていう気持ちを伝えてくれた。それで、俺は有華ちゃんの親友であり、俺が好きになった開道さんと、高校卒業までを期限として、えっとお付き合い、つまり恋愛しようと思う。けど、それから結婚はしない。俺は、その後、君と結婚しようと思ってる。有華ちゃんがそれで良ければ」

 茂の言葉は丁寧で、たぶん全部伝わったと思う。そう、私たちは、自分たちの気持ちは全部伝え合っている。隠すことなく、それでいて有華と私は信じ合っている。私を好きな茂。茂を好きな有華。有華を好きな私。私が体験したい恋愛。全員の意見が全て叶うルール。あとは、私と茂の恋愛っていう期間を認めてくれれば。

「えと、まりあはそれでいいの?」

「もちろん。私からの提案だったから」

 しばらくの沈黙。あとは有華の気持ち次第。有華はきっとわかってくれる。だって、私たち、一日早く恋をした仲だから。これから私は、誰にも隠れず、誰にも隠さず、茂と恋愛しながら有華と一緒にいる。あれ? じゃあ、私も有華と恋したように、同じ事をするって事? えっと、茂の匂いを嗅ぎながら、体を抱き合って、唾液交換? あれ、それって、しなきゃダメなのかな。ちょ、ちょっと、ルール追加!

「わかった! もう学校中に知られてるし、隠すことないもんね! みんなが納得してるなら、そうしよ! 私もまりあが大好きだから、茂と恋愛してても変わらないわ! だってまりあは私の分身だもん! ね!」

 ルール追加不能。こんなに気持ち良く承諾してくれた有華に水をさせない。
 こうして、私たちは恋人同士と婚約者という円満な三角関係になった。

     ◆◆◆

「私これが合うと思う」

「えー! 茂にはこれだよー」

 私たちのルールが出来てから、一年は経ったと思う。そう、私と有華と茂はいつも一緒に遊びに行く。茂の婚約者の有華と恋人の私。笑顔が絶えない有華を見るととても幸せな気分だ。

「茂! どっちがいい?」

「え……どっちでも、いいかも」

 ハロウィンパーティー。クリスマス。正月。私たちはいつも一緒。正三角形のようにバランスがいいと思う。

「まりあ! 譲らないならキスしてあげないから!」

「ダメー!」

 茂の前で深いキスをする私と有華。茂からすれば慣れた光景。またかと思われるほど、私は有華を欲している。初めて教室でしたセカンドキスのように。

「茂も嫉妬しないの!」

「や、やめろよ! ここ! 人いっぱい……ん」

 そう、有華は婚約者として私と同じことを茂にする。それに対して私は心が動くことはない。それは有華が幸せな顔ができる瞬間が沢山増えるっていうことだから。私は有華とずっと愛しい気持ちを確かめ合っているだけで心が安らぐ。むしろ私が不安なのは、この関係が終わるのが近づいている事。卒業すれば、有華は既婚者。周りの人たちは、この関係を認めないだろう。親戚が多ければ多いほど。茂の家系は当たり前に親戚が多い。それこそ何千人いることだろう。
 私の接してきた兄弟だけで13人。両親を入れたら20人だろうか。今年の始め、父4号と母3号は強制離婚となった。その時、私は迷わず父4号を選んだ。それは、妹5号と弟1号との別れも意味していたから。両親を選べない子供は、母親についていく。離婚の財産分与という制度はなく、離れた家族が生活できる程度の決まった養育費を払っていけば、問題は起きなかった。家族は大事とは言われているけど、これだけ親戚が増えると、家族の意味がわからなかった。他人とどう違うのかと。だから妹5号や弟1号には、正直家族としての感情が沸かなかった。それは父4号と母3号を含めて。
 今のところ父4号は新しい『母4号』を探そうとはしてない。何度か結婚を体験するうちに、しばらく独身であることが楽しくなるらしい。
 留守がちな父4号。それは、団地の4LDKが私ひとりの空間となる。大抵はどの家庭も家族が家にいて、丸一日一人の空間になるなんてほぼ有り得ない。その貴重ともいえる空間に有華と茂を呼ばない訳が無い。

「茂! 有華! いらっしゃいませー」

「ただいまー」

「お邪魔しまーす!」

「有華、どうしたのー! メイク濃い!」

 有華はウチの常連。冷蔵庫の中身からパンツの場所まで知っている。掃除や洗濯や料理もしてくれる。良くできた主婦になりそう。家の中は無敵だ。警察も道路や国の所有地までしか通報がない限り立ち入ることができないから自由に暮らせる。何度かパーティーを繰り返すうちに、お酒の楽しみを覚えた。

「じゃじゃーん! 今日のキツいメイクの理由!」

「あー! ワイン! 良かったー白いので! 変装して買ったのねー! 悪い子だ」

「どう? 中々大人っぽいでしょ! まりあもメイクしてあげる!」

「やめてー! だったら茂にやってみよう」

「勘弁しろよー!」

 茂の抵抗にお構いなしにファンデーションを塗り始める私と有華。有華と計画して、茂用のカツラや洋服も用意していた。

「可愛いー!」

「お! 茂、こんな女性普通にいるよ!」

 いじり放題。遊び放題。笑いたい放題。そんな毎日が、いつも人生で一番楽しい日と感じられた。

「茂! 大人しくしてたらいっぱいキスしてあげるね」

 そう、二人が誰にも気兼ねなくスキンシップできる空間。ここでは、その空間を提供できる。
 メイクをして、口紅のついた唇で有華を攻撃する茂。有華の口の周りはファンデーションと混ざってピンク色の花が咲いているようだ。お酒も廻って、私もその雰囲気に酔っている。有華の唇が欲しくなった。茂から奪って有華に深い口づけをする私。茂も有華に口づけをする。三人の口が有華を中心に重なる。そして、茂の唇は、私にも深いキスをする。唾液交換。私が二人にキスで攻められている。嫌な気はしない。それだけ、私たちは絆が強くなったと感じる。父にも母にも兄にも姉にも弟にも妹にも感じなかった愛情がここにある。
 私の口にワインを口移しする有華。茂はパーカーのファスナーをゆっくり下げている。下着しか付けていない私。お腹にキスをする茂。首の周りを舐めてくる有華。私はその丁寧で優しい攻撃に抵抗をする気がしない。スウェットを脱がされる私。ブラジャーのホックを外す有華。私はズレたブラジャーと開かれたパーカーにスウェットが片足の足首に留まって、着用が正しいのは靴下だけになっている。女装をさせられている茂は、自分の履くスカートに手を潜らせて、何かを動かしている。有華は私の谷間に顔をうずめて、右と左についている突起を湿らせる。自分の指を歯で噛みながら、声を殺す私。その私の体の中心を押してくる何かがある。暖かく、柔らかく、やっぱり硬く、それは、少しずつ、私の中に入ってくる。茂とキスをする有華。有華の手は、口で優しく湿らせた部分をこすっている。声が、抑えられない。痛いのか、苦しいのか、それでいて、やめてほしくない初めての感覚。口に再び有華の口から流されるワイン。口から零れた雫を丁寧に舐める有華。私は、快楽だというものを初めて体で溺れるように感じた。それが甘いスキンシップを忘れてしまいそうなほど、私にあった体中の頑固な紐(ひも)を全て解くような、想像もしていなかった魅力があった。

     ◆◆◆

 あの日からかもしれない。私と有華それぞれが、茂と二人だけで行動することが増えた事。今日は茂と私だった。昨日は茂と有華だった。最後に三人で重なった事はいつだっただろう。私は正真正銘、茂の恋人だ。そして、有華も正真正銘、茂の婚約者だ。これは最初に決めたルールと変わらない。むしろ、それが成立している。それを見る同級生は、羨(うらや)む人もいれば、終わりを期待する人もいる。不純異性交遊と言う人もいる。けれどその場合、有華は婚約者であり、私はその先に結ばれる婚約者としている。その微妙な関係を完全に断ち切るような強い圧力を掛けてくる大人もいない。けれど、大人は口を挟む隙を見逃さなかった。

「妊娠、六ヶ月に入ってます」

 それは、五ヶ月間、全く症状が出てなかった。茂にお腹の膨らみを指摘されて、それまで吐き気もなかった。その様子を茂や有華以外で気づいたのは、性教育の先生だった。下校時間に呼ばれて、ずっと否定した妊娠。食欲がすごく、それで太ったと言い張る私。その主張は、有華と父4号に説得され、病院で診察することとなった。子供を育てる覚悟。それはよくわからなかった。きっと今まで見てきた妹5号や弟1号のような存在を育てるということ。私にそれが出来るのか?
 更に私に対して圧力が掛かってきた。それは茂の両親。茂が父親だと認知するには結婚を前提とした付き合いでないなら認めさせないと。茂本人の説得力では、本当の父を説得することは出来ても、茂の母何号かわからない人を説得するには至らなかった。私たちの作ったルールが壊れる瞬間だった。それを有華に伝えたのは、茂からだった。

「有華、順番が狂いそうなんだ。まりあに子供が出来て、それを数多い親戚に納得させるには、まりあと先に結婚しないといけない。そうしないと、俺は、この親戚から弾かれる存在になるんだ。それは、有華もまりあもきっと辛い未来になる」

 有華にとっては想像もしていなかった出来事。そして、その日から、私は有華を見る日が少なくなった。大人と生徒の監視の中、近づきづらい毎日。そして、有華の姿を本当に見なくなった。
 婚約中ということで、不純異性交遊や淫行条例という扱いには、なんとかならなかった。実際は私が結婚する予定ではなかった事は、学校中が知っている。けれど、すぐに私と茂は婚約したという事にしていたから、大人たちには婚約中だと一年半前から伝えていた。それがなんとか話の筋が通ったみたいで、真面目な交際の中で起きたアクシデントとして静まった。

     ◆◆◆

 有華に会いたい。茂から聞いた話に対して、どう思っているのか。私に対してどう思っているのか。どうして消えたのか。
 私は有華の家を訪れる。私と同じような公営団地。けれど取り壊し前の築70年の団地。すでに陽が落ちて、点滅するほど頼りない外灯が一つだけ備えられた団地の窓から見える灯りの数は、片手の指を折って数えるよりも少ない。
 有華の部屋の玄関の呼び鈴を鳴らす私。そのベルの音はしっかりと外まで聴こえる。ベルの音から数秒で、部屋の中から床を擦る人の気配。有華でなければ、母親のはず。気配が感じなくなったのは、きっとこの玄関の裏で、私が誰なのかを確認しようとしているはず。私は名乗りだす。

「あの、開道まりあです」

 チェーンロックとノブについた鍵を開錠する音。そこから大きく開いたドアの先に優しげな笑顔と共に出てきてくれた有華の母親。すぐに目線はお腹に移り、身重(みおも)な様子が見て取れると、また優しく顔を眺めて名前を呼んでくれた。

「まりあちゃん、久しぶり」

 有華の本当の母親。すぐに部屋へ入れてくれた。ダイニングテーブルに備えられている二つの椅子の一つに私は座り、台所でお茶を用意してくれている有華の母親。背中を見つめながら、簡単に質問をする。

「あの、有華は……どこですか?」

 すぐに返ってこない答え。有華の母親は少し目線を上げて、すぐに手元のお茶を見る。振り返ると、私の前に細い湯気を舞わせた湯呑(ゆのみ)を丁寧に置いてくれる。

「有華はね、もう、ふた月になるかしら。出て行ったの」

 ふた月。それは私の妊娠が発覚した頃。おそらく、茂から有華へ結婚の順番が変わったと伝えられた後ではないと感じた。

「書置きがあったの。仕事を探すって……それでね、先月私への生活費を入れた封筒がドアのポストへ入れられてたわ。『私は元気』と書かれていて……」

 有華は働きに出ていた。どこに勤めているかもわからない。けれど、母親の生活を支えるために、生活の足しになるお金と、有華のかわいい筆跡で自分の無事を知らせている。その様子に私は少しホッとした。間違いなく有華の字と性格で書かれている。郵便で運ばれた訳ではない直接の投函。それは確かに有華の無事を伝えてくれる。けれど、私に対してどのように想ってくれているかは、やはりわからない。
 私はそれから、有華が封筒をポストへ投函する事を見計らって、時間や日付を予想して待ち伏せするような習慣がついた。けれど、もしかして、私の姿を見て、私を避けようと時間をズラしているかもしれない。なぜなら、私が待ち伏せした日の翌日には、再びドアのポストへ投函されていたと有華の母親から聞いたから。そこには、やはり私に対しての言葉は添えられていない。
 翌月も、私は待った。きっと私を離れたところから見てくれていると信じて。父4号には身重な体で出掛けるたびに止められるが、常に私を監視することは出来ないわけで、私は有華の笑顔が似合う表情をもう一度見たいがために、有華の団地へ向かう。茂にも内緒にしているから、一人になりたいと言った日は、有華の団地に行く口実にしている。
 有華の住んでいた入居が少ない団地で顔馴染みができるほど、私はほぼ毎日のように有華の団地にいた。今日は先月の投函より35日目。一週間前からずっと待ち伏せていた。私が有華に逢いたいという気持ちが、きっと伝わっていると信じて。きっと母親のために封筒を投函しにくるはず。きっとこの一週間以内に、私の姿を見てくれているはず。話したい。有華と、二年前のように、笑って、囁(ささや)いて、顔を近づけて。けれど、あ……私のワンピースが濡れている……あ、これって、破水? でも、もうすぐ有華が来るかも。ああ、止まらない。どうしよう。足に流れてくる。陣痛は? まだ、こない。どうしよう。きっともうすぐ有華が……。
 私の周りに人はいなかった。少なくとも、私には感じられなかった。破水して、数分、数十分、一時間は経ったかな。しばらくそのように黙々としている私の耳には、サイレンの音が響いていた。音は大きく、どんどん大きく響いてきた。そして、気づいた。そのサイレンの目的地は、私だということに。

「連絡がありました! 破水して一時間以上経過しているあなたが動けないでいると!」

 私は救急車に運ばれた。そして、一時間前から破水している私を知っている人。一時間以上前から私を見てくれていたんだ……有華。

     ◆◆◆

 あの日、破水してから丸一日経ったころ、激しい陣痛に襲われて出産に至った。女の子。私にとっての『娘1号』が生まれた。必要以上にうろたえながらそばにいた茂は何度も私に「頑張ったね」や「大事に育てよう」と言ってくれた。けれど、茂が大事に育てるのは何歳まで? その子が茂を選ばなかったら、育てるのは私なのよ。そして、この『娘1号』が、そのうち私を指ささなかった時、私はこの子にとっては『母1号』でしかならない。そのような考えがこの子が生まれるまでずっと頭に渦巻いていた私。だからか、『娘1号』の名前を決めてなかった。せめて、未来に喜べる日が来ることを願って、『未喜(みき)』と名付けた。それはこの子のために、なのかな。それとも自分のために、なのかな。
 元々私は学校を休むタイプの生徒ではない。だから保健室で別室登校しながら、そして補習を受けながらも、高校を無事に卒業した。破水したあの日から、有華を待ち伏せる事は無くなった。有華は、私を見てくれていて、助けてくれたから。これ以上は、存在を隠していたい有華を、苦しませたくない。
 茂の家族の生業(なりわい)だけあって、披露宴は盛大なものだった。一番大きな披露宴会場でも主要な親戚が入りきれないことで、ホテル内全ての会場を利用して、新郎新婦である茂と私は、それぞれの会場に登場して、ローテーションで披露した。大忙しだ。親戚も全員が出席できるわけでもなく、遠い親戚は抽選となるほどだ。私の親戚には、もちろん見たこともない人ばかり。私を何も知らないのに「きっと幸せになれます」と言われた。そんな笑顔の中、全員が思っている事が頭に入ってくる気分。それは3年後、茂が今度は誰と結婚するのだろうと。

     ◆◆◆

 茂はいいパパだ。悪態もつかず、未喜を大事に育てている。そして私も。きっと私は恋愛結婚だと言われてもいいかもしれない。古来から存在するお見合いでもなく、婚約中に妊娠した事で、できちゃった婚と露骨に言われることなく、今の時代、珍しい夫婦の馴れ初めと評されるかもしれない。けれど、茂からすれば、好きだった私との恋愛だけれど、私の恋愛は有華から始まったもの。正三角形で始まったルール。それが崩れた時点で、私の最初の恋愛も終わっていた。
 私は自分でも意外だけれど、未喜を可愛がっていると思う。妹5号や弟1号の時と違って、そばに付いていたくなる。『誰の子供』ではなく『私の子供』だからかもしれない。たぶん自分に納得できるからだろう。
 月日が流れるのは早い。有華は相変わらず母親へ支援しているらしい。けれど会いには来ないと。未喜はもう4歳。それは、強制離婚の期日が迫っている事にもなる。

「まりあ、俺、もう一度まりあと結婚するよ」

「いいの? 本当に」

「だって、俺はまりあが最初から好きで、未喜も大事に育てるって言っただろ?」

 正直嬉しかった。本当に16歳の頃から、私を好きでいてくれたなんて。好きという感情にはお金も家柄も似合わない。理屈抜きで好きだから好きという茂の気持ちは本物だと思える。結局私には、本当の好きとそうじゃない好きを見極める目は持っていなかったんだなと、子供の頃の自分を思い出す。もう一度、茂と結婚したら、有華の事を忘れられる気がする。
 そして、私と茂は強制離婚となった。
 今日で離婚が成立してから一ヶ月経つ。茂は言っていた。一ヶ月間、お互いの気が変わらなければ、すぐに籍を入れ直そうって。一ヶ月間、私は内縁の妻として、そして氏(うじ)は一度開道に戻していた。
 離婚成立する直前、義務的に未喜へは尋ねた。

「パパとママ、どっちと一緒にいたい?」

 未喜は答えた。

「パパとママ、どっちも」

 それは選べないということで、私に親権がある事を示す。茂と私にとっても、嬉しい言葉だった。そして離婚してから一ヶ月経った今日。入籍届けを持って茂は家を出た。私は家のすぐ近くにある公園で未喜と砂遊びをする。それは茂が帰ってくるのを待つために。茂が公園で待ち合わせようと言っていた。そのまま家族三人で結婚祝いをしようという計画で。
 未喜は水で湿らせた泥んこで人形を座らせておままごとをしている。泥んこを鷲掴(わしづか)みするのに抵抗のある私。けれど見ているだけで楽しい気分はする。高校の頃、母2号が妹4号と砂遊びをしている気分はこんな感じだったのかなと思いながら。
 太陽に背中を向けていた私の横に小さな影が近づく。茂かとも思って笑顔で振り向くと、そこには未喜くらいの年齢なのか、女の子が立っている。周りを見回すと母親らしき姿も見えない。茂が帰ってくるまで見ていようと思い、未喜と一緒に遊んでもらう事にした。未喜は人見知りがあまりない。だからすぐに泥んこの団子をみせると、女の子は躊躇(ちゅうちょ)なくそれを受け取る。そのまま同じ背丈の女の子二人は遊びに夢中となった。その様子に安心した私は、昔からの癖のように、この子の親は、母何号なんだろうと思いながら眺めた。
 思ったより茂が帰ってくるのが遅い。今日は仕事も休みで、役所へ提出してくるだけの簡単な往復。ベンチへ座り、子供二人を眺めながら、少し心配になりながらも、徒歩で出かけた茂におお事が起きる予感もしなかった。

「まりあ、久しぶり」

 私は目を向ける事なく驚いた。その声に私は何度ときめいた事があったかと思い。けれど今は、ときめきよりも心臓が出てきそうなほどの驚きという感情だった。

「ゆ、有華?」

 私はどんな表情をしていいのかわからない。それは、有華と初めてキスした日の私がある。謝ればいいのか、馴れ馴れしく抱きつけばいいのか、ただ、ただ、有華の言葉を待つしか出来なかった。

「まりあの子? 可愛いわ」

 四年前より少し落ち着いた口調の有華。私のように昔と変わらないスウェットとパーカーを着た姿と違って、有華は男性の目を引く女の姿があった。丁寧にベンチに座る雰囲気すらも洗練されていると感じる。簡単に想像しそうなことは、夜のお店で働いているような妖艶(ようえん)さを感じられた。

「ずっとね。まりあに逢いたかったの、本当は」

 そう、ずっと逢ってくれなかった有華。どうしてだろう。

「まりあが、茂とこの子と、難しい事を考えずに、幸せに暮らして欲しかったの」

 まだ見えてこない真実。どうしてそんな風に思っていたのか。私の頭に廻る質問は、有華の言葉よりも優先できる言葉はまだ浮かんでこなかった。

「まりあの子と遊んでる女の子、私の子よ」

 有華の言葉に、私はこの子の年齢を逆算する。それは、見当違いは有り得ない事実。それは有華が、私の事を、自分の母親以上に、気を使ってくれていた事。

「そう、私も、妊娠していたの。茂の子、あの子を」

 有華は私よりも二ヶ月ほど後に、妊娠していた。そして、茂から結婚の順番が変わると聞いた時には、すでに自分も妊娠している事に有華は気付いていた。本当は結婚するのは有華だった。けれど、もし有華が茂と結婚していれば、すでに中絶も考えられなかった私は、いったいどんな生活だったんだろう。有華は自分の事より、私の事を優先してくれていた。だから、高校を辞めて、子供を育てながら、夜の世界で働いていた事実。もしも、その事実を私と茂が知っていたら、茂との結婚生活は、このようにならなかったかもしれない。

「まりあ、ずっと私はまりあを想っていたわ」

 ほとんど言葉を返さなくても理解できる有華の愛情。私は、有華を忘れようとしていた自分にムカついた。茂がすぐに帰ってこなかった理由。それも理解できた。直前に有華は、茂と再会していたから。事実を知った茂を想像すれば、相当複雑な気分に悩まされるだろう。そして、私は思う。どのように償(つぐな)ってあげればいいだろう。それは簡単に思い描けた。

「有華。今度は有華が幸せになる番だよ。有華……ずっと一人で苦しんでたんだね。ごめん、本当なにも知らなくてごめん」

 有華に抱きつく私。有華から初めて漂う女の香りに息を大きく吸った。私は、茂との再婚は考えられなかった。私に妊娠の事実を隠して身も隠した有華。おそらく中絶も可能だった時期に、好きな茂の子供を産みたいと願った有華の孤独。大人たちの雑音から私や茂を守るため考えた有華の決断は、静かに身を隠すことだった。

「まりあ。私は、茂とも、まりあとも家族になりたいの」

 私には、心の繋がりの意味にしか思えず、その言葉に何度もうなずき、何度も「有華と私は家族よ」と耳元で伝えた。けれど、有華の言う家族は、例え話や心だけの繋がりという比喩(ひゆ)ではなかった。

「まりあ、もし、茂との結婚を許してくれるなら、私の養子(ようし)になって」

 養子。一瞬ピンとこなかった。私と有華は同級生。養子って、年配の大人と、小さな子供がするものじゃないのかと。けれど、有華の言葉にはすでに調べ上げている説得力があった。
 有華は私よりも生まれの早い4月生まれ。養子縁組(ようしえんぐみ)は、養親(ようしん)となる方が、成人していて、養子より年上でなければならない。年上というのは、早く生まれていればいいとの話。それに、有華が結婚をする茂が承諾すればいいという話。私と有華は歴(れっき)とした家族になれる。何があっても連絡のいく家族。他人扱いは絶対されない家族。

「有華! 最高よ! 私、有華と家族になる! ずっと、高校の時と同じ三人で! そして三人で産んだこの子達全員で! 私たち、完璧な家族になれるわ!」

 私は忘れそうになっていた高校生の頃の自分を思い出した。そして、私にとってこの計画を実行する条件があるとすれば、私が有華に今すぐキスをする事だった。自分たちの子供の前で交わすキス。優しいキスだった。
 茂は有華と結婚した。全てに納得した茂。それを断る理由もないほどに。そしてすぐ、私は養子として、有華の子供となった。

     ◆◆◆

 私たちの生活は一変した。それは茂と私が静かに作り上げていた生活空間に、新しい有華のセンスが加わる。有華は高校の時と変わらず、料理も好き、洗濯も好き、掃除も好んで生活する。私はそれを手伝うかのように、新しい料理を覚えて、新しい服を買って、新しい自分を見ることになった。部屋はどこにでもある家具屋で購入したものから変化して、100年以上前の品であるアンティークを意識したロココ調のセンスが部屋に並ぶ。茂は有華と私を愛してくれる。茂がいない時は、私は有華ママと愛撫(あいぶ)を繰り返し。天蓋(てんがい)で覆われたベッドで丁寧にお互いを愛(め)でる。私に有華ママがおやすみのキスをすると、茂との夫婦の営(いとな)みを行い、私は子供達と一緒に、有華の香りが残る枕に顔を沈め、子供達は私の香りを覚える。時々、有華が私と寝ている子供達を別の寝室で寝かせる。今度は有華がママとして子供達を寝かしつける。そして茂パパが私の部屋に入ってくる。

「まりあ、パパだよ」

 茂パパが優しく愛でながら、私の中に入ってくる。それは世間で言えば、近親相姦(きんしんそうかん)というものかもしれない。けれど未喜は私と茂の子であり、私は茂の元妻。誰が歯切れよくおかしい行為と言うだろうか。それがおかしいと言うなら、強制離婚を認めた世間とどれだけ違いがあるのだろうか。そんな雑音は、私に言わせればただの僻(ひが)みだ。私は幸せだった。いつまでも、この家族が続きますようにと。
 全てが正三角形のようにバランスよくなればいい。けれど、機械でない以上、完璧に同じ日常を繰り返すことは難しくなる。求める人と求められる人のバランスは、決して同じにはならない。今日も茂は私の元にきた。父親という元夫に抱かれる私。そういう日が偏(かたよ)れば、満たされない人も出てくる。茂に抱かれながら、部屋のドアの下の線のような灯りに影が見える。有華。私の部屋の外で私と茂の喘(あえ)ぎを聴いて立っているんじゃなくて、入ってきてほしかった。その影が部屋の前から遠ざかると、有華が遠くに感じる。

「有華! 今日は私、子供達と寝ているから、茂と一緒にいてね」

「う、うん……」

 私たちの中で余計な妬(ねた)みや僻(ひが)みは要らない。そんな日の翌日には、元々茂を好きだった有華を優先してあげたい。私は有華がいてこそ完璧な生活になる。有華は茂がいることで満たされる。茂は私がいることで満たされる。そのバランスを崩してはいけない。引っ込んでしまう性格の有華に代わって、意見をぶつける私が微調整していかなきゃ、この関係に溝(みぞ)ができる。けれど、恋慕の強さは、それぞれ想いの強さが違う。

「茂! 今日は有華とそばにいて!」

 続けて私の部屋に来る茂。私はそのバランスの話を茂に伝えて、茂もそれを理解はしてくれた。有華のそばにいてくれれば一安心。けれど、有華が満たされるかはわからなかった。
 その日、茂は有華のそばにいた。けれど、有華は茂に抱かれていない。直前に私の部屋に来た茂は、私を抱きにきた。私に言われて茂が自分の寝室に来たと思う有華。そして抱かれない有華。それはタイミングを失った性欲と空気感で、背中合わせな夫婦。悪意もなく、嫌悪もなく、たまたま睡魔に襲われただけかもしれない。私が夫婦にとって当たり前な営みを進める言葉、その繊細な言葉を野暮と思うか必要と思うか、23年の人生では上手く誰も言葉として口に出せなかった。
 少しずつ大人の空気感というものは生きていくうちに理解する。人は自分のタイミングと違う事を言われると、頭でわかっていても素直に中々動けないものみたいだ。空気を読む事が大事なのか、お節介でも言葉に出したほうがいいか、人間は完璧じゃないことを前提とすれば、正解はないのかもしれない。私が良かれと思って言う言葉は、私は法的にも茂と有華の子供。子供に説教される親の気分なのだろうか。

「有華」

「ごめん……まりあ、ほっといて」

 言われて動くことに喜ぶ人は多くないと思う。私もそうかもしれない。私は気づくべきだったのかもしれない。私の言葉で茂が有華がそばにいるということは、茂の心で思っていなかったということ。仕方なく有華のそばに来た茂と感じた有華は、心を抱かれた気分にはならないだろう。亀裂をつくったのは、私だ。
 私はそれから余計なことは言わなくなった。茂が私を求めるなら、それに応じた。私が求めたい時に有華に愛撫をした。けれど有華は、自分の欲を抑える事ができる人。茂の気持ちが自分に向いていないと感じると、自分からは茂に寄り添う事ができない。
 有華のそれは、本人も気付いていないが、嫉妬だったんだと思う。ずっと茂と私に対して思い描いていた未来。四年間も沈黙を守った心は、私でも、もっと好きな相手からの愛情を貰いたい、貰いたい、と唱えるかもしれない。16歳のころ、茂が私に告白した日も、私に気を使って、一度はフッた有華。私に気を使って、四年間も身重な体と不安な生活で身を隠した有華。その有華は、茂が私を想う気持ちの方が、有華が茂を想う気持ちより大きい事で、想いの強さの違いを実感して、有華は私に対して嫉妬している。私は、有華の心を閉ざしてしまう存在。
 私たちの関係。それは繰り返す事はできる。私が強く願い、有華を説得して、茂を説得して、繰り返される3年間。けれど、本当の心は少しずつ隠されてしまう。そして、有華と茂が結婚してから、満3年が経過しようとしている。
 私は尋ねられた。

「まりあ。パパとママ、どっちと一緒にいる?」

 私は指をさした。その結果に、10歳のころの自分が蘇る。有華ママがあんな幸せそうな顔をするなんて思わなかった。

     ―了―


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投稿日 : 2014/09/22(Mon) 11:06
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